誰かの話

失敗した。あの時隠れておけば良かった。そう思ったのはシェードジャングルで目の前の客が迷ったと断言した時だった。
メレメレ島の観光客向けレンタルアローラ図鑑。それに入り込んで客を楽しませることが自分たちの仕事。しかしこれがなかなか難しい。楽しませる話術はない、調べ物を迅速に行える頭がない、ついでに長時間動けるほどの体力もない。あれもないこれもないで気づけば任される仕事もなくなっていた。周りの連中には馬鹿にされ、事務所で埃を被りつつある自身の入るべき図鑑を眺めながら他のロトム達の仕事を見送る。そんな日が続いていた。
彼女と出会ったその日はちょうど繁茂期真っ只中。他のロトム達はみんなレンタルされ、自分だけが残っていた。渋る店主に対して、どうしてもこれがないと困る割増料金払うから、と食い下がる彼女にとうとう根負けしたらしい。そんな変わった客と1ヶ月の契約でレンタルされたのだった。
彼女が連れていたのはリーフィアとトゲキッス。2体ともそこそこに鍛えられており、信頼関係もしっかりできていることがわかる。慣れない地なのでしっかりと休ませてから色々回りたい、という彼女の考えでモーテルのそばのポケモンセンターに2体を預け、何か食べるものを買いに行こう、ついでにここをまっすぐ行けばショートカットできるね!と彼女が言った。決してこちらから言ったわけではない。
そうしてシェードジャングルで迷子になったというわけだ。先ほどまでは辺りは明るかったように思うが、気がつけば薄暗くなっている。それにも構わずに彼女はずんずんとどこかへ向かう。
「このまま進んで大丈夫ロロ?」
恐る恐る聞いてみると
「え、分からんけど……。でも、これも私の仕事だし?」
聞きなれないイントネーション混じりでそう言って道なき道をガサガサと突き進む。人の身1つで野生のポケモンに襲われたらたまったものじゃない。怪我なんてさせたら怒られるのは自分なのだ。なんて言えるわけもなくただ後ろをついていく。
突然、ぎゃっと不細工な声をあげて彼女が後ろにひっくり返る。慌てて寄れば、頭には恐らくカリキリがひっついていて、このカリキリが木の上から降って来たのだろうと予測がついた。
「見たことないポケモンだ、ロトム、この子は?」
「えっと、カリキリ、ロロ。タイプは……えーっと……」
モタモタと図鑑を探す自分を尻目にやけに震えるカリキリに先ほどとは違う聞きなれたイントネーションの猫撫で声で話しかけている様だ。
「えっと、カリキリ、くさタイプ!……図鑑となんだか違うロロ」
「見せて。」
体を無理矢理そちらに引き寄せられるとじっ、と見つめられる。
「色違いの子かな。親がこの辺にいるかもしれない。……怪我してる。ポケセンに戻った方がいいかなぁ?」
ブツブツと何かを考えだした彼女に呆れていると、けーーーーん!と何かが甲高く叫んだ。声の方向を見やると飛んでいるポケモンがこちらに敵意を向けている。
「うわ、これは良くない。縄張りに入ったかも。ロトム、戦える?」
無茶振りだ。
「そんなの無理ロロ!」
抗議をすればじゃあ逃げる!とカリキリとロトム図鑑を抱きしめて走り出す。カリキリなんて匂いの強いポケモンを連れて逃げ切れるわけなんてない。そんな事もお構いなしに遮二無二走るのだから訳がわからない。
距離を取っては休み、見つかっては走りを繰り返す。
「あっ!」
彼女の短いその声と共にその腕から投げ出される。転んだ、と理解できるまで一瞬時が止まる。飛んでいるポケモンはそれをチャンスと言わんばかりに距離を詰め、技を撃つための体制を整える。ぜいぜいと荒い呼吸のまま、彼女はまた自分たちを抱えようと立ち上がる。もうダメだと思った瞬間、白い何かが自分たちを守るように舞い降りた。
「ま、ひる……。ごめん、いける……?」
彼女のトゲキッスだ。あまりに帰りが遅いから探しに来たのだろう。チラリとこちらを見て、体を眩く光らせる。マジカルシャインだ。その攻撃に驚いたポケモン達は慌てて逃げ出した。
ほう、と皆が同じようにため息をつくと、
「こんな危ないことしないでよ。心臓がいくつあっても足りないだろ?」
先程までいたトゲキッスは姿を消し、目の前には真っ白い人が彼女の腕を支えて立ち上がらせた。彼女より頭ひとつ以上高い背で、この白い人が男性なのだと予測がつく。なんだ、これは。ポケモンが人になったとしか思えない唐突な光景に頭がぐるぐるする。
「あーあー、もう血が出てる。僕も君を抱えて怪我させない保証はないし、ちゃんと自分の足で歩いてね。」
ささっと彼女の荷物を持って歩き出す。よく見れば歩幅を合わせてゆっくりと時々こちらを振り返りながら歩くので、彼女のことを気遣っていることがわかった。
「ところで、その子は?」
「さっき木の上から降って来てさ。親のところに返してあげなきゃと思うんだけど、しがみついちゃって離れなくなっちゃった。」
きゅうきゅうと泣くカリキリが少しだけ何か言っている。多分彼女達には聞こえていないし言葉も通じてないだろう。
「嫌われてるから帰れないって言ってるロロ」
「色違いの子は群から追い出されることが時々あるんだって。この子もそうだったのかも。」
そっかそっか、と彼女は納得したように頷き、カリキリにまた声をかける。
「じゃあうちの子になっちゃいなよ。3食昼寝付き。働きによってはボーナスもつけるよ」
とびっきり甘い声で勧誘をかける彼女は滑稽そのものだ、そう思ったロトムに目を合わせて彼女はこう言った。
「無茶させてごめんね、ロトム。あの場で戦われてたら図鑑壊しちゃっただろうし、助かったよ。弁償額も安くないもんね。頭回ってなかった。」
にかっと笑うその顔にロトムの心には罪悪感が滲んだ。落ちこぼれ、何もできない。実際に何もできなかった自分にそんな言葉をかけないで。
「ギョクが君の代わりに買い物してくれてるから後でお礼言っときなよ。出来合いのものばかりじゃ味気ないかな。簡単なスープくらいは用意しようか」
真っ白い彼が何の気もなく言う。
「ロトム。君も食べるだろ?」
「ロトムは要らないロロ!電気があれば動けるし……」
「お腹いっぱいの方が幸せだよ。」
楽しそうなその声に、少しだけ心が揺れる。
「食べる、食べてもいい、ロロ?」
「うん。私が良いって言ったからいいよ!」
チカっと沈みかけの陽の光が目を刺した。ジャングルから抜け出したようだ。
「今日は大冒険だったし、しっかり食べてしっかり寝る事。いいね?」
「大冒険になったのは自業自得だよ。明日からは僕もギョクもいるからこんな危険な事させないからね。」
うへへ、とだらしない笑みを浮かべたその姿の隣に自分もいられたら。ほんの少しだけそう思ってしまった。
このロトムはロロと呼ばれるようになるがそれはまだ少し先の話。
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