わんこと始める恋愛方程式
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彩は肩にかかるほどの髪を耳にかける。彼女の足元で、行儀よく「お座り」をした犬が、わん、と鳴いた。それから、彼女は一つ、溜息を零した。
土曜日の朝。暫く雨続きだったことは嘘のように空は晴れ上がり、彩はこれ幸い、と散歩に出かけた。ようやく大学生になったものの、最近はレポートに講義に研修にと大忙しだったから、彼女もどこかで息抜きをしたいと思っていたのだろう。お気に入りのイヤホン。大好きなアーティストの曲がたくさん入ったスマートフォン。それから、万が一のために、と小銭入れ。彩は至って軽装で、ようやく陽射しに恵まれた街に繰り出した。
繰り出した、はずだったのだが。さっきから可愛い顔をした犬が彩から離れようとしない。彩は、犬が苦手なタイプではない。だがしかし。さすがにこれではどこにも行けない。飼い主はどこなのだろうか。
「人懐っこいのは有難いんだけどなあ…スタンダードプードルかなぁ」
彩は力なく呟いて、犬の頭を撫でてやる。撫でられた方の犬は機嫌良さげにもう一度わん、と鳴く。元々動物アレルギーのきらいがある彩だったが、気付けば自らに懐いてくれる犬に夢中になっていた。彼女は耳に付けたままにしていたイヤホンを外す。それをスマートフォンに巻き付けて、ポケットの中に仕舞った。
「キミ、どこから来たの。名前、なんていうの」
「わん!」
「うーん、わん、じゃ分かんないなあ」
彩はそう言って笑う。犬もどこか嬉しそうにわん、わん、と鳴いた。迷子タグとかあればキミのお家に帰れるんだけどね、と独り言のように呟きながら、彼女が優しく犬の頭を撫でてやると、その言葉が分かるかのように茶色い毛玉が彩の足に擦り寄った。
と、そのとき。
「す、すいません!」
よく通る、ちょっとハスキーな低い声。あれ、どこかで聞いたような。そんなことを考えながら、彩は声のした方を振り返った。そこにいたのは帽子と眼鏡を着けた細身の男。男は、かなり慌てた様子で彩──と犬──に近付いてきた。
「ごめんなさい、散歩してる途中でどこいったか分かんなくなっちゃって」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
深々と頭を下げる男に、彩はやめてください、と手を振った。
「謝って頂くほどのことじゃありませんから!」
「本当、すいません…ありがとうございます」
男はもう一度ぺこりと頭を下げ、飼い主との再会に喜ぶ犬の頭を撫でてやった。そんな姿を見て、彩は憧れのあの人を思い出す。動物──特に犬──が大好きで、動物たちからも好かれちゃうような、カッコよくて優しい人。そういえば彼も、「オーストラリアン・ラブラドゥール」というスタンダードプードルによく似た犬種の犬を飼っていたはずだ。だから尚更重なって見えるのだろう。彩は自然と口許に笑顔を浮かべ、会釈をしてからその場を去ろうとした。
「あの、」
「え?」
男は彩を呼び止めた。彼の顔には、先程までのような焦りはもう滲んでいない。全てを包み込むような優しい笑顔で、男は口を開いた。
「本当に、ありがとうございました。この子もかなりあなたに懐いていたみたいで…」
「ああ、いえいえ。また飼い主さんと出会えて安心しました」
「それで、日を改めることにはなってしまうんですけど、お礼をさせて貰えませんか?」
彩は面食らって、暫く言葉を返せずにいた。男は小首を傾げて、大丈夫ですか、なんて問いかけている。
「いやいや!お礼なんてとんでもない…!大したことしてませんから!」
「何言うんですか、大したことですよ。あなたがいてくれなかったら、今頃この子には会えてませんからね」
男は、はにかむように微笑んだ。彩はその笑顔に一瞬ドキリとして、慌てて目を逸らす。彩がずっと前から憧れていたあの人の笑顔に、男のそれはよく似ていた。この人の笑顔を、もっと見ていたい。ような、気がする。そんな気持ちが、彩の頭を縦に振らせようとする。
「ねえ、どうでしょうか」
「すいません…じゃあ、お言葉に甘えて」
彩の言葉に、男はパッと顔を綻ばせる。邪気のない優しい笑顔に、彼女の鼓動は加速する一方だった。
「良かったあ、あっ、連絡先交換しても大丈夫でした?」
「……え?ああ、はい」
どこか上の空になってしまう自分を叱咤しながら、彩はスマートフォンを取り出した。LINEでいいですか、大丈夫ですよ。そんな他愛のないやり取り一つ一つに、彼女の胸は悲鳴を上げそうなほど高鳴っていた。
「じゃあ、私がQRコード読み取りますね」
「はい、お願いします」
男のスマートフォンに表示されたQRコードに、彩はスマートフォンのカメラをかざす。無事にそれは読み取られたようで、すぐにその男のものと思われる名前とアイコンが表示された。
“稲葉浩志”
「……………え?」
「あれっ、読み取れませんでした?」
彩の思考は完全に停止しようとしている。
彩は、その名前にとても見覚えがあった。
そう、稲葉浩志。稲葉浩志である。
日本が世界に誇る伝説的モンスターバンド、B'zのボーカルである、稲葉浩志。
彩が憧れている大好きなアーティスト──B'zのボーカルだ!
