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コンパスはおしえてくれない

9




「クリフ、おいクリフ」
 誰かが僕を呼んでいる声と、その声の主が肩をゆすっているのに気が付いた。同時にゆっくりと意識が覚醒する。
 どれだけ眠っていただろう。目を開けてロビンの様子を聞いてみようと思って目を開けた。
 
「ロビンの、声……?」
「クリフ……良かった、無事だったんだな」
 起き上がったら、ロビンと目が合った。僕、どれくらい寝ていたんだろうか。
 ぼんやりとした意識が徐々に覚醒してきて、自分を起こしたのが、今まで眠っていたロビンだということに気がつく。
「ろ、ロビン!? 目が、覚めて……」
「ああ、良かった……お前も元気そうで」
「なに、何言ってんだよ…、ロビン、自分が……!」
 僕がロビンが目覚めるのを待っていたはずなのに、いつの間にか立場が逆になっていた。
 僕は起き上がって、ロビンの顔をまじまじと見た。起きてる、生きてる、顔色もいい。思わずロビンの頬に触れて確認して、ホッとした。
「俺は大丈夫だよ。それよりお前は?怪我とかしてないか?」
「そ、そうやってロビンはいつも人のことばっかり!そういうところがお節介だって言ってんだよバカ!」
 人の気も知らないで、自分の心配よりもこっちの心配ばっかりして。
 本当にお人好しなんだから。
「でも、良かった……」
 こうして話ができることが、こんなに嬉しいとは思わなかった。
「……ありがとう」
 安心したら力が抜けた。ロビンの目の前で、僕は項垂れるような体勢になる。
「ん?」
「庇ってくれてありがとう……。あと、ケガさせてごめん…」
 ロビンの手が、僕の背中を優しくさすってくれた。これだと、どっちが患者なんだか分からない。
「いいって。……クリフ、頭上げろよ」
 ロビンがそう声をかけてくれた。
 僕は目に浮かんできたものを袖で拭って、ロビンのベッドから降りる。
 眠ってしまう前に座っていた椅子に腰掛け、改めてロビンと向き合った。
「僕がちゃんとロビンの言うこと聞いてれば……一緒に行動してれば、こんな事には……」
 こうなるまで分からなかった。自分の態度はただ意地を張った子どもみたいな態度で、はたから見たら、拗ねてへそを曲げて忠告から逃げただけだってこと。
 ロビンが正しいと認めて、言うことを聞くのが悔しかっただけだってこと。
「いいって……俺も、どうかしてた」
 ロビンの手が伸びてきて、優しく僕の頭を撫でてきた。指で髪を梳かれる感覚がくすぐったい。さっきから撫でられてばかりだけど、今はされてやることにした。
「俺、……焦ってたのかもな」
「え……?」
 ロビンが意外なことを言うから、僕は思わず聞き返していた。ロビンは僕の頭を撫でていた手を放して、膝の上で握る。
「お前がどんどん強くなってさ、俺なんかいなくても、ひとりで何人も敵、やっつけたりしてさ」
 ロビンの表情は寂しそうだった。
 仲間が強くなっていくのを見て焦っているという表情には見えない。
「女の子、庇って戦えるくらい強くなっちゃってさ。……正直、寂しくなったんだ」
 強くなる事と、誰かに寂しい思いをさせる事とが僕の中で結びつかない。
「俺、船で……ジェニーとお前が一緒にいるのを見てさ、なんだか、モヤモヤしたんだ」
 僕の心臓がどきっと高鳴った。ジェニーが、僕とジェニーの事を見てロビンがやきもちを焼いているかもしれないって言っていたことを思い出す。本当、だったんだろうか。
「それって、どういうこと……?」
 続きを促すと、ロビンは照れたように笑った。
「なんか、面白くなかった。ジェニーにお前を取られたみたいな気分になった」
 ロビンの口から出て来るのは、僕が今まで全く思いも寄らなかった事だった。
「グレイには嫉妬だって言われたんだ。弟みたいに思ってたお前がさ、俺の知らないところで、知らないやつと仲良くしているのを見て、悔しくなったんだ」
 ロビンは僕のことなんか、友達の一人としか思っていないと思っていた。悪い意味じゃない。ロビンの「大切な友達」の中に、僕も含まれているという自覚はあった。それでもロビンにとっては友達全員が平等で、僕一人に特別な思い入れなんて無いと思っていたのに。
「アルムは王様になるし、グレイはクレアと一緒になるだろ。……それに、お前まで俺から離れていくのかよって、勝手に寂しくなって」
「なん、だよ……それ」
 やっぱり、僕がジェニーとそういう関係になるんだって勘違いしていたんだ。ロビンは、僕とジェニーに嫉妬してくれていたんだ。
 それは嬉しいんだけれど、僕の本当の気持ちは、肝心の本人には全く伝わっていないとも言える。
「ごめんな、お前はお前なのにな。最初から俺のじゃない。……それなのに、いつまでも俺の弟みたいに思ってたら……ダメだよな」
「当たり前だろ、そんなの。……僕はロビンの弟じゃない」
「あはは、だよな」
 弟みたいに思ってくれていた事は素直に嬉しいけれど、同時に違和感もあった。
 ロビンのことが大切で、ロビンの傍にいられて、こうしてまた一緒に話せていることは嬉しいけれど、僕が欲しいのは、ロビンの弟分という立場じゃない。
「僕は……ロビンの弟になりたいわけじゃない」
「お前、そんなハッキリ言うなよ、傷つくなあ」
 ロビンが笑う。僕は首を横に振った。
「違う……弟なんかじゃ、嫌なんだ」
「クリフ……?」
 上手な言葉が見つからない。ロビンの目を見ると心臓が跳ねた。答えはもう出ている。あとは言葉にするだけ。
 僕は深呼吸をして、ロビンの目を、まっすぐに見た。

