コンパスはおしえてくれない
4
船は、アカネイア大陸の西端、フリアっていう名前の港に入った。
聞いていた通り寒い。俺たちは支給された上着を着て、漁港へと上がった。
久しぶりの陸だ。しばらく揺れる船の上にいたから、しっかりと大地を踏むとなんだか自分の身体が重くなったような、不思議な感覚があった。
船の護衛の仕事はこれにて無事に終了した。特に大きな事件もなくて退屈だったけれど、俺たちが乗っていたおかげで海賊船に襲われずに済んだと、商人の人たちからは感謝された。
解放軍のリーダーにして、リゲル皇帝の実の息子であるというアルムの噂は、まだこの大陸には届いていないみたいだったけれど、ルカの口利きで、俺たちには立派な宿を用意してもらえることになった。テーベの探索に出かけるまで、数日休息していいって事らしい。
滞在中はフリアの港からの、緊急の出撃要請にも応じるという条件で、安く宿を提供してもらえたのだ。
「お前とクリフ、ここの部屋使えよ」
部屋割の話になるや否や、グレイが角部屋に俺とクリフの荷物を投げ入れた。俺が思わずグレイの顔を見ると、グレイは笑って俺の肩をぽんと叩いた。
悔しさと感謝をこめて、俺は笑った。
グレイに気を遣われてしまった。部屋割りについては反論する理由がないから、俺はクリフと相部屋になった。まあでも、これならクリフと二人でゆっくり話をすることもできるだろう。グレイにはあとで、改めて礼でも言っておかないと。
クリフと一緒に過ごしながら、このもやもやした気持ちに、答えを見つけられたらいいと思った。
「良い部屋だな」
二人用のその部屋は、ベッドが二つと机が二つ並んでいて、クロゼットが一つあるだけのシンプルなものだったけれど、木の匂いが気持ちのいい、よく掃除された部屋だった。
中央には、暖をとるための火鉢がある。
「クリフ、どっちのベッド使う?」
「えっ」
荷物を整理していたクリフは、クリフにしては少し慌てたような大きな声で返事をした。俺は面食らいながら、言い直す。
「だから、ベッドどっち使うかって」
「ああ……どっちでも」
なんだそんな事かと言いたそうな表情で、クリフは言った。なんだよ、宿に着いた時の決まり文句だろ。
「じゃあ俺こっち」
俺は扉から近い方のベッドを選んだ。
クリフは自分の荷物から本を取り出して、机の上に置く。クリフは宿に着くと、まず自分の読書スペースを決める。上着を脱ぐより先に、鞄から本を出すんだ。
戦いのさなかに野営をしている時も、天幕の中ではいつも本を読んでいた。
休まないのかと聞いても、いつも返ってくるのは「行軍中は本を読むことが唯一の楽しみで、休息になるから」という答えだった。
俺は、クリフが荷物を出すのを眺めながら、クロゼットの中を確認する。
木の板を組み合わせただけの簡単な箱には、衣服をかけたり、荷物をしまったりできそうだった。
「クリフ、荷物ここに置けるぞ」
そう言って、俺はクリフに片手を伸ばした。散らかすのが嫌いなクリフは、いつもなら遠慮なく脱いだ上着を渡してきたり、荷物を押し付けてくる。けれど、今は机を見つめたまま動かないでいた。
「クリフ?」
「え、な、なに?」
もう一度名前を呼ぶとやっと返事があった。今の俺の言葉を聞いていなかったようで、俺が伸ばした手の意味が分からないらしく、眉を寄せた。
「荷物」
「あ、ああ……ありがと」
クリフは自分がまだ上着を着たままであることを思い出したような顔をして、俺に上着と鞄を渡して来た。
「ぼーっとしてんな。疲れたか?」
「……何でもないよ」
クリフは溜息をついて、机の椅子に腰掛けた。
船旅が長かったから調子が出ないのか、ただ何となくぼーっとしていただけなのか分からないけど、クリフは何も言わずに読書を始めてしまった。
本当に調子が悪い時は「頭痛いから話しかけないでよ」くらいの文句は言ってくるくせに、本当にどうしたんだ。
する事のない俺は窓の外を見て、風に揺れる木の葉や、行き交う人を見て過ごす。久しぶりに陸にいることが、急に嬉しくなった。
二人が黙り込んでからあまり時間が経っていないけれど、俺は遠慮なく沈黙を破る。
「なあクリフ、このあたり探検しようぜ」
「……探検って、子どもじゃないんだから」
本から顔を上げずにクリフがそう答える。俺は立ち上がって膝を叩くと、部屋のドアを開けた。外の寒い空気が部屋の中に入ってくる。
「どこになにがあるか、知っとかないといざという時困るだろ」
「それはそうだけど」
寒いのになんで先にドアを開けるのだと言いたそうに、クリフが眉を寄せた。
「いーから行こうぜ。珍しいもの買えるかもしれないだろ」
「……分かったよ」
珍しいものに興味を惹かれたのか、クリフが折れてくれた。
俺たちは、ついさっきかけたばかりの上着をクロゼットから出して、外へと出かける。
宿屋の目の前にはちょっとした広場があった。旅人が馬車を乗り入れるのに使うのだろう。
色の濃さの違う赤茶色の煉瓦が敷き詰められてて、綺麗な模様になっているように見えた。その上に、うっすらと雪が積もっている。
その不規則な模様を目でなぞるように見渡していると、広場のそばにある花壇の縁に、女の子が座っているのが見えた。桃色の髪をした、桃色の法衣を着た女の子だ。
少し、心臓がちくりとするのを感じた。……なんなんだ本当に。
「あそこに居るのジェニーじゃないか?」
