彼氏の使命 彼女の特権
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「広いっ!・・・けど・・・」
「ああ、広いんやけど・・・」
「山・・・だな」
比奈と忍足の言葉にとどめのように宍戸が呟くと、他のメンバーも重いため息を吐いた。
一同が合宿のためバスに揺られて到着したのは周りを全て山に囲まれた広大なテニスコートにグラウンド、そして宿泊用の施設だった。
「何か出そうですよね・・・猪とか熊とか・・・」
「確か最近の熊は人里によく下りてくるとか・・・」
「ちょっと・・・長太郎も若も嫌なこと言わないでよ。そう簡単に熊が出るわけないじゃない!」
「猪くらいは出るんじゃねぇか?猿とか狸も・・・」
「あははっ!すっげぇ野生的だC~」
宍戸の言葉に、テンション上がり気味の芥川が楽しげに笑い出す。
「ま、まあ・・・施設は新しいし、環境的にはええやないか」
段々とビビり始めた比奈に忍足は慌ててフォローすると、宥めるように頭を軽く撫でた。
それに気を取り直したのか比奈が改めて周りを見渡してみると、自分達の乗ってきたバスの他にもう一台バスが止まっているのに気がつく。
「―――向こうはもう着いてるみたいだな。オイ、取り敢えず施設に行くぞ」
部員達に号令をかけ、宿泊施設に向かって歩き出す跡部に比奈は小さく首を傾げた。
「『向こう』って?私達の他にどこか来てるの?」
一瞬、何かを予感するように比奈の心臓が大きく跳びはねる。
「ああ、そう言えばお前らには集合時間の変更しか伝えてなかったな」
振り返った跡部の唇の動きがやけに遅く感じる。
比奈は早鐘のように激しくなる心音に気付きつつ、跡部の言葉を黙って待った。
「―――今日からの一周間は青学との合同合宿になった」
短く明確なその言葉に、前に踏み出そうとしていた比奈の足がピタッと止まる。
青学との合同?
青学…?
青学には―――…
『セイガク』ニハ『アノコ』ガイル
それからは比奈自身も曖昧にしか覚えていなかった。
ただ無意識のうちに体が踵を返し、逃げるように走り出す。
山に包まれた空気は酷く冷たいのに、コートを着た比奈の体は焼かれたたように熱かった。
「比奈っ?!」
後ろの方で忍足の驚いたような声が響く。
だがそれさえも遠くに感じ、比奈はひたすら走った。
「なっ・・・なんや・・・いったい・・・」
300メートル程走った所で比奈は呆気なく忍足に捕獲された。
微かに息を乱す忍足に比べ、比奈は言葉を発することも難しいほどの酸欠状態。
これは選手とマネージャーという差があるので仕方ないが、呼吸が緩やかになっても比奈は何も話さなかった。
「比奈?」
促すように名を呼ばれるが、比奈は微かに俯いて黙り込む。
何も話さない。
―――いや、何を話せばいいのかすら比奈には分からなかった。
「・・・・」
比奈に口を開く気配がないと悟ると忍足は小さくため息を吐き、小柄な比奈の体を軽々と抱き上げた。
「うっわっ・・・!」
咄嗟に驚きの声が漏れるが、忍足は構わず跡部達の所に歩き出す。
今度はそれに慌てだす比奈。
「ちょっ・・・侑士!降りる。降ろしてよ!」
「降ろしたらまた走り出すんやろ?ホンマ、猪かと思ったわ」
「悪かったわね!猪みたいな走り方で!・・・私、帰るから」
「青学がおるからか?」
『青学』という言葉に微かに体が反応する。
忍足にはそれだけで充分な返事だった。
「青学って・・・比奈が氷帝に転校してくる前におったところやろ?」
何かあったんか?と優しく耳元で囁かれ、比奈はぐったりと忍足の肩にもたれ掛かった。
「疲れてる時って侑士のエロエロボイスが効く~」
「強引に話逸らすんやない」
「や、本当だって。スタミナ切れてヘロヘロになった岳人に甘く囁いてごらん。絶対侑士に惚れるから」
「・・・やめい、気色悪い」
一瞬、頭の中で想像したのか、忍足が苦い表情を浮かべる。
そうこうしているうちに跡部達のすぐ傍までやってきた。
比奈は一度深く息を吸うと、静かに吐き出す。
そして決心したように忍足の首に腕を巻き付けると、そっと耳元で囁いた。
「 」
それは酷く小さくて、微かに震えていた。
後で思えば、比奈が忍足に苦しみを曝け出した数少ない瞬間である。
『私ね……青学から逃げてきたんだ』
一瞬、何を言われたのか分からず忍足の頭がフリーズする。
だが腕に収まっている比奈から微かに震えが伝わり、直ぐさま我に返った。
ギュッと肩に顔を押し付けている比奈が自分の反応を待っている。
その姿がやけに小さくて、不思議なくらいに儚く感じて、忍足はそっと髪に手を伸ばす。
「―――理由とかは・・・今は聞かんからな」
そのまま優しく髪を撫で下ろすと、途端に小さな鳴咽が漏れだした。
「・・・なに泣いとんねん。何から逃げてきたんかは知らんけど、今は跡部ん所に戻るんや。・・・ごっつう睨まれとるしな」
言い聞かせるような穏やかな声。
「何かあっても俺の傍におれば平気やろ?俺はお飾りやないでぇ。彼女を守るのは彼氏の使命やからな」
「侑士・・・台詞がクサい」
「やかましぃわ」
思わず小さく吹き出すと、忍足もつられて笑みを零す。
その言葉一つ一つが比奈の救いになっていることを彼は知っているだろうか。
「少しくらい俺を頼ってもバチは当たらんやろ。たまには甘えてもらわな、彼氏として寂しいわ」
拗ねた物言いで悪戯っぽく笑う忍足。
その手は泣き続ける比奈の髪や背中を優しく撫で摩っていた。
―――だが、壊れ物を扱うような仕草とは裏腹に、その瞳は前方―――青学達の待つ宿泊施設を睨み据えている。
(比奈が逃げ出す程追い詰めるようなことをしたんか・・・?)
―――青学・・・
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