「僕は……ロビンの事が、好きなんだ」

「え……?」
 ロビンがきょとんとした顔でこっちを見ている。僕は震える唇で、別の言葉で言い直した。
「僕……ロビンの特別に、なりたい……」
 言った。言ってしまった。
 ああ、ジェニー後で覚えてろよ……僕をここまで焚き付けたのはジェニーだからな……!
 混乱して、ここにはいないジェニーに理不尽な責任転嫁をしながら、僕はロビンの反応を待つ。
 ロビンは呆気にとられたまま、口をぱくぱくさせながら言う。
「お前、そこまで俺のことを…?待ってくれ、俺だってクリフのこと特別だって思って……」
「そうじゃないっ!」
「じゃあなんだよっ」
 咄嗟に否定したら、ロビンの声も僕に合わせて大きくなる。焦った僕は言葉を選ぶ余裕がないまま続けた。
「アルムが……セリカを好きみたいに、グレイがクレアを好きみたいに……」
 読書好にしては拙いと思われる言葉で、僕はなんとか伝える努力をする。ぎゅっと締め付けられるように高鳴る心臓を抑えるために、僕は胸の前で毛布を握った。
「僕が、ロビンのことを……好き、なんだ」
 言い切って、大げさに息を吸い込んで吐いた。ロビンが何も言わないから無言の時間が過ぎる。ドキドキと心臓が高鳴るのを嫌と言うほど自覚させられて、僕はロビンの顔を見ることができずに俯いた。
「え、えええっ!?」
 ロビンが素っ頓狂な声を上げて自分の顔を指さす。そうだよ、僕はロビンのことが……。
「お前、知ってたか?俺男だぞ!?」
 僕はかぁっと顔が熱くなって、恥ずかしさに任せて声を張り上げた。
「し、知ってるよバカ!男とか女とか関係ないっ!僕はロビンのことが、いちばん…っ」
 言いながら、自分の声がどんどん大きくなっていること、とんでもない事を言おうとしていること、
「すっ……」
 そして、ロビンの顔が赤くなっていることに気づいた。
「………ごめん」
 恥ずかしさに居たたまれなくなって、その場から逃げだしたくなって立ち上がった。ジェニーがかけてくれた毛布が床に落ちる。冷えた空気に晒され、体が熱くなっていることを自覚した。
「待てよ!」
 部屋を飛び出そうとしたら、ロビンの手に捕まった。手首を掴まれ、僕はとっさに振りほどこうとする。
「は、放して……」
「あっ、痛ぇ!」
 ロビンの手を引っ張ると、ロビンが痛がって僕の手を放した。肩を抑えてうずくまる。
「ろ、ロビン……大丈夫?」
 まだ、背中の傷が痛むんだ。もう少し安静にしていないと。
 僕はロビンをベッドに寝かせて、毛布を掛けてあげる。そうして、枕元に落ちていた手ぬぐいを桶で絞り直して、額に乗せてあげると、そのまま手を握られた。
「ちゃんと言ってくれよ!お前の気持ち……ちゃんと聞きたい」
「な、何回言わせるの……」
「俺が分かるまで何度も聞く!」
 僕は唇を少し噛んで、ロビンの顔を見る。僕が乗せた濡れた手ぬぐいの下で、ロビンの目がまっすぐにこちらを見ていた。僕は深呼吸して、ロビンが僕の手を握るその手を、反対の手で握り返した。
「好き……」
 そのままロビンの手に額を乗せて、続けた。
「僕は……ロビンのことが、一番、好き……」
