3、王女の悩み
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ラティーファがジャスミンの部屋に向かうと、入り口には既にナウラとレイハーネの姿があった。礼儀作法や服装の確認で忙しない二人を見て、ラティーファはにこりと微笑んだ。
「大丈夫よ、二人とも。ジャスミンはとっても優しいプリンセスだから、多少のことは問題ないわ」
「でも、ラティーファはお嬢様だったじゃない。なんだかやっぱり緊張してきた……」
「そうそう。ラティーファは私たち所謂庶民と違って、ちゃんとお作法も言葉遣いも洗練されてるのよね。羨ましいなぁ」
ラティーファは苦笑いしながら廊下の鏡に映る自分を見た。気持ちとしてはもはや国務大臣令嬢ではないのだが、まだまだ抜けていないのだろうか。そんな風に肩を落としてため息を漏らす彼女に、二人はそっと寄り添った。
「大丈夫だって。それがラティーファのいいとこなんだし、何よりラティーファの一部なのよ」
「それに、シャバーン様はそういう子が好きそうだし」
「ありがとう。シャバーン様がこういうのが好きなのかどうかはまぁ、置いておいて…………」
ラティーファは二人の優しさに胸が熱くなった。一頻り場が和んだことを確認し、彼女は慣れた手つきで扉をノックした。すると、扉が開いて中から侍女のダリアが現れた。
「あら、ラティーファ様。それに…………事前にお話いただいていた、可愛らしいお二人もご一緒ですね」
可愛らしいお二人――――ナウラとレイハーネがシンクロして会釈する。ラティーファはダリアの許可を得てから入室すると、ジャスミンのお気に入りであるバルコニーへ向かった。
「ジャス、元気?」
カウチに腰掛けていたプリンセス・ジャスミンは、ダリアを除いて唯一の気の置けない親友の声を聞いて瞳を輝かせた。少女のように振り返ると、王女は小走りにラティーファへ駆け寄り手を取った。
「あぁ、ラティーファ!身体は元気よ。…………それ以外はいつも通りって感じだけど」
「それは良かった」
ラティーファはそう言いながら、手に持っている包みを差し出した。ジャスミンは満面の笑みでそれを受け取ると、その場で開封しようとした。だが、それを制止するようにダリアが咳払いをする。
「あ…………」
ジャスミンが顔を上げると、身の置き場に困っているナウラとレイハーネが立っていた。プリンセスは小さな声でラティーファに礼を言うと、包を机の上に置いてから二人に手を差し出した。
「初めまして、ラティーファのお友達ね」
二人は暫し戸惑っていたが、すぐにジャスミンは相手が気を遣わないように自ら距離を縮めてみせた。それは政治力というより、彼女自身の優しさからの行動だった。気さくに笑いかけてくれるジャスミンを見て安心したのか、2人は差し出された手を取って挨拶した。
「ナウラです!」
「レイハーネです!」
「二人はダンスが得意なんですって?私もダンスは大好きで――――」
楽しそうに話し始めた3人を眺めながら、ラティーファはダリアと二人でお茶の準備を始めようとした。だが、流石のダリアも元国務大臣令嬢に茶菓子の準備をさせることに抵抗感があるようだ。彼女は慌ててラティーファを制止すると、首を横に振った。
「おやめください、ラティーファお嬢様。あなたは…………」
かつてのこととはいえ、国務大臣令嬢です。そう言おうとするダリアを制して、ラティーファは静かに否定した。
「今はシャバーン夫人よ。父はもう居ない」
「ええと…………ですが…………」
狼狽するダリアに、ラティーファは優しく微笑んだ。その気品溢れる笑顔には、令嬢としての素養が確かに滲み出ている。
「一人では大変でしょう。手伝うわ。どのお茶が良いの?」
「ラティーファ様…………」
ラティーファの姿を見て、ダリアは胸が締め付けられた。原因は巷の噂である。
