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コンパスはおしえてくれない






 フリアの港からテーベまでは一日半かかる距離だった。遺跡の入り口が見えたころにはすでに陽が傾いていたから、僕たちは遺跡のそばで野営を構えることになった。
 地盤の固い場所を選び、協力して就寝用の天幕を張っていく。最近はずっと船や宿で寝泊まりしていたから、天幕を張る作業も久しぶりだった。しかし、長い戦いの中でその手順は体にしっかりと刷り込まれていたようで、全員が手際よく完璧に今夜の寝床を築き上げた。
 それから、中央の天幕の側に作った広場で、僕たちは明日からのテーベ探索と魔物退治のための指示を受けた。
 全体をまとめるのはルカだ。僕らはルカの指示によって二つの隊に分かれる事となった。
 まずはルカが率いる先行部隊が遺跡に入る。その隊に、僕やロビン、グレイが配置された。後方部隊を任されたのはフォルスで、その隊にはアルムとセリカがいる。後方の部隊の主な仕事はもちろん、アルムとセリカを守ることだ。
 次期国王とその妃となるアルムとセリカは、この隊の中で最も守られるべき存在。
 本来ならこんなところに連れてくるべきではないのだけれど、本人たちが強く希望したこともあって、王として即位する前の、最後のわがままとして認められた。
 今、バレンシア大陸ではソフィア城を中心に国土の統一のための計画が進められている。アルムとセリカが帰るまでは、クレーベやセリカのお兄さんが政を整えてくれているらしい。
 帰ったら大忙しになるのは間違いない。アルムとセリカがこの遠征に参加したがった理由もなんとなく分かる。
 アルムやセリカとゆっくり話せる機会ももう残されていないから、同じ隊になれなかったのは少しだけ残念だけれど、先行部隊に配属された事は僕にとっては都合の良いこともあった。
 皆より一足先に遺跡の中へと足を踏み入れられる。僕は早く、あの中を見てみたいのだ。僕が解放軍に参加したのも、世界を見てみたかったという目的があったからだ。
 ひとつ、この配属に問題があるとすれば。僕のいる隊に配属された衛生兵、つまりは回復の魔法と救護を担当するシスターの一人がジェニーであることだ。彼女のことは嫌いではないけれど、僕が他人に知られたくないと思っていることを唯一知っている人間だ。というより、僕が気づかないふりをしていたことを僕に自覚させた張本人だ。
 同行されると、触れて欲しくない部分に触れられてしまう事に、いちいち身構えないといけない。
「同じ隊だね、クリフくん」
 その張本人がわざわざ僕のところへ、そう声をかけに来た。
 砂漠の砂を含んだ風が乾燥していて心地の良いものではなかったけれど、天幕の中にいるのは落ち着かなくて、僕は天幕の外に作った焚き木のそばで暖をとっていたところだった。
 ここは女性たちが詰めている天幕からは離れているはずだから油断していた。僕に声をかけるために、わざわざここまで来たのか……相変わらず考えが読めない。
「怪我をするようなヘマしないけどね。もしもの時はよろしく」
「ふふ、任せてね」
 そう言ってジェニーは、僕が腰かけている大きな岩に並んで座った。
 挨拶だけすませたらどこかに行くと思っていたのに。ジェニーは僕の顔を覗き込んで首を傾げた。相変わらず距離感の近い彼女から、僕はお尻一つ分離れる。
「あれから、どう?」
「何が」
「もう、分かっているくせに」
 わざと抑揚のない声で返した僕に対して、ジェニーはくすくすと楽しそうに笑う。僕は大げさに溜息をついて、この話題を心底避けたいと思っていることをアピールしてみる。
「ご期待に添えずに申し訳ないけど、君が期待しているような事は何もないよ」
「ふふ、じゃあ順調なのね」
 何でそうなるんだ。やはり一筋縄ではいかない。
「あのさ……言ったよね、僕は言うつもりないって。僕は誰とも今以上の関係になるつもりなんて無いんだよ」
「ええ~、そんなの絶対寂しいと思うけどなあ」
 何度この問答を繰り返せば気が済むんだ。船の上で僕が口を滑らせて以来ずっとこの調子だ。どうすれば諦めてくれるんだろうか。
「あれ、ジェニーじゃねーか」
 突然、僕のでもジェニーのでもない声が割って入ってきた。僕ははっとして口を噤む。振り返ると、天幕から出てきたロビンがこちらを見ていた。脇には薪を抱えている。
 しまった、今の話聞かれただろうか。
「ジェニー、明日はよろしくな」
 ロビンが笑顔で言う。ジェニーも、似たような笑顔を返して頷いた。
「あれ、お前ら最近仲いいなー」
 グレイがロビンに続いて天幕から出て来る。二人とも、天幕の中で寝床を組み立ててくれていたはずだから、僕たちの会話は聞かれていないと思いたいけれど。
「えへへ、仲良しなの。ね?クリフくん」
「そんなつもりはないけどね」
「もー」
 ジェニーは僕の肩を指でつついて文句を言う。……っていうか、ロビンが勘違いするからやめて欲しいんだけど。ジェニーも僕の気持ち知ってるくせに何してるんだか。やめて、という意思をこめてジェニーの目を見ると、ジェニーはにっこり笑って首を傾けた。
 ……もしかしてわざとか? 心底やめてほしい。
「ごめんな、コイツ素直じゃないから。思ってることちゃんと言えないんだよ」
 ロビンのその補完もなんかずれているし。助け舟になってない。
「ふふ、それはもう分かってるかも」
「やめて」
 ロビンとジェニーを制して、僕はもう一度溜息をついた。岩から立ち上がって、ロビンが脇に抱えている薪を受け取る。天幕から出してきたってことは前の戦いから溜めこんでいた備蓄の薪だろう。
 船で水気を吸っていないといいけれど。
 僕たちの天幕の前に作った焚き木に、いくつか薪を加えてみる。一緒に火を整えながらロビンがやたら僕の顔を見てくるような気がしたけれど、僕は気づかないふりをした。

