前編
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アグラバーの秋は短い。そして穏やかな秋の昼下がりは、もっと短い時間だ。シャバーンはこの日、初めての独りぼっちを謳歌していた。
「あー、寂しい。暇。誰もいないってこんなに暇なもんなのか……」
訂正しよう。シャバーンは謳歌どころか退屈していた。彼はカゴの中で居眠りしているペットのヨシダを一瞥し、続いて自分に懐く気配のないウサギを見た。
「あーっ!暇だ!こんなに暑くもなく寒くもない丁度いい天気なのに、ラティーファもアシームもベキートも、わしを置いてナウラたちと買い物だなんて!」
シャバーンが子どものように駄々をこねていると、ラティーファの元乳母ナーサーヤが茶菓子を持って入室した。
「だったら奥様についてお行きになられればよろしかったのに」
「んなこと出来るか。あーいう場にわしが付いていくと、色々世間の目がある」
「ではお静かに一人のお時間を楽しまれてはいかがですか?」
「相変わらずトゲがあるなぁ…………」
ナーサーヤの、なんとも言えないクールさがシャバーンは苦手だった。家事の腕も給仕も非の打ち所が無いのだが、それにしても淡泊だ。時折、自分は嫌われているのではと思ってしまいさえする。
「申し上げておきますが、旦那様に対して思う所は何もございませんよ。ただ、こういう性格なので」
「あ、そう…………そういうことね…………」
今日一日、この空気感のままとは…………
シャバーンが心のなかで大きなため息をついたその時だった。
「おーい、シャバーンいるかー?」
玄関の方から聞き覚えのある声がした。いつもならげんなりする声だが、今日はそれすら嬉しい。シャバーンは立ち上がると、戸口へ駆け出した。扉を開けると、そこには彼の数少ない友である――――
「クリストフ・ゴールデン・クロイツの参上だ!」
黒魔術師のクリストフ――――ことクロちゃんが立っていた。頭の上には相変わらず緑色のヘビ『ペロちゃん』を載せている。ジャファーの(自称)一番弟子の黒魔術師だった彼だが、アグラバーでジャファーが起こした一連の事件に於いて目まぐるしい活躍を見せてくれた(その話はまた今度)。しかし本業の黒魔術は未だに練習中のようであり、最近はフリードと共に宮殿で働いているらしい。
「ああ、クロちゃんではないか!いやはや、丁度家に誰もいなくて退屈していたのだ。今日はどうした?」
「えっ、誰もいないの?……あっ、捨てられた?出直したほうが良い?」
「またお前は縁起の悪いことを…………」
シャバーンが唸っているのも無視して、クロちゃんは玄関に足を踏み入れた。相変わらず自由な男だ。
「おーっ、相変わらず綺麗にしてるねぇ。嫁さんって家事できるんだ」
「いや、正確には妻の乳母が掃除をしてくれている」
「乳母!?まぁ、相変わらずリッチですこと…………」
軽口を叩いているクロちゃんを置いて、シャバーンはナーサーヤに茶菓子を準備するように依頼した。彼は日差しの心地よい庭のテラスへ友人を案内すると、椅子に腰掛けて微笑んだ。
「で、今日は何の用だ?」
「え、暇だから来た」
あまりの清々しい理由を聞いて、シャバーンが椅子からずり落ちる。
「お前、わしの家を休憩所と勘違いしてないか?」
「良いじゃん。広いし、リッチだし」
「関係ないわ。入場料取るぞ」
「えーっ」
呆れてものも言えないと言いたげなシャバーンを置いて、クロちゃんはナーサーヤから出された茶菓子を頬張っている。ああ、そういえばこいつにはこういうところがあった、と思いながらシャバーンはため息をついた。
「…………お前は相変わらずだな」
「そうか?俺はジョブチェンジしたせいで、人生激変したけどな」
シャバーンはハッとした。そして慌てて謝罪の言葉を述べた。だが、クロちゃんは気にしていないようだ。
「良いって。でもなぁ、まさかジャファーのやつが俺に黒魔術を教えてなかったなんて、びっくりだったよ。どうりで黒魔術使えないわけだ」
「ああ、まったくひどいやつだった。…………クロちゃん、あの時のことは本当に感謝している」
クロちゃんことクロイツは、シャバーンとラティーファにとって命の恩人である。今から数ヶ月前、ジャファーが本性を顕にし、ジーニーを使ってアグラバーの支配を目論んだ事件が起きた。そのとき、クロイツは危険も顧みず自身の師を裏切りシャバーンたちを助けてくれたのだ。その際、師匠であるジャファーに黒魔術を教えるつもりがなかったことが発覚し、クロイツは見事に黒魔術師を失職。あわや路頭に迷うところだった彼だが、そのフィジカル面での才能を買われて今では王宮の警備隊長に就任している。
「良いってもう!俺とお前、友達だろ?それにお陰様で今は王宮で警備主任をしてるんだから、WIN WINってやつだよ」
「まぁ、お前にしては大出世か」
他人事のように失笑するシャバーンを、クロイツが肘で小突く。
「お前こそどうなんだよ。今じゃ国務大臣のお婿さんじゃないか」