俺が自分の心臓が嫌に跳ねるのを無視してそう言うと、クリフはそちらを見ずに「そうだね」と答えた。俺より先に彼女の姿を見つけていたようだ。
なぜか避けるような口調で返事をするクリフに構わず、俺はジェニーに手を振った。
「おーいジェニー!」
「ちょっと、なんで呼ぶわけ?」
クリフがジェニーに聞こえないように俺にそう言った。なんだよ、相変わらず素直じゃないな。本当は彼女のこと気になってるんじゃないのか。そう考えたら、やっぱり俺は気持ちが揺れた。
俺はクリフを連れて、ジェニーの座る花壇の目の前まで近づいた。
俺たちがジェニーに近づくと、彼女はゆっくりと立ち上がって、お尻を払った。
「ロビンくん、クリフくん」
律儀に二人の名前を呼んでくれる。ふわりとした笑顔は、シスターにぴったりだと思った。
「なんでここにいたんだ? 部屋はどこ?」
女の子に部屋の場所聞くなんて最低じゃない? とクリフが隣で小さくつぶやいた。うるさい。俺はお前のために話しかけたんだ。ジェニーがくすくすと笑う。
「これから買い物に行こうと思ったの。そしたら、お花が綺麗だったから」
ひとつめの質問にだけ答えて、ジェニーは先ほどまで腰掛けていた煉瓦造りの花壇を振り返る。白い花がたくさん咲いていた。花壇に使われている煉瓦は、広場の地面に敷き詰められているものと同じものだった。
「雪が降る季節に咲く花ってあるんだな」
素直に浮かんだ感想を言ってみる。クリフは何も言わない。得意の知識でも披露してくれるかと思った。花の名前くらい、知ってるだろ。
「良かったら買い物、一緒に行くか?」
「え? でも……」
俺が提案すると、ジェニーが驚いたように目を丸くして、クリフの方を見た。クリフは何も言わない。俺は勝手にクリフの背中をジェニーの方へ押した。
「あ、そうだ! クリフ、お前ジェニーと行ってこいよ」
「は、はあ? ロビン何言って……」
クリフが反論するのと、ジェニーが両手を振るのがほぼ同時だった。
「そうよ、そんなの悪いよ。せっかく二人で出かけるところだったんでしょう?」
本当は今日は、俺がクリフと一緒に過ごすつもりだったんだけど、ひとりでいるジェニーを見かけたら放っておけなかった。クリフは自分から女の子を誘うような性格してないし、多分これが正解だ。
「いいって、俺一人でも平気だし。ほらクリフ」
彼女の隣に無理やり並ばせようとしたクリフが抵抗する。ジェニーがおろおろして、俺とクリフを交互に見た。
「待ってよ、なんでそうなるわけ? それならロビンも一緒に……」
「いーから! じゃあ、また飯んときにな!」
俺は二人から逃げるように宿の建物の方へと戻った。
建物の側まで走って二人を振り返ると、二人で仕方なさそうに門を出ていくのが見えた。クリフが溜息をついて額に手をやって、ジェニーが謝るような仕草をしているのが見える。
俺に気なんて遣わなくていいのに。そう考えたら、ちょっと寂しくなった。
せっかくクリフと一緒に出掛けて、クリフが彼女のことをどう思っているのか聞き出そうと思ったんだけど。
でも、クリフがジェニーと仲がいいのが本当なら、一緒に遊びに行きたいはずだし、そこには俺はいないほうがいい気がするから。
そう考えたら止まらなくて、無理やりクリフの背中を押してしまった。
お節介だったと思うけど、俺としてはいいことをしたつもりだった。それなのに、なんだか心がもやもやする。
俺はもう一度、クリフとジェニーが一緒に歩いている背中を振り返った。
これはグレイの言うとおり、本当に嫉妬なのかもしれない。
俺は買い物に出るのをやめて、まずは建物の周囲を歩いてまわった。クリフとジェニーを見送ってすぐ出発すると、追いついてしまう気がした。
それに、誰がどの部屋にいるのか、どっちが港の方向なのかを頭に入れておきたかった。
進軍中は、よその村で休ませてもらう時は、かならず周りの様子を把握してから休むようにと言われていた。だから癖になってるんだ。どこに何があるか分かっていないと、落ち着いて休めない。
この港町はラムの村より人の行き来が多そうな所だけれど、静かな雰囲気はどこかラムの村に似ている。潮の匂いが風にのって来るのが気持ちいい。
アルムとグレイの部屋はどこだろう。ひとつひとつ部屋をノックして回るのも気が引けるし、みんなの部屋の場所を把握してから自分の部屋に入ればよかった。
グレイが俺とクリフに気を遣うほうが早くて、誰がどこの部屋に充てられたのか、まったく知らない。
二人を探して歩いていたら、宿の設備の位置も大体把握できた。井戸の場所や暖炉の蒔が積んである倉庫、馬が繋がれている倉や、花壇もあった。ジェニーが座ってた花壇と同じ造りだ。この宿屋の主が、熱心に育ててるんだろう。
「あれ、ロビン。どうしたんだい?」
花壇の花を眺めていたら、すぐ後ろの部屋のドアが開いた。中から、アルムが出てくる。防具を外して軽装をしているが、身を守る短剣だけは腰に下げている。
「ああ、アルム。お前の部屋はここか?」
「うん。グレイもここだよ。でも今はグレイは、クレアの所に行っているみたい」
グレイのやつ、自分はちゃっかりクレアのところか。
「そっか。アルムはどうすんだ?」
「僕はセリカと一緒に、ここのミラ像にお参りに行こうって話していたんだ。これから彼女を迎えに行くけど、ロビンも来るかい?」
