1、ジャファーの逆襲
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時はサルタン王の治世。ジャスミン姫は恋人アラジンと、そしてシャバーンは妻ラティーファと幸せな日々を過ごしていた。
ジャファーはランプに閉じ込められて消え去り、二人はついに真の意味での平穏を手に入れた。何よりラティーファにとって喜ばしいことは、国務大臣を再任することになった父ハイサムが、夫のことを認めてくれるようになったことだった。最近では時折、シャバーンを食事に誘ったり談笑したりしているようだ。
ラティーファはこの幸せな時間が続くことを願いながら、シャバーンのターバンを洗濯している。ふと、彼女はアグラバー宮殿の方を見た。
どうやら一雨来そうだ。
「アシーム?ちょっと手伝ってくれるかしら」
彼女は干しかけの洗濯物を見てため息を付くと、渋々部屋に物干しを作り始めた。この家には、シャバーンの弟子兼召使いのアシームと、ナーサーヤという元乳母の使用人がいる。だが、ラティーファは自ら率先して家事をこなしていた。これに対して初めは、父のハイサムがかなり小言を言っていたが、娘の自立した姿を見て少しだけ考えを改めたらしい。
「…………なんだか、嵐が来そうですね。この季節に珍しいですけど……」
「そうね。私、なんだか胸騒ぎがする」
ラティーファはアシームの言葉に同意すると、曇天の空を見上げて愛しい人の名をつぶやいた。
「シャバーン様……」
程なくして、嵐がアグラバーを襲った。
それが奇しくも、二人の感じていた不安通りに事件の始まりとなるのだった。
シャバーンは王宮でのハイサムとの茶会を終えて、頭が回りそうな思いだった。義父は彼にとって尊敬の対象ではあるが、あまりにも知的すぎて時折話についていくのが難しかった。何よりアグラバーの治世の話については、増税を止めてほしい程度の意見で茶を濁すことしか彼にはできなかった。とはいえ今後ラティーファとの円満な関係…………更には自らの名声のためにも、ハイサムとは良好な関係を築いておく必要があった。
また、やや二人の間には気まずい空気が流れていることもシャバーンの胃を痛める原因だった。理由は明白だ。シャバーンの方がハイサムより年上なのだ。にも関わらずシャバーンは婿であり、ハイサムは身分が上であり敬意を払う対象となっているのだ。
「あー、もう。わしだって、いっそピチピチの二十歳(はたち)に戻りたいわ。そうであれば、年下のおっさんを『お義父様』など呼ぶ度に気まずい思いをせんで済むのに…………」
そんなことをぶつくさつぶやいていると、突然目の前を青い物体が横切った。ジーニーだ。
シャバーンはうんざりしながら……けれど少しだけ親しみを持ってその名を呼んだ。
「ジーニー、またお前か。何しに来た。舅との茶会に疲れ切ったわしをからかいにか?」
相変わらず嫌味たっぷりな素のシャバーンに、ジーニーはうげっと言いながら返事をした。
「うえーっ。あんたの本性、ホントいっぺん嫁さんに見せてやりたいよ。ところでお元気?」
「ああ、わしはこの通り元気だ。妻とはいつだって新婚生活だ」
そんなことは聞きたくない、と言いたげにジーニーが手を振る。
「ちーがーうー、アシームだよ!元気にしてるかな〜って。お二人の新婚生活…………って、もうほぼ一年経つでしょうが。そんなもんに興味はないさ」
「ちょっぴり、羨ましいと思ってたりしないか?」
ジーニーを肘で小突きながら、シャバーンがにやりと笑う。この二人は、なんだかんだ仲が良いのだと再認識させられる距離感だ。
ふと、ジーニーは嵐が来そうな空を見上げた。そして彼もまた、アジームと同じように普通の嵐とは違うように感じていた。だが、相変わらずシャバーンは自分の服のことばかり心配している。
「あー、またわしの服が汚れるではないか」
「…………なんだか、あの雲から邪悪なものを感じるぞ……服が汚れるくらいで済めばいいですね」
