このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

きめつ

暖かい日差しが差し込むとある部屋。文机に向かい書簡をしたためている炭治郎の背にもたれかかるようにして伊之助は座っていた。

あったけぇ。
春の陽だまりのようだ。

羽織を着ている炭治郎は体質的に平熱が高く、それ越しでもしっかりと温もりが伝わる。触れたところがじんわりと暖かい。開け放った縁側からは秋という季節にも関わらずぽかぽかとした暖かい陽光が差し込み伊之助の足下を暖めていた。

手紙を書く炭治郎は好きだ。
墨の匂いに、筆を走らせる音、紙をめくる心地良い音。うーんと何かを考えている時にもらす小さく優しい声。
炭治郎は筆まめで、手紙のやり取りをしている人間が沢山いる。俺は多少の読み書きはできるようになったがまだ手紙をすらすらと読んだり書いたりできるほどじゃないし、何よりそんな面倒くさいものよりも直接会って話せばすぐ済むことなのに、手紙の意義が分からない俺は文を書いたことはない。

目を閉じる。柔らかい眠気の気配がする。
山で生活していた時はよく、日なたの草の上にごろごろと寝そべって、昼寝したり、拾ったどんぐりや薬草をくるくると日に当てて観察したりしていた。
たまに兎やリスが俺の腹の上に乗ってきてくすぐったくて目を覚ましてたな。
もう何年も昔の話だ。

あの山ももう、自然の力で形を変え、慣れ親しんでいた植物や動物、寝床にしていた木の穴なども、まったく違う形になっているだろう。

最終決戦が終わり、無惨に打ち勝ったが、失った代償は大きかった。戦友を亡くし、師を亡くし、生き残った隊士も身体を著しく欠損していた。
誤算だったのは、無惨を葬った後も、無惨の支配を逃れていた何体かの鬼が生き残り、人を喰うために襲う事件が続いたことだ。鬼殺隊の隊員は半分以下に減ってしまったが再集結をして鬼狩りを続けていた。
今いる鬼の個体は弱く、血気術を使うものも少ないため、このまま鬼狩りを続ければ根絶やしになる未来もすぐに来るだろう。



「伊之助、」

聴き慣れた優しい声音で呼ばれて起き上がる。
きみに、と何かを手渡される。
文だ。
俺からしたら所狭とミミズののたくったような字が連なっているだけの紙だ。


「いらねぇ」
そう言うと適当にぐしゃっと丸めてぽいとその辺に捨てた。

「ああっ!」
それを見てがっくりと肩を下げる炭治郎。 

「俺に手紙なんか書くな。伝えたいことがあるなら直接言え。こんなの意味がねえ、まどろっこしいことしてんじゃねえ!」

明日いつ死ぬとも分からない身なんだ、そんなことしてたら日が暮れる。俺はお前の側にいる、だから直接言ってくれ。俺はすぐ返事を言うぜ。

そう言いながら炭治郎の肩にあごを乗せて抱き付くようにすれはば、とても優しい笑顔でそれに返す両手、それこそ陽だまりのように暖かい手のひら。


「ずっと伊之助のことを愛してる。そう書いたんだ」

伊之助の肩に顔をうずめ、ずっとと繰り返す。その言葉がとても意味があるというように。
そして俺はニカっと笑ってすぐさま答えた。


「俺も愛してるぜ、権八郎!」




****


無惨を倒してからは、俺と善逸は炭治郎と禰豆子の生家で暮らすことにした。色々不便になった炭治郎の助けになりたいと皆思ったのだ。
善逸と禰豆子は祝言を挙げ、しばらくして禰豆子の腹に赤ん坊ができた。それを聞いた俺は飛び跳ねて喜んで障子を戸ごと突き破り、善逸に叱られた。
炭治郎は引退し、炭を焼いて生計を立てていた。善逸はまだ残賊の鬼狩りをしていて、禰豆子がいるのだから無茶はするな、と炭治郎や俺から言われていたが、善逸の実力は凄まじいもので最近はほとんど無傷で帰ってくる。


ーあざの出来た者は、齢二十五を前に死ぬ。

最終決戦後に冨岡に聞かされた時は絶望した。あまりにも残酷だからだ。一番努力をして、一番優しくて、一番失った悲しみを背負う男が一体何をしたっていうんだろう。

俺は鬼殺隊を辞め炭治郎の側にいることを決めた。薪割りの時も炭を焼く時も常に一緒に行動する。孕婦の禰豆子を気遣って、料理や家事もできるようになった。ありがとう、と兄妹に言われると、ホワホワとした気持ちがあふれる。今の俺はこの気持ちの正体が分かる。

夜になれば身体を重ねる。心臓の音、発汗した肌、ぬくもり。生きていることを確かめるように幾度となく重なり合いまぐわった。
熱いかたまりが俺の中に入る時、うめく俺に覆い被さり、俺の額に張り付いた汗を拭いながら、いたわるように優しい接吻をくれるのだ。

