彼氏の使命 彼女の特権
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「フンフンフフ~ン♪」
テニスコート裏の水場に比奈の鼻歌が響く。
その足元には洗ったばかりのタオル類が籠に入れられており、すぐ傍の水場では更に洗い物が蓄積されていた。
「洗濯~洗濯~♪水は冷たいけど~手洗いだけど~洗濯~洗濯~♪―――って!洗濯機どこよ!?この量を一人で手洗いしてたら日が暮れるし!!」
思わず独りでツッコミながら比奈は山盛りの洗濯物を眺める。
普段の部活の時同様、部員達のハンドタオルやアンダーシャツを洗おうとした比奈だったのだが、洗濯機のある場所を知らされていないのである。(女テニに聞いても無視され)
仕方無しに地道に手洗いし始めたのだが、洗い終わった分を干す為に少しその場を離れると、戻った時には前の倍はありそうな洗濯物が積み上げられていたのである。
(絶っっっ対!青学の分もある!!)
氷帝メンバーの見慣れた洗い物の他に、明らかに初見の洗い物が重なっていた。
「くぅ~!!洗って欲しいなら洗濯機の場所くらい教えやがれっ!」
雄叫びと共に手に力が入り、洗っている最中だったタオルがビリっと裂ける。
「あ、跡部のタオル・・・・・・・・ま、いっか」
数秒思案した後、比奈は再び黙々と手を動かし始めた。
騒いでいても洗濯物が減るわけでもなく、愚痴っていても水が冷たくなくなるわけでもない。
(午後からは試合形式で練習するって言ってたし・・・お昼前には終わらせないとなぁ)
やれやれと比奈がため息を吐いていると、不意に後ろから声をかけられる。
「あ、あの・・・」
それが女子の声だったのと、悪意が込もっていない事に驚き、比奈は勢い良く振り返った。
(三編み長っ!)
声をかけてきた少女を見て比奈は真っ先にそう思った。
「あの・・・私、青学女子テニス部一年の竜崎 桜乃といいます」
「え、あ、氷帝男子テニス部マネージャーの一ノ瀬 比奈です」
深々と頭を下げられ、つられる様に比奈も慌てて会釈を返す。
すると桜乃はどこか安堵したような笑みを浮かべた。
「あの・・・お洗濯、手伝いたいんですけど・・・良いですか?」
やや緊張の解けた様子の桜乃からの申し出に、比奈はぎこちなく笑みを浮かべて頷いた。
『素直な女の子』
それが比奈が竜崎 桜乃に持った印象だった。
比奈を真似て手近にあったタオルを水道水に浸した瞬間、見ている方まで鳥肌が立つ程に表情を凍らせる桜乃。
寒さに弱い比奈でさえ思わず『む、無理しないでいいよ』と声をかけた程だ。
「わ、私はお手伝いをする為に合宿に参加させてもらってるんで・・・」
そう言って指を赤くしながら強張った笑みを浮かべる姿には比奈も脱帽だった。
責任感が強いのか純粋過ぎるのか・・・恐らくは後者だろう。
少し世の中にすれている者なら考えずとも比奈を手伝おうとはしない。
揉め事に巻き込まれるのは明らかなのだから。
「えと・・・竜崎さんは他の女テニの人と居なくていいの?」
「あ、はい。先輩達で充分手が足りてるそうなんで、部員の皆さんの手伝いはしなくていいそうです」
(レギュラーには近づくなってことか・・・)
恐らくこの大量の洗濯物も同じ理由だろう。
やれやれと眉を顰ていると、隣で桜乃が小さくため息を吐いた。
「・・・もしかして、誰かお世話したかった部員がいたりする?」
何気なしに投げ掛けた比奈の言葉に桜乃の動きがピタリと止まる。
(図星か・・・)
確認するまでもなく顔を真っ赤にする桜乃に比奈は小さく苦笑した。
「一ノ瀬さんこそ・・・か、彼氏さんの所に行かなくてもいいんですか?」
「いや、別に~」
あっさりと比奈が返すと桜乃の目が意外そうに丸くなる。
「部活中は特別扱いしないって決めてるからさ。まぁ応援はしてあげたいけど、今は目の前の仕事を終わらせないとね」
そう言って手にした洗濯物を勢い良く絞ると、籠に向かって放り投げた。
「大人・・・なんですね、一ノ瀬さんは。だから大人っぽい忍足さんと付き合ってるんですか?」
