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コンパスはおしえてくれない

10




 一晩眠ったら怪我の痛みも少し楽になっていた。俺はゆっくりと起き上って、自分のベッドの側にある窓のカーテンをそっと開く。
 昨日はひどい雪だったけど、今朝はよく晴れている。
 俺は身体をひねるとまだ少し痛む背中を気にしながら立ち上がり、反対側のベッドに近寄った。毛布の山のふもとをそっと覗いてみる。
 クリフはまだ眠っていた。疲れているみたいだから、もう少し寝かせてやろう。
俺はクリフのベッドの脇に落ちている本を拾って、机の上に置いてやった。
 すーすーと寝息を立てるクリフの顔を眺める。昨日、泣きそうな顔で必死に俺に想いを伝えてくれたことがまるで夢だったかのように、クリフの寝顔は穏やかだった。
 昨夜の事だ。クリフが俺に好きだって言ってくれた時は、正直かなり驚いた。
 嫌われていないことは分かっていたつもりだけど、好かれてはいないんだろうなって勝手に思っていた。だからクリフの告白には動揺した。
 小さいころから、一人でいることが多いクリフがなんとなく気になって、何かと世話を焼いてしまっていた。
 昔からクリフの俺に対するあたりがきつかったから、お節介が過ぎただろうかって距離感が分からなくなったりもした。
 それでもあれこれ悩むのは苦手だから、いつでも素直に俺の気持ちをぶつけてきた。届いていたみたいで、安心した。
 届いているどころか、クリフの中で俺の存在が、なんだか俺が考えているよりも大きくなっちゃってたみたいだけど。
 驚きはしたけれど、もちろんすごく嬉しかった。
 
 このままだとクリフが起きるまで寝顔を見つめてしまいそうだったから、俺は外の空気を吸うために部屋の外へと出た。
 部屋に冷たい空気が入らないように、素早く外に出てそっとドアを閉める。
 外は寒かったけれど、俺の眠気を覚ますのにはちょうど良かった。

 クリフが起きたら、なんて声をかけようか。
 俺たちの関係は、これからいったいどうなるんだろう。

 上着を着ずに出たから長く外にはいられなくて、俺は外の空気を全身に吸い込んでからまた部屋へと戻った。
 ドアを閉めて振り返ると、クリフが目を覚ましていた。布団に入ったまま上半身だけを起こして目を擦っている。
 俺と目が合うと、かぁっと頬を染めてすぐに目をそらした。
 そういう反応されるとこっちも照れるんだけど。
「おはよう、クリフ」
「おはよう……」
 クリフは俯いて返事をした。耳が赤い。
 挨拶のあと、気まずい沈黙が落ちる。こういう時、どういう言葉をかけるのが正解なのか迷っていると、クリフのほうがぼそりとつぶやいた。
「ろ、ロビン……あの、昨日の話なんだけど」
「ん?」
 昨日の話というのは言うまでもなく、クリフが俺に告白をしてくれた事の話だろう。クリフは自分から言いかけておきながら、目をくるくると動かして、言葉に迷っていた。
「ど、どう…なの……?」
 クリフは言葉を選び損なったみたいに、「どうなのって変か」「えっと……」と、口をもごもご動かしていた。
「どうなのって、俺たちそういう関係になるんじゃねえの?」
 だから俺は、クリフが聞きたそうなことを勝手に予想して答える。
「えっ」
 クリフは目を丸くして、俺のことを見上げる。普段の冷めたような表情からは想像できない、なんとも間の抜けた表情。ちょっと可愛いなと思ったら、俺は思わず笑ってしまっていた。
「違うのか?」
「ち、違うっていうか……昨日は、その……勢いで…だ、だから気にしないで欲しいっていうか……」
 言いながら、クリフは毛布をかき集めてぎゅっと握っている。クリフの顔が見えないから、俺はベッドの側にしゃがんで、クリフの顔を覗き込んだ。
「何でだよ。俺はクリフのことちゃんと考えたいって思ってるぜ」
 クリフの気持ちを無下にするなんてこと、俺にはできない。最初から断るつもりなんてない。
「ロビン……?」
 ただ、もう少し考える時間が欲しいだけだ。
 クリフの泣きそうな顔と目が合った。なんだか昔のクリフを思い出して、俺は思わずクリフの頭を撫でた。
「俺、クリフとちゃんと向き合いたい。だから今日一日さ、俺と一緒に出掛けようぜ」
 クリフはまた、真っ赤になって俯いた。「決まりな」と念を押して、俺たちは朝食をとるために食堂へと出向いた。