アルムもセリカと出かけるんだろうということは予想していたけど、俺を誘うとは思っていなかった。俺は思わず首を横に振る。
「いや、いいよ。二人で行って来いよ。さすがに邪魔できねーって」
俺が慌ててそう言うと、アルムは照れたように笑った。
「邪魔だなんて思っていないよ。でも、ありがとう」
「ああ、楽しんで来いよ」
セリカと一緒にいられて、幸せ真っ只中って感じのアルムを、邪魔するつもりはない。そんな風に気を遣った自分に、俺は自分で満足した。けれど、同時に少し複雑な気分にもなる。
アルムはバレンシア大陸に戻ったら、王様になっちゃうんだよな。今までみたいに、話をすることもできなくなっちゃうんだろうか。
アルムがセリカの部屋へ行くといって手を振るのを見送って、俺は今度は市場の方へ行こうと足を向けた。
宿屋の門を出て、住宅街と港市場を分けるように設置されている、広場を見つけた。どの村や町にも、必ずこういう広場がある。村の祭りなんかに使われる広場なんだろう。
中央には噴水があった。女性の持つ水瓶からゆるやかに水が流れている。
どうやって水が延々と流れ出てくるのか、俺にはその仕組みがいつも不思議でならない。
噴水のそばに、人影が二人あった。クリフとジェニーかと思って一瞬どきりとしたけれど、違った。
クレアとグレイが二人で噴水を眺めているところだった。ちょっと、面白くない気分だった。ったく、どいつもこいつも羨ましい。
俺は二人に見つからないように、そして二人が何を話しているのかを聞いてはいけないような気がしたのもあって、そっと広場の端を通りすぎた。
周りが皆、誰かと二人でどこかに行ってしまう。もやもやする。
皆が特別な相手を見つけていく中で、俺だけが一人になってしまうような気がする。
俺にも、たった一人の特別な誰かが、現れるのだろうか。そんな柄でもないことを考えた。
広場を過ぎて現れた市場は、さすがは港町といった感じで、とても賑わっていた。港に出入りする船が、新しいものをどんどんこの町に運び込むのだろう。
市場の呼び込みの声を聞いていると、バレンシア大陸から入荷したばかりの酒がオススメのようだった。きっと、俺たちが乗ってきた船が運んできたものだろう。
特に買いたいものがないので、食べ物屋でも探すかと、ふらふらと歩いた。
クリフだったら真っ先に市場を抜けて商館へ行き、本屋を探す。
本は一冊一冊がとても高い。クリフは前の町で買った本を売って、新しい本を買うことが多い。
この町でも本が買えるんだろうか。一緒に探してやればよかったな。
それともジェニーと一緒に、本屋に行っただろうか。
酒屋を過ぎると雑貨屋が並ぶ路地へと出た。アクセサリーが売っているらしい屋台の前で、はしゃいでいる女の子と、それに付き合わされているように見える男がいた。
どっちも俺と同い年くらいに見えるけど。仲が良さそうで、ちょっと羨ましくなった。なんだよ、一人で歩いているのは俺だけかよ。
「ちょっとボーイ! 真面目に考えてよねー!」
「でかい声出すなよメイ。そんなんじゃどれも似合わねーって」
「そ、そんなこと無いわよ!」
耳に飛び込んできた名前に聞き覚えがあって、俺は思わず足を止めた。アクセサリー屋を振り返る。よく見ると知っている顔だった。確かセリカの友達だったはずだ。二人とも腕のいい魔導士で、ドーマ神殿での戦いでは何度も助けられた。
通り過ぎた足を戻して、二人に近づく。なんて声をかけたらいいか考えていたら、二人が先に俺に気づいて振り返った。
「あれ、あなたは……」
メイ、と呼ばれていたピンクの髪を頭の両側で高く結った女の子が最初に俺に声をかけてくれた。
「ああ、アルム様の軍の。確か、ロビンって名前だったよな」
隣にいた銀髪の男の方は、俺の名前を憶えていてくれた。ちゃんと話したことないのに名前が憶えられているのは、やっぱ嬉しいな。
「そうそう。ボーイとメイだよな。よろしく」
「うん、船で顔は見かけてたんだけど、なかなか声かけられなくてごめんね」
メイが笑って手を差し出してきた。俺はメイとボーイと、順番に握手をした。
二人も退屈して市場に出てきたようで、さっきからメイの買い物にボーイが付き合っているらしい。
メイは、アルムとセリカの結婚の祝いの席に、身に着けて行けるような装飾品を探しているそうだ。俺もそういうの、そろそろ用意しないといけないかもな。
俺とボーイは、雑貨屋の店頭を眺めて歩くメイについていくように歩きながら、お互いの友達の話をした。二人は特に、自分たちが仕えているセリカが、ラムの村ではどんな様子だったのかと、アルムがどんな人なのかを気にしているようだった。
俺は二人が安心するように、アルムが自慢の友達だってことと、立派な王様になるだろうってことを話した。二人は安心したように笑っていた。
「アルム様は優しくて強い人だって聞いているから、安心してセリカ様をお任せできる」
ボーイが言った。アルムが「様」を付けて呼ばれているのにまだ慣れない。
ボーイとメイの、アルムとセリカに対する言葉づかいを聞いていると、アルムがこれから立たされるであろう地位の高さを実感する。
アルムのことだから、王様になっても性格までは変わらないだろうけど、周りがそうさせないんじゃないかなって思う。
王様に気軽に声をかけるなんて、普通できない事なんだから。
「そういえば、ジェニーって子も二人の友達か?」