「まぁ、そこまで大きく変わったわけじゃないさ。別にわしが偉いわけじゃないしな」
妙に腰の低い友人に、クロイツは驚いた。そしてふわりと微笑むと、ぽつりと一言零した。
「……変わったな、シャバーン」
「またそれか」
「え、他にも誰かに言われたの?」
シャバーンはやれやれと首を横に振ると、ティーカップに注がれたルイボスティーを飲んだ。このお茶も、元々そこまで好きな飲み物では無かった。しかし、今ではすっかりラティーファの影響で嗜むようになっていた。
「ああ、そうだ。…………ジーニーに言われたんだ。変わりましたね、シャバーンさん。ってな」
「なるほどね。…………まぁ、変わるわなぁ」
妙に納得している様子のクロイツに、シャバーンは首を傾げた。そして、時折思慮深いことを言う姿こそが本当の彼なのだろうと常々思っていた。
「だってさ。ラティーファちゃんって、ああ見えて結構厳しいじゃん。お前のダメなところはちゃんとダメって言うし」
「あぁ、そうだな…………」
昔はそうじゃなかったんだよ、クロちゃん。
そんなことを思いながら、シャバーンは懐かしくも苦い思い出を振り返った。確かに、あの頃の自分と比べれば変わったのかもしれない。そんなことを考えながら、彼はカウチに寝そべった。
「そういえば、お前と会ったときはわしの復帰後だったっけ」
何気ないシャバーンの問いに、少し間があってクロイツが答える。
「うーん、たぶん」
「たぶんって何だ。何で覚えてないんだよ」
「だって、お前のこと知らなかったし………」
「おいおい…………」
シャバーンは相変わらずの酷い返答に頭を抱えた。同時に、少しだけ笑みを零した。
「どっ、どうしたんだよ。気持ち悪いよ?」
「いや、わしとお前が初めて出会ったときもこんな感じだったなぁって思ってな」
感慨深い声を出すシャバーンに対して、クロイツも深く頷いた。この2人、やはりどこか似ている。
「あー、懐かしいね。もう何年前になるの?」
「バカ。まだ1年くらいだ」
「えっ!?もう十年くらいの付き合いだと思ってた……」
「まったく…………」
失笑を浮かべながら、シャバーンは空を見上げた。そして、丁度こんなふうに穏やかだった秋の日を思い出すのだった。
ジーニーとの決別を経て、シャバーンは数ヶ月の活動休止期間の中でマジックの練習に苦しんでいた。アシームもラティーファもあの一件以来、彼に道を踏み外させはしまいと妥協することなく接するようになっていた。家ももちろん一時的に手放すことになり、市場のボロ家での貧乏生活を余儀なくされた。
そして、秋がやって来て彼は復帰後最初のワンマショーを開催した。ジーニーも居なければ魔法も使えない正真正銘実力勝負の、誤魔化し無しのショーである。緊張と絶望に反して、ショーは大成功を収めた。人々はマジックというよりシャバーンの面白いトークを観るために訪れていたが、それでも彼は言いようのない充実感を覚えた。
もう、わしは偽物なんかじゃない。本物の、自分にしか無い才能で偉大なマジシャンになったんだ!
それからというもの、アグラバーの王都の外れにある港町アラビアンコーストから再起を果たした彼は、再び王都でマジックショーを披露するまで成長した。人々はその快進撃をまさにアラビアンドリームと呼び、彼は名実ともにアグラバーの有名人になろうとしていた。
だが、そんな彼のマジックを一部の人は『トークスキルに頼る邪道なマジシャン』と言ったり、『インチキマジックだ』と批判したりもした。何より、インチキマジックを披露しても捕まらないのは元国務大臣の令嬢の婿だからだ、という事実無根な噂まで流れることもあった。シャバーンにとって、愛する献身的な妻の悪評が流れることは耐え難いことだった。自分の悪評が流れることは辛うじて我慢できるとしても、誰よりも公明正大であり清廉潔白な妻ラティーファの悪口は許せなかった。
そんな複雑な心中を抱えたまま、季節は少しずつ冬に近づこうとしていた。穏やかなアラビアの秋の日差しの中、シャバーンは日向ぼっこを楽しむ猫のようにのんびりと市場を散歩している。彼はふとアクセサリーの露天の前で立ち止まると、可愛らしいイヤリングに目を留めた。
そういえば、ジーニーと別れてからラティーファには色々と苦労をかけたな。
ラティーファはシャバーンの活動を継続するために、多くの装身具や衣装を売り払った。今ではすっかり投資を上回る額を回収しきってはいるが、彼女の倹約は続いていた。
「不安定な収入、か」
一理あるな、とシャバーンは苦笑いを浮かべた。今は話題になっているが、それもいつまで続くかというのがエンターテイメントの世界だ。
それでも、少しくらいはプレゼントをしてやりたい。それが男心というものだ。彼は妻の笑顔を想像しながら、嬉しそうにイヤリングを選び始めるのだった。
プレゼントも選び終えたシャバーンは、アラビアンコーストにある家路へとのんびり向かっていた。ふと、彼は広場のほうが騒がしいことに気づいて足を止めた。そこには、緑のヘビを頭に乗せている青年が立っていた。黒と紫の服はいかにも高級そうで、シャバーンが着ている一昔前の流行のデザインと違って、最新の礼装だった。彼は興味の赴くままに、青年の行動を注意深く見守ることにした。