 朝食のあと、俺たちは町へと出かけた。フリアの町をこうしてぶらつくのはもう何度目かだけど、今日が最後だと思うと、全部名残惜しく見える。それに、クリフと一緒っていうところにも俺は高揚感を覚えた。この間もクリフと二人で出かけたのに、その時とは気分が全然違った。
 道はしっかり雪かきがされていて歩きやすい。道端によせられた雪が太陽の光を反射してキラキラと輝いていてまぶしかった。
「一体何するの……?」
 クリフが不安そうに聞いてきた。本当は「デート」って答えてみたいんだけれど、怒られそうだからやめておく。
「ああ、家族に土産を買うつもりなんだ。ソフィアについたら村に送ってやろうかと思って」
 だから俺は、クリフと町を歩く口実を作った。お土産を買いたいのは本当だけれど。クリフは、ふーんと頷きながら町並を眺める。
「なるほどね」
「お前は?母ちゃんに何か送ってあげねーの?」
 母親のことを話題にしたら、クリフの眉がぴくりと動いた。眉間にしわを寄せて目を伏せる。面倒くさいと思っているときの顔だ。
「うーん……母さんにはいいかな……」
 本当に嫌そうだ。やっぱ仲良くないんだな。クリフの母ちゃん、クリフの事すげー可愛がってたように見えたけどなあ。
 クリフを外に遊びに連れ出して、泥だらけになって帰ってきたときはこっぴどく叱られたっけ。
「手紙くらいは送ってやれよ」
「……手紙は面倒だから物送る」
「あはは、お前らしいな」
 手紙のほうが、クリフにとっては難しくて面倒だったようだ。
 俺は土産と一緒に、両親と弟、妹たちに手紙を書くつもりだと話した。クリフはそれを聞いて、手伝うって言ってくれたけど、一緒に書こうとは言わなかった。

俺たちは雑貨屋の並ぶ通りへと出た。港の朝市のような雑然とした感じは全くなく、きれいな建物が並んでいた。本屋のじいさんが言っていた広場の近くの雑貨屋街ってここの事かな。この町に着いたときに、ボーイとメイを見かけたのもこのあたりだった気がする。
「ロビン、あの店はどう?」
 クリフが足を止めた。クリフが指さした方向を見ると、そこには染物屋があった。木と煉瓦を組み合わせたおしゃれなつくりの店で、小窓にかかっている布は光沢があって綺麗だった。
「スカーフとか、包み物とか、送りやすくていいと思うけど」
「そうだな!さすがクリフ!」
 俺一人だったら入らなさそうな店だ。俺たちは早速店内へと入った。
 狭い店内に整然と並ぶ棚には、大小さまざまな染め物がかかっていた。マントを作れそうなくらい大きい布から、女の人がハンカチとして使いそうな小さな布までいろいろあった。
 クリフも興味深そうに店内を一人で物色し始める。俺は店主を呼んで、両親にスカーフをプレゼントしたいと頼んで案内してもらった。
「バレンシアでは見かけない、珍しい染め物がいいと思うんだけど」
 俺が、ここの奥さんらしい店主を連れてくると、クリフが早速そう注文をつけた。
 クリフから、俺たちがバレンシア出身だと聞いた途端、店主の顔がぱあっと明るくなる。テーベの地下迷宮で盗賊たちを一掃した軍の人間だってことがすぐにバレて、店主に感激された。
 俺は負傷してすぐに帰還したんだけれど、そんな事言う隙もないほど、ものすごく感謝された。