ラティーファ元国務大臣令嬢は、後見人となった30も年が離れた後見人のインチキマジシャンに嫁ぎ、苦労をしている。そんな話題が、時折社交界でも飛び交っていた。もちろんラティーファも噂自体は知っている。だが同時に、彼女は事実と異なる話で暇を潰す婦人たちの密かな苦労もよく知っていた。それに――――
「真実は、近しい人だけが知っていればいい」
「何か、仰りましたか?」
「あ、いえ。何も。それよりどのお菓子にするの?」
ラティーファは大量のお菓子――――おそらく頂き物だろう、を前に首を傾げている。一方、とんでもない量の茶菓子にようやく気づいたナウラとレイハーネは、驚きのあまり目を丸くしている。
「わ、わぁ…………ええと…………」
「ええと…………あー…………すごーい」
驚きを通り越して若干引いている2人に、ジャスミンはあっさりと箱を差し出した。箱だけでもとんでもない額がしそうな装丁のお菓子に、2人は益々驚愕した。
「ナウラもレイハーネも、良ければ少し貰ってくれない?私とダリアではとても食べきれないから」
「王女様、そろそろお茶が冷めますので…………」
2人の反応を見て、ダリアがフォローを入れる。彼女は箱を預かると、ナウラトレイハーネにこっそり頭を下げた。
「ごめんなさいね、その……ええと…………決して悪気はなくて」
「ええ、わかってます。もちろん」
「お気遣いなく…………あはは…………」
2人の理解に感謝すると、ダリアはホッとしながらウィンクして微笑んだ。
「それじゃ、この箱は後で包んで2人に持って帰ってもらいますね」
「やった!!」
「わーい!あとでフリード達にも分けよう!」
ナウラとレイハーネが楽しそうに話している間、ラティーファは部屋から見える中庭を見下ろしていた。隣にやって来たジャスミンは、不思議そうにバルコニーから同じ場所をのぞき込んだ。そしてすぐに、視線の先にあるものに気づいた。
「…………ご主人?」
「あっ、ごめんなさい。つい心配で」
苦笑いするラティーファを置いて、ダリアとナウラたちがお菓子を頬張りなからやってくる。どうやら三人はすっかり打ち解けたらしい。
「心配なんですか?旦那様のことが?そういえば私、まだ一度もラティーファ様の旦那様を拝見してませんでしたね」
そう言いながら、ダリアはバルコニーから中庭を覗き込んだ。彼女はそれらしき人を探しながら、ああでもないこうでもないと考え事をしている。遠目だと、年齢まで判別できないようだ。
「ええと…………あの人ですか?」
そう言って指差したのは、ニダールだった。ラティーファはあの男が夫で無くて良かったと思いながら、ダリアの手をゆっくり別方向に向けた。そこには、クロちゃんとわちゃわちゃ騒ぎながらリハーサルをするシャバーンの姿があった。
「えーと…………あー…………その…………」
動いているシャバーンを初めて見る人の、典型的な反応である。すかさずジャスミンがフォローを入れる。
「素敵な人よね。年齢を感じさせないくらい元気で」
「ええ、そうです!そう言いたかったんです、王女様。まるで、なんというか…………見た目に反してキュートなお方ですね」
「ダリア」
ジャスミンの厳しい視線が飛ぶ。ダリアはハッとして口をつぐんだ。
「…………すみません。私からはこれ以上良い言葉が出てこないので、発言を控えます」
しかし、ラティーファはとても嬉しそうだ。彼女は楽しそうにマジックの準備をするシャバーンを眺めながら、今日一番の笑顔を見せた。
「ええ、とってもキュートな人よ。それにとっても面白い人なの」
「面白いは、大事ですね」
「そうね。まぁ、時々心配にはなるけど」
そんな話をされているとは知らず、シャバーンがバルコニーにいるラティーファに気付いて手を振っている。ジャスミンとダリアが無邪気に手を振る50代紳士に驚愕している隣で、ラティーファは穏やかな笑顔で手を振り返している。