青年は王宮からの使いらしく、このアラビアンコーストで何か催し物をするようだ。しかし、先ほどから何やら衛兵たちと揉めている。どうやら青年はここのローカルルールを知らないらしく、広場の占有許可を取っていなかったようだ。
アホだな。帰ろっと。
そう思いながらシャバーンは踵を返そうとした。だが、直後悲痛な声が耳に飛び込んできた。
「ここで催事が出来なかったら、私はすっごく困るんだ!ジャファー様に殺される!」
「はん!なーんでジャファー様が出てくるんだ。ルールはルールだ。広場の組合に頼むか、ここで金を払え」
正当な手段を踏むか、賄賂か、というところだろう。その発言も醜悪な内容だが、シャバーンはそんなことよりも『ジャファー』という名前に反応してしまった。
ジャファー国務大臣……
公にはなっていないが、自らを国務大臣の座に就けるためにラティーファの両親と家の使用人を皆殺しにした男だ。あの事件がなければ彼女を妻に迎えることは無かったが、2人にとってその事実はあまりにも呵責に苛まれるものだった。どうやらハイサム氏は生き延びてどこかの国に隠れ住んでいるようだが、そんなことを知る由もないジャファーの権力はどんどん強まっていく一方だった。王都は勿論のこと、最近では交易の要所であるアラビアンコーストにも衛兵が大量に配置されるようになり、物騒な雰囲気があちこちに広がっていた。
そんなわけでシャバーンは、青年の発言が決して誇張ではないことを知っていた。ジャファーであれば、ミス一つで部下を手討ちにすることもあるだろう。彼は一抹の憐憫を秘めながら、衛兵と青年の間に割って入った。
「どうも、シャバーンです。お勤めご苦労さま」
「おお、シャバーンか!今日は奥さんは一緒じゃないのか?」
顔見知りの衛兵だったらしく、シャバーンはにこやかに笑いながら談笑を始めた。
「今日はお留守だよ。で、いったい何の騒ぎなんだ?」
「そ、そうか…………」
ほんの少しだけ残念そうな顔をする衛兵に、シャバーンは心のなかで毒づいた。
なにが奥さんは一緒じゃないのか?だ。あれはわしの女だぞ。
そんな感情を隠したまま、シャバーンはにこりと笑ってこう言った。
「で、これは一体どういう話なんだ?このアラビアンコーストで何かするなら、わしに話が一言くらいあっても良いだろうに」
すると、衛兵は苦笑いを浮かべながら答えた。
「…………ええと、ジャファー様が急に催し物をお決めになったようで…………」
なるほど。
シャバーンは腕を組んだまま小刻みに頷いた。それから後ろで頭を抱えている青年に尋ねた。
「おいそこの青年、お前は誰だ」
「誰って、失礼な!私は――――」
青年は顔を真っ赤にして怒り出した。それから渋々、突然謎のポーズを取りながら名乗った。
「私は、クリストフ・ゴールデン・クロイツ!アラビアの将来有望な黒魔術師であーる!」
その場に重すぎる沈黙が走る。シャバーンは想定外のキャラに面食らうと、正気に返った面持ちで踵を返した。
「じゃ、お疲れ様でしたー」
「ちょっ、ちょっと!?助けてくれるんじゃないの!?」
あっさりとその場を離れようとするシャバーンに、クロイツと名乗った男は縋り付いた。もはや初対面の頼りなさそうな壮年男性に懇願するほど、どうやらかなり追い詰められているらしい。シャバーンはため息をつくと、懐から数枚の金貨を取り出して衛兵に掴ませた。
「すまんが、これで勘弁してやってくれ」
「これじゃあちょっとなぁ…………」
この期に及んで足元を見てくる衛兵に、シャバーンはついに我慢ならず眉をひそめた。彼は先程の仕返しも含めて、意地悪な顔でこう言った。
「ほーん、別に良いけど。何かあれば処分されるのはこの男と君だからな」
「しょ、処分!?」
「そりゃあそうでしょ!だってアンタ、天下のジャファー様の催しを邪魔したんだからね」
それを聞いた衛兵が途端に青ざめる。彼は慌ててクロイツの方を見ると、血相変えて尋ねた。
「おっ、お前本当にジャファー様の命令でやって来たのか?」
するとクロイツは、ようやく気づいてくれたかと言わんばかりに首を縦に振った。面倒くさいやつだ、とシャバーンは心のなかでため息を漏らしている。
「もちろん!なぜならこのクロイツは、偉大なジャファー様の一番弟子であーる!」
再び沈黙が走る。しかし今度は別なる種の沈黙だった。衛兵は途端に大人しくなると、波が引くようにサッと広場を明け渡した。
「なっ、なんだもっと早くに言ってくれればよかったのに…………ジャファー様の命なら、喜んで!」
引きつった笑顔を向けてくる衛兵が面白くて、思わずシャバーンは吹き出した。そして思い出したようにその手からサッと金貨を奪い去ってこう言った。
「あー、じゃあこのお金は返してね。わしのお小遣い減っちゃうから」
「すっ、好きにしてくれ!じゃ、じゃあ私はこれで失礼する!」