「伊之助は変わらないな」

行為が終わり、お互いの汗と精を清め、裸のまま抱き合っていると、炭治郎が伊之助の髪をときながらつぶやいた。

「そうか?俺の体はデカくなったし前より強ぇよ」

炭治郎よりは大きくなれなかったが、俺も大分上背が伸びた。
出会ったばかりの俺は、山から出てきたばかりで、力比べしか考えのない、世間知らずで無鉄砲、良く死ななかったもんだと考える。
炭治郎や善逸たちと出会い、鍛錬し、人の心を学び、幾度と無く辛い別れを経験しながら、今がある。
そう言うと、うん、うん、と涙目で俺の手を握ってきやがる。お前こそ出会った時と変わらねえ。

「でも俺は、あの頃の伊之助と今の伊之助は同じだって思うよ。強さとかじゃなく、心の奥の方」
そう重ねていた手を俺の胸の上に置く。

「真っ直ぐで純粋で濁りがない透き通った水みたいだ。とても綺麗だよ。俺はその匂いを頼りに、また君に会いに来るよ」


そんな言葉が欲しいんじゃねぇ。
愛している、俺は死なない、ずっと側にいると、そう言ってくれ。

ありがとうとか、ごめんとか、そんな言葉ゴミなんだよ。頼むから、一生のお前の愛を俺にくれよ。
クソ鬼ごときのせいでくたばりやがるんじゃねえ。
一日、一時間、一分を大切に生きるなんて、そんなの俺じゃねえ。俺たちじゃねえんだよ。
お前はその阿呆みたいな顔で笑って、俺は文句言いながらお前の隣にいて、善逸と禰豆子、生まれてくる赤ん坊の成長を見て喜んで、歳取ってそれで、シワシワのジジィになって死んでいけばいいんだよ。

なんで、そんな当たり前なことができない?
時間は残酷だ。
刻々と死は迫り続けてくる。
時間を止めたい。
進むくらいなら、今この瞬間に時間を止めたい。
俺とお前二人、永遠に愛し合いたい。

涙を流しながら横にいる炭治郎を見る。炭治郎はいつだってなんの不安もないような顔で幸せそうに笑いかけてくる。


 俺たちは今、二十四の歳になっていた。




***


久方ぶりに鬼が出たということで、数名の隊士が派遣されている。いやな匂いがすると炭治郎が気付き、善逸が耳を澄ませだいたいの方角を知り、俺がその方向へ空間識覚をして敵の場所をさぐる。鬼殺隊は辞めたが能力は衰えていない、むしろ鍛錬の成果か認識できる空間はかなり遠方まで広がった。
しばらくし夜が明けはじめる頃、隊士が全員無事に任務を果たしたという報告があり、いやな匂いも気配もなくなっていた。
良かった〜と善逸が泣いて禰豆子に抱き着く。強くなっても泣き虫なところは変わってねえ。

その晩も俺と炭治郎は、深い接吻のあと、肌を重ねた。炭治郎の熱い舌が首筋と鎖骨に這わされ、俺は身を捩って泣く。中心を弄られれば、情けなく達し、まだ、まだと求める熱は止まらない。
伊之助可愛い、可愛いと言われ以前の俺なら馬鹿にされたと頭に来る言葉だが、今では、不思議とこんなのもいいかと思えてくる。俺は親分だから、お前が笑ってさえいれば俺は満足だ。

最近は炭治郎が作った炭で陶芸をやり始めた。提案したのは俺で、調べたのは善逸の禰豆子だ。まだ始めたばかりだが、どうにか形になってきた。
出来た茶碗やら平皿やらは町へ売りに行けば結構な儲けになる。土で作った縦長の火鉢に炭をくべて高音で焼き上げる。出来るのに半日程かかるので、前の晩に焼いて、日中冷まし、日が暮れる頃に回収する。伊之助いつも悪いな、と炭治郎は言うが、俺はこういう山の中で土をいじるのが性に合っていると感じる。
今夜もいつものように出来上がった焼き物を手に持ち帰っていると、家までの道に、幼い子供が倒れているのに気が付いた。

「なんだ!?どうした!!」

急いで子供に駆け寄る。歳は数えで八歳くらいだろう、着物に、結ってある髪、女の子供だ。泥に汚れて、何かブツブツと言っている。

「襲われたのか!?」
背中に手を当てて起こすと、焦点の合わない眼が、ゆるく俺に向かった。その眼は憎しみと恐怖が込められている。子供のする表情ではない。

その瞬間、子供が何かを叫び、手に隠し持っていた盃のようなものに入っていた液体を、俺に浴びせた。
バシャッ!
匂いで分かる。

それは、赤黒く、生臭い血液だった。


「ッ!!!」

不意打ちを食らった俺は咄嗟に口の中に入った血を飲まぬようその場で吐いた。持っていた焼き物が手から落ちガシャンガシャンと割れていく。吐いても胃液しか出てこず、喉の奥に指が刺さったのか、口からぼたぼたと垂れる血が地面を汚す。
さらに身体中焼き切れるような痛みに自分の身体を見れば、かかった血液が、ジュウジュウと音を立てて俺の中へ吸収されていくような光景があった。沸騰するように俺の腕や胸に付いた血が少なくなり、やがて浸透し、消えた。
信じられないと、思いながらうずくまり地面に爪を立てて痛みに耐える。力のあまり爪がパキパキと割れていくがどうでもいい。
苦しむ俺を見てハッと正気が戻ったような子供は、自分のいる場所が分からないのか辺りを見回すと、怯えた表情でそのまま里の方へ駆け出して行った。