暫し手を振っていると、シャバーンの頭にフリードの拳骨が落とされた。
「あいたぁっ!なにするんだ!」
「クロちゃんもシャバーンも、ちゃんとマジックの準備をしなさい。逮捕するぞ」
逮捕、と聞いてシャバーンが一気に大人しくなる。
「すみませんでした」
「俺関係ないよ!?」
またしてもわちゃわちゃと喧騒を繰り広げ始めた三人を見届けると、ラティーファはバルコニーから離れた。そんな親友の様子を見て、ジャスミンは安堵の声を漏らした。
「よかった、ラティーファが元気になって」
「私が?何言ってるの。私はいつも元気よ」
「…………あんな事があったのに、本当に偉いわ」
あんなこと、とはハイサム国務大臣夫妻暗殺事件のことだろう。ラティーファはビロードのクッションを撫でながら、少しだけ悲しそうな顔で微笑んだ。
「ありがとう。みんなが居なかったら、私きっと乗り越えられなかった」
「ラティーファ…………」
少しの間があってから、ラティーファは空気が物悲しくなってしまったことに気づいて慌てて話題を変えた。
「あっ、そうだ。ジャスミン、最近困っていることはない?あまりいろいろ相談できる人も居ないでしょ」
その問いに、ジャスミンはため息をついた。
「ええ、あるわ。毎月王子が来るのは知ってる?」
「見た見た!この前もパレードしてましたね」
楽しそうに答えるナウラに、ラティーファが苦笑いする。
「ええ、私も見たわ。接待費の無駄遣いね」
「えっ、接待費なんてあるの?」
素っ頓狂な声を上げるレイハーネに、ジャスミンが静かに頷いている。ラティーファは頭の中で一頻り計算を巡らせながら、想定される総計を考えてため息を漏らした。
「そうよ。アグラバーでの滞在費は、私たちの税金から出てるからね」
「げーっ、じゃあ来なくて良い」
ナウラが顔をしかめる。ラティーファがその反応を見て笑いを零した。ジャスミンもナウラと同じ意見らしく、肩を竦めながらこう言った。
「私も来なくて結構なの。おかしいわ、どうして私が相手を選べないの?私の意見なんてみんな無視するのよ」
ジャスミンはカップを置いて立ち上がると、部屋を彷徨き回りなから何もない空間に向かって文句を言い始めた。どうやら相当ストレスが溜まっているらしい。
「だいたい、王女だからああしろこうしろって…………私は王女様っていう生き物じゃない。もちろん、ええと…………私は王女だけど。だけどその前に私はジャスミンなのよ!」
「同感」
ラティーファは慣れているらしく、ジャスミンティーを飲みながら相槌を打っている。
「プロポーズだって嘘ばっかりよ。ジャスミンの綴りだって間違えたのよ。そもそも、あの人たちが欲しいのは私じゃなくて財産とこの国の支配権。私なんてオマケ程度よ」
「…………それはどうかしらねぇ」
なにげに鋭い返しをするラティーファに、ジャスミンが立ち止まる。一国の王女に物申せる踊り子は、彼女以外居ないだろう。ナウラとレイハーネが肝を冷やしている中、二人は問答を開始した。ダリアに至っては、普段の自分の役目を肩代わりしてくれたラティーファに感謝しながら、どこ吹く風で茶菓子を楽しんでいる。
「じゃあ、そもそも私が狙いってこと?」
「まぁ…………半分くらいは?」
「会ったことも無いのに?」
「綺麗だって有名でしょ。みんな基本的に評判しか見ないから」
一理ある主張に、ジャスミンが納得しつつも頭を抱える。
「あーっ、そういうこと?そういうことなの?」
「そうそう。大事なのは、中身なのにね」
過去の夫に対する苦言も含めながら答えたラティーファは、ジャスミンティーをおかわりした。途中でダリアがお菓子を勧めてくれたので、彼女は礼を言いながら一つだけ口に運んだ。ジャスミンはようやく熱が収まったらしく、大人しくラティーファの隣に腰掛けた。しかし、おもむろに王女はその場に居る全員が驚愕するような提案をした。