俺はとっさに、ジェニーのことを思い出した。今頃、クリフと街の見物をしているだろうか。クリフ、うまくやってるといいけど。
メイが髪を大きく揺らして頷く。
「うん、ジェニーとは同じ修道院で育った友達よ。一緒にセリカ様について旅をしていたの」
「へえ、最近俺の友達のクリフと仲良くしてくれてるみたいでさ」
ジェニーのこと、詮索してるみたいでちょっと申し訳ない気持ちになったけれど、それでも気になるのだから仕方なかった。
二人はジェニーからクリフのことを、何か聞いていないだろうか。
「そうなの。びっくりしちゃった。ジェニー、自分からあんまり人と話さないから意外で」
「ジェニーがしゃべる前にお前がしゃべるからだろ」
メイが言うと、ボーイが肩をすくめてそう言った。メイが頬を膨らませて怒る。
「違うわよ。私はジェニーのためにしゃべってるの」
ジェニーは、ボーイとメイの二人に、アルム軍に同い年くらいの男の子がいて、友達になれて嬉しいと話しているらしい。本を読むのが好きで、物知りな男の子だと聞いているようだ。ちょっと捻くれてるところが伝わってないところに、ジェニーの気遣いを感じる。いや、ジェニーがクリフのそういうところに構ってないだけかもしれないけど。
ここにはいない、ジェニーとクリフの話を一通りした後、メイが少し寂しそうに、目を伏せた。さっきまで元気に笑っていたから、その表情の違いに驚いた。
「でもちょっとだけ寂しい。ジェニーのこと妹みたいに思ってるから、ジェニーが知らない子としゃべってると、なんだか妬いちゃう」
メイのその言葉に、俺はどきりとした。はっと気づかされたといったほうが正しいのかもしれない。
「ジェニーだって、いつまでも子どもじゃねーんだから」
ボーイがメイを窘めるのをどこか遠くに聞きながら、俺は自分の中に見つけた新しい気持ちに驚いていた、
そうか、俺も寂しいと思っているんだ。友達が誰かと仲良くしていることに嫉妬しているんじゃない。
弟みたいだと思っていたクリフがいつの間にか、俺の知らないところで新しい友達を作っていることが寂しいんだ。
俺は一人になるのが寂しいんじゃない。
弟みたいにそばにいたクリフを、取られることが寂しい、ということだろうか。
……きっと、そういうことだ。
俺はボーイとメイと別れた後、自分ひとりで一通り市場を見てまわってから、宿屋に戻った。部屋の扉を開けると、先にクリフが帰ってきていた。
机の椅子に腰掛けて本を読んでいたクリフは驚いたようにこちらを振り返り、わざわざ立ち上がって俺を出迎えてくれた。
「ちょっとロビン、どこ行ってたの?」
なぜか怒ったような口調のクリフに、俺は思わず目を見開いた。結構間抜けな顔をしてしまったと思う。
「え? 市場の方を見に行ってきただけだぜ」
「そう……」
俺が嘘をついていないと分かったからか、クリフが拍子抜けしたように肩を落とす。
「ジェニーと買い物行ったんだろ? 楽しかったか?」
俺が気を利かせたつもりでそう聞いたら、クリフは呆れた顔から、眉間にしわを寄せた表情へと変えた。目をそらして溜息をつく。
「あのさ……何を勘違いしてるか知らないけど、僕は別にジェニーと買い物に行きたかったわけじゃ……」
「ちがうのか?」
「違うよ! ……とにかく、ここにいる間は僕と行動してよ。よく知らない奴といるよりロビンのほうが楽だから」
好きな女の子と一緒に買い物に出かけたいと思うのは普通のことだと思ったんだけど、余計なおせっかいだったか。また俺は空気を読まないで、クリフが望んでいないことをしてしまったのか。
クリフ、素直じゃないから、急に女の子と二人で買い物に行けなんて酷だったかな。
そう思って、俺は謝る意味を込めて、クリフの頭にぽんと手を乗せた。
「そんなふうに言ったらジェニーが可哀想だろ」
やめてよ、と言いたそうにクリフが手で俺の手を払いのけた。顔が赤くなっている。ほら、図星じゃないか。
「しょうがねーな、分かったよ。じゃあ明日は、俺と買い物に行くか」
「……うん。珍しいものが買えるかもって言ったのはロビンでしょ。ちゃんと連れてってよ」
珍しく素直に、クリフがそう言った。
「はいはい」
仕方ないなあなんて顔をしておきながら、俺は実は、クリフがこうして頼ってくれることに安心していた。
クリフが誰かと新しい関係を築いても、こうしてまだ、俺のことも頼ってくれる。もう少しだけ、俺はクリフの兄ちゃんみたいな存在でいられるだろうか。
もう少しだけなら、クリフのことを弟みたいに思ってもいいだろうか。
俺だってもう分かっている。人は変わっていく。成長すれば、新しいものを手に入れていく。その中で、必要なものと大切なものを選択していく。
そして、手に入らないものは入らない。そういうものだ。
だけど、今持ってるものはなくしたくない。いつだったか、グレイとそう話したことを思い出した。
クリフは再び読書に戻る。俺はそんなクリフの横に、買ってきた菓子を置いてやった。一緒に食べているつもりになりながら、俺も自分の椅子に腰掛けて菓子をつまむ。
アルムとグレイが夕食に呼びに来るまで、俺たちは一言も話さなかったけれど、その時間が心地よかった。
こうして、フリアの港にたどり着いたその日の一日は終わった。
この時の俺は、後から思い出せば恥ずかしさで港を飛び出しそうなくらい、とんでもない勘違いをしていることに、まだ気づいていなかった。