そうジーニーが言った瞬間、目の前に稲妻が走る。二人は驚きのあまり抱き合った。そして目を開けると、目の前にはなんと魔神のジャファーが浮かんでいた。彼らは青ざめた顔で、宿敵を見上げた。
「ジャッ、ジャファー!?おっ、お前、何しに来たんだ!」
かろうじて威勢を保っているシャバーンを、ジャファーは鼻で笑い飛ばした。そして赤い魔神は、青い魔神とマジシャンを見下ろして、馬鹿にするような声でこう言った。
「偉大なるシャバーンとジーニーの、一夜限りの共演!もちろん、演目は私が決める」
ジーニーは抵抗しようと試みたが、ジャファーの魔力は想像以上に強かった。瞬時に打ちのめされたジーニーを目の前にし、シャバーンは地面に座り込んでしまった。そして無慈悲にも、ジャファーの指が鳴る。
「レッツ・ショータイム。最初の演目は、貴様らが消えてみせるのだ!」
禍々しい光が二人を包み込む。
シャバーンは薄れゆく意識の中で、自分ではなく家で待っているラティーファの身を案じるのだった。
目覚めたシャバーンは、辺りを見回して安堵のため息をついた。隣で伸びているジーニーを叩き起こし、彼は笑った。
「ふん、ジャファーの魔法も大したことないな!やはりわしは世界一のマジシャンだ」
「………本当にそう思ってるの?」
ジーニーの言葉に目を丸くしていると、シャバーンの目の前を今日のニュースを伝える青年が横切った。彼は朗々とした声でビラを配りながら本日の速報を伝えている。
「今日はジャファー国務大臣が新しい法律を施行なさったぞ!」
ジャファーが国務大臣だと!?
シャバーンは反射的に青年につかみかかった。
「わっ、何するんです!?」
「小僧!ジャスミン王女はお幾つだ!?」
「えっ……と……あんた、王女様のファン?」
「いいからさっさと教えろ!」
「わ、わかったよ……王女は18歳さ」
「なっ…………」
シャバーンは衝撃を受けながら、後退りした。
「なんということだ…………」
そう、彼らはジャファーの魔法で過去のアグラバーに飛ばされてしまったのだ。しかもなぜかジャファーが国務大臣になっている。
しかし、絶望的な事実はこれだけでは終わらない。
「あのさぁ、さっきから頑張ってみてるんだけど……やっぱり元の世界には俺の力じゃ戻れないみたいだ。元の世界でジャファーに誰かが何かしてくれないと、難しいかもね」
あっさりと大事なことを言っているジーニーに、シャバーンはため息をついた。そういえばこいつはこういうやつだった。そして元の世界でラティーファに危機が起きているかもしれないのに、何もできない自分がつくづく無力だと思った。
とはいえ、ここで頭を抱えていても仕方がない。シャバーンはひとまず確認したいことがあったので、自身の家に戻ってみた。すると、アシームが笑顔で出迎えてくれた。どうやらシャバーンもジーニーも、この世界には一人しかいないようだ。
「となると…………この世界はひょっとするとジャファーが作った幻なのか?」
「うーん。良く分からないけど、とりあえずあんたはラティーファちゃんを探したほうが良いんじゃない?」
ジーニーにしては、珍しく名案を思いつくじゃないか。そう思いながら、シャバーンは市場へ駆け出した。しかし、あの日踊っていたはずのラティーファは見当たらない。それどころか、誰もラティーファという踊り子を知らないのだ。
帰宅して落胆するシャバーンを慰めながら、ジーニーは考えた。そして考えうる最悪の考察を導き出した。
「…………あの、まさかとは思うんだけどさ。この世界のアグラバーでは、ラティーファは居ないんじゃ……………」
「そっ、そんなはずがあるか!今日はたまたま踊っていないだけで…………」
シャバーンは自分に言い聞かせるように喚いた。その声はこちらの世界のアシームにも届いていたようで、彼は変なものを見るように二人を眺めている。