「ねぇ、私も外の世界を見てみたいの」
「えっ、急にどうしたの?」
「王女様、そんな話なさらないでください。誰かに聞かれたら、ここにいる全員打ち首ですよ」
ダリアの言う通りである。ラティーファも、幾ら何でもと言おうとしたが、不意に黙り込んでしまった。
「…………ひょっとして、私のせい?私を見て、変な影響与えちゃった……?」
「それは…………一理あるやもしれませんね」
ダリアの言葉に、ラティーファが引きつった笑みに変わる。ナウラとレイハーネは、聞いていないふりをしている。そんなラティーファの手を取って、ジャスミンが瞳を輝かせてこう言った。
「ねぇ、ラティーファ。1日だけ私に街を案内してくれない?」
「えっ、わっ、私!?」
「そう。あなたにお願いしたいわ」
「ええと…………」
狼狽するラティーファだったが、辛いときに支えてくれた友人の真っ直ぐな眼差しからは目をそらすことが出来なかった。彼女はため息を漏らすと、やれやれと首を横に振った。それから、ニコリと微笑んで返事をした。
「じゃあ、いつにする?」
その後も5人は昼食の時間になるまで、絶え間なく談笑と茶菓子を楽しんだ。そんな食事のことなどすっかり忘れている一同を我に返らせたのは、一人の男の訪問だった。侍女の一人が部屋に入ると、恭しく頭を下げてこう言った。
「失礼します、王女様。ご友人のお迎えが来ております」
「…………誰かしら」
ダリアは立ち上がると、何の気なしに扉を開けた。そして直ぐ小さな悲鳴を上げた。
「あら…………ええと……」
「わしの妻を迎えに来た。どうせわしと居るより楽しくて、時間を忘れてるだろうからな」
その人とは、シャバーンだった。ダリアは深呼吸すると、注意深く相手を観察し始めた。遠目から見ると小物感満載の彼だが、近くで見ると存外スタイルも良く顔も整っている。そして何より、刹那に見せる眼差しが底知れない男であるという彼の二面性を語っていた。
「うふふふふ…………さぁ、どうでしょうねぇ」
そう言ってはぐらかすと、ダリアはシャバーンに入室するように促した。部屋に一歩足を踏み入れた彼は、絢爛豪華な調度品には目もくれず妻に声をかけた。
「おーい、ラティーファ。そろそろ昼食を食べに行かんか?」
「あら、シャバーン様!やだ、ジャスごめんなさい。すっかり忘れてたわ、そろそろ御暇しないと」
慌てて立ち上がるラティーファを見て、シャバーンはハッとした。それから慌ててジャスミン王女に一礼した。
「失礼しました、王女様。妻がお世話になりました」
「いえ、良いのよ。それより、収穫祭のパフォーマンスを楽しみにしています」
「勿体なき御言葉。このシャバーン、世界一のマジックをご覧に入れることを約束しましょう」
優雅に小首を傾げて微笑むシャバーンを見て、ジャスミンはほんの少しだけラティーファが羨ましく思えた。彼女自身30歳年上の男には興味はないが、その大らかで妻を思いやる姿にはどこか苦いものを感じたのだ。そんなジャスミンの機微に気づいたラティーファは手早く準備を済ませた。
「ナウラ、レイハーネ。一緒にお昼食べましょう」
「はーい」
「うん、行こ!」
ナウラとレイハーネにも退席するようさり気なく促すと、ラティーファはプリンセスに一礼した。それから3人はそれぞれジャスミンにお礼と別れの言葉を告げると、扉に向かって歩き出した。
「ラティーファ」
突然投げかけられた言葉に、ラティーファが振り返る。振り向くと、そこには少しだけ寂しそうなジャスミンが立っていた。彼女は気丈に振る舞いながらも、名残惜しそうにこう言った。
「また、来てね」
「ええ、もちろん」