船は、アカネイア大陸の西端、フリアっていう名前の港に入った。
聞いていた通り寒い。俺たちは支給された上着を着て、漁港へと上がった。
久しぶりの陸だ。しばらく揺れる船の上にいたから、しっかりと大地を踏むとなんだか自分の身体が重くなったような、不思議な感覚があった。
船の護衛の仕事はこれにて無事に終了した。特に大きな事件もなくて退屈だったけれど、俺たちが乗っていたおかげで海賊船に襲われずに済んだと、商人の人たちからは感謝された。
解放軍のリーダーにして、リゲル皇帝の実の息子であるというアルムの噂は、まだこの大陸には届いていないみたいだったけれど、ルカの口利きで、俺たちには立派な宿を用意してもらえることになった。テーベの探索に出かけるまで、数日休息していいって事らしい。
滞在中はフリアの港からの、緊急の出撃要請にも応じるという条件で、安く宿を提供してもらえたのだ。
「お前とクリフ、ここの部屋使えよ」
部屋割の話になるや否や、グレイが角部屋に俺とクリフの荷物を投げ入れた。俺が思わずグレイの顔を見ると、グレイは笑って俺の肩をぽんと叩いた。
悔しさと感謝をこめて、俺は笑った。
グレイに気を遣われてしまった。部屋割りについては反論する理由がないから、俺はクリフと相部屋になった。まあでも、これならクリフと二人でゆっくり話をすることもできるだろう。グレイにはあとで、改めて礼でも言っておかないと。
クリフと一緒に過ごしながら、このもやもやした気持ちに、答えを見つけられたらいいと思った。
「良い部屋だな」
二人用のその部屋は、ベッドが二つと机が二つ並んでいて、クロゼットが一つあるだけのシンプルなものだったけれど、木の匂いが気持ちのいい、よく掃除された部屋だった。
中央には、暖をとるための火鉢がある。
「クリフ、どっちのベッド使う?」
「えっ」
荷物を整理していたクリフは、クリフにしては少し慌てたような大きな声で返事をした。俺は面食らいながら、言い直す。
「だから、ベッドどっち使うかって」
「ああ……どっちでも」
なんだそんな事かと言いたそうな表情で、クリフは言った。なんだよ、宿に着いた時の決まり文句だろ。
「じゃあ俺こっち」
俺は扉から近い方のベッドを選んだ。
クリフは自分の荷物から本を取り出して、机の上に置く。クリフは宿に着くと、まず自分の読書スペースを決める。上着を脱ぐより先に、鞄から本を出すんだ。
戦いのさなかに野営をしている時も、天幕の中ではいつも本を読んでいた。
休まないのかと聞いても、いつも返ってくるのは「行軍中は本を読むことが唯一の楽しみで、休息になるから」という答えだった。
俺は、クリフが荷物を出すのを眺めながら、クロゼットの中を確認する。
木の板を組み合わせただけの簡単な箱には、衣服をかけたり、荷物をしまったりできそうだった。
「クリフ、荷物ここに置けるぞ」
そう言って、俺はクリフに片手を伸ばした。散らかすのが嫌いなクリフは、いつもなら遠慮なく脱いだ上着を渡してきたり、荷物を押し付けてくる。けれど、今は机を見つめたまま動かないでいた。
「クリフ?」
「え、な、なに?」
もう一度名前を呼ぶとやっと返事があった。今の俺の言葉を聞いていなかったようで、俺が伸ばした手の意味が分からないらしく、眉を寄せた。
「荷物」
「あ、ああ……ありがと」
クリフは自分がまだ上着を着たままであることを思い出したような顔をして、俺に上着と鞄を渡して来た。
「ぼーっとしてんな。疲れたか?」
「……何でもないよ」
クリフは溜息をついて、机の椅子に腰掛けた。
船旅が長かったから調子が出ないのか、ただ何となくぼーっとしていただけなのか分からないけど、クリフは何も言わずに読書を始めてしまった。
本当に調子が悪い時は「頭痛いから話しかけないでよ」くらいの文句は言ってくるくせに、本当にどうしたんだ。
する事のない俺は窓の外を見て、風に揺れる木の葉や、行き交う人を見て過ごす。久しぶりに陸にいることが、急に嬉しくなった。
二人が黙り込んでからあまり時間が経っていないけれど、俺は遠慮なく沈黙を破る。
「なあクリフ、このあたり探検しようぜ」
「……探検って、子どもじゃないんだから」
本から顔を上げずにクリフがそう答える。俺は立ち上がって膝を叩くと、部屋のドアを開けた。外の寒い空気が部屋の中に入ってくる。
「どこになにがあるか、知っとかないといざという時困るだろ」
「それはそうだけど」
寒いのになんで先にドアを開けるのだと言いたそうに、クリフが眉を寄せた。
「いーから行こうぜ。珍しいもの買えるかもしれないだろ」
「……分かったよ」
珍しいものに興味を惹かれたのか、クリフが折れてくれた。
俺たちは、ついさっきかけたばかりの上着をクロゼットから出して、外へと出かける。
宿屋の目の前にはちょっとした広場があった。旅人が馬車を乗り入れるのに使うのだろう。
色の濃さの違う赤茶色の煉瓦が敷き詰められてて、綺麗な模様になっているように見えた。その上に、うっすらと雪が積もっている。
その不規則な模様を目でなぞるように見渡していると、広場のそばにある花壇の縁に、女の子が座っているのが見えた。桃色の髪をした、桃色の法衣を着た女の子だ。
少し、心臓がちくりとするのを感じた。……なんなんだ本当に。
「あそこに居るのジェニーじゃないか?」