 俺は両親のために一つずつスカーフを選んで、クリフも母親にひとつスカーフを選んだ。それぞれ贈り物用に包んでもらいながら、俺はもう一度店内を見て回る。この店には俺が使えそうなものはなさそうだ。矢を包む布にしては綺麗すぎるし。クリフは弁当が包めそうな大きさの布を真剣に見ている。
「本でも包むのか?」
 そう聞いたら、
「そう思って見てたけど、本はすぐ読めるようにしておきたいからいいや」
と返ってきた。

 そして俺は、店の奥の棚に見覚えのあるものを見つけた。
「あ、これ……クリフがつけてるやつに似てないか?」
 それはアクセサリーが並ぶ棚だった。そこには、丸い平たい石に一本の紐が通してあるものが並んでいた。
「ループタイ?」
「ループタイって言うのか。新しいの買っておけよ」
 クリフが自分の襟元に触れた。新しいのって言われても……と言いたそうな顔をしている。
「気に入ってるのか? それしか付けねーの?」
「別に……そういうわけじゃないけど」
「じゃあ俺が買ってやるよ!」
 俺はいくつか並んでいるそれをひとつずつ眺めた。安い買い物じゃないけど、俺ももう、これくらい買えるし。自分にはあまり金を使わないからちょうどいい。
「ええっ?い、いいよ、自分で……」
「いいから」
 俺はクリフのために、一番に目に付いたループタイを選んだ。
 それは羅針盤の模様が彫られたプレートに琥珀色の透明な石をはめ込んだ造形をしていた。
 立ち寄った土地で、すぐ物見のためにふらっと居なくなるクリフにぴったりだと思った。
 スカーフを包み終えた店主のおばさんに、俺はループタイも会計してもらうように頼んだ。
 自分で買うってば、と横で慌てているクリフを無視して、俺は代金を支払った。
 それはすぐに身に着けるからと、ループタイはそのまま受け取って、カウンターの横にある鏡の前にクリフを連れて行き、俺はクリフにループタイを付け替えるように言った。クリフはしぶしぶ、今まで着けていたタイを外して、俺が買ったタイを着けてくれた。
「ほら、ぴったりだ」
 クリフの襟元で琥珀色のタイが輝く。
「ありがと……」
 クリフは恥ずかしそうに俯きながら、もともと付けていたほうのタイを大事にポケットにしまった。

 俺たちはもう一度広場へと出た。クリフが俺の斜め後ろをとぼとぼと着いてくるから、前を向いて歩いているとクリフがちゃんと側にいるか心配になる。いちいち振り返るのもまどろっこしくて、俺はクリフに手を差し出した。
「え……?」
 クリフが俺の手を見て、不思議そうに俺の顔を見る。
「手、つなごうぜ」
「な、なんで?」
 クリフがかぁっと頬を赤くした。いちいちそういう反応されるとこっちも照れるんだって。
「なんでって、お前はぐれちゃいそうだし」
「その……」
 これは子ども扱いしているんじゃなくて、クリフの『恋人』になるためにしていることだ。クリフも怒らないで「なんで」って聞き返すってことは、そう意識してくれてるって思っていいよな。
「ほら」
 俺はクリフの手を少し強引に握って、クリフを引っ張って歩いた。

 俺たちは店や屋台を見て周りながら、俺の弟や妹たちへの土産を選んだ。珍しい石でできた首飾りやおいしそうな干物、おはじき、羽ペン……とにかく目に付いて弟たちの顔が浮かんだものは順番に買った。
ラムの村では見かけないようなものばかりで、どれも喜んでもらえそうだった。
 店の前で立ち止まるたびに、クリフにつないだ手を放されたけど、店を離れるときにまた繋ぎなおすことには何も言われなかった。
 三件目くらいで、クリフのほうから手を握ってきたことには驚いた。クリフもはっとして赤くなっていて可愛かった。つないだ手や表情から、クリフが本当に俺のこと好きなんだなって気持ちが伝わってきて、俺はうれしくなった。そしてやっぱり照れ臭い。
 自分の事好きでいてくれるやつが側にいるって、こんな感じなんだなって初めて知った。