「ん~、別にそう言うわけじゃないよ」
「えっ!?じゃあどんな所が好きになったんですか?」
やけに真剣になって聞いてくる桜乃の迫力に比奈はたじろいだ。
「え、え~と・・・あっ!私、洗い終わった分干してくるね~!」
そう言い残すと、比奈は籠を掴んで猛ダッシュした。
色恋話が好きなのは女の性。
しかし、恋の相談相手がさっぱりきっぱりの滝だった比奈には、女子相手の甘ったるい質問には気恥ずかしさを伴うのだった。
―――そして一難去ってまた一難。
比奈は数人の女子に壁を挟んで囲まれ、昔を思い出す懐かしい状況に陥るのだった。
「マジで目障りなんだよね」
「今更ノコノコ出てこないでよ」
「楽しみにしてた合宿なのに、アンタのせいで最悪!」
口々に罵声を吐く女子達。
それを右から左に聞き流しながら、比奈は正面で愉しげに微笑む瑞穂を睨み付けていた。
昔は日常的だった光景である。
いや、氷帝に通い出しても何度か呼び出しを貰った事はあった。(主に忍足のファンからだったが)
(私・・・女難の相でも出てるのかなぁ)
慣れきってしまったリンチの雰囲気に虚しさを感じると、比奈はやれやれとため息を吐いた。
―――と、不意に見覚えのある三編みが物影から見えているのに気付いた。
(竜崎さん?)
自分がなかなか戻らないから探しに来たのだろうか。
こちらを不安そうに見ている彼女と目が合った。
(あっちへ行って!気付かれたら貴女も巻き込まれるんだから!!)
視線でそう訴えると、何を勘違いしたのか『待ってて下さい』とジェスチャーした後、勢い良くテニスコートの方へ走り出した。
恐らく誰か人を呼びに行ったのだろう
(別にいいのに・・・)
と、再び瑞穂の口からため息が漏れる。
「―――随分上の空みたいじゃない?」
微かに苛立ちを含んだ瑞穂の声に、比奈は面倒臭げに視線を向ける。
「あんた達の話をまともに受け止めるほど知能遅れてないの」
「・・・氷帝に行って口と性格が悪くなったわね。昔は素直な反応をしてくれてたのに」
「残念。もともと悲劇のヒロインを気取れるほど素直に出来てなかったみたいなの」
小馬鹿にしたような物言いに瑞穂の顔から笑みが消える。
「いいの?比奈ちゃんがそんな態度だと、お父様が哀しまれるわよ?」
一瞬、ピクッと比奈の体が反応する。
瑞穂はそれを見逃さず、勝ち誇った様に囁いた。
「そういえば比奈ちゃん。―――お母様はお元気かしら?」
そう瑞穂が言い終えた途端、比奈は持っていた籠を手放し、正面に立つ瑞穂に迫るとその頬を強く叩いた。
その目からは涙が溢れ、唇は赤くなるほど噛み締められている。
「お蔭様で元気よ!元気じゃなかったらっ・・・私があんたを殺してやるんだからっ!」
比奈がそう泣き叫ぶのと、一つの足音がその場にたどり着いたのはほとんど同時だった。
現れたのは―――・・・
「桃城くん・・・」
これみよがしに瑞穂が打たれた頬を押さえ、涙混じりに桃城を呼ぶ。
その瞬間、桃城の中で何かが弾ける音がした。
「なに・・・してんだアンタッ!!」
低く呟いた途端、桃城は比奈に向かって殴り掛かってきた。
それをどこか他人事のように感じながら、比奈は後から駆け付けてきた桜乃の姿に苦笑する。
(よりにもよって、桃城くんを呼んで来ちゃったんだね・・・)
目の前で起ころうとしている光景に桜乃の表情が驚きと恐怖に強張る。
それを見たのを最後に、比奈は来るであろう衝撃と痛みに備えて目を閉じた。
―――だが、予想していた衝撃はいつまで待っても来なかった。
恐る恐る瞼を開くと、見慣れた広い背中が自分を庇うように目の前にあった。
「ゆ・・・し?」
「女の為に飛び出してくるやなんて、随分男前やなぁ・・・桃城」
嘲笑混じりの冷ややかな声。
飄々とした言葉とは裏腹に、忍足は掴んだ桃城の拳をギリッと握り締める。
「せやけど、女に手ぇ上げるんは―――男のクズやで」
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