こうして交わした約束を胸に、ラティーファは去っていった。残されたジャスミンは、恵まれていながらも自由のない王宮の部屋で独り本のページを捲るのだった。
「大丈夫よ、二人とも。ジャスミンはとっても優しいプリンセスだから、多少のことは問題ないわ」
「でも、ラティーファはお嬢様だったじゃない。なんだかやっぱり緊張してきた……」
「そうそう。ラティーファは私たち所謂庶民と違って、ちゃんとお作法も言葉遣いも洗練されてるのよね。羨ましいなぁ」
ラティーファは苦笑いしながら廊下の鏡に映る自分を見た。気持ちとしてはもはや国務大臣令嬢ではないのだが、まだまだ抜けていないのだろうか。そんな風に肩を落としてため息を漏らす彼女に、二人はそっと寄り添った。
「大丈夫だって。それがラティーファのいいとこなんだし、何よりラティーファの一部なのよ」
「それに、シャバーン様はそういう子が好きそうだし」
「ありがとう。シャバーン様がこういうのが好きなのかどうかはまぁ、置いておいて…………」
ラティーファは二人の優しさに胸が熱くなった。一頻り場が和んだことを確認し、彼女は慣れた手つきで扉をノックした。すると、扉が開いて中から侍女のダリアが現れた。
「あら、ラティーファ様。それに…………事前にお話いただいていた、可愛らしいお二人もご一緒ですね」
可愛らしいお二人――――ナウラとレイハーネがシンクロして会釈する。ラティーファはダリアの許可を得てから入室すると、ジャスミンのお気に入りであるバルコニーへ向かった。
「ジャス、元気?」
カウチに腰掛けていたプリンセス・ジャスミンは、ダリアを除いて唯一の気の置けない親友の声を聞いて瞳を輝かせた。少女のように振り返ると、王女は小走りにラティーファへ駆け寄り手を取った。
「あぁ、ラティーファ!身体は元気よ。…………それ以外はいつも通りって感じだけど」
「それは良かった」
ラティーファはそう言いながら、手に持っている包みを差し出した。ジャスミンは満面の笑みでそれを受け取ると、その場で開封しようとした。だが、それを制止するようにダリアが咳払いをする。
「あ…………」
ジャスミンが顔を上げると、身の置き場に困っているナウラとレイハーネが立っていた。プリンセスは小さな声でラティーファに礼を言うと、包を机の上に置いてから二人に手を差し出した。
「初めまして、ラティーファのお友達ね」
二人は暫し戸惑っていたが、すぐにジャスミンは相手が気を遣わないように自ら距離を縮めてみせた。それは政治力というより、彼女自身の優しさからの行動だった。気さくに笑いかけてくれるジャスミンを見て安心したのか、2人は差し出された手を取って挨拶した。
「ナウラです!」
「レイハーネです!」
「二人はダンスが得意なんですって?私もダンスは大好きで――――」
楽しそうに話し始めた3人を眺めながら、ラティーファはダリアと二人でお茶の準備を始めようとした。だが、流石のダリアも元国務大臣令嬢に茶菓子の準備をさせることに抵抗感があるようだ。彼女は慌ててラティーファを制止すると、首を横に振った。
「おやめください、ラティーファお嬢様。あなたは…………」
かつてのこととはいえ、国務大臣令嬢です。そう言おうとするダリアを制して、ラティーファは静かに否定した。
「今はシャバーン夫人よ。父はもう居ない」
「ええと…………ですが…………」
狼狽するダリアに、ラティーファは優しく微笑んだ。その気品溢れる笑顔には、令嬢としての素養が確かに滲み出ている。
「一人では大変でしょう。手伝うわ。どのお茶が良いの?」
「ラティーファ様…………」
ラティーファの姿を見て、ダリアは胸が締め付けられた。原因は巷の噂である。
ラティーファ元国務大臣令嬢は、後見人となった30も年が離れた後見人のインチキマジシャンに嫁ぎ、苦労をしている。そんな話題が、時折社交界でも飛び交っていた。もちろんラティーファも噂自体は知っている。だが同時に、彼女は事実と異なる話で暇を潰す婦人たちの密かな苦労もよく知っていた。それに――――