口早に別れの言葉を述べた衛兵は、もつれる足を必死に動かして立ち去った。残されたシャバーンとクロイツは、暫し広場に立ち尽くしていた。やがてシャバーンが勝ち誇ったような笑い声を上げた。さながら悪役の笑い方である。
「はーっはっはっはっ!ひーっひっひっひっ!ふーっふっふっふっ!ポーッポッポッポッ」
……最後の笑い方はどうみてもハトだが。
クロイツは裏表があるが一見珍妙な男――――シャバーンを注意深く観察した。対するシャバーンは、上機嫌にこんなことを零した。
「ふん、あの男!前から気に入らなかったんだ。わしの妻を変な目で見よって。そうだ、あとで王宮の誰かに言いつけてやろっと」
それを聞いたクロイツは、目を丸くして慌てて首を横に振った。
「ちょっとちょっと!それじゃ可哀想じゃないか」
「可哀想?お前、黒魔術師なのに随分お人好しなんだな…………」
黒魔術ってもんは、もっとおどろおどろしいものだろ。
シャバーンはそんなことを考えながら肩を竦めた。一方、クロイツは少しだけはにかんだ笑みを浮かべている。
「えへへ、よく言われるんだ。ギャップが有るねって」
ギャップと聞いて、シャバーンは真っ先に自身の妻のことを思い浮かべた。一見無邪気に見えるラティーファが時折見せる気品は、いつも彼の男心を擽る。
「まあ、ギャップは良いよね。わしも好きだよ」
全くベクトルが逆の話をしているのだが、クロイツは疑うこと無く瞳を輝かせた。彼はシャバーンの手を取ると、ぶんぶん腕を振りながらこう言った。
「私達、気が合うんじゃないか!?シャバーンとか言ったよな、よろしく!!同業者だけど、ライバルだけど全然気にしてないから!!」
勝手に友達認定されてしまったことに気づいたシャバーンは、慌てて腕を振り払おうとしたが遅かった。彼はされるがままに振り回されると、頭のターバンを抑えながら叫んだ。
「やーめーなーさーいー!!わしは偉大なマジシャン、シャバーン様だぞ!」
しかし、クロイツは引き下がらない。むしろ嬉しそうだ。
「知らなーい!知らない人だけどきっとアンタいい人なんだね!」
「んなわけあるかーっ!離せ!離せっ!」
ようやくクロイツを振りほどくことに成功したシャバーンは、肩で息をしながらげんなりした顔を向けた。けれども当のクロイツは上機嫌のままだ。相手のペースに持っていかれそうな自分に嫌気が差しながらも、渋々シャバーンは言葉を発した。どうやら嫌いではないらしい。
「お前…………何か長い名前言ってたな…………」
「そうそう、クリストフ――――」
「なんか、栗きんとんゴーダチーズカニクリームコロッケみたいなやつ」
滅茶苦茶な記憶力に、クロイツがその場に崩れ落ちる。彼は広場の地面を叩きながら、大声で叫んだ。
「ちがーう!掠りもしてない!!私は、クリストフ・ゴールデン・クロイツだ!」
しかし、その直後シャバーンの表情が真面目なものに変わる。思わずクロイツも息を呑んだ。
「名前が長いのは、エンターテイナーとして致命傷だぞ。覚えられにくいからな」
そう言いながら、シャバーンは少しだけ考え込んだ。それから何かをひらめいたようにクロイツを指さした。
「あ、クロちゃんで良いんじゃないか?」
「クロちゃん!?全然黒魔術っぽく無いじゃないか」
あーっ、少しだけ尊敬して損した!
心のなかでため息をつくクロイツを置いて、シャバーンは自分のネーミングセンスにすっかり酔いしれている。終いには見物人たちへ、クロイツのことを『クロちゃん』と呼ぶように呼びかけているではないか。クロイツは心の何処かがくすぐったい感覚に襲われながら、その呼びかけに答えた。もちろん屈託のない笑みを浮かべながら。
「はーい、クロちゃんです」
「気に入ってるじゃん」
「別に気に入ってないけど」
二人はすっかり意気投合したらしく、広場のど真ん中で謎の掛け合いを開始した。聴衆も二人のやり取りが面白いらしく、少しずつではあるが集まってきている。
さて、そんなやり取りを繰り広げている二人の姿を、少し離れたところから眺めている別の青年が居た。水色の服に身を包んだやや尊大な美青年は、小首を傾げながら懐から書状を取り出した。その左右には、赤い服とオレンジ色の服を着た二人の踊り子が立っている。赤い服の娘は身を乗り出すと、まじまじと書状を覗き込んだ。
「…………今日はどっちを取り締まるの?」
「ナウラから見て右の…………つまり、赤い方だ」
「ふぅん。確かにインチキ臭い男ね」
ナウラと呼ばれた娘は、なるほどと首を縦に振った。それから、青年を挟んで隣に立っているもう一人の娘に尋ねた。
「レイハーネはどう思う?」
もう一人の娘――――レイハーネは肩を竦めながら答えた。
「うーん、その隣の人も大概怪しいけど…………」
その言葉に青年は頷いた。そして書状を懐に仕舞うとこう言った。
「そうだな。今日は二人まとめて逮捕と行こうか」
青年はナウラとレイハーネを促すと、広場へと足を踏み出した。この男との出会いが、後にシャバーンとクロイツことクロちゃんの運命を大きく変えることになるとは知らず。