鬼の血だ。


無惨が倒れた今、人間を鬼にできる血は存在しないはずだった。鬼殺隊では実験も行われ、鬼の血を与えられた実験動物が変異することはなかった。でも今それが間違いだと分かる。体の内側からひっくり返されるような地獄の痛みのうちに、自分の身体が、何か作り変わるような感覚に陥ったからだ。あらゆる組織が、物質が、鬼の血によって全く別のものになっていく。

痛みが弱くなったのか、慣れたのか、どのくらいそうしていたか分からないが、立ち上がれるようになった俺は、もう炭治郎たちのいる家に続く道には、進めなかった。
反対方向へ、兎に角人がいない遠い遠い山奥へ、痛む身体を無理矢理動かして走り出した。
炭治郎のいる家の明かりがだんだん小さくなる。
鬼になったのなら、じきに人間の血肉を求める化け物になるだろう。その前に。





俺はその後二度と家に戻らなかった。







*****



「たっ、んじろう…っ炭治郎!!!」
善逸が玄関の扉を開けもつれ倒れ込むように部屋に入った。
「善逸さん、どうした…の…」
夕食の支度をしていた禰豆子が慌てて駆け寄る。その目に、善逸が持つバラバラになった炭焼きの皿のかけらが映る。
そのかけらは、血塗れだった。

倒れたはずみで転がった破片の一つが炭治郎の足元へ転がる。

 幸せが壊れる時には、いつもーーーーー





*****




暑くなったり、寒くなったり
そういうのを四季だって、誰かが教えてくれたな。
たかはるんのとこジジイだっけ。
寒くなると食料がなくなるから、困る。困っていた、昔の俺だったら。
でも今は関係ない。俺は喉も乾かないし腹も空かない。もうその四季が三週は周ったと思う。最初は、魚や野兎を焼いて食ってたけど、食わなくても死なねえのが分かってから、無駄な殺生はやめた。

遠くまで来た。最初は故郷の山へ行こうとしたけど、アイツらが探しに来そうだからやめた。辺境の、山の山の奥、人里なんてとんと無い、そういうところで俺は暮らしていた。
木陰に穴を掘って土台を埋め、木の枝と土で壁と屋根を作って、木の皮を剥いで畳代わりにした。これが俺の寝床。狭いけど気に入っている。
あの時、すぐ帰るつもりでいたから、猪頭も日輪刀も置いてきた。猪頭は母猪の形見だから側に置きたかったが仕方ない。自然に死んでいた猪から拝借して、今度は頭から覆える一枚の毛皮にした。

血肉を求めて正気を失うことは、無かった。鬼の紋様もない。牙も生えてねえ。体調も良い。ここへ来て一年くらいは、身体中の変化に激痛で辛かった。一日中苦しんでいた。でももう、変化は終わった。

あれからすぐに俺の体は少しずつ縮み、髪の毛も短くなった。自分の手のひらを見る。思ったより変わってねえな。もとから身長伸びてねえし。


 俺は齢十五程のガキの頃の姿に変わっていた。


ちょうど、炭治郎たちと出会ったあたりの歳だ。強い奴との力勝負だけが目的で鬼殺隊に入り、初めて鬼と戦ったり、炭治郎と善逸で蜘蛛鬼を殺したり、列車に乗ったりした頃。炎柱との別れは、俺が初めて人間の生き様というものと、こうありたいという気持ちが強く芽生えた瞬間だった。
こんな風に昔のことでも昨日のことのように思い出せる。

ごろんと芝の上に寝転がる。季節は春。太陽の光が燦々と伊之助に降り注ぐ。前もこんな穏やかに流れる時間があったっけな、それは思い出さなくてもいい、と伊之助は思った。

体が若返る、その変化の他にもう一つ、伊之助は気付いていることがあった。
老いないことだ。

一年経って、二年経って、三年経っても、腹は減らないし髪の毛や爪も伸びない。それに、傷もたちまち治る。小屋を作っていて、木の枝が刺さり腕から血が流れても、すぐに血は止まり、傷口も何も無かったように綺麗に元通りだ。