 こんな風にロビンのことを傷つけるまで気づかなかった。僕の中でこんなに、ロビンの存在が大きくなっていたなんて。
 ロビンは僕の言葉を聞いて、笑ってくれた。
「……ありがとな。……俺も、クリフのこと好きだぞ」
「あ、あのね……意味分かって言って……大体、僕男なんだけど」
 混乱して思わず聞き返す。今、ロビンは僕の事、何て言った……?
「分かってるって。お前が言ったんだろ。男とか女とか関係ない」
 ロビンの手がもう一重、僕の手の上に重なった。
「俺も、クリフの特別になりたい」
 ロビンの言葉が、染み渡るように僕の心に入ってきた。……嬉しい。胸が幸せで張り裂けそうだった。
 嬉しい。照れくさい。恥ずかしい。色んな思いが込み上げて、涙になって溢れた。
「ロビンの……ばかぁ…」
 同時にひどく安心して、一気に力が抜けた。僕はロビンの肩に顔を埋めて、泣き顔を隠す。
「ええっ、ちょ、なんで泣くんだよ!しかもバカとは失礼なっ」
 泣いてるのがばれていたらもう、隠れる気の無くなった涙が一気に溢れだした。
「ロビンがっ、ずっと……起きなかったらどうしようって…思って、僕…僕ッ……」
 嗚咽が止まらない。情けない、かっこ悪い。
「あー……ごめんな、気ィ失う予定じゃなかったんだけどさ」
 ロビンがこのままいなくなったらどうしようって、今まで考えたことが無かった。きっといつまでもロビンはここに居るんだって思っていた。
「よかった……本当に……」
 ロビンの手が、僕の頭をまた撫でてくれた。いつもは子ども扱いするなって怒るところだけれど、子どもみたいに泣いている僕にとっては、今はちょうど良かった。
「心配かけたな」
「う……ん……っ」
 僕は顔を上げて、袖で涙を拭った。勢いで色んな思いを一気に伝えてしまった僕の涙はなかなか収まらなくて、顔から袖を放すことができなかった。
 後ろで、部屋の扉が開く音がした。びくっと僕が肩を飛び上がらせると、ジェニーの声がした。
「ああああっ、ロビンくん…!良かった…!」
 ドアを閉めるのも忘れて、ジェニーが飛び込んでくる。一気に部屋に寒い空気が入り込んできて、僕は慌てて立ち上がってドアへ向かった。ジェニーに泣き顔を見られたくなくて、逃げたかった気持ちもある。
「ジェニー、お前も心配してくれてたのか?」
 ロビンが起き上がろうとするのをジェニーに制される。僕は冷たい風の吹きこむ扉を閉めて、もう一度袖で顔を拭った。
「当たり前でしょ!ロビンくんが気を失ってる間、クリフくんが大変だったんだからぁっ」
「ちょっと、ジェニーやめてっ」
「よかったああ、お祈り通じたのね。ふふ、クリフくん顔が真っ赤よ」
「う、うるさいな……」
 僕が口を挟む余裕もなく、ジェニーはロビンが目を覚ましたことを喜んでいた。それを見ていたら、僕が女の子に泣き顔を見られたことなんて、だんだんどうでもよくなってくる。
「クリフくん、はいどうぞ」
 ジェニーが、僕に新しく絞った手ぬぐいを渡してくれた。ロビンのために、新しい桶と手ぬぐいを持ってきてくれていたんだ。僕はジェニーから受け取ったそれを広げて、顔を拭いた。
 ひんやりと濡れた手ぬぐいが、泣き腫らした僕の顔を心地よく冷やしてくれる。