〜後編に続く〜
「あー、寂しい。暇。誰もいないってこんなに暇なもんなのか……」
訂正しよう。シャバーンは謳歌どころか退屈していた。彼はカゴの中で居眠りしているペットのヨシダを一瞥し、続いて自分に懐く気配のないウサギを見た。
「あーっ!暇だ!こんなに暑くもなく寒くもない丁度いい天気なのに、ラティーファもアシームもベキートも、わしを置いてナウラたちと買い物だなんて!」
シャバーンが子どものように駄々をこねていると、ラティーファの元乳母ナーサーヤが茶菓子を持って入室した。
「だったら奥様についてお行きになられればよろしかったのに」
「んなこと出来るか。あーいう場にわしが付いていくと、色々世間の目がある」
「ではお静かに一人のお時間を楽しまれてはいかがですか?」
「相変わらずトゲがあるなぁ…………」
ナーサーヤの、なんとも言えないクールさがシャバーンは苦手だった。家事の腕も給仕も非の打ち所が無いのだが、それにしても淡泊だ。時折、自分は嫌われているのではと思ってしまいさえする。
「申し上げておきますが、旦那様に対して思う所は何もございませんよ。ただ、こういう性格なので」
「あ、そう…………そういうことね…………」
今日一日、この空気感のままとは…………
シャバーンが心のなかで大きなため息をついたその時だった。
「おーい、シャバーンいるかー?」
玄関の方から聞き覚えのある声がした。いつもならげんなりする声だが、今日はそれすら嬉しい。シャバーンは立ち上がると、戸口へ駆け出した。扉を開けると、そこには彼の数少ない友である――――
「クリストフ・ゴールデン・クロイツの参上だ!」
黒魔術師のクリストフ――――ことクロちゃんが立っていた。頭の上には相変わらず緑色のヘビ『ペロちゃん』を載せている。ジャファーの(自称)一番弟子の黒魔術師だった彼だが、アグラバーでジャファーが起こした一連の事件に於いて目まぐるしい活躍を見せてくれた(その話はまた今度)。しかし本業の黒魔術は未だに練習中のようであり、最近はフリードと共に宮殿で働いているらしい。
「ああ、クロちゃんではないか!いやはや、丁度家に誰もいなくて退屈していたのだ。今日はどうした?」
「えっ、誰もいないの?……あっ、捨てられた?出直したほうが良い?」
「またお前は縁起の悪いことを…………」
シャバーンが唸っているのも無視して、クロちゃんは玄関に足を踏み入れた。相変わらず自由な男だ。
「おーっ、相変わらず綺麗にしてるねぇ。嫁さんって家事できるんだ」
「いや、正確には妻の乳母が掃除をしてくれている」
「乳母!?まぁ、相変わらずリッチですこと…………」
軽口を叩いているクロちゃんを置いて、シャバーンはナーサーヤに茶菓子を準備するように依頼した。彼は日差しの心地よい庭のテラスへ友人を案内すると、椅子に腰掛けて微笑んだ。
「で、今日は何の用だ?」
「え、暇だから来た」
あまりの清々しい理由を聞いて、シャバーンが椅子からずり落ちる。
「お前、わしの家を休憩所と勘違いしてないか?」
「良いじゃん。広いし、リッチだし」
「関係ないわ。入場料取るぞ」
「えーっ」
呆れてものも言えないと言いたげなシャバーンを置いて、クロちゃんはナーサーヤから出された茶菓子を頬張っている。ああ、そういえばこいつにはこういうところがあった、と思いながらシャバーンはため息をついた。
「…………お前は相変わらずだな」
「そうか?俺はジョブチェンジしたせいで、人生激変したけどな」
シャバーンはハッとした。そして慌てて謝罪の言葉を述べた。だが、クロちゃんは気にしていないようだ。
「良いって。でもなぁ、まさかジャファーのやつが俺に黒魔術を教えてなかったなんて、びっくりだったよ。どうりで黒魔術使えないわけだ」
「ああ、まったくひどいやつだった。…………クロちゃん、あの時のことは本当に感謝している」
クロちゃんことクロイツは、シャバーンとラティーファにとって命の恩人である。今から数ヶ月前、ジャファーが本性を顕にし、ジーニーを使ってアグラバーの支配を目論んだ事件が起きた。そのとき、クロイツは危険も顧みず自身の師を裏切りシャバーンたちを助けてくれたのだ。その際、師匠であるジャファーに黒魔術を教えるつもりがなかったことが発覚し、クロイツは見事に黒魔術師を失職。あわや路頭に迷うところだった彼だが、そのフィジカル面での才能を買われて今では王宮の警備隊長に就任している。
「良いってもう!俺とお前、友達だろ?それにお陰様で今は王宮で警備主任をしてるんだから、WIN WINってやつだよ」
「まぁ、お前にしては大出世か」
他人事のように失笑するシャバーンを、クロイツが肘で小突く。
「お前こそどうなんだよ。今じゃ国務大臣のお婿さんじゃないか」
「まぁ、そこまで大きく変わったわけじゃないさ。別にわしが偉いわけじゃないしな」
妙に腰の低い友人に、クロイツは驚いた。そしてふわりと微笑むと、ぽつりと一言零した。