俺たちはいつの間にか、街はずれにあるミラ像の前まで歩いてきた。
 ミラ像を囲うように石畳と、石でできたベンチがあるだけの公園のような場所だった。
 ちょっと休憩するか、とクリフに声をかけて、俺たちはベンチの一つに座った。
 ミラ様のまわりに積もった雪は綺麗に掃除されていたけれど、足元に小さな雪だるまがひとつ供えられていた。この町の子どもが作ったのだろうか。
「ね、ねえロビン……いつまで手つないでるの?」
「え?」
 クリフに言われて、俺はベンチの上で俺たちの手が重なっているのに気付いた。
「あ、ああごめん。嫌だったか?」
 そういえば、最後に寄った店からここまでずっと手をつないだままだった。俺は慌てて手を放す。
「別に、嫌じゃないけど……」
 クリフは頬を染めてそう言った。なら繋がせろよと言いたかったけど、あんまりクリフをいじめるのも可哀そうかと思って、遠慮しておいた。
 俺がすることでいちいち照れたり慌てたりしてくれるのが嬉しくて、ついちょっかいを出してしまう。

「ねえ」
「なんだ?」
 俺はミラ様を見上げながら答えた。
「ロビンは、僕と付き合うって言ったけど……」
「言ったな」
 俺が言うと、クリフはまた黙った。俺は目線を動かさずにクリフの言葉を待つ。
「本気なの?僕のこと好きじゃないよね」
 やっぱりこの話だ。そろそろちゃんと、言葉にしてやらないといけないな。
「そのことなんだけどさ」
「うん……」
 でも俺は言葉を選ぶのも、回りくどい言い方をするのも得意じゃないから、素直に言った。

「俺さ、お前のこと好きだ」

「え?」
 クリフは目を丸くした。照れや恥ずかしさより先に驚きがきているような顔だった。
「最初は実感なかったんだ。今までずっと友達だったやつと恋人になるって、なんか変な感じがしてさ」
 俺は頭のなかでずっと捏ね回していた言葉を、一つずつ伝える。
「そりゃそうだよ……僕だってどうしてこんなことに、って……思ってるし」
「それで、今日ずっとお前のこと見てて、お前のこと考えてたんだ」
 俺の側で顔を赤くして、嬉しそうに笑うクリフの顔を思い返す。今日だけで、知らないクリフの表情をたくさん見た。
 もっともっといろんな表情を見たいと思った。
「そしたらさ、俺クリフのこと好きなんだなって。恋人になれるんじゃないかって……いや、なりたいって思ったんだ」
 今までのクリフの憎まれ口やそっけない態度も、その気持ちの裏返しだったんだなって分かった。そう思ったら、もう何もかもが可愛く見えてくる。
「そんな……僕、ロビンに好きになってもらえるところなんて、どこにも……」
「だってお前、俺の事好きって言ってくれたじゃん」
「そ、そうだけど?」
「お前が俺の事好きって言ってくれたから、俺もお前のこと好きになった」
 どうしてこんなに言葉にするのが下手なんだろう。上手く伝わっているといいけど。
「そんなの、自分に気があるって分かった相手を、都合よく考えてるだけじゃないの」
 クリフはまだ信じていない。目を伏せて、ひざの上でぎゅっと手を握っている。
「そうかもしれねーけどさ、それじゃあダメなのか?」
「ダメっていうか……それって本当に僕のこと好きってことには……」
 魔道や勉強のことになるといつも自信満々なくせに、こういう事には弱気なんだな。
 俺はクリフの顔をじっと見つめた。クリフが視線を返してくれるまでに、少し時間があった。
クリフの赤くなったこの表情を見るときの俺のこの気持ち、なんて言えばクリフに伝わるんだろう。
「俺はな、お前が俺のこと好きだって言ったあの瞬間から、お前のことが可愛くて仕方ねえの」
 俺は思っていることをそのまま言った。カッコつけたセリフなんて思いつかない。俺の今のこの思いが、そのまま伝わればいいと思った。
「なっ……何言って……」
 クリフが狼狽える。また言い訳して逃げられると思った俺は、クリフの言葉をさえぎって続けた。
「好きだって言われたら嬉しいだろ。自分の事好きでいてくれる奴が、可愛く見えたらダメなのか?」
「ロ、ロビン……待って、待ってよ……」
 クリフが壁を作るみたいに、俺の目の前で両手を振った。俺が思わず離れると、クリフは襟元のループタイを握って、自分の身体を抱きしめるように背中を丸くした。

