彼氏の使命 彼女の特権
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『お父さん・・・私の事を信じてくれないの?』
『・・・・』
『お母さんと別れるのも・・・私のせい?』
『・・・・』
『ねぇ・・・何か言ってよ!』
『―――早くお母さんの所に行きなさい』
絶対に私を見ようとしなかったあの人。
低く穏やかだった声が今ではもう思い出せない。
最後に聞いた無機質な声と冷ややかな視線だけが、私が思い出す父親だった。
「・・・比奈・・比奈!」
「・・・・っ!?」
激しく揺り起こされ、比奈はハッと目を覚ました。
「・・・おと・・さん・・」
ぼんやりとした視界に映る人影が夢の中の父と重なる。
だが次の瞬間、人影が忍足である事に気付いた。
「ぁ・・侑士・・・?」
「気ぃついたか?自分めっちゃうなされとったで?」
「嫌な夢でも見たんか?」と心配そうにする忍足に、比奈は「うん…」と呆けた返事を返した。
そして改めて辺りを見回すと、ここが合宿所の部屋であることを思い出した。
「・・・何時?」
「まだ夜中の1時や」
「そっか。起こしちゃってごめんね」
申し訳なさそうに比奈が謝ると、忍足は「えぇよ」と小さく笑みを浮かべた。
「どや、眠れそうか?」
「うん・・・もう大丈夫」
「ホンマか?」
不意に真面目な表情になる忍足。
それで比奈は昼間の事を思い出した。
『・・・独りで溜め込まんといてな』
切なそうな表情でそう言った忍足。
今どんなに平静を装っても忍足には全てお見通しだろう。
(侑士には・・・隠せない)
だが何と言えばいいのか分からず、比奈は迷うように俯いた。
その様子に忍足は苦笑を漏らす。
「比奈」
呼ばれて顔を上げると、忍足は片腕を投げ出すように伸ばし、そのすぐ下の布団をポンポンと叩く。
それが「ここに寝ろ」という意図であることに気付き、比奈は照れ臭そうに躊躇った。
だが、それが自分から甘えに行けない自分を気遣っての事だと比奈は理解していた。
甘えやすいように先回りして気遣ってくれる忍足の優しさだと。
比奈は数秒躊躇った後、モソモソと忍足の傍らに移動した。
気恥ずかしさから忍足に背中を向けたが、頭はそっと忍足の腕に乗せる。
それに満足そうに笑うと、忍足は残った方の腕で優しく比奈を抱き込んだ。
「・・・・侑士」
「なんや?」
「ちょっと恥ずかしいかも・・・」
「抱っこならいつもしとるやん」
「そうだけど・・・これは何かもう抱っことかの域じゃない気がして・・・」
しどろもどろになりながら喋る比奈に忍足は悪戯っぽく笑うと、そっと耳元で囁いた。
「何や比奈・・・やらしー事でも考えたんか?」
「はぁっ!?ち、違っ・・・」
「アカン!侑ちゃんを襲う気やな比奈!!」
「バカ!!変な事言わないでよ!」
「比奈にいただかれる~」
慌てて忍足の口を手で塞ごうとする比奈。
忍足はそれを笑いながら避けると、二人は暫くバタバタとじゃれ合った。
―――数分後、どちらからともなく力尽きて乱闘は治まった。
「ちょっと、明日・・・っていうかもう今日だけど、練習あるのに眠らなくていいの?」
「アカンわ。遊んだら目が覚めてもうた」
「ダメじゃん。寝ないと体もたないよ」
「・・・羊でも数えるか?」
「・・・・」
忍足の提案に暫く沈黙すると、比奈は大きく首を横に振った。
「ダメ!そのエロ声で羊なんか数えられたら私が眠れなくなる!」
「ほな、羊が一匹~、羊が二匹~、羊が」
「ダメってば!侑士のフェロモンを纏った羊達がホスト集団のように私の脳内を我が物顔で闊歩しちゃうでしょ!!」
「自分の頭ん中は夜の歌舞伎町かいな・・・」
苦笑しつつツッコむと、忍足は暫く考え込んだ。
「・・・ほな比奈の話してくれへん?」
「私の?」
咄嗟に振り返ると、思いの外真剣な表情の忍足と目が合う。
「比奈あんま自分の事話さへんやん。ここに来て初めて知った事が多くて・・・なんや寂しくなったんや」
他人の口から自分の知らない比奈を語られるのが非常に不快だった。
―――それと同時に・・・不安でもあった。
自分の知らない比奈の存在が、自分の知る比奈を掻き消してしまいそうで・・・。
比奈の口から比奈の言葉で聞きたい。