「……変わったな、シャバーン」
「またそれか」
「え、他にも誰かに言われたの?」
シャバーンはやれやれと首を横に振ると、ティーカップに注がれたルイボスティーを飲んだ。このお茶も、元々そこまで好きな飲み物では無かった。しかし、今ではすっかりラティーファの影響で嗜むようになっていた。
「ああ、そうだ。…………ジーニーに言われたんだ。変わりましたね、シャバーンさん。ってな」
「なるほどね。…………まぁ、変わるわなぁ」
妙に納得している様子のクロイツに、シャバーンは首を傾げた。そして、時折思慮深いことを言う姿こそが本当の彼なのだろうと常々思っていた。
「だってさ。ラティーファちゃんって、ああ見えて結構厳しいじゃん。お前のダメなところはちゃんとダメって言うし」
「あぁ、そうだな…………」
昔はそうじゃなかったんだよ、クロちゃん。
そんなことを思いながら、シャバーンは懐かしくも苦い思い出を振り返った。確かに、あの頃の自分と比べれば変わったのかもしれない。そんなことを考えながら、彼はカウチに寝そべった。
「そういえば、お前と会ったときはわしの復帰後だったっけ」
何気ないシャバーンの問いに、少し間があってクロイツが答える。
「うーん、たぶん」
「たぶんって何だ。何で覚えてないんだよ」
「だって、お前のこと知らなかったし………」
「おいおい…………」
シャバーンは相変わらずの酷い返答に頭を抱えた。同時に、少しだけ笑みを零した。
「どっ、どうしたんだよ。気持ち悪いよ?」
「いや、わしとお前が初めて出会ったときもこんな感じだったなぁって思ってな」
感慨深い声を出すシャバーンに対して、クロイツも深く頷いた。この2人、やはりどこか似ている。
「あー、懐かしいね。もう何年前になるの?」
「バカ。まだ1年くらいだ」
「えっ!?もう十年くらいの付き合いだと思ってた……」
「まったく…………」
失笑を浮かべながら、シャバーンは空を見上げた。そして、丁度こんなふうに穏やかだった秋の日を思い出すのだった。
ジーニーとの決別を経て、シャバーンは数ヶ月の活動休止期間の中でマジックの練習に苦しんでいた。アシームもラティーファもあの一件以来、彼に道を踏み外させはしまいと妥協することなく接するようになっていた。家ももちろん一時的に手放すことになり、市場のボロ家での貧乏生活を余儀なくされた。
そして、秋がやって来て彼は復帰後最初のワンマショーを開催した。ジーニーも居なければ魔法も使えない正真正銘実力勝負の、誤魔化し無しのショーである。緊張と絶望に反して、ショーは大成功を収めた。人々はマジックというよりシャバーンの面白いトークを観るために訪れていたが、それでも彼は言いようのない充実感を覚えた。
もう、わしは偽物なんかじゃない。本物の、自分にしか無い才能で偉大なマジシャンになったんだ!
それからというもの、アグラバーの王都の外れにある港町アラビアンコーストから再起を果たした彼は、再び王都でマジックショーを披露するまで成長した。人々はその快進撃をまさにアラビアンドリームと呼び、彼は名実ともにアグラバーの有名人になろうとしていた。
だが、そんな彼のマジックを一部の人は『トークスキルに頼る邪道なマジシャン』と言ったり、『インチキマジックだ』と批判したりもした。何より、インチキマジックを披露しても捕まらないのは元国務大臣の令嬢の婿だからだ、という事実無根な噂まで流れることもあった。シャバーンにとって、愛する献身的な妻の悪評が流れることは耐え難いことだった。自分の悪評が流れることは辛うじて我慢できるとしても、誰よりも公明正大であり清廉潔白な妻ラティーファの悪口は許せなかった。
そんな複雑な心中を抱えたまま、季節は少しずつ冬に近づこうとしていた。穏やかなアラビアの秋の日差しの中、シャバーンは日向ぼっこを楽しむ猫のようにのんびりと市場を散歩している。彼はふとアクセサリーの露天の前で立ち止まると、可愛らしいイヤリングに目を留めた。
そういえば、ジーニーと別れてからラティーファには色々と苦労をかけたな。
ラティーファはシャバーンの活動を継続するために、多くの装身具や衣装を売り払った。今ではすっかり投資を上回る額を回収しきってはいるが、彼女の倹約は続いていた。
「不安定な収入、か」
一理あるな、とシャバーンは苦笑いを浮かべた。今は話題になっているが、それもいつまで続くかというのがエンターテイメントの世界だ。
それでも、少しくらいはプレゼントをしてやりたい。それが男心というものだ。彼は妻の笑顔を想像しながら、嬉しそうにイヤリングを選び始めるのだった。
プレゼントも選び終えたシャバーンは、アラビアンコーストにある家路へとのんびり向かっていた。ふと、彼は広場のほうが騒がしいことに気づいて足を止めた。そこには、緑のヘビを頭に乗せている青年が立っていた。黒と紫の服はいかにも高級そうで、シャバーンが着ている一昔前の流行のデザインと違って、最新の礼装だった。彼は興味の赴くままに、青年の行動を注意深く見守ることにした。