「二人とも、今日はなんだか変ですよ。だいたい、シャバーン様はどうしてラティーファとかいう踊り子を探しているんですか?そんな人、あなたの知り合いにはいないと思うんですけど…………」
その言葉を聞いて、シャバーンは愕然とした。
「なんだと……?で、では、ジーニーの考えは…………」
わしは、ラティーファが存在しない世界に飛ばされてしまったというのか。
シャバーンは、一縷の希望すら打ち砕かれたような気がした。視界がくらくらとしている。
だが、アシームはこんなことを付け加えた。
「あぁ、でもこの前アグラバーが騒ぎになっていたなぁ。ハイサム前国務大臣のご一家が何者かに惨殺されたって事件が…………」
二人は息を呑んだ。震える声で、シャバーンがアシームに尋ねる。最悪の結末が既に起きていることを想像しながら。
「…………亡くなったのは、ハイサム夫妻だけか?その子どもは、無事なのか?」
藁にも縋る思いで、シャバーンは心の中で祈った。だが願い虚しく、アシームからは悪夢のような答えが返ってきた。
「…………いえ、一人娘のご令嬢もご一緒に亡くなりました。確か名前は…………ラティーファ様だったかと。偶然ですね、シャバーン様が探している踊り子と一緒の名前ですよ!」
他人事のように語るアシームに、シャバーンは怒りを覚えた。だが、その拳をジーニーが制する。魔神はシャバーンを部屋に押し込めると、諭すように言った。
「シャバーンさん。この世界のアシームにとっては、ラティーファちゃんは赤の他人です。ですからどうか…………」
「…………わかっとるわ。そんなこと、十分すぎるほどにわかっとるわ!」
存外素直なシャバーンに、ジーニーは安堵した。彼はいつもの調子に戻ると、手を組みながら肩を鳴らし始めた。
「わかってるならOKです。じゃあこの世界からさっさとおさらばできるように、ちょっくら色々…………」
しかし、シャバーンがジーニーの話を最後まで聞くことはなかった。彼は無言で家を出ると、人伝いにラティーファの墓の場所を教えてもらった。そして何も言わず花を買い、真っ直ぐ墓所へ向かった。
目の前には彼女らしい、上品だが簡素な墓石が現れた。盤上には『ハイサム国務大臣の娘、ラティーファここに眠る』と書かれている。
「ラティーファ…………」
墓の前で、シャバーンは膝から崩れ落ちた。この世界のラティーファは、踊ることを疾うの昔に諦め、ひょっとすると誰かと恋に落ちることすら経験せずこの世を去ったのかもしれない。
「この世界の彼女は、わしのことを知らない…………」
それでも。それでも、わしは愛している。
シャバーンは覚悟を決めた表情で立ち上がった。そしてジーニーに向き直ってこう言った。
「わしがこの花を手向けるのは、墓標ではない。生きている、この世界のあの子にだ。ジーニー。わしは、この世界のラティーファを助けたい。この世界から抜け出すまでの間で構わない。わしをあの子が亡くなる前…………あの日の数日前に戻してくれ」
ジーニーは少しだけ驚いたが、やがて穏やかな笑顔を浮かべた。
「…………あんた、変わったね」
「わしが自分で変わったんじゃない。あの子のおかげで変わったんだ」
「そういうあんた、ちょっと悪くないね」
魔神はそう言うと、人差し指をシャバーンに向けた。魔法の準備が整ったらしい。
「アーユー・レーディー?んじゃ、行くよ!いざ、もうちょっと過去へ!」
そして世界が青い煙に包まれる。
これがまさか長い戦いの始まりになるとは、今のシャバーンとジーニーは思いもしなかった。
やってきた時間は、なんと暗殺当日の朝だった。シャバーンは立ち上がるやいなや、日付を知ってジーニーを怒鳴りつけた。
「お前っ!このポンコツ魔神!誰が当日にしろと言った!?」
「おかしいなぁ……やっぱりこの世界では、俺の魔力は少し不安定みたいだ。日付までは正確に指定できないかもしれない」
シャバーンは頭を抱えた。当日にやってきたとして、自分に何ができるというのか。
「…………それでも、やるしかない」