俺が自分の心臓が嫌に跳ねるのを無視してそう言うと、クリフはそちらを見ずに「そうだね」と答えた。俺より先に彼女の姿を見つけていたようだ。
なぜか避けるような口調で返事をするクリフに構わず、俺はジェニーに手を振った。
「おーいジェニー!」
「ちょっと、なんで呼ぶわけ?」
クリフがジェニーに聞こえないように俺にそう言った。なんだよ、相変わらず素直じゃないな。本当は彼女のこと気になってるんじゃないのか。そう考えたら、やっぱり俺は気持ちが揺れた。
俺はクリフを連れて、ジェニーの座る花壇の目の前まで近づいた。
俺たちがジェニーに近づくと、彼女はゆっくりと立ち上がって、お尻を払った。
「ロビンくん、クリフくん」
律儀に二人の名前を呼んでくれる。ふわりとした笑顔は、シスターにぴったりだと思った。
「なんでここにいたんだ? 部屋はどこ?」
女の子に部屋の場所聞くなんて最低じゃない? とクリフが隣で小さくつぶやいた。うるさい。俺はお前のために話しかけたんだ。ジェニーがくすくすと笑う。
「これから買い物に行こうと思ったの。そしたら、お花が綺麗だったから」
ひとつめの質問にだけ答えて、ジェニーは先ほどまで腰掛けていた煉瓦造りの花壇を振り返る。白い花がたくさん咲いていた。花壇に使われている煉瓦は、広場の地面に敷き詰められているものと同じものだった。
「雪が降る季節に咲く花ってあるんだな」
素直に浮かんだ感想を言ってみる。クリフは何も言わない。得意の知識でも披露してくれるかと思った。花の名前くらい、知ってるだろ。
「良かったら買い物、一緒に行くか?」
「え? でも……」
俺が提案すると、ジェニーが驚いたように目を丸くして、クリフの方を見た。クリフは何も言わない。俺は勝手にクリフの背中をジェニーの方へ押した。
「あ、そうだ! クリフ、お前ジェニーと行ってこいよ」
「は、はあ? ロビン何言って……」
クリフが反論するのと、ジェニーが両手を振るのがほぼ同時だった。
「そうよ、そんなの悪いよ。せっかく二人で出かけるところだったんでしょう?」
本当は今日は、俺がクリフと一緒に過ごすつもりだったんだけど、ひとりでいるジェニーを見かけたら放っておけなかった。クリフは自分から女の子を誘うような性格してないし、多分これが正解だ。
「いいって、俺一人でも平気だし。ほらクリフ」
彼女の隣に無理やり並ばせようとしたクリフが抵抗する。ジェニーがおろおろして、俺とクリフを交互に見た。
「待ってよ、なんでそうなるわけ? それならロビンも一緒に……」
「いーから! じゃあ、また飯んときにな!」
俺は二人から逃げるように宿の建物の方へと戻った。
建物の側まで走って二人を振り返ると、二人で仕方なさそうに門を出ていくのが見えた。クリフが溜息をついて額に手をやって、ジェニーが謝るような仕草をしているのが見える。
俺に気なんて遣わなくていいのに。そう考えたら、ちょっと寂しくなった。
せっかくクリフと一緒に出掛けて、クリフが彼女のことをどう思っているのか聞き出そうと思ったんだけど。
でも、クリフがジェニーと仲がいいのが本当なら、一緒に遊びに行きたいはずだし、そこには俺はいないほうがいい気がするから。
そう考えたら止まらなくて、無理やりクリフの背中を押してしまった。
お節介だったと思うけど、俺としてはいいことをしたつもりだった。それなのに、なんだか心がもやもやする。
俺はもう一度、クリフとジェニーが一緒に歩いている背中を振り返った。
これはグレイの言うとおり、本当に嫉妬なのかもしれない。
俺は買い物に出るのをやめて、まずは建物の周囲を歩いてまわった。クリフとジェニーを見送ってすぐ出発すると、追いついてしまう気がした。
それに、誰がどの部屋にいるのか、どっちが港の方向なのかを頭に入れておきたかった。
進軍中は、よその村で休ませてもらう時は、かならず周りの様子を把握してから休むようにと言われていた。だから癖になってるんだ。どこに何があるか分かっていないと、落ち着いて休めない。
この港町はラムの村より人の行き来が多そうな所だけれど、静かな雰囲気はどこかラムの村に似ている。潮の匂いが風にのって来るのが気持ちいい。
アルムとグレイの部屋はどこだろう。ひとつひとつ部屋をノックして回るのも気が引けるし、みんなの部屋の場所を把握してから自分の部屋に入ればよかった。
グレイが俺とクリフに気を遣うほうが早くて、誰がどこの部屋に充てられたのか、まったく知らない。
二人を探して歩いていたら、宿の設備の位置も大体把握できた。井戸の場所や暖炉の蒔が積んである倉庫、馬が繋がれている倉や、花壇もあった。ジェニーが座ってた花壇と同じ造りだ。この宿屋の主が、熱心に育ててるんだろう。
「あれ、ロビン。どうしたんだい?」
花壇の花を眺めていたら、すぐ後ろの部屋のドアが開いた。中から、アルムが出てくる。防具を外して軽装をしているが、身を守る短剣だけは腰に下げている。
「ああ、アルム。お前の部屋はここか?」
「うん。グレイもここだよ。でも今はグレイは、クレアの所に行っているみたい」
グレイのやつ、自分はちゃっかりクレアのところか。
「そっか。アルムはどうすんだ?」
「僕はセリカと一緒に、ここのミラ像にお参りに行こうって話していたんだ。これから彼女を迎えに行くけど、ロビンも来るかい?」