「真実は、近しい人だけが知っていればいい」
「何か、仰りましたか?」
「あ、いえ。何も。それよりどのお菓子にするの?」
ラティーファは大量のお菓子――――おそらく頂き物だろう、を前に首を傾げている。一方、とんでもない量の茶菓子にようやく気づいたナウラとレイハーネは、驚きのあまり目を丸くしている。
「わ、わぁ…………ええと…………」
「ええと…………あー…………すごーい」
驚きを通り越して若干引いている2人に、ジャスミンはあっさりと箱を差し出した。箱だけでもとんでもない額がしそうな装丁のお菓子に、2人は益々驚愕した。
「ナウラもレイハーネも、良ければ少し貰ってくれない?私とダリアではとても食べきれないから」
「王女様、そろそろお茶が冷めますので…………」
2人の反応を見て、ダリアがフォローを入れる。彼女は箱を預かると、ナウラトレイハーネにこっそり頭を下げた。
「ごめんなさいね、その……ええと…………決して悪気はなくて」
「ええ、わかってます。もちろん」
「お気遣いなく…………あはは…………」
2人の理解に感謝すると、ダリアはホッとしながらウィンクして微笑んだ。
「それじゃ、この箱は後で包んで2人に持って帰ってもらいますね」
「やった!!」
「わーい!あとでフリード達にも分けよう!」
ナウラとレイハーネが楽しそうに話している間、ラティーファは部屋から見える中庭を見下ろしていた。隣にやって来たジャスミンは、不思議そうにバルコニーから同じ場所をのぞき込んだ。そしてすぐに、視線の先にあるものに気づいた。
「…………ご主人?」
「あっ、ごめんなさい。つい心配で」
苦笑いするラティーファを置いて、ダリアとナウラたちがお菓子を頬張りなからやってくる。どうやら三人はすっかり打ち解けたらしい。
「心配なんですか?旦那様のことが?そういえば私、まだ一度もラティーファ様の旦那様を拝見してませんでしたね」
そう言いながら、ダリアはバルコニーから中庭を覗き込んだ。彼女はそれらしき人を探しながら、ああでもないこうでもないと考え事をしている。遠目だと、年齢まで判別できないようだ。
「ええと…………あの人ですか?」
そう言って指差したのは、ニダールだった。ラティーファはあの男が夫で無くて良かったと思いながら、ダリアの手をゆっくり別方向に向けた。そこには、クロちゃんとわちゃわちゃ騒ぎながらリハーサルをするシャバーンの姿があった。
「えーと…………あー…………その…………」
動いているシャバーンを初めて見る人の、典型的な反応である。すかさずジャスミンがフォローを入れる。
「素敵な人よね。年齢を感じさせないくらい元気で」
「ええ、そうです!そう言いたかったんです、王女様。まるで、なんというか…………見た目に反してキュートなお方ですね」
「ダリア」
ジャスミンの厳しい視線が飛ぶ。ダリアはハッとして口をつぐんだ。
「…………すみません。私からはこれ以上良い言葉が出てこないので、発言を控えます」
しかし、ラティーファはとても嬉しそうだ。彼女は楽しそうにマジックの準備をするシャバーンを眺めながら、今日一番の笑顔を見せた。
「ええ、とってもキュートな人よ。それにとっても面白い人なの」
「面白いは、大事ですね」
「そうね。まぁ、時々心配にはなるけど」
そんな話をされているとは知らず、シャバーンがバルコニーにいるラティーファに気付いて手を振っている。ジャスミンとダリアが無邪気に手を振る50代紳士に驚愕している隣で、ラティーファは穏やかな笑顔で手を振り返している。
暫し手を振っていると、シャバーンの頭にフリードの拳骨が落とされた。
「あいたぁっ!なにするんだ!」