「それって、僕のこと本当に好きって言えるの?」
「言える」
 確かめられている。試されている。そう思った俺は、真剣に一言で答えた。
「告白されたら、誰でも好きになっちゃいそうな言い方……」
「お前俺のことなんだと思ってんだよ!」
 思わず声を荒げてしまった。クリフが目を丸くして驚く。そして、驚いた表情のまま小さく「ごめん」と呟いた。
「昨日、うまく返事できなかったのは悪かった……。でも、俺なりに考えたかったんだ。お前の気持ち、俺に受け止められるのかって」
 軽い気持ちで返事をしたら、クリフに失礼だと思った。今まで考えたこともなかった幼馴染からの告白に即答できるはずがない。もちろん、大切だからこそだ。でも。
「今朝、お前の寝顔を見て、昨日のことが全部夢だったらって不安になった」
 言うだけ言っておいて、起きたらいつも通りのクリフだったらどうしよう、気が変わってたらどうしようって思た。
 今さらなかったことになんてできない。今のクリフの気持ちを手放したくない。俺がもたもたしている間に、誰かにクリフのことを取られたくない。
 俺に対する言葉、表情。それを全部、逃がしたら絶対後悔するって思った。誰かに渡してたまるかって思った。

 俺はクリフの目をまっすぐに見て、祈るような想いで、言った。
「大事にするから……。俺のこと、信じてくれないか……?」
 クリフの目が、水を含んだ宝石みたいに光ったように見えた。
 どれくらいの時間見つめ合っていたかわからないけど、その間に何度も何度も心臓が鳴った。クリフが今にも泣きだしそうな顔で、絞り出すように言う。

「……キス、してくれたら、信じる」

 震える小さな唇からこぼれたその言葉は、確かに俺の耳に届いた。
 覚悟していたどの答えよりもちょっと大胆なクリフの返事に、今度は俺のほうが面くらった。
 今、ちょっとカッコ悪い顔してるかもと思ったら、自分で笑えてきた。
「俺、誰かにキスするのって、初めてなんだけど……うまくできるかな」
 クリフもつられて笑ってくれた。俺はクリフの頬に触れる。クリフが、頬に触れる俺の手に、自分の手を重ねた。
「……僕も、初めてだよ」
クリフの頬と手のひら。その柔らかさに初めて触れたような気がして、俺はもう一度覚悟を決めて目を閉じる。
 ああ、俺今どんな顔してるんだろう。クリフも目、閉じててくれてるかな……。
 考えているうちに、唇に柔らかいものが触れた。触れたらもっとドキドキして心臓が飛び出るんじゃないかって気がしていたのに、クリフの唇が重なったとたん、俺は急に安心して、身体の力が抜けるのがわかった。
 なんだこれ、すげえ……安心する。
 クリフの唇は震えていた。でも、すごく温かかった。全身が、クリフへの想いとクリフの想いで満たされるような気がした。