彼は決意を胸に歩き出した。破れかぶれでもいい。この世界のラティーファを救うために。
ジャファーはランプに閉じ込められて消え去り、二人はついに真の意味での平穏を手に入れた。何よりラティーファにとって喜ばしいことは、国務大臣を再任することになった父ハイサムが、夫のことを認めてくれるようになったことだった。最近では時折、シャバーンを食事に誘ったり談笑したりしているようだ。
ラティーファはこの幸せな時間が続くことを願いながら、シャバーンのターバンを洗濯している。ふと、彼女はアグラバー宮殿の方を見た。
どうやら一雨来そうだ。
「アシーム?ちょっと手伝ってくれるかしら」
彼女は干しかけの洗濯物を見てため息を付くと、渋々部屋に物干しを作り始めた。この家には、シャバーンの弟子兼召使いのアシームと、ナーサーヤという元乳母の使用人がいる。だが、ラティーファは自ら率先して家事をこなしていた。これに対して初めは、父のハイサムがかなり小言を言っていたが、娘の自立した姿を見て少しだけ考えを改めたらしい。
「…………なんだか、嵐が来そうですね。この季節に珍しいですけど……」
「そうね。私、なんだか胸騒ぎがする」
ラティーファはアシームの言葉に同意すると、曇天の空を見上げて愛しい人の名をつぶやいた。
「シャバーン様……」
程なくして、嵐がアグラバーを襲った。
それが奇しくも、二人の感じていた不安通りに事件の始まりとなるのだった。
シャバーンは王宮でのハイサムとの茶会を終えて、頭が回りそうな思いだった。義父は彼にとって尊敬の対象ではあるが、あまりにも知的すぎて時折話についていくのが難しかった。何よりアグラバーの治世の話については、増税を止めてほしい程度の意見で茶を濁すことしか彼にはできなかった。とはいえ今後ラティーファとの円満な関係…………更には自らの名声のためにも、ハイサムとは良好な関係を築いておく必要があった。
また、やや二人の間には気まずい空気が流れていることもシャバーンの胃を痛める原因だった。理由は明白だ。シャバーンの方がハイサムより年上なのだ。にも関わらずシャバーンは婿であり、ハイサムは身分が上であり敬意を払う対象となっているのだ。
「あー、もう。わしだって、いっそピチピチの二十歳(はたち)に戻りたいわ。そうであれば、年下のおっさんを『お義父様』など呼ぶ度に気まずい思いをせんで済むのに…………」
そんなことをぶつくさつぶやいていると、突然目の前を青い物体が横切った。ジーニーだ。
シャバーンはうんざりしながら……けれど少しだけ親しみを持ってその名を呼んだ。
「ジーニー、またお前か。何しに来た。舅との茶会に疲れ切ったわしをからかいにか?」
相変わらず嫌味たっぷりな素のシャバーンに、ジーニーはうげっと言いながら返事をした。
「うえーっ。あんたの本性、ホントいっぺん嫁さんに見せてやりたいよ。ところでお元気?」
「ああ、わしはこの通り元気だ。妻とはいつだって新婚生活だ」
そんなことは聞きたくない、と言いたげにジーニーが手を振る。
「ちーがーうー、アシームだよ!元気にしてるかな〜って。お二人の新婚生活…………って、もうほぼ一年経つでしょうが。そんなもんに興味はないさ」
「ちょっぴり、羨ましいと思ってたりしないか?」
ジーニーを肘で小突きながら、シャバーンがにやりと笑う。この二人は、なんだかんだ仲が良いのだと再認識させられる距離感だ。
ふと、ジーニーは嵐が来そうな空を見上げた。そして彼もまた、アジームと同じように普通の嵐とは違うように感じていた。だが、相変わらずシャバーンは自分の服のことばかり心配している。
「あー、またわしの服が汚れるではないか」
「…………なんだか、あの雲から邪悪なものを感じるぞ……服が汚れるくらいで済めばいいですね」
そうジーニーが言った瞬間、目の前に稲妻が走る。二人は驚きのあまり抱き合った。そして目を開けると、目の前にはなんと魔神のジャファーが浮かんでいた。彼らは青ざめた顔で、宿敵を見上げた。