これらの特徴は、俺が良く知っているものだった。
斬っても斬っても再生し、頸の皮膚の繋がりを完全に断ち切るまでは、這ってでも掴みかかって襲う。
老いることなく、百年の間生きている個体もあった

ーー鬼の特徴だ。

俺はあの時鬼の血を浴びて、鬼になった。


血肉を欲しない、陽光でも死なない、鬼だ。
血を浴びてから走って走って初めて、日の出を目の当たりにする時に、俺は少し期待したんだ。
こんな俺はここで殺したいと。

あの女の子供を憎んだりすることはなかった。あの様子、ただ鬼に操られていただけだ。

あれから三年、炭治郎は二十七歳。二十五までの命と言われた。
死に目を見たいと思っていた、前なら。でも今、生きているのか、死んでいるのか、確かめる術すらも、俺は持たない。
今は人の血肉を欲しなくても、もし目の前で流れる血があれば、どうなってしまうか分からない。興奮し、渇望し正気を忘れてしまうのか。あっちには子供がいるんだぞ。善逸と、禰豆子のだ。
絶対に戻れない。

俺は小屋の中に入り自分を抱くようにして丸くなった。これじゃもっとガキの頃、母猪が死んで寂しさで泣いてた俺と同じじゃねえか弱味噌が。そう思いながら。




****


血を浴びてから、十年、二十年、三十年が経った。
俺は十五歳の姿のまま、一つとして変わったところがない。朝起きて、日課のように鍛錬をして、暗くなったら寝る。腹が減らねえから食べることはしない。それだけだ。この姿になってから、時間の感覚が速くなったのか、やることがなくともあまり苦に感じない。ぼうっとしてたら、暑くなって寒くなって、一年が終わる、そんな感覚だ。

そんな時、俺が鍛錬を終えて休息をしている最中、気配を感じて、立ち上がって構えをとった。ここ三十年、この地に入ってくる人間は一人もいなかった。草の茂みから現れたのは、一人の初老の老人で、山菜採りなのかデカイ籠を背負って鎌を持っていた。険しい山道をこんなジジイが、と驚いたが、向こうも俺に驚いたようで、「子供がいる」そう言い急いで下山して行った。

あまりにも急いでジジイが山を下りたので、俺にビビって逃げたと思ってきた。そうして寝ていたら、次の日の朝、数人の気配を感じて飛び起きる。

「こっちにおる、遭難している子供じゃ…!」

茂みの奥からジジイの声。誰が遭難しているだ、ボケ老人が。人を連れてきやがった。
面倒なので人がいない方向を探して逃げる。俺は筋力と柔軟が有るから、岩の切りだった険しい山道なんぞも、あっという間に進むことができる。人間がいなくなるまで、山頂の方に移るとするか。
そう考えて岩に手を掛けた瞬間、強い衝撃を受け俺は受け身で地面に手を付いてひらりと後ろへ跳び距離をとった。そこには…


「…おいっ…嘘だろ…お前っ…伊之助か…?」


知った顔だった。だが知らなかった。歳をとっている。五十代になって尚その巨躯と、元忍びの経験で培った完璧な気配の消し方。激しい戦いの末潰れた片目を覆う眼帯と、肘から下を失くした片腕。
…宇髄天元。

天元のほうも普段あまり感情を表にしないが、絶句して動けないほどに驚いた。嘴平伊之助。かつて共に戦った一団の後輩。常に猪頭を被っていて、素顔は誰もが振り返る美少女のようなつくり。でも今は猪頭はない。何十年も前、遊郭に潜入させた時のあいつの素顔の姿と、今目の前にいるこいつは、何ひとつ…変わっていなかった。

「おいッ!!??」

一瞬驚いたが、その一寸後俺は足が動いていた。走れ、走れ。この弱味噌が。かつての仲間に会ったくらいで。俺は戻らねえと決めたんだ。
裸足のまま荒れた地面を走る。尖った小石で足の裏がズタズタに切れていくそばから、傷ついたはずの皮膚がたちまち治っていくのだ。ほらな、俺は鬼だ。
嘴平伊之助じゃない。

山を登る途中で、俺はまた信じられねえものを見た。今まで住んでいた山は、俺が来る時には険しい山々に囲まれた、未開の地だった。でも斜面のすぐ向こうに見える、人家の明かり。すぐ麓は里になっていた。あれだけの年寄りが簡単に登れる山になっていたのだ。
俺はその山も捨てた。



*****

さらに二十年経った。
俺はいくつかの山を渡り歩いて、でもすぐに人間たちが侵入してくるので、その度に隠れるように住処を変えなければいけなかった。
最近は小高い丘の上にある、小さな寺の境内の中の深い森に住み着くことにした。ここなら人間もあまり寄ってこない。
寺の住職は俺に気づいたがヨボヨボのジジイだったので無視して住んでたら、いつの間にか供物のようにまんじゅうや柿が置かれるようになった。俺を仏の使いか何かだと思っているんなら笑える。