「クロちゃんもシャバーンも、ちゃんとマジックの準備をしなさい。逮捕するぞ」
逮捕、と聞いてシャバーンが一気に大人しくなる。
「すみませんでした」
「俺関係ないよ!?」
またしてもわちゃわちゃと喧騒を繰り広げ始めた三人を見届けると、ラティーファはバルコニーから離れた。そんな親友の様子を見て、ジャスミンは安堵の声を漏らした。
「よかった、ラティーファが元気になって」
「私が?何言ってるの。私はいつも元気よ」
「…………あんな事があったのに、本当に偉いわ」
あんなこと、とはハイサム国務大臣夫妻暗殺事件のことだろう。ラティーファはビロードのクッションを撫でながら、少しだけ悲しそうな顔で微笑んだ。
「ありがとう。みんなが居なかったら、私きっと乗り越えられなかった」
「ラティーファ…………」
少しの間があってから、ラティーファは空気が物悲しくなってしまったことに気づいて慌てて話題を変えた。
「あっ、そうだ。ジャスミン、最近困っていることはない?あまりいろいろ相談できる人も居ないでしょ」
その問いに、ジャスミンはため息をついた。
「ええ、あるわ。毎月王子が来るのは知ってる?」
「見た見た!この前もパレードしてましたね」
楽しそうに答えるナウラに、ラティーファが苦笑いする。
「ええ、私も見たわ。接待費の無駄遣いね」
「えっ、接待費なんてあるの?」
素っ頓狂な声を上げるレイハーネに、ジャスミンが静かに頷いている。ラティーファは頭の中で一頻り計算を巡らせながら、想定される総計を考えてため息を漏らした。
「そうよ。アグラバーでの滞在費は、私たちの税金から出てるからね」
「げーっ、じゃあ来なくて良い」
ナウラが顔をしかめる。ラティーファがその反応を見て笑いを零した。ジャスミンもナウラと同じ意見らしく、肩を竦めながらこう言った。
「私も来なくて結構なの。おかしいわ、どうして私が相手を選べないの?私の意見なんてみんな無視するのよ」
ジャスミンはカップを置いて立ち上がると、部屋を彷徨き回りなから何もない空間に向かって文句を言い始めた。どうやら相当ストレスが溜まっているらしい。
「だいたい、王女だからああしろこうしろって…………私は王女様っていう生き物じゃない。もちろん、ええと…………私は王女だけど。だけどその前に私はジャスミンなのよ!」
「同感」
ラティーファは慣れているらしく、ジャスミンティーを飲みながら相槌を打っている。
「プロポーズだって嘘ばっかりよ。ジャスミンの綴りだって間違えたのよ。そもそも、あの人たちが欲しいのは私じゃなくて財産とこの国の支配権。私なんてオマケ程度よ」
「…………それはどうかしらねぇ」
なにげに鋭い返しをするラティーファに、ジャスミンが立ち止まる。一国の王女に物申せる踊り子は、彼女以外居ないだろう。ナウラとレイハーネが肝を冷やしている中、二人は問答を開始した。ダリアに至っては、普段の自分の役目を肩代わりしてくれたラティーファに感謝しながら、どこ吹く風で茶菓子を楽しんでいる。
「じゃあ、そもそも私が狙いってこと?」
「まぁ…………半分くらいは?」
「会ったことも無いのに?」
「綺麗だって有名でしょ。みんな基本的に評判しか見ないから」
一理ある主張に、ジャスミンが納得しつつも頭を抱える。
「あーっ、そういうこと?そういうことなの?」
「そうそう。大事なのは、中身なのにね」
過去の夫に対する苦言も含めながら答えたラティーファは、ジャスミンティーをおかわりした。途中でダリアがお菓子を勧めてくれたので、彼女は礼を言いながら一つだけ口に運んだ。ジャスミンはようやく熱が収まったらしく、大人しくラティーファの隣に腰掛けた。しかし、おもむろに王女はその場に居る全員が驚愕するような提案をした。
「ねぇ、私も外の世界を見てみたいの」
「えっ、急にどうしたの?」