「ジャッ、ジャファー!?おっ、お前、何しに来たんだ!」
かろうじて威勢を保っているシャバーンを、ジャファーは鼻で笑い飛ばした。そして赤い魔神は、青い魔神とマジシャンを見下ろして、馬鹿にするような声でこう言った。
「偉大なるシャバーンとジーニーの、一夜限りの共演!もちろん、演目は私が決める」
ジーニーは抵抗しようと試みたが、ジャファーの魔力は想像以上に強かった。瞬時に打ちのめされたジーニーを目の前にし、シャバーンは地面に座り込んでしまった。そして無慈悲にも、ジャファーの指が鳴る。
「レッツ・ショータイム。最初の演目は、貴様らが消えてみせるのだ!」
禍々しい光が二人を包み込む。
シャバーンは薄れゆく意識の中で、自分ではなく家で待っているラティーファの身を案じるのだった。
目覚めたシャバーンは、辺りを見回して安堵のため息をついた。隣で伸びているジーニーを叩き起こし、彼は笑った。
「ふん、ジャファーの魔法も大したことないな!やはりわしは世界一のマジシャンだ」
「………本当にそう思ってるの?」
ジーニーの言葉に目を丸くしていると、シャバーンの目の前を今日のニュースを伝える青年が横切った。彼は朗々とした声でビラを配りながら本日の速報を伝えている。
「今日はジャファー国務大臣が新しい法律を施行なさったぞ!」
ジャファーが国務大臣だと!?
シャバーンは反射的に青年につかみかかった。
「わっ、何するんです!?」
「小僧!ジャスミン王女はお幾つだ!?」
「えっ……と……あんた、王女様のファン?」
「いいからさっさと教えろ!」
「わ、わかったよ……王女は18歳さ」
「なっ…………」
シャバーンは衝撃を受けながら、後退りした。
「なんということだ…………」
そう、彼らはジャファーの魔法で過去のアグラバーに飛ばされてしまったのだ。しかもなぜかジャファーが国務大臣になっている。
しかし、絶望的な事実はこれだけでは終わらない。
「あのさぁ、さっきから頑張ってみてるんだけど……やっぱり元の世界には俺の力じゃ戻れないみたいだ。元の世界でジャファーに誰かが何かしてくれないと、難しいかもね」
あっさりと大事なことを言っているジーニーに、シャバーンはため息をついた。そういえばこいつはこういうやつだった。そして元の世界でラティーファに危機が起きているかもしれないのに、何もできない自分がつくづく無力だと思った。
とはいえ、ここで頭を抱えていても仕方がない。シャバーンはひとまず確認したいことがあったので、自身の家に戻ってみた。すると、アシームが笑顔で出迎えてくれた。どうやらシャバーンもジーニーも、この世界には一人しかいないようだ。
「となると…………この世界はひょっとするとジャファーが作った幻なのか?」
「うーん。良く分からないけど、とりあえずあんたはラティーファちゃんを探したほうが良いんじゃない?」
ジーニーにしては、珍しく名案を思いつくじゃないか。そう思いながら、シャバーンは市場へ駆け出した。しかし、あの日踊っていたはずのラティーファは見当たらない。それどころか、誰もラティーファという踊り子を知らないのだ。
帰宅して落胆するシャバーンを慰めながら、ジーニーは考えた。そして考えうる最悪の考察を導き出した。
「…………あの、まさかとは思うんだけどさ。この世界のアグラバーでは、ラティーファは居ないんじゃ……………」
「そっ、そんなはずがあるか!今日はたまたま踊っていないだけで…………」
シャバーンは自分に言い聞かせるように喚いた。その声はこちらの世界のアシームにも届いていたようで、彼は変なものを見るように二人を眺めている。
「二人とも、今日はなんだか変ですよ。だいたい、シャバーン様はどうしてラティーファとかいう踊り子を探しているんですか?そんな人、あなたの知り合いにはいないと思うんですけど…………」
その言葉を聞いて、シャバーンは愕然とした。