 どちらからでもなくお互いの唇がゆっくりと離れた。恥ずかしくて顔を見られないでいると、クリフが言った。
「……本当に、僕でいいの……?」
「……さっきからそう言ってるだろ」
 思い切って顔を上げてみる。クリフの表情とぶつかった。俺はその表情を見て、はっとした。
「どうしよう……うれしい」
 目じりに涙を浮かべた、とびっきりの笑顔だった。
 白い頬が桃色に染まっていて、とても綺麗だ。
 こんなに綺麗な笑顔は他の誰からも見たことがないとさえ思った。
 しばらく見とれていたら、クリフが俺の肩にもたれてくる。
「嬉しくてどうにかなりそう……」
 俺はクリフの肩を抱き寄せて、クリフのふわふわした髪に頬を寄せた。
「俺も……心臓ドキドキしすぎて、変な顔しちまいそう」
「あはは、なにそれ」
 クリフはくすくすと笑って、それからは何も言わなくなった。しばらく二人とも無言で肩を寄せ合って過ごした。
 すごく幸せだなと、思った。

 俺たちは手をつないで宿まで帰った。途中、クリフは何も話してくれなかったけれど、宿の門が見えてくるまではずっと手を握って、顔を赤くして俯いていた。
歩いている間ずっと、俺たちの周りになにか暖かい空気が漂っているような気がして心地よかった。

明日、俺たちはバレンシアへ帰る。その先のことは、まだ誰も知らない。



***


 僕はベッドにうつ伏せになって、身体の中の息を全部吐き切った。身体が熱い。まだ頬が火照っているような気がする。
 部屋のドアが開いて、足音が僕の眠るベッドに近づいてくる。
「クリフ」
 名前を呼ばれて、顔を上げた。アルムが心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫かい? グレイも心配していたよ。急に部屋を代わってくれなんて」
 僕は仰向けに寝返りを打って、額に腕を乗せて溜息をついた。
「大した理由じゃないよ」
「ロビンとケンカでもしたのかい?」
「そういうわけじゃないけど」
 どちらかというと、その逆だろうか。
「アルムと、ゆっくり話したくてさ」
 僕は苦し紛れにそう言い訳をした。本当の事ではあるけれど、一番の理由はロビンと同じ部屋にいるのがすごく気まずいからなんて、言えるわけがなかった。
 アルムは、そんな僕の下手な嘘を見抜いているかのように苦笑した。本当は何かあるんだろ?と言われているような気がする。
「アルム、バレンシアに戻ったら……セリカと結婚して、王様になるんだよね」
「そうだね」
 アルムが寂しそうに笑う。
「こんな風に話せるのも、あと少しなんだね」
「王という地位は、厳かなものだからね。……クリフは、城にいてくれるんだろう?」
「うん。とりあえず国情が安定するまではいろいろ手伝うつもり」
「よかった、助かるよ」
 ころんと、何かが首元に転がる感覚がした。触れて確かめると、ロビンが暮れたループタイの飾り石だった。
 僕は首からそのループタイを丁寧に外して、その琥珀色の石を眺める。
 その琥珀色の石の中に浮かぶ、羅針盤の模様を眺めた。

 僕たちは明日、港を発つ。
 バレンシアに帰って、アルムが王様になるのを見届ける。

 その先のことは、
 誰も教えてくれない―――――。











 最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
 少しずつ連載していたらとても長くなってしまいました。

 クリフは捻くれているけど素直になったら
 すごくかわいいんだろうなと思って書きました。
 ロビンは「すっげーいいやつ」だと思って書いています。

 ジェニーという、セリカ軍の子たちと交流することで、
 クリフとロビンの関係が変化する、そんな話が書きたかったです。
 長い付き合いの幼馴染だから、
 外からつっつかないと進展しないと思いまして。

 ジェニーがクリフと年齢が近いという噂と、個人的な趣味で
 彼女を多めに登場させました。
 クリフとジェニーの短編も書いてみたいし、
 今回登場させられなかった
 子たちとの絡みももっと書いてみたいです。

 クリフとロビンには支援Aの専用エンディングはありませんが、
 もしこの二人が恋人になったら
 二人の未来は少し変わるんじゃないかと思っています。

 そんなお話をいつか書きたいです。
 二次創作したいジャンルがいろいろあるので時間はかかると思いますが
 お待ちいただけると嬉しいです。
 
 読んでくださって本当にありがとうございました!


 あんちょ

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