「王女様、そんな話なさらないでください。誰かに聞かれたら、ここにいる全員打ち首ですよ」
ダリアの言う通りである。ラティーファも、幾ら何でもと言おうとしたが、不意に黙り込んでしまった。
「…………ひょっとして、私のせい?私を見て、変な影響与えちゃった……?」
「それは…………一理あるやもしれませんね」
ダリアの言葉に、ラティーファが引きつった笑みに変わる。ナウラとレイハーネは、聞いていないふりをしている。そんなラティーファの手を取って、ジャスミンが瞳を輝かせてこう言った。
「ねぇ、ラティーファ。1日だけ私に街を案内してくれない?」
「えっ、わっ、私!?」
「そう。あなたにお願いしたいわ」
「ええと…………」
狼狽するラティーファだったが、辛いときに支えてくれた友人の真っ直ぐな眼差しからは目をそらすことが出来なかった。彼女はため息を漏らすと、やれやれと首を横に振った。それから、ニコリと微笑んで返事をした。
「じゃあ、いつにする?」
その後も5人は昼食の時間になるまで、絶え間なく談笑と茶菓子を楽しんだ。そんな食事のことなどすっかり忘れている一同を我に返らせたのは、一人の男の訪問だった。侍女の一人が部屋に入ると、恭しく頭を下げてこう言った。
「失礼します、王女様。ご友人のお迎えが来ております」
「…………誰かしら」
ダリアは立ち上がると、何の気なしに扉を開けた。そして直ぐ小さな悲鳴を上げた。
「あら…………ええと……」
「わしの妻を迎えに来た。どうせわしと居るより楽しくて、時間を忘れてるだろうからな」
その人とは、シャバーンだった。ダリアは深呼吸すると、注意深く相手を観察し始めた。遠目から見ると小物感満載の彼だが、近くで見ると存外スタイルも良く顔も整っている。そして何より、刹那に見せる眼差しが底知れない男であるという彼の二面性を語っていた。
「うふふふふ…………さぁ、どうでしょうねぇ」
そう言ってはぐらかすと、ダリアはシャバーンに入室するように促した。部屋に一歩足を踏み入れた彼は、絢爛豪華な調度品には目もくれず妻に声をかけた。
「おーい、ラティーファ。そろそろ昼食を食べに行かんか?」
「あら、シャバーン様!やだ、ジャスごめんなさい。すっかり忘れてたわ、そろそろ御暇しないと」
慌てて立ち上がるラティーファを見て、シャバーンはハッとした。それから慌ててジャスミン王女に一礼した。
「失礼しました、王女様。妻がお世話になりました」
「いえ、良いのよ。それより、収穫祭のパフォーマンスを楽しみにしています」
「勿体なき御言葉。このシャバーン、世界一のマジックをご覧に入れることを約束しましょう」
優雅に小首を傾げて微笑むシャバーンを見て、ジャスミンはほんの少しだけラティーファが羨ましく思えた。彼女自身30歳年上の男には興味はないが、その大らかで妻を思いやる姿にはどこか苦いものを感じたのだ。そんなジャスミンの機微に気づいたラティーファは手早く準備を済ませた。
「ナウラ、レイハーネ。一緒にお昼食べましょう」
「はーい」
「うん、行こ!」
ナウラとレイハーネにも退席するようさり気なく促すと、ラティーファはプリンセスに一礼した。それから3人はそれぞれジャスミンにお礼と別れの言葉を告げると、扉に向かって歩き出した。
「ラティーファ」
突然投げかけられた言葉に、ラティーファが振り返る。振り向くと、そこには少しだけ寂しそうなジャスミンが立っていた。彼女は気丈に振る舞いながらも、名残惜しそうにこう言った。
「また、来てね」
「ええ、もちろん」
こうして交わした約束を胸に、ラティーファは去っていった。残されたジャスミンは、恵まれていながらも自由のない王宮の部屋で独り本のページを捲るのだった。
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