「なんだと……?で、では、ジーニーの考えは…………」
わしは、ラティーファが存在しない世界に飛ばされてしまったというのか。
シャバーンは、一縷の希望すら打ち砕かれたような気がした。視界がくらくらとしている。
だが、アシームはこんなことを付け加えた。
「あぁ、でもこの前アグラバーが騒ぎになっていたなぁ。ハイサム前国務大臣のご一家が何者かに惨殺されたって事件が…………」
二人は息を呑んだ。震える声で、シャバーンがアシームに尋ねる。最悪の結末が既に起きていることを想像しながら。
「…………亡くなったのは、ハイサム夫妻だけか?その子どもは、無事なのか?」
藁にも縋る思いで、シャバーンは心の中で祈った。だが願い虚しく、アシームからは悪夢のような答えが返ってきた。
「…………いえ、一人娘のご令嬢もご一緒に亡くなりました。確か名前は…………ラティーファ様だったかと。偶然ですね、シャバーン様が探している踊り子と一緒の名前ですよ!」
他人事のように語るアシームに、シャバーンは怒りを覚えた。だが、その拳をジーニーが制する。魔神はシャバーンを部屋に押し込めると、諭すように言った。
「シャバーンさん。この世界のアシームにとっては、ラティーファちゃんは赤の他人です。ですからどうか…………」
「…………わかっとるわ。そんなこと、十分すぎるほどにわかっとるわ!」
存外素直なシャバーンに、ジーニーは安堵した。彼はいつもの調子に戻ると、手を組みながら肩を鳴らし始めた。
「わかってるならOKです。じゃあこの世界からさっさとおさらばできるように、ちょっくら色々…………」
しかし、シャバーンがジーニーの話を最後まで聞くことはなかった。彼は無言で家を出ると、人伝いにラティーファの墓の場所を教えてもらった。そして何も言わず花を買い、真っ直ぐ墓所へ向かった。
目の前には彼女らしい、上品だが簡素な墓石が現れた。盤上には『ハイサム国務大臣の娘、ラティーファここに眠る』と書かれている。
「ラティーファ…………」
墓の前で、シャバーンは膝から崩れ落ちた。この世界のラティーファは、踊ることを疾うの昔に諦め、ひょっとすると誰かと恋に落ちることすら経験せずこの世を去ったのかもしれない。
「この世界の彼女は、わしのことを知らない…………」
それでも。それでも、わしは愛している。
シャバーンは覚悟を決めた表情で立ち上がった。そしてジーニーに向き直ってこう言った。
「わしがこの花を手向けるのは、墓標ではない。生きている、この世界のあの子にだ。ジーニー。わしは、この世界のラティーファを助けたい。この世界から抜け出すまでの間で構わない。わしをあの子が亡くなる前…………あの日の数日前に戻してくれ」
ジーニーは少しだけ驚いたが、やがて穏やかな笑顔を浮かべた。
「…………あんた、変わったね」
「わしが自分で変わったんじゃない。あの子のおかげで変わったんだ」
「そういうあんた、ちょっと悪くないね」
魔神はそう言うと、人差し指をシャバーンに向けた。魔法の準備が整ったらしい。
「アーユー・レーディー?んじゃ、行くよ!いざ、もうちょっと過去へ!」
そして世界が青い煙に包まれる。
これがまさか長い戦いの始まりになるとは、今のシャバーンとジーニーは思いもしなかった。
やってきた時間は、なんと暗殺当日の朝だった。シャバーンは立ち上がるやいなや、日付を知ってジーニーを怒鳴りつけた。
「お前っ!このポンコツ魔神!誰が当日にしろと言った!?」
「おかしいなぁ……やっぱりこの世界では、俺の魔力は少し不安定みたいだ。日付までは正確に指定できないかもしれない」
シャバーンは頭を抱えた。当日にやってきたとして、自分に何ができるというのか。
「…………それでも、やるしかない」
彼は決意を胸に歩き出した。破れかぶれでもいい。この世界のラティーファを救うために。
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