俺は鬼なのに。

血を浴びた日から、五十年。
幾度となく、季節は移り変わった。

そしてある日、俺は、決めた。
炭治郎と善逸と禰豆子と暮らしたあの家へ行く。

といっても対面するわけでは無い。近くまで行って、遠目で家を見れたら、それでいい。

俺が生きる速さより、人々の移り変わりのほうが速い。俺はあちこちに里や田を作り出す人間を見てきた。思い出の地が消える前に、この目に焼き付けておきたかった。最後にもう一度。




いくつかの山を登り、下り、人里を避け、記憶だけを頼りに走った。腹が減らないと言っても、動けば普通に疲れるので、休息を挟まなければいけない。
こういうところだけ人間寄りになりやがって、と伊之助は恨んだ。

そして、いく日もが過ぎた時、やっとたどり着いた。すぐそばまで人の集落になっているが、ここを登ればすぐだ。
見慣れた地形に懐かしい気配がする。

だが坂道を登りきったあと、俺は言葉もなくただ立ち尽くしていた。

ーー家は古い空き家になっていた。かつて賑わいのあった部屋はがらんと寒い風が行き通っている。

そしてその傍らに、石造りの大きなものがあった。
伊之助はその名前を知っていた。


一番大きい石に、「竈門炭治郎」と彫られている。
その名前を確かめるように、ざらざらとした彫り込みふちを指でなぞったあと、俺は崩れた。

分かっていた。
五十年経っている。
二十五までの命と言われていたお前が、とうに生きてなどいないことを。
どうせ死んでいる、死んでいるに決まっているという思いでここへ来たが、こうして墓を目の当たりにすると、どうしようもない悲しみの洪水が、胸の奥から流れて、満たされ、溢れてゆくまでわずかさえ耐えていられなかった。こんなに生きているというのに。
「う゛ぅぅっ…うっ…!う゛ぁああっ…!」

声を出したのは久しぶりだ。泣いたのも。
炭治郎。最後に交わした言葉はなんだったか、俺が家を出る時、「いってらっしゃい」と言っていたのか、違う言葉だったか、どんな顔をしていたか、思い出せない。ギリギリと組んだ両腕に爪を立てる。
あんなに優しい笑顔は思い出せるのに、俺はそれを置いてきた。

日が傾いてくる。夕陽に照らされた炭治郎の墓の影が、今は廃墟のかつての家へ伸びているように見えた。ここで暮らした時は楽しかった…短い期間だったけど、毎日騒いで、笑って、…炭治郎と愛し合って、この時間が永遠と続けば良いのにと思っていた時代。
俺は今誰もいない世界で、一人で永遠の時間をさまよっている。

ふと墓石の下の方を見ると、土台の石に、夕日に照らされて何やら彫られた文字が見えた。

[伊之助へ もしここへきたら 会いにきて]

その下に住所のような文字列。最後に我妻善逸、と彫ってある。

簡単な文字なら俺は読める。でもその住所を見ようともせずに、その場から駆け出した。





丘を下りて草木生い茂る森の中へ。ガリガリと腕に爪を立て続けてパックリと割れた傷口から赤い血が止めどなく零れて落ちた。墓に手を合わせることすらできなかった。こんな惨めな自分は大嫌いだと思った。
そしてまた山から山へ、登って下りて、走り続けた。
今度は休息などとらない。息をするのも忘れている。ただ俺の身体は、前へ前へ、足を動かすしかなかった。
途中で心臓と肺がドクンと脈打った後激痛が走り、俺は地面へ倒れた。
猛烈な吐き気とともにその場で吐いた。吐き出したものは鮮血だった。だんだんと脈が弱くなってきて、目の前が真っ暗になる。俺の心臓は完全に機能停止した。





…とく、…とく、とくん、とくん


そしてまた動き出す。臓器が再生して、俺はまた走り出す。






元いた寺の境内の森に戻って来た。休息なしで走り続け着いた時はボロボロの屍のようだったが時間が経ち傷一つない姿に戻っている。
伊之助は寺の奥手に周り、小さな御堂の中に奉納されている刀を取り、抜刀し迷いもなく刃を自身の首へ当てた。


体を掻きむしった時に気付いた。鬼ならば日輪刀で首を斬らなければ死ねない。日輪刀の在処を俺は知らない。以前寺で見つけた刀も日輪刀ではなかった。
あの時…宇髄天元に、自身の日輪刀を借りれば良かったかもしれない。でももう時間が経ち過ぎている。
普通の刀でも、戻れないくらいの失血をするか、あるいは首を斬り落として、その首を谷底にでも落とせば、復活はできないかもしれない。
分からないなら試せば良い。

炭治郎に会いたかった。
あの眼で、髪で、ふんわりと笑む優しい顔。
俺はホワホワが止まらなくなって…この気持ちが何だか分からないなら素直に聞いてみると、驚いた顔とともに、それは恋情だよと言って、顔を真っ赤にしてまた笑うーー。


