このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

見えない鎖

ドンッ

部屋に入ったすぐにトラップがあった。
足元に無造作に置かれた木製のバットに気付けず、踏んで転んでしまったのだ。

「イタタ…あ。」

思い切りついてしまった手のひらが少し痛むが、そんなことより目の前の景色にぎょっとした。
かなりの至近距離にトド松。
目をギュッと瞑っていた。

「あぁ、すまない。転んでしまった。」
「…はあ、びっくりしたぁ。」

そう言いながらトド松は目を開く。

「って、はやくどいてよ。」

恥ずかしさや焦りで考えるに至らなかったが、そういえばこの体制は少し背徳感を感じる。
転んだ瞬間、なにかにぶつかったような気がしたが、それがきっとトド松で、もろとも床へ倒れてしまったのだろう。

「急に現れて急にコケるから受け止めきれなかったんだけど。ほらはやくどいて。」

トド松がオレの肩をぽんぽんぽんと叩く。

「あ、あぁ…」

これはもしかして、「押し倒した」体制ではないだろうか。
普段関わることのないこの体制が、こんなにも強引かつエロティックなものなのかと感心する。
現に顔が至近距離にあり、力で押し返されてもきっと押し勝てるであろう体制で、なんというか、気分が良い。
それはきっと、押し倒した相手が他でもない、トド松であるということがまた。

「トド松…あの、もう少しこのままでもいいか?」
「は?どういう意味?え、まじでどういう意味??」
「いや、すまん。」

至福の時を一時中断し、ゆっくり起き上がった。
やはり押し倒されている側は居心地が悪いのだろうか。

「てか十四松兄さんこんなとこにバット置いたままで危ないねぇ。こっち立てかけとこ。」

トド松は壁際へバットを立てかけた。

「なあトド松。もう一回いいか?」
「なにが?」

トド松をオレの目の前へ連れ戻し、肩に手を置くと、そのままゆっくり後ろへ倒した。

「んぇ、」

油断していたようで、あっさりと後ろへ倒れてくれた。
しかしドサッとトド松は背中から勢いよく倒れたためオレの体重が乗らず、座ったままになってしまった。
これは…おそらく寝かしつけだ。

「いやなにしてんの?」

赤子のように転がったトド松が迷惑そうに顔をしかめる。

「ちょっと違ったっぽい。もう一回起きてくれ。」
「ほんとに何しようとしてんの?さっき転んだとき頭でも打った?」

肩に置いたままだった手をそのまま引き上げる。
またもや簡単に起き上がらせられた。
間髪を入れず次を実践する。
今度はもう少し速く、自分の体重もうまく乗せていく。

「おぉ、こうか。」

上手くいった。
トド松はさっきよりかは力を入れていたがそんなものは程度が知れていた。

「もう!なに!!」

片方の肩を押さえつけられ、片方は手首を抑えられ身動きできなくなったトド松が思いっきりオレを睨んだ。

「ふっ、やっぱりなんかドキドキするな。」
「ヒッ」

きっとこれが女であれば、
次に始まることは1つで、期待と興奮にドギマギすることだろう。
同じことをトド松にも思っているのか?と考えたとき、トド松が身をよじったため肩に置いていた手がズルリと上方へ滑ってしまった。

「うぉっぷ。」
「ぎゃ!」

そのまま腕の力も抜けてしまい、バサ、とトド松の上に覆いかぶさる形になった。
…半分ラッキー、半分わざとだが。

「ちょ、重たいって!」

トド松の耳の横に顔を埋めるような形になったため、
匂いがよく届く。
かすかに甘い匂いだ。
シャンプーか、とれかけの香水か。
鼻腔から脳みそをくすぐる。
どうにかなりそうだった。

「トド松…」

手首を抑えていた手を手のひらへ移動させ、指を絡める。
絡め返してこないものの、無理に離されたりもしない。

「うえー、耳元で喋んないで。てか立てないの?」
「あ、あぁ、なんでだろうな、立てない…」
「ふーん。」

本当は立てるが嘘をついた。
なんでだろうか、立ちたくない、が本音だったが。
そのとき、オレの背中に重量を感じた。
トド松の腕らしい。

「カラ松兄さんもこんなときあんだね。自分しか興味ないと思ってたんだけど。」

トド松の手のひらがゆっくりと背中を這う。
さっきより優しそうな声が脳に滲みる。

「なんなのか知らないけど、甘えたくなっちゃったんだねー。よしよし。」
「オレは子どもじゃないぞ。」
「知ってるよ。」
「その…嫌じゃないのか?」
「んー、まあ今誰もいないしいいよ。重いけど。」

突然優しくなったトド松に、少しだけ恐怖を覚えた。
得体の知れない優しさは、人を怯えさせる。
どうして優しくしてくれるのか問いたくなる。
ただ身を委ねさせてもらっている以上、余計な詮索をしては失礼だ。
じゃあオレが『コレ』をしたい訳は?
心地良い体温とトド松の腕による締め付けに酔い、あまり考えないこととした。
もう、起き上がろう。
きっとこのままでは、本当に離れられなくなりそうだ。
肉体的にというよりかは、精神的に。
最後に甘い香りが恋しくなり、意識的に少し強く息を吸って脳みそへ送り込んだ。
少しくらっとして気持ちが良かった。

「…よっと。」

手に力を入れ、体を起こす。
トド松の手がぱっと離れ、背中も軽くなる。

「もう大丈夫?」

ばち。
微笑を浮かべながら訊ねるトド松と目が合った。

「大丈夫だ。」

無理に口角を上げた。
もう残っていないはずの甘い匂いや、体温や背中に乗った腕の感覚が再び脳を駆ける。
胸の奥がくすぐったいような、息苦しいような感覚に陥る。
そこからはもう、本能というのか我儘というのか、名前も知らない衝動で動いていた。

目を瞑ったため、全身に唇の感覚が染み渡る。
きっと、誰にも渡したくなかった。
それだけだ。
また、離れられなくなった。

ぐ、と体を前から押される感覚で我に返る。

「…何考えてんの…?」

軽蔑した目。
体を押される感覚は、トド松がオレの胸を引き剥がすように押したからだった。
目の奥にさっきの優しかったトド松の片鱗を探すが、簡単には見つからなかった。

「調子乗りすぎ。」
「…すまない。」
「謝って欲しい訳じゃないんだけど。」

体を起こすオレに合わせてトド松も起き上がる。
お互いに目は逸らさない。
完全に起き上がった瞬間、トド松の腕が首に回り、ガッと引き寄せられた。

「絶対許してあげないから。こんなこと、ボク以外にしないで。」

耳元で囁かれたそれは、優しい声とも冷たい声とも違った。
新しい刺激にまた脳はピリつく。
腕は解かれた。
もう、目は合わない。

「あぁ、約束する。」

だからお前も、とは言えなかった。
きっとオレとトド松のソレは同じではない。
ただどちらも、外にバレてはいけない、兄弟だからというそんな言葉では片付けられないモノなのだろう。
ガラガラ、と玄関が開く音がした。
いつの間にかトド松にはそれなりに距離を取られていた。
何事もなかったようにスマホを操作し始めたその横顔は、しばらく見つめてみてもこちらを向くことは無かった。
1/1ページ
    スキ