 夜も更けてきたので、せっかく目の前に好奇心をそそる遺跡があるというのに半ばお預けのような状態で、僕たちは天幕へと入った。寝る前に少し遺跡の入り口を見に行ったらルカに捕まって、笑顔で「今日は休みましょうね」と制された。
 僕の行動が読まれているのか、たまたま見張りで通りかかったのか。おそらく両方だろうと思う。

 次の日、日が昇ると同時にいよいよテーベの地下迷宮へと入ることとなった。
 迷宮、と呼ばれるその遺跡は、砂を巻き込んだ風が舞い込むためか、入口が大きくえぐれていた。柱が倒れ、天井も壁もところどころが崩落している。太陽の光が降り注ぐ入口とは対照的にその奥は暗く、その先の空気が光を遮断しているようにさえ見える。
 地下へと続く迷宮なのだから、下の階層へは光は届かないものと考えた方が良いだろう。
「今回の目的は、この遺跡の視察です。我々の見聞を広めるとともに、領主からの依頼通り、浅い階層に沸いている魔物は掃討してください。難しく構える必要はありません。半日進めるところまで進み、そのあと引き返します」
 ルカの指示を一通り聞き、僕たちの隊はテーベの遺跡へと足を踏み入れた。
 地下迷宮最深部まで踏破するのが目的ではないとはいえ、半日なんて物足りないと僕は思った。思う存分見学してから帰りたい。危険が無かったら中で一泊してもいいくらいなのに。そうぼやいだら、ロビンとグレイが呆れたように「勘弁してくれ」と言った。
 遺跡の中に入るとすぐに辺りが暗くなった。振り返ると外は太陽の光に照らされていて明るいのに、こちら側まではその光は届かない。各々カンテラに灯りを入れて進む。
 僕は魔法を主な武器とする事もあり、先行部隊の中でも中央よりやや後方に配置された。前を歩く隊の明かりがぼんやりと集まって視界が開け、僕は洞内の様子を把握しやすかった。
 戦争中とは違って気の抜けたようにばらけている隊の足音に混ざって、震えるような息遣いが聞こえる。その声の主をたどってみれば、ジェニーが肩を震わせているのを見つけた。
 僕はジェニーの傍に寄って声をかける。
「……ねえ、大丈夫?」
 僕の声を聞いてジェニーが顔を上げた。僕と目が合うとほっとしたように笑う。
「う、うん……でも、なんだかここ…不気味ね」
 ジェニーの肩の震えがいくらかおさまった気がした。ジェニーはふぅ、と息を吐く。
「前にもいくつか、こういう薄暗い洞窟や遺跡を通ったことがあるから僕は平気」
「そうなんだ……私は慣れないなあ…。暗いところは嫌い」
「ジェニー達は大陸の東側を旅していたんだよね」
「うん……ドラゴンゾンビのいる洞窟とか……」
 ジェニーがそう言って押し黙る。多分一番怖かったところなのだろう。
「どんな所だろ。いつか大陸の東の方も旅してみたいな」
 確か大陸の東側には賢者の里やドーマの塔などもあると聞いているから興味があった。
 僕が興味を示すと、ジェニーは複雑そうに目を伏せた。
「ええ……私はやだなあ。帰ったらセリカ様と一緒にずっとお城にいたい……」