今どこにいるんだよ。

伊之助は刀を首に当てたまま天を向く。

ずっと一緒だと約束したのに、それを破ったのは俺だから、俺は親分失格か?
余命が短いお前を置いて消えて怒ってるか?
お前のことだから怒ってないよな。ただ心配してると思う。大丈夫だ、すぐお前のところへ行って、大変だったんだって、笑って言ってやるから。


力を込めた刃が首に入り、血飛沫が飛ぶ。
ぐ、ぐ、ぐ、とさらに力を入れると刃はゆっくり進んでいく。
想像を絶する痛みと苦しみだが、大丈夫。

その時ー。



『伊之助死ぬな!俺が戻るまで、死ぬな!
絶対に死ぬなーーーーッ!!!!』
 


ハッとして辺りを見渡す。いつかの声。
森は静寂に包まれている。
いるわけない。
震える手からこぼれた刀が鈍い音をたてて地面に落ちた。

たちまち首の傷がふさがっていく。

俺は泣いて、泣いて、涙が枯れるまで泣いて
そして眠った。





****



この森へ来たばかりの頃、何気なく懐に手を入れると、クシャクシャに丸まった紙が小さくなってそこにあるのに気付いた。
広げてみると、手紙だ、あの時、文を書くお前の傍らで寛いでいる俺に渡してきた。
何年も経過しているのに、少しの劣化だけで文章はちゃんと読めた。驚くことだ。分からない字は住職に聞いた。

〈愛しているって書いたんだよ〉

そう言ってたな。
でも内容は少し違った。

それは、俺を残して逝くことの未練が、薄い紙一枚めいっぱいに書かれていたんだ。
弱音を決して言わなかったお前にしたら珍しい。
俺があの場で読まないことを知っていたんだ。
〈君を残して逝くのが辛い。鬼の居ない世で君ともっと幸せを分かち合いたい。死にたくない。〉
そのようなことが力一杯黒い墨で。
これを書いた時どんな気持ちだったんだよ?
いつも笑っていたくせに。
文字に手を這わす。

手紙なんて意味がないって俺は言ったな。
やっぱりそうだ。
その時伝えなきゃ何もかも遅いんだ。
馬鹿な炭治郎だ。





****






それから俺は、眠った。眠り続けた。
十年、二十年、三十年。
いつの間にか住職の孫たちが俺の周りを囲って小さな堂を建てた。

そして夢を見続けた。


初めて会った時、聞き分けのねえ俺にあいつは頭突きを喰らわしやがったな。あの頭痛の重さをなんとなくまだ覚えている。それから俺と善逸とお前、一緒に時を過ごしたな。
那田蜘蛛山では、今なら俺は半々羽織が来る前に余裕であのクソ鬼の首を斬ってやって、お前が驚く顔を見ることができるのにと思う。
列車では、俺を庇って腹を刺されて苦しそうにしてたな。立ち回りが上手かったら、あの時お前を傷付けることもなかったのに。
協力して鬼の首を斬ったな。そして上弦が来て、俺とお前はただ見てるしかできなかった。今の俺はもっと早く加勢して鬼を殺し、炎柱を助けることができるかもしれねえ。お前は悲しい思いをしなくて済むのに。
そして遊郭での出来事、柱稽古、
母ちゃんを殺したクソ鬼を斬って仇を取ったな。
今でもあの鬼は許せない。
最終決戦の時、クソ無惨を倒したと思ったら、お前が鬼にされやがった。俺は無我夢中で泣きながらお前に何度も立ち向かった。絶望したけど、どこかでは分かっていた。誰よりも優しいお前が鬼になんかなるわけがないし、死んだ仲間がそれを許さないだろうと。お前は特別で他の者とは違っていた。
この世界で最後の鬼になってしまった俺とは。

最初の三年をすぎればもう、鬼は絶滅していた。
気配で分かったのだ。鬼殺隊も消滅している。
だれも鬼にならずだれも襲わない世の中は目まぐるしく変わっていく。俺だけを一人残して。
なんの罰だろうと思う。

もっとまともな両親の元へ産まれていたら。
いや、母親は琴葉で良い。暴力を受けず、大事にされ、もちろん極楽教なんぞへも行かない。
そうしたら、なんか変わってたか。
俺は鬼殺隊の存在すら知らず、ぬくぬくと過ごし終わるだけの生涯だったら良かったか。
でも俺は現実の自分の生い立ちを不幸と思ったことはなかった。
それはお前が、野生で生まれ育った俺を認めてくれたからじゃないのか。
〈すごいなぁ、伊之助は〉