「お見舞い持ってきたんだけど、もういらないね」
 そう言って、ジェニーはロビンの机に花の鉢植えを置いた。スノードロップがかわいらしく二つ咲いた小鉢だった。
「ありがとう、置いておいてくれよ」
 ロビンが言った。
「分かった、置いておくね」
「それより腹減った~!なんか食いもんくれよ」
 寝かしつけられて、額に手ぬぐいを乗せて、花までお見舞いに持ってこられておいて、ロビンはそんな呑気なことを言った。
 僕とジェニーは顔を見合わせ、思わず吹き出す。
「ふふ、分かった。何かもらってくるね。皆にもロビンくんが起きたって知らせなきゃ」
 そう言うと、ジェニーは部屋を出るために、ドアの側に立っている僕の側まで来た。
「クリフくんも行こう!たくさんご飯運ばなきゃ!」
「え、う、うん」
 ジェニーに手を引かれて、僕はなし崩しにロビンを置いて部屋を出た。雪はもう止んでいたけれど、まだ寒くて白い息が出る。

「ロビンくんに気持ち、伝えられた?」
 ジェニーが僕の手を引いて小走りで食堂に向かいながら、ジェニーが僕を振り返った。
 僕は目を逸らして、ジェニーにだけ聞こえるように、小さく呟いた。
「……おかげさまで」
 それだけ言って黙ると、ジェニーはふふっと笑って視線を前に戻した。
 彼女のふわふわの髪が揺れる後姿を眺めながら、僕はすぅっと息を吸った。
「……ありがと」
 思ったより小さな声になってしまったそれが、ジェニーの耳に届いたかどうかは分からなかった。

 ロビンが気がついたと皆に知らせてからは、僕とロビンの部屋は仲間たちでいっぱいになった。
 皆でご馳走を持ち込んで、ロビンに好きなものを食べさせたり、祝いだと言って酒を飲んで騒いだりしていた。
 まだ怪我が痛むロビンがお酒を飲ませてもらえるはずもなく、ロビンは目の前で酒を煽るパイソンに文句を言いながらも笑っていた。
 僕はそんな騒ぎを眺めながら自分のベッドに腰掛けていた。
 枕元に、この町で買った本が置きっぱなしになっていたのを見つける。

 そういえば、この本の中に、スノードロップの言い伝えが載っていたっけ。僕は一度立ち上がり、床に座り込んで鶏肉を頬張っているグレイを避けながら、ロビンの机に置いてあるスノードロップの鉢植えを手に取った。
 それをもって自分のベッドまで戻り、自分の机にそれを置く。スノードロップのかすかな香りを感じながら、僕は本を開いた。
 本に載っているお話は、こんな感じのお話だ。


 雪には色が無かった。
 雪は草や花たちに色を分けてくれるように頼んだ。
 けれど、どの植物も自分の色を守ることしか考えず、色を分けてはくれなかった。
 嘆き悲しむ雪を憐れんだスノードロップが色を分け与えてくれた。
 雪はやっと色を得ることができた。
 だから雪は白いのだ。
 そして、雪に色を与えたスノードロップだけが、雪の中で咲くことができる花となった。


 そういうお話。
 周りのすべてを、何もかもを嫌ってしまった雪に唯一手を差し伸べてくれたスノードロップ。
 すべての植物を枯らしてしまう冷たい雪が、スノードロップだけは枯らさないその理由。
 その関係がどこか他人事ではなくて、僕は少し、この花のことが好きになった。

 僕は本を閉じて、ベッドに身体を投げ出すように倒れた。今度こそ眠かった。
 この時の僕は、ロビンに勢いで告白してしまった事も、そのことに対するロビンの返事がどうだったのかも考える余裕が無かった。
 それから、明日から僕たちの関係がどうなるのかも。

 仲間たちはまだ狭い部屋でロビンを囲んで騒いでいるけれど、僕の眠気はそんなものでは覚めなくて、いつの間にか本を落として、眠ってしまっていた。








次回更新はロビン視点の後日談となります
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