アルムもセリカと出かけるんだろうということは予想していたけど、俺を誘うとは思っていなかった。俺は思わず首を横に振る。
「いや、いいよ。二人で行って来いよ。さすがに邪魔できねーって」
俺が慌ててそう言うと、アルムは照れたように笑った。
「邪魔だなんて思っていないよ。でも、ありがとう」
「ああ、楽しんで来いよ」
セリカと一緒にいられて、幸せ真っ只中って感じのアルムを、邪魔するつもりはない。そんな風に気を遣った自分に、俺は自分で満足した。けれど、同時に少し複雑な気分にもなる。
アルムはバレンシア大陸に戻ったら、王様になっちゃうんだよな。今までみたいに、話をすることもできなくなっちゃうんだろうか。
アルムがセリカの部屋へ行くといって手を振るのを見送って、俺は今度は市場の方へ行こうと足を向けた。
宿屋の門を出て、住宅街と港市場を分けるように設置されている、広場を見つけた。どの村や町にも、必ずこういう広場がある。村の祭りなんかに使われる広場なんだろう。
中央には噴水があった。女性の持つ水瓶からゆるやかに水が流れている。
どうやって水が延々と流れ出てくるのか、俺にはその仕組みがいつも不思議でならない。
噴水のそばに、人影が二人あった。クリフとジェニーかと思って一瞬どきりとしたけれど、違った。
クレアとグレイが二人で噴水を眺めているところだった。ちょっと、面白くない気分だった。ったく、どいつもこいつも羨ましい。
俺は二人に見つからないように、そして二人が何を話しているのかを聞いてはいけないような気がしたのもあって、そっと広場の端を通りすぎた。
周りが皆、誰かと二人でどこかに行ってしまう。もやもやする。
皆が特別な相手を見つけていく中で、俺だけが一人になってしまうような気がする。
俺にも、たった一人の特別な誰かが、現れるのだろうか。そんな柄でもないことを考えた。
広場を過ぎて現れた市場は、さすがは港町といった感じで、とても賑わっていた。港に出入りする船が、新しいものをどんどんこの町に運び込むのだろう。
市場の呼び込みの声を聞いていると、バレンシア大陸から入荷したばかりの酒がオススメのようだった。きっと、俺たちが乗ってきた船が運んできたものだろう。
特に買いたいものがないので、食べ物屋でも探すかと、ふらふらと歩いた。
クリフだったら真っ先に市場を抜けて商館へ行き、本屋を探す。
本は一冊一冊がとても高い。クリフは前の町で買った本を売って、新しい本を買うことが多い。
この町でも本が買えるんだろうか。一緒に探してやればよかったな。
それともジェニーと一緒に、本屋に行っただろうか。
酒屋を過ぎると雑貨屋が並ぶ路地へと出た。アクセサリーが売っているらしい屋台の前で、はしゃいでいる女の子と、それに付き合わされているように見える男がいた。
どっちも俺と同い年くらいに見えるけど。仲が良さそうで、ちょっと羨ましくなった。なんだよ、一人で歩いているのは俺だけかよ。
「ちょっとボーイ! 真面目に考えてよねー!」
「でかい声出すなよメイ。そんなんじゃどれも似合わねーって」
「そ、そんなこと無いわよ!」
耳に飛び込んできた名前に聞き覚えがあって、俺は思わず足を止めた。アクセサリー屋を振り返る。よく見ると知っている顔だった。確かセリカの友達だったはずだ。二人とも腕のいい魔導士で、ドーマ神殿での戦いでは何度も助けられた。
通り過ぎた足を戻して、二人に近づく。なんて声をかけたらいいか考えていたら、二人が先に俺に気づいて振り返った。
「あれ、あなたは……」
メイ、と呼ばれていたピンクの髪を頭の両側で高く結った女の子が最初に俺に声をかけてくれた。
「ああ、アルム様の軍の。確か、ロビンって名前だったよな」
隣にいた銀髪の男の方は、俺の名前を憶えていてくれた。ちゃんと話したことないのに名前が憶えられているのは、やっぱ嬉しいな。
「そうそう。ボーイとメイだよな。よろしく」
「うん、船で顔は見かけてたんだけど、なかなか声かけられなくてごめんね」
メイが笑って手を差し出してきた。俺はメイとボーイと、順番に握手をした。
二人も退屈して市場に出てきたようで、さっきからメイの買い物にボーイが付き合っているらしい。
メイは、アルムとセリカの結婚の祝いの席に、身に着けて行けるような装飾品を探しているそうだ。俺もそういうの、そろそろ用意しないといけないかもな。
俺とボーイは、雑貨屋の店頭を眺めて歩くメイについていくように歩きながら、お互いの友達の話をした。二人は特に、自分たちが仕えているセリカが、ラムの村ではどんな様子だったのかと、アルムがどんな人なのかを気にしているようだった。
俺は二人が安心するように、アルムが自慢の友達だってことと、立派な王様になるだろうってことを話した。二人は安心したように笑っていた。
「アルム様は優しくて強い人だって聞いているから、安心してセリカ様をお任せできる」
ボーイが言った。アルムが「様」を付けて呼ばれているのにまだ慣れない。
ボーイとメイの、アルムとセリカに対する言葉づかいを聞いていると、アルムがこれから立たされるであろう地位の高さを実感する。
アルムのことだから、王様になっても性格までは変わらないだろうけど、周りがそうさせないんじゃないかなって思う。
王様に気軽に声をかけるなんて、普通できない事なんだから。
「そういえば、ジェニーって子も二人の友達か?」