 話しながら歩いていたのもあったし、僕がじっくりと遺跡の壁を眺めながら歩いていたこともあって、僕たちはいつの間にか隊列の一番後ろにまでずれ込んでいた。
 いけない、戻ろう。そうジェニーに声をかけようと振り返ると、彼女の後ろに、人ではない、何か異形の黒い影を見つけた。
「ジェニー!」
「きゃあっ!」
 咄嗟に名前を呼んで彼女の腕を引っ張った。反対の手を翳して、ファイアーの魔法を放つ。そいつがなんなのかを認識したときにはすでに、黒焦げにしてしまっていた。動かなくなったゾンビが僕たちの足元に倒れて、ぴくりとも動かなくなった。
「……ただのゾンビだよ。大きな声出しすぎ」
「ご、ごめんなさい……」
 周りを歩いている仲間たちに声をかけられたが、大丈夫だと答えて、再び歩き始めた。
「やっぱり建物の中で出て来る魔物は怖いなあ」
「外で出るのとどう違うのさ」
 墓場や夜の森で遭遇する魔物やゾンビなんか、結構雰囲気出ると思うんだけど。
「だって、中だと逃げ場が無いもの」
 ジェニーは、今歩いている遺跡の壁や天井を眺めた。一小隊が通れる広さはあるけれど、暗いせいか天井が低く見える。前に左右を壁に囲まれた状態で魔物の大群と対峙した事があったけれど、確かにあれは手こずった。
「ああ、確かに屋内で囲まれると厄介だよね」
 僕にとって厄介なことっていうのは、屋内では味方に気を使って思い切り魔法が放てないことであって、魔物の大群自体はそう怖いものではない。
 こちらの動きを読み、生かすも殺すも、こちらの命を利用しようと動く人間のほうがよほど厄介だ。

「お前ら、大丈夫か?」
前方から隊列を逆走する影がった。声ですぐわかる。ロビンが戻ってきたのだ。
ロビンが心配そうに、僕とジェニーの顔を交互に見た。ロビンの顔を見るとどこかホッとしている自分に苛立つ。そして、その苛立ちが顔に出た。
「ロビン、持ち場ここじゃないでしょ。
 早速釘を刺すと、ロビンが肩をすくめて笑う。
「お前らが心配で戻ってきたんだ。ジェニーの悲鳴も聞こえたし」
 ジェニーが小さく、ごめんなさいと呟く。
「別に大丈夫だよ。また勝手に行動して……怒られるよ?こっちは僕がいるから余裕なんだけど」
「お前こそ、そうやって自分の力を過信してると痛い目みるぞ」
「大きなお世話だよ」
 心配してくれてるのにこんな態度しか取れないのは少し後ろめたいけれど、それでも素直に「ありがとう」と言えるほど僕は人ができていない。大体、ここで礼を言ったら自分が弱いみたいで嫌だった。
 さっきゾンビ一匹やっつけたときも、周りの皆は僕らの事を振り返りはしたけれど、全員「なんだゾンビか」って顔をして、後方を少し確認したらすぐ行軍に戻ったのに。
 なんでロビンはわざわざ戻ってくるんだ。
 戦争中もそうだ。同じ隊に配属されることが多かったとはいえ、ロビンは人に気を遣いすぎる。空気読めないくせに……変なところで聡いのだ。
 僕は黙って、隊列の一番後ろを歩いた。ロビンも僕と歩調を合わせて歩き始めたけど、無視することにした。
 僕とロビンの間でジェニーが気まずそうにしている。
 もう後ろは大丈夫だから、さっさと元の持ち場に戻ればいいのに……。