いやいや、本人だと決まったわけじゃないだろう。勝手に納得し、彩は「追加」と表示されたボタンをタップする。
「追加、しました」
「はーい」
大人しく待ってくれている犬の頭をそっと撫でて気を紛らわす。可愛いなあと現実逃避じみたことを考えていると、頭上から優しい声が降りてきた。
「じゃあ、ひかるさん、でいいのかな」
彩は男の方を見る。まだ頬は熱を持っているし、心の臓もうるさい。彼女は、それらを全部無視するように、男の質問に頷いて答えた。
「あの、お名前、なんですけど」
「うん?」
「稲葉さんって、あの稲葉さんですよね…?」
男はちょっとしてから、困ったように笑った。
「そうですね。恐らく、その稲葉です」
「え、いいんですか、こんな連絡先なんて貰ってしまって」
「いいんですよ、僕の意思でしたことですから」
そう言って、稲葉は微笑む。
「気軽に下の名前で呼んでください」
「えぇッ、そんな、畏れ多いですよ!」
「大丈夫ですって。あ、そうそう、“こうし”ってね、芸名なんですよ」
「…え?そうなんですか?」
上手いことはぐらかされてしまった、と思いながらも、彩は稲葉の話に耳を傾けた。聞けば、相方でありリーダーである松本孝弘の“たかひろ”と稲葉浩志の“ひろし”がややこしくならないようにした結果なのだとか。
「だから、“ひろし”って呼んでください」
「え、ええ……本当に大丈夫なんですか?」
「そう言ってるじゃないですか。あなたと一緒にいるときくらい、仕事のことを忘れてもバチは当たらないでしょう?」
「そりゃあ、そうですけど……」
まあ、「お礼」とやらが終われば関係もなくなるだろうし、いいか。彩はゆっくりとその名を口にした。
「浩志 、さん」
「はい、これからよろしくお願いしますね、彩さん」
そう言ってはにかむ稲葉は、今までに見たことのないような柔らかな表情だった。
土曜日の朝。暫く雨続きだったことは嘘のように空は晴れ上がり、彩はこれ幸い、と散歩に出かけた。ようやく大学生になったものの、最近はレポートに講義に研修にと大忙しだったから、彼女もどこかで息抜きをしたいと思っていたのだろう。お気に入りのイヤホン。大好きなアーティストの曲がたくさん入ったスマートフォン。それから、万が一のために、と小銭入れ。彩は至って軽装で、ようやく陽射しに恵まれた街に繰り出した。
繰り出した、はずだったのだが。さっきから可愛い顔をした犬が彩から離れようとしない。彩は、犬が苦手なタイプではない。だがしかし。さすがにこれではどこにも行けない。飼い主はどこなのだろうか。
「人懐っこいのは有難いんだけどなあ…スタンダードプードルかなぁ」
彩は力なく呟いて、犬の頭を撫でてやる。撫でられた方の犬は機嫌良さげにもう一度わん、と鳴く。元々動物アレルギーのきらいがある彩だったが、気付けば自らに懐いてくれる犬に夢中になっていた。彼女は耳に付けたままにしていたイヤホンを外す。それをスマートフォンに巻き付けて、ポケットの中に仕舞った。
「キミ、どこから来たの。名前、なんていうの」
「わん!」
「うーん、わん、じゃ分かんないなあ」
彩はそう言って笑う。犬もどこか嬉しそうにわん、わん、と鳴いた。迷子タグとかあればキミのお家に帰れるんだけどね、と独り言のように呟きながら、彼女が優しく犬の頭を撫でてやると、その言葉が分かるかのように茶色い毛玉が彩の足に擦り寄った。
と、そのとき。
「す、すいません!」
よく通る、ちょっとハスキーな低い声。あれ、どこかで聞いたような。そんなことを考えながら、彩は声のした方を振り返った。そこにいたのは帽子と眼鏡を着けた細身の男。男は、かなり慌てた様子で彩──と犬──に近付いてきた。
「ごめんなさい、散歩してる途中でどこいったか分かんなくなっちゃって」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
深々と頭を下げる男に、彩はやめてください、と手を振った。
「謝って頂くほどのことじゃありませんから!」
「本当、すいません…ありがとうございます」
男はもう一度ぺこりと頭を下げ、飼い主との再会に喜ぶ犬の頭を撫でてやった。そんな姿を見て、彩は憧れのあの人を思い出す。動物──特に犬──が大好きで、動物たちからも好かれちゃうような、カッコよくて優しい人。そういえば彼も、「オーストラリアン・ラブラドゥール」というスタンダードプードルによく似た犬種の犬を飼っていたはずだ。だから尚更重なって見えるのだろう。彩は自然と口許に笑顔を浮かべ、会釈をしてからその場を去ろうとした。