俺はとっさに、ジェニーのことを思い出した。今頃、クリフと街の見物をしているだろうか。クリフ、うまくやってるといいけど。
メイが髪を大きく揺らして頷く。
「うん、ジェニーとは同じ修道院で育った友達よ。一緒にセリカ様について旅をしていたの」
「へえ、最近俺の友達のクリフと仲良くしてくれてるみたいでさ」
ジェニーのこと、詮索してるみたいでちょっと申し訳ない気持ちになったけれど、それでも気になるのだから仕方なかった。
二人はジェニーからクリフのことを、何か聞いていないだろうか。
「そうなの。びっくりしちゃった。ジェニー、自分からあんまり人と話さないから意外で」
「ジェニーがしゃべる前にお前がしゃべるからだろ」
メイが言うと、ボーイが肩をすくめてそう言った。メイが頬を膨らませて怒る。
「違うわよ。私はジェニーのためにしゃべってるの」
ジェニーは、ボーイとメイの二人に、アルム軍に同い年くらいの男の子がいて、友達になれて嬉しいと話しているらしい。本を読むのが好きで、物知りな男の子だと聞いているようだ。ちょっと捻くれてるところが伝わってないところに、ジェニーの気遣いを感じる。いや、ジェニーがクリフのそういうところに構ってないだけかもしれないけど。
ここにはいない、ジェニーとクリフの話を一通りした後、メイが少し寂しそうに、目を伏せた。さっきまで元気に笑っていたから、その表情の違いに驚いた。
「でもちょっとだけ寂しい。ジェニーのこと妹みたいに思ってるから、ジェニーが知らない子としゃべってると、なんだか妬いちゃう」
メイのその言葉に、俺はどきりとした。はっと気づかされたといったほうが正しいのかもしれない。
「ジェニーだって、いつまでも子どもじゃねーんだから」
ボーイがメイを窘めるのをどこか遠くに聞きながら、俺は自分の中に見つけた新しい気持ちに驚いていた、
そうか、俺も寂しいと思っているんだ。友達が誰かと仲良くしていることに嫉妬しているんじゃない。
弟みたいだと思っていたクリフがいつの間にか、俺の知らないところで新しい友達を作っていることが寂しいんだ。
俺は一人になるのが寂しいんじゃない。
弟みたいにそばにいたクリフを、取られることが寂しい、ということだろうか。
……きっと、そういうことだ。
俺はボーイとメイと別れた後、自分ひとりで一通り市場を見てまわってから、宿屋に戻った。部屋の扉を開けると、先にクリフが帰ってきていた。
机の椅子に腰掛けて本を読んでいたクリフは驚いたようにこちらを振り返り、わざわざ立ち上がって俺を出迎えてくれた。
「ちょっとロビン、どこ行ってたの?」
なぜか怒ったような口調のクリフに、俺は思わず目を見開いた。結構間抜けな顔をしてしまったと思う。
「え? 市場の方を見に行ってきただけだぜ」
「そう……」
俺が嘘をついていないと分かったからか、クリフが拍子抜けしたように肩を落とす。
「ジェニーと買い物行ったんだろ? 楽しかったか?」
俺が気を利かせたつもりでそう聞いたら、クリフは呆れた顔から、眉間にしわを寄せた表情へと変えた。目をそらして溜息をつく。
「あのさ……何を勘違いしてるか知らないけど、僕は別にジェニーと買い物に行きたかったわけじゃ……」
「ちがうのか?」
「違うよ! ……とにかく、ここにいる間は僕と行動してよ。よく知らない奴といるよりロビンのほうが楽だから」
好きな女の子と一緒に買い物に出かけたいと思うのは普通のことだと思ったんだけど、余計なおせっかいだったか。また俺は空気を読まないで、クリフが望んでいないことをしてしまったのか。
クリフ、素直じゃないから、急に女の子と二人で買い物に行けなんて酷だったかな。
そう思って、俺は謝る意味を込めて、クリフの頭にぽんと手を乗せた。
「そんなふうに言ったらジェニーが可哀想だろ」
やめてよ、と言いたそうにクリフが手で俺の手を払いのけた。顔が赤くなっている。ほら、図星じゃないか。
「しょうがねーな、分かったよ。じゃあ明日は、俺と買い物に行くか」
「……うん。珍しいものが買えるかもって言ったのはロビンでしょ。ちゃんと連れてってよ」
珍しく素直に、クリフがそう言った。
「はいはい」
仕方ないなあなんて顔をしておきながら、俺は実は、クリフがこうして頼ってくれることに安心していた。
クリフが誰かと新しい関係を築いても、こうしてまだ、俺のことも頼ってくれる。もう少しだけ、俺はクリフの兄ちゃんみたいな存在でいられるだろうか。
もう少しだけなら、クリフのことを弟みたいに思ってもいいだろうか。
俺だってもう分かっている。人は変わっていく。成長すれば、新しいものを手に入れていく。その中で、必要なものと大切なものを選択していく。
そして、手に入らないものは入らない。そういうものだ。
だけど、今持ってるものはなくしたくない。いつだったか、グレイとそう話したことを思い出した。
クリフは再び読書に戻る。俺はそんなクリフの横に、買ってきた菓子を置いてやった。一緒に食べているつもりになりながら、俺も自分の椅子に腰掛けて菓子をつまむ。
アルムとグレイが夕食に呼びに来るまで、俺たちは一言も話さなかったけれど、その時間が心地よかった。
こうして、フリアの港にたどり着いたその日の一日は終わった。
この時の俺は、後から思い出せば恥ずかしさで港を飛び出しそうなくらい、とんでもない勘違いをしていることに、まだ気づいていなかった。