そう褒められるだけで、俺は嬉しくて照れ臭くて、感情を処理できず暴れて物を壊してアオイやしのぶに怒られてたな。



眠り初めてから、五十年が経った。
俺があの時の血を浴びてから百年目の春がきた。

俺はもぞもぞと御堂の外へ出る。背中にかかっていた毛皮を身体に纏わせた。
何年も寝ていて痛む体を動かして、寺の階段のほうへ。見晴らしが良い丘の頂上から見る景色に俺は仰天した。
建物がひしめき合っている。見たことのないとんでもなく高い建物たちが玩具のように並んでいる。鳥のような人工物が空を飛んでいる。
俺はよろっと後ずさる。
そうだよな。百年も時が進めばこうなるよな。
まぁ、どうでも良いか。
まだ少し眠い。俺は御堂へ戻るために歩き出した時だった。

長い階段を駆け上がる気配に、俺はハッとした。
その人物がこちらへ来る。足音と、息を切らした音が近付いて、階段を登りきるとだんだんと姿が見えてくる。




「伊之助ぇーーーーーっ!!!!」




まさか、と思った。
少し赤みがかった髪の毛、瞳、花札の耳飾り。
そこへ来たのは記憶のままの姿の炭治郎だった。


時がゆっくりと流れる。炭治郎のような人間は持っていた妙な鞄を落として俺のほうに走ってくる。
そして飛び込むように俺を抱きしめて泣いていた。

ふわっと香るその匂い、陽だまりのような優しい存在。紛れも無く炭治郎だ。それに俺と同じ十五歳くらいの見た目。信じれない、どういうことだ?


「伊之助っ…!伊之助、あの時のまま、生きてた…っ!やっと会えた!良かった、良かったあぁ……っ!」


懐かしい声だった。俺が焦がれた優しい声音。
ボロボロと涙を流す少年。俺は声を出そうとしたが、なかなかうまく息が吸えず声がでない。
どうして、とか、百年たっているのに、とか、言いたいことがたくさんあるが、


「遅いんだよ、炭治郎」

そう言って笑ってみせる。炭治郎も涙で濡れた顔で太陽のように笑った。
そしてお互いの身体を抱きしめ合った。







****


俺たちは境内にある椅子に腰掛けて語り合った。
炭治郎は姿形こそ出会った時のあの姿のままだが、生まれ変わりというもので、この百年先の時代を生きているらしい。前世の記憶は物心が付いた時に蘇ってきたのだと。

「俺の名前は前世と同じ、竈門炭治郎。思い出してから、毎日伊之助を探したよ。でも何処にもいなかった。善逸が言ったんだ。もしあの時伊之助の身に何かがあって帰れなくなったとしたら、…まだこの時代まで生き続けてるんじゃないかって」

俺はそんな理屈はおかしいと思った。そんな確証がどこにある?それを問うと炭治郎も頷いた。
「でも、微かに伊之助の匂いがある気がしたんだよ。澄み切った水のような匂い。綺麗な場所に隠れてる」

そのようなことを前に言われたような気がする。

「約束したから、絶対会いにくる、戻ってくるって」

そう言って柔らかく笑う頬には涙の痕があった。

「この時代には、善逸も禰豆子もカナヲも柱の皆も全員生きているんだ。自然と引き寄せ合うように集まって、みんな記憶もあって、毎日賑やかだよ」

俺はさらに驚いた。そんなことがあるなんて。運命の結び付きは奇妙だ。善逸や禰豆子、皆に会いたい。でもそれができない。

俺は、今まであったこと全てを話した。
血を浴びせられ、鬼のように老いない、死なない身体になったこと。今までいくつもの山を住処にして生きてきた。いつ人間を襲ってしまうか分からない。今は保てている正気をいつか失うことがあるかもしれない、と。

炭治郎はまた涙を流しながら話を聞いていた。孤独にさせて、来るのが遅くてごめんと何度も謝った。
生きていてくれてありがとう、とも。
炭治郎は伊之助の手を取った。

「伊之助、山を下りて一緒に生きよう」

「でも、俺は…っ」

「伊之助から鬼の匂いは感じない。しのぶさんもいるんだ、しのぶさんのところへ行けばきっと治る」

しのぶ。記憶が蘇る。俺がいる寝台の横で、鼻歌を歌いながら器具の消毒をしている。その優しい音に、俺は母親の姿を重ねてみていた。
しのぶに会いたい。





**** 




炭治郎はこの春から高校一年というものらしい。
再会した時に着ていた妙な詰襟の服とカバンも、そのガッコーの指定のものだと。隊服みたいなものか、ガッコーというのはよく分からないけど、平日は通わなければいけないらしく、でも毎日夕暮れになるとこの丘の上まで会いにきた。
今までの時間を取り返すように沢山他愛のない話をしながら。炭治郎といる時間はゆっくりと感じる。

休日ということで、俺は炭治郎と山を下りた。
善逸と禰豆子も来て、俺の姿を見るなり妖怪だとかオバケとかで騒ぎまくって炭治郎にゲンコツを入れられていた。そのあとは泣いて再会を喜び合った。

しのぶは医者になっていた。看護見習いでカナヲもいた。しのぶは少し大人になっているが昔と変わっていない。二人も俺の姿を見ると、変わっていないと泣いた。俺もまたしのぶに会えたことが嬉しくて泣いた。