「あの、」
「え?」
男は彩を呼び止めた。彼の顔には、先程までのような焦りはもう滲んでいない。全てを包み込むような優しい笑顔で、男は口を開いた。
「本当に、ありがとうございました。この子もかなりあなたに懐いていたみたいで…」
「ああ、いえいえ。また飼い主さんと出会えて安心しました」
「それで、日を改めることにはなってしまうんですけど、お礼をさせて貰えませんか?」
彩は面食らって、暫く言葉を返せずにいた。男は小首を傾げて、大丈夫ですか、なんて問いかけている。
「いやいや!お礼なんてとんでもない…!大したことしてませんから!」
「何言うんですか、大したことですよ。あなたがいてくれなかったら、今頃この子には会えてませんからね」
男は、はにかむように微笑んだ。彩はその笑顔に一瞬ドキリとして、慌てて目を逸らす。彩がずっと前から憧れていたあの人の笑顔に、男のそれはよく似ていた。この人の笑顔を、もっと見ていたい。ような、気がする。そんな気持ちが、彩の頭を縦に振らせようとする。
「ねえ、どうでしょうか」
「すいません…じゃあ、お言葉に甘えて」
彩の言葉に、男はパッと顔を綻ばせる。邪気のない優しい笑顔に、彼女の鼓動は加速する一方だった。
「良かったあ、あっ、連絡先交換しても大丈夫でした?」
「……え?ああ、はい」
どこか上の空になってしまう自分を叱咤しながら、彩はスマートフォンを取り出した。LINEでいいですか、大丈夫ですよ。そんな他愛のないやり取り一つ一つに、彼女の胸は悲鳴を上げそうなほど高鳴っていた。
「じゃあ、私がQRコード読み取りますね」
「はい、お願いします」
男のスマートフォンに表示されたQRコードに、彩はスマートフォンのカメラをかざす。無事にそれは読み取られたようで、すぐにその男のものと思われる名前とアイコンが表示された。
“稲葉浩志”
「……………え?」
「あれっ、読み取れませんでした?」
彩の思考は完全に停止しようとしている。
彩は、その名前にとても見覚えがあった。
そう、稲葉浩志。稲葉浩志である。
日本が世界に誇る伝説的モンスターバンド、B'zのボーカルである、稲葉浩志。
彩が憧れている大好きなアーティスト──B'zのボーカルだ!
いやいや、本人だと決まったわけじゃないだろう。勝手に納得し、彩は「追加」と表示されたボタンをタップする。
「追加、しました」
「はーい」
大人しく待ってくれている犬の頭をそっと撫でて気を紛らわす。可愛いなあと現実逃避じみたことを考えていると、頭上から優しい声が降りてきた。
「じゃあ、ひかるさん、でいいのかな」
彩は男の方を見る。まだ頬は熱を持っているし、心の臓もうるさい。彼女は、それらを全部無視するように、男の質問に頷いて答えた。
「あの、お名前、なんですけど」
「うん?」
「稲葉さんって、あの稲葉さんですよね…?」
男はちょっとしてから、困ったように笑った。
「そうですね。恐らく、その稲葉です」
「え、いいんですか、こんな連絡先なんて貰ってしまって」
「いいんですよ、僕の意思でしたことですから」
そう言って、稲葉は微笑む。
「気軽に下の名前で呼んでください」
「えぇッ、そんな、畏れ多いですよ!」
「大丈夫ですって。あ、そうそう、“こうし”ってね、芸名なんですよ」
「…え?そうなんですか?」
上手いことはぐらかされてしまった、と思いながらも、彩は稲葉の話に耳を傾けた。聞けば、相方でありリーダーである松本孝弘の“たかひろ”と稲葉浩志の“ひろし”がややこしくならないようにした結果なのだとか。
「だから、“ひろし”って呼んでください」
「え、ええ……本当に大丈夫なんですか?」
「そう言ってるじゃないですか。あなたと一緒にいるときくらい、仕事のことを忘れてもバチは当たらないでしょう?」
「そりゃあ、そうですけど……」
まあ、「お礼」とやらが終われば関係もなくなるだろうし、いいか。彩はゆっくりとその名を口にした。
「
「はい、これからよろしくお願いしますね、彩さん」
そう言ってはにかむ稲葉は、今までに見たことのないような柔らかな表情だった。
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