 なんだか……元に戻っている気がする。昔の頃みたいだ。
 僕は子どもの頃から、ロビンの事が苦手だった。嫌いだったわけじゃない。
 合わなかったんだ。
 僕は一人でいるのが好きで、部屋で本を読むのが好きで、ロビンはその逆だった。
 人が大勢いる場所へ、引っ張り出そうとするのだ。友達として仲間に入れてもらえることは嬉しいことだって、なんとなく分かってはいたけれど、僕みたいな捻くれた奴にまでこまめに声をかけることのできるロビンが、同時に羨ましかった。
 町の学校に通うようになってから少しの間は、村の友達とは疎遠になっていたけれど、戦争をきっかけに学校が休みになり、村に帰ってきたときは、まるで長い間会っていない事が嘘かのようにロビンが歓迎してくれた。
 どうしてそんなふうに明るく、誰とでも仲良くしようって思えるんだろう。僕にはそんなふうにできない。そう思ったら、ますますロビンと一緒にいるのが辛くなって、突き放すような態度をとっていた。
 戦争が終わりに近づいたころ、何かのきっかけでロビンにそのことを打ち明けることができてからは、僕なりに普通に、仲良く話せていたと思ったのに。
 これじゃあ、また……。
 僕の思考はより複雑な方向へと捻じれていったけれど、次の瞬間、僕の意識は現実へと引き戻された。

「皆さん、前方からスケルトンの群です!」

 はっとして、顔を上げた。
「数は十!」
 前方からルカの声が響いていた。隊列の先頭からこちらまでは少し距離があると思ったけれど、建物の中だからよく声が響く。
 安全に探索が終わるなんて思ってはいなかったけれど、やはり魔物が出るというのは本当だったのだ。
「クリフ、あんまり前に出すぎるなよ!」
 ロビンがジェニーの目の前に手を翳して、彼女に下がるように促す。……後からこっちに来たくせに、何で僕より先にジェニーを庇ってるんだか。
「分かってるってば。人より自分の心配したら?」
 この位置は隊列の後方だったけれど、すぐにそんなこと関係なくなった。魔物は一度湧き出るとその後の出現場所はあまり読めない。暗闇から突然沸いて出るような気さえする。振り返れば既に足元を狙われている事もある。
 僕とロビンはジェニーを背中で庇って、闇から飛び出るスケルトンを討った。
 ほとんどの魔物は前方のルカたちが倒してくれているはずだけれど、それでも僕たちの周囲を囲む闇にまぎれてこちら側にも滑り込んでくる。
 ジェニーも黒魔法で加勢してくれたけれど、彼女の魔法はシルクが使う魔法と同じで、体力の消耗の激しい強力な魔法ばかりだ。回復が必要なときに体力を温存しておいてほしい彼女に、スケルトンごときの相手なんか、なるべくさせたくはなかった。
「ロビン!」
「わかった!」
 僕は片手でジェニーの腕を掴んで魔法を使うのをやめさせ、天井に向かってファイアーの魔法を放つ。ロビンがその火の玉をめがけて矢を放つと、僕の炎をまとった矢が天井に突き刺さった。
 それを火種にして僕はさらに魔法の威力を高める。周囲が明るくなり、魔物たちが焼ける音と断末魔がこだました。

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