青年は王宮からの使いらしく、このアラビアンコーストで何か催し物をするようだ。しかし、先ほどから何やら衛兵たちと揉めている。どうやら青年はここのローカルルールを知らないらしく、広場の占有許可を取っていなかったようだ。
アホだな。帰ろっと。
そう思いながらシャバーンは踵を返そうとした。だが、直後悲痛な声が耳に飛び込んできた。
「ここで催事が出来なかったら、私はすっごく困るんだ!ジャファー様に殺される!」
「はん!なーんでジャファー様が出てくるんだ。ルールはルールだ。広場の組合に頼むか、ここで金を払え」
正当な手段を踏むか、賄賂か、というところだろう。その発言も醜悪な内容だが、シャバーンはそんなことよりも『ジャファー』という名前に反応してしまった。
ジャファー国務大臣……
公にはなっていないが、自らを国務大臣の座に就けるためにラティーファの両親と家の使用人を皆殺しにした男だ。あの事件がなければ彼女を妻に迎えることは無かったが、2人にとってその事実はあまりにも呵責に苛まれるものだった。どうやらハイサム氏は生き延びてどこかの国に隠れ住んでいるようだが、そんなことを知る由もないジャファーの権力はどんどん強まっていく一方だった。王都は勿論のこと、最近では交易の要所であるアラビアンコーストにも衛兵が大量に配置されるようになり、物騒な雰囲気があちこちに広がっていた。
そんなわけでシャバーンは、青年の発言が決して誇張ではないことを知っていた。ジャファーであれば、ミス一つで部下を手討ちにすることもあるだろう。彼は一抹の憐憫を秘めながら、衛兵と青年の間に割って入った。
「どうも、シャバーンです。お勤めご苦労さま」
「おお、シャバーンか!今日は奥さんは一緒じゃないのか?」
顔見知りの衛兵だったらしく、シャバーンはにこやかに笑いながら談笑を始めた。
「今日はお留守だよ。で、いったい何の騒ぎなんだ?」
「そ、そうか…………」
ほんの少しだけ残念そうな顔をする衛兵に、シャバーンは心のなかで毒づいた。
なにが奥さんは一緒じゃないのか?だ。あれはわしの女だぞ。
そんな感情を隠したまま、シャバーンはにこりと笑ってこう言った。
「で、これは一体どういう話なんだ?このアラビアンコーストで何かするなら、わしに話が一言くらいあっても良いだろうに」
すると、衛兵は苦笑いを浮かべながら答えた。
「…………ええと、ジャファー様が急に催し物をお決めになったようで…………」
なるほど。
シャバーンは腕を組んだまま小刻みに頷いた。それから後ろで頭を抱えている青年に尋ねた。
「おいそこの青年、お前は誰だ」
「誰って、失礼な!私は――――」
青年は顔を真っ赤にして怒り出した。それから渋々、突然謎のポーズを取りながら名乗った。
「私は、クリストフ・ゴールデン・クロイツ!アラビアの将来有望な黒魔術師であーる!」
その場に重すぎる沈黙が走る。シャバーンは想定外のキャラに面食らうと、正気に返った面持ちで踵を返した。
「じゃ、お疲れ様でしたー」
「ちょっ、ちょっと!?助けてくれるんじゃないの!?」
あっさりとその場を離れようとするシャバーンに、クロイツと名乗った男は縋り付いた。もはや初対面の頼りなさそうな壮年男性に懇願するほど、どうやらかなり追い詰められているらしい。シャバーンはため息をつくと、懐から数枚の金貨を取り出して衛兵に掴ませた。
「すまんが、これで勘弁してやってくれ」
「これじゃあちょっとなぁ…………」
この期に及んで足元を見てくる衛兵に、シャバーンはついに我慢ならず眉をひそめた。彼は先程の仕返しも含めて、意地悪な顔でこう言った。
「ほーん、別に良いけど。何かあれば処分されるのはこの男と君だからな」
「しょ、処分!?」
「そりゃあそうでしょ!だってアンタ、天下のジャファー様の催しを邪魔したんだからね」
それを聞いた衛兵が途端に青ざめる。彼は慌ててクロイツの方を見ると、血相変えて尋ねた。
「おっ、お前本当にジャファー様の命令でやって来たのか?」
するとクロイツは、ようやく気づいてくれたかと言わんばかりに首を縦に振った。面倒くさいやつだ、とシャバーンは心のなかでため息を漏らしている。
「もちろん!なぜならこのクロイツは、偉大なジャファー様の一番弟子であーる!」
再び沈黙が走る。しかし今度は別なる種の沈黙だった。衛兵は途端に大人しくなると、波が引くようにサッと広場を明け渡した。
「なっ、なんだもっと早くに言ってくれればよかったのに…………ジャファー様の命なら、喜んで!」
引きつった笑顔を向けてくる衛兵が面白くて、思わずシャバーンは吹き出した。そして思い出したようにその手からサッと金貨を奪い去ってこう言った。
「あー、じゃあこのお金は返してね。わしのお小遣い減っちゃうから」
「すっ、好きにしてくれ!じゃ、じゃあ私はこれで失礼する!」
口早に別れの言葉を述べた衛兵は、もつれる足を必死に動かして立ち去った。残されたシャバーンとクロイツは、暫し広場に立ち尽くしていた。やがてシャバーンが勝ち誇ったような笑い声を上げた。さながら悪役の笑い方である。