そうすれば比奈として全てを受け入れられるから・・・
比奈は暫く何かを探るように忍足の瞳を見つめると、再びゆっくりと忍足に背を向けた。
「・・・じゃあ、私の両親の話でもしようか。私のお母さんの事は・・・前に少し話したことあったよね?」
「・・・あぁ」
忍足は『お母さん』の単語に一瞬身体を強張らせるが、比奈はそれに気付かないフリをしつつポツリポツリと話し出した。
「私のお母さんはね、母親としてはとても強い人だったの。―――けど、女としてはとても弱い人だった・・・」
話し疲れて比奈が寝息をたて始めた頃、忍足は静かに布団から抜け出し、そのまま部屋を後にした。
薄暗い照明の廊下を足早に通り、人のいない静まり返ったロビーまで来ると、倒れ込むようにソファーに腰掛ける。
そのまま背もたれに身体を預けると、忍足はゆっくりと天を仰いだ。
途端にせき止めていた雫がそっと頬を伝い、流れ出した。
声を押し殺す様に息を詰め、涙を止めようときつく瞼を閉じる。
視界が暗くなると逆に鮮明に思い出す比奈の声。
比奈が抱え込んでいたもの。
比奈を苦しめているもの。
その片鱗を垣間見たような気がして、忍足は静かに泣き続けた。
「―――眠れないのか?」
どれくらいそうしていただろう。
漸く涙が治まった頃、唐突に声を掛けられ、忍足は静かに顔を上げた。
「・・・それは自分もやろ?乾」
忍足の言葉に答えぬまま、乾は忍足の座っているソファーと背中合わせになっているソファーへと腰掛ける。
暫くは互いに何も話さず、静寂の空気が辺りに広がった。
「・・・キミは比奈と付き合ってるそうだな」
ポツリと呟いた乾の質問に、忍足は「あぁ」と小さく頷いた。
それに乾も「そうか」と短く返し、再び辺りが静まり返る。
「・・・自分は、『全部』知っとるんか?」
「ある程度はな」
抑揚のない乾の返事に、忍足は再び天井を仰ると、静かに息を吐き出した。
「ほな教えてくれへん?」
「・・・・?」
「何でや・・・」
乾にというより、見えない誰かに向かって忍足は呟いた。
忍足の声がロビーの静寂を掻き消す。
「何で比奈は・・・あないに笑っていられるんやろ・・・」
いつも自分に向けられる比奈の笑顔が閉じられた瞼の裏に浮かぶ。
「何であないに優しいままでおられるんや・・・」
大好きなはずのあの笑顔が、今はとても哀しかった。
「何で・・・比奈があんな思いせなアカンのや」
比奈の根本に埋まっていたもの。
それはとても辛く、哀しい過去だった。
それを抱えていながらいつも楽しげに笑っていた比奈。
「俺やったらアカン。憎しみで満杯や。笑うやなんて・・・一生無理や」
「・・・・」
「何であんな・・・人に優しくできるんやろな」
再び忍足の視界を涙が覆いそうになった時、それまで黙っていた乾が静かに口を開いた。
「俺は忍足がその答えだと判断したんだが?」
一瞬、忍足は乾の言葉を理解するのが遅れた。
そしてゆっくり振り返ると、どこか縋るような視線を乾の背中に向ける。
「久しぶりに一ノ瀬を見た時、正直どう声をかければいいのか分からなかったよ。・・・俺は勝手に一ノ瀬が不幸なままだと思い込んでいたんだ」
言いながら乾が自嘲気味に笑ったのがわかった。
「だが実際の一ノ瀬は不幸でも可哀相でもなかった。傍には君がいて、他の部員達もいて・・・一ノ瀬は楽しそうに笑っていたよ」
乾はその時の事を思い出すかの様に眼鏡の奥で目を細める。
「だから俺は安心して一ノ瀬に聞けたよ。『氷帝は楽しいかい?』ってね。答えは彼女の笑顔を見れば分かったから・・・」
案の定、比奈は満面の笑顔で答えてくれた。
どれだけ自分が幸せなのかを乾に教えてくれる程の笑顔で・・・
そしてその笑顔の傍にはいつも忍足がいた事に乾は気付いた。
「転校する時にはもう閉じてしまいそうだった一ノ瀬の心をキミが再び開いた。・・・俺はそう思っているよ」
忍足によって開かれた比奈の心に、今では幸せが沢山詰まっていると・・・
「―――キミは一ノ瀬の支えになってる」
淡々とした乾の言葉。
その時の忍足にとって、それは無意識に欲していた言葉のように感じた。
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