「伊之助くんは鬼になっていません」


しのぶが俺を検査したあとに告げた。

「これは血気術です。鬼が死んだあとも効果が持続していることを詳しく調べましたが…人間で《稀血》が有りますが鬼にもその稀血の類があると考えます。なので通常と異なる効果が発動した。薬をつくりましょう」

俺はその言葉を聞いて呆気に取られていた。
鬼になっていなかった。俺は人間を襲うことはない。安心したのか魂の抜けたようになる俺を炭治郎と善逸が揺さぶった。




****

薬を飲み始めてから今日で十日になる。
しのぶが言うには、俺にかかった術は「時を止める」ものだと。本来の効果なら、術のかかった対象の時間を止めて動きを封じるようなものらしい。強力な血気術だが鬼は稀血。人間に対して効果はうまく発揮されなかった。その鬼もとうに鬼殺隊員が殺している。
時を止める。あの時俺が何よりも切望していたもの。皮肉なもんだ。

炭治郎の家はパン屋をやっていて、たくさんの兄弟で賑やかなそこへ居候していた。

十一日目。
腹が減った、と思わず口にして、手を見る。ささくれ立った指先は治っていない。
炭治郎と善逸と抱き合って喜びを分かち合った。


俺は炭治郎達と同じ高校へ編入した。
珠世さんという理事長のおかげもあるが、炭治郎と猛勉強して試験を通ったんだ。

身寄りのない俺は善逸と禰豆子の子の親戚だと言う夫婦に里親になってもらい、コセキというのを得て、この時代の住人になった。

薬が効いてくると同時に、それまで寡黙になっていた俺は前の時代の十五歳の時のような精神に戻り、活力に溢れ、善逸からは「前の方が大人しくて良かった」と言われたので殴った。
でも記憶はそのままだ。俺が生きてきた全て俺の中で生きていく。
今度は一緒に一秒、一分、一年と時を進みながら。





****




「だから、お前を見た時は、どこぞの精霊か神かと思って腰抜かしそうになった。ふざけんなクソガキ!!」

そう言ってクナイのように彫刻刀をぶん投げる。あぶなぁあっ!!と善逸が逃げ回る。「あんた仮にも教師でしょお!!??」と。
彫刻刀を握るのは宇髄天元。俺たちが通う学校の美術教師というものらしい。

「ウッヒヒィ〜お前本当に山の神にでもなったのかよ!!」

物陰に隠れた善逸が奇妙な笑い声で俺を挑発する。

「はあ゛ぁぁあん!?俺は今も昔も、いつだって山の王だ!!崇め讃えよこの俺を!!!」

「バカだこいつ…」
天元は書類をまとめながら、懐かしい光景に眼を細めた。





****


「健太郎〜!!」

伊之助が炭治郎のもとへ駆け寄ってくる。伊之助が戻ってからまた名前を間違えるようになった。でも二人きりの甘い時間はちゃんと名前を言えることを炭治郎は知っていた。

荷物を箱に詰めている手を止めて、愛おしい彼を見る。
炭治郎と伊之助は今日引っ越す。学校の近くのアパートを借りて、二人暮らしを始めるために。


「これを見やがれ!!」

手には紙が一枚、それを広げてみると、あの時、俺が伊之助に綴った手紙だった。くしゃくしゃになって、ところどころ不恰好にテープでつなぎ合わせたあとがある。


「伊之助…これは…、ずっと持ってたのか…?」

「そうだ!!」

ふんと得意げに言う伊之助。とっくの昔に読まれずに小さく丸めて捨てられた、それで良い、初めから読まれないと思って書いた、文。内容は俺の胸の奥からの悔しいという叫びだ。それを、今。
炭治郎の目には涙が浮かび上がる。


 

物心がつき始めた頃から、見る夢があった。
俺は誰かに一生懸命手紙を書いていて、背中にはぬくもりがある。大好きな、何より愛しいぬくもりだ。暖かい日差しが注がれる部屋。俺の人生で一番穏やかに流れる幸せの時だと思った。

繰り返し繰り返し夢を見て、そして思い出した。



「裏を見てみろ!」

言われてハッとして紙を裏返すと、サインペンで紙いっぱいに短い言葉が綴られていた。


「えっと、『…あ…?』」

「あいしてる、炭治郎!だ!!」


そういたずらっぽく笑うと俺の手から手紙を抜き取る。顔を上げると愛しい愛しい、ずっと探していた伊之助が真っ直ぐ俺を見ている。自信に満ちた上がった眉と長いまつ毛と、さくら色の唇。いつ見ても、色白でこじんまりとしていて可愛い俺の恋人。

「俺も伊之助を愛してる。ずっと」

「ほらな!言っただろ、手紙なんて意味がねえ」

二人はそのまま深い深い口付けをした。







1/2ページ
スキ