「はーっはっはっはっ!ひーっひっひっひっ!ふーっふっふっふっ!ポーッポッポッポッ」
……最後の笑い方はどうみてもハトだが。
クロイツは裏表があるが一見珍妙な男――――シャバーンを注意深く観察した。対するシャバーンは、上機嫌にこんなことを零した。
「ふん、あの男!前から気に入らなかったんだ。わしの妻を変な目で見よって。そうだ、あとで王宮の誰かに言いつけてやろっと」
それを聞いたクロイツは、目を丸くして慌てて首を横に振った。
「ちょっとちょっと!それじゃ可哀想じゃないか」
「可哀想?お前、黒魔術師なのに随分お人好しなんだな…………」
黒魔術ってもんは、もっとおどろおどろしいものだろ。
シャバーンはそんなことを考えながら肩を竦めた。一方、クロイツは少しだけはにかんだ笑みを浮かべている。
「えへへ、よく言われるんだ。ギャップが有るねって」
ギャップと聞いて、シャバーンは真っ先に自身の妻のことを思い浮かべた。一見無邪気に見えるラティーファが時折見せる気品は、いつも彼の男心を擽る。
「まあ、ギャップは良いよね。わしも好きだよ」
全くベクトルが逆の話をしているのだが、クロイツは疑うこと無く瞳を輝かせた。彼はシャバーンの手を取ると、ぶんぶん腕を振りながらこう言った。
「私達、気が合うんじゃないか!?シャバーンとか言ったよな、よろしく!!同業者だけど、ライバルだけど全然気にしてないから!!」
勝手に友達認定されてしまったことに気づいたシャバーンは、慌てて腕を振り払おうとしたが遅かった。彼はされるがままに振り回されると、頭のターバンを抑えながら叫んだ。
「やーめーなーさーいー!!わしは偉大なマジシャン、シャバーン様だぞ!」
しかし、クロイツは引き下がらない。むしろ嬉しそうだ。
「知らなーい!知らない人だけどきっとアンタいい人なんだね!」
「んなわけあるかーっ!離せ!離せっ!」
ようやくクロイツを振りほどくことに成功したシャバーンは、肩で息をしながらげんなりした顔を向けた。けれども当のクロイツは上機嫌のままだ。相手のペースに持っていかれそうな自分に嫌気が差しながらも、渋々シャバーンは言葉を発した。どうやら嫌いではないらしい。
「お前…………何か長い名前言ってたな…………」
「そうそう、クリストフ――――」
「なんか、栗きんとんゴーダチーズカニクリームコロッケみたいなやつ」
滅茶苦茶な記憶力に、クロイツがその場に崩れ落ちる。彼は広場の地面を叩きながら、大声で叫んだ。
「ちがーう!掠りもしてない!!私は、クリストフ・ゴールデン・クロイツだ!」
しかし、その直後シャバーンの表情が真面目なものに変わる。思わずクロイツも息を呑んだ。
「名前が長いのは、エンターテイナーとして致命傷だぞ。覚えられにくいからな」
そう言いながら、シャバーンは少しだけ考え込んだ。それから何かをひらめいたようにクロイツを指さした。
「あ、クロちゃんで良いんじゃないか?」
「クロちゃん!?全然黒魔術っぽく無いじゃないか」
あーっ、少しだけ尊敬して損した!
心のなかでため息をつくクロイツを置いて、シャバーンは自分のネーミングセンスにすっかり酔いしれている。終いには見物人たちへ、クロイツのことを『クロちゃん』と呼ぶように呼びかけているではないか。クロイツは心の何処かがくすぐったい感覚に襲われながら、その呼びかけに答えた。もちろん屈託のない笑みを浮かべながら。
「はーい、クロちゃんです」
「気に入ってるじゃん」
「別に気に入ってないけど」
二人はすっかり意気投合したらしく、広場のど真ん中で謎の掛け合いを開始した。聴衆も二人のやり取りが面白いらしく、少しずつではあるが集まってきている。
さて、そんなやり取りを繰り広げている二人の姿を、少し離れたところから眺めている別の青年が居た。水色の服に身を包んだやや尊大な美青年は、小首を傾げながら懐から書状を取り出した。その左右には、赤い服とオレンジ色の服を着た二人の踊り子が立っている。赤い服の娘は身を乗り出すと、まじまじと書状を覗き込んだ。
「…………今日はどっちを取り締まるの?」
「ナウラから見て右の…………つまり、赤い方だ」
「ふぅん。確かにインチキ臭い男ね」
ナウラと呼ばれた娘は、なるほどと首を縦に振った。それから、青年を挟んで隣に立っているもう一人の娘に尋ねた。
「レイハーネはどう思う?」
もう一人の娘――――レイハーネは肩を竦めながら答えた。
「うーん、その隣の人も大概怪しいけど…………」
その言葉に青年は頷いた。そして書状を懐に仕舞うとこう言った。
「そうだな。今日は二人まとめて逮捕と行こうか」
青年はナウラとレイハーネを促すと、広場へと足を踏み出した。この男との出会いが、後にシャバーンとクロイツことクロちゃんの運命を大きく変えることになるとは知らず。
〜後編に続く〜
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