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一口話

きつねつき

 終業式を目前にしたある平日だ。何事もなく普段のように過ぎていくと誰もが思っていたはずだが、そうはならなかった。日本列島上空をふらふら漂ってそのうち消えていくだろうと予想されていた熱帯低気圧が急速に発達、時季外れの台風となって首都圏に直撃したのだ。当然電車は全て止まって交通網も混乱し、僕たちは帰宅困難な状況に陥った。校内にいる全員が体育館に集められ、交通機関が回復するか保護者が迎えに来るまで帰れないこと、出来る限り体育館で過ごすこと、一人にならないこと、といった注意事項を伝えられた。強行突破で下校しようとしていた僕と先輩は、今にも倒壊しそうな築七十年の体育館に閉じ込められる事になったのだ。

 湿度の高い館内に居る気にはなれず、僕は外に出て軒下で雨粒を眺める事にした。雨がコンクリートの地面にぶつかる重く響く単調な音を聞いていると、程良く気が紛れる。どれだけそうしていたのか分からないが、いつの間にか隣りに部長が座っていた。
「部長」
「やあ」

「災難だったね、夕立はいつでも突然に訪れる」
「すぐに帰れますよ、きっとどうってことない」
 足をぶらぶらさせる部長と世間話に興じる。天気に始まり成績、ニュースの話題、駅前のカフェーの話とおおかたのテーマを話し尽くして次の話題を探す。
「そう言えばこの学校で怖い話って聞きませんよね。こんなに旧い伝統校なのに」
 何気なく言った一言に返事が返ってこない。不審に思って隣の部長に眼を向ける。
部長はその瞳に言いようのない感情をにじませてこちらを向いていた。歓心と安堵、ほんの少しの哀れみ。
「きみはいろいろなことに気がつくんだね、かわいそうなくらいに直観が働いてる」
「直感……ですか? 僕、霊感とか無いですよ」
「霊能力とかそういうものではないよ、直観のカンは『観察』の観の字だ」
 急に話の筋が変わった。心なしか雨音も強くなった気がする。
「古来から観ることは知ることにつながるとされている。知るという言葉は認識の識の字を書いて『識る』と読むことがあるのは知ってるかい? あれはもともと所有する、支配するという意味を持った単語だ。すなわち何かを観ることによってそれを所有することができる、というわけだ。丑の刻参りを観られると呪いが返ってくるという伝承もこれが発祥と言われているね」
「はあ」
「同様にして、音の感覚も相手を捉えるために利用できる。わかりやすいのは名前だね。真名信仰……はさすがに知らないか。本当の名前はとても大切なものだから親にしか呼ばせないって感じの考え方なんだけど」
「……知らないです」
「まあこの話はいいや。話を戻そう。きみは気付いてるでしょ、この学校の妙なところ」
 動悸が激しくなる。僕はいま、とてつもない真実に触れかけているのではないだろうか。怯える僕の顔が見えているはずなのに部長は変わらないトーン、変わらない口調で話し続ける。
「中庭には幽霊なんかじゃない何かが巣くってるし、部室には数ヶ月に一回何かが訪ねてくる。きみも心の奥底、無意識の部分では分かっていたはずだ。それだけ観察力が強いんだから」
「いつからかは知らないけれど、この学校にはいろいろなものが棲み着いている。良いものも悪いものもね」
「実害は特に出ていなかったはずだ。せいぜい残業中に、階段の鏡に驚いて転んだ教師がいたくらいだろう。それなりに噂も流布していたし、それをテーマに演劇をしたり小説を書いたりするものもいたらしい」
 息もつかずに次々と語り続ける部長から眼を離せない。僕はすっかり彼の奇談に捕らわれていた。
「さて、もう少しだけ昔話に付き合ってもらってもいいかな? この高校の面妖なところ、その根幹に関わるんじゃないかなと僕が思っている話だ」
 あらがえなかった。
「聞かせて、ください」
「ありがとう。まず始まりはとある部活動の合宿だ。彼らは毎年とある離島で、二泊三日の合宿をしていた。ある年の二日目の夜、島内の探索をしていたとき、ある部員が道から外れた藪の中を通って、結果、そこに積まれていた石を崩してしまった。彼はそれらを積み直して宿に戻り、次の日に無事に帰宅した」「特に変わったところはないように思えた。部員達は文化祭の準備を始め、普段通りの日常に戻っていった」「ところが、ひとりだけ、違和感を覚えたんだ。どこかがおかしい、あの合宿の後から、と」「彼は名簿を取りだして、合宿に参加したメンバーを確認した。おかしいところは何も無いように見えた。が、そこには確かに不自然なものがあったんだ」「名簿って言うのは普通、何らかの役職に就いている人を上に並べて書くだろう? その名簿には副部長の欄がなかったんだ。思い返してみるともともと副部長はいなかった気がする。それでは今、自分の前でポスターを作っているのはいったい誰なのか。怖かったろうね。そして気付いたんだ。彼は副部長の名前を知らなかった」「そういえば怪談を聞くことも無くなった。遅くまで作業する文化祭期間なんてそういうたぐいの話の巣窟だろうに」
 一気に話した部長は、一つ深呼吸をして、さらに言葉をつなげた。
「記録は残っていない。『副部長』がいることを証明するものは何も無いが、同時にいないことを証明できるものもない。あれはきっととても不安定な存在なんだ」「ここからは僕の推測になるが、かの部活は合宿先で何かを憑けてきてしまったんじゃないだろうか。部員に紛れ込んで代々伝わるものだ。目的はわからない。僕たちには理解できないものなのかもしれないし、もしかすると単純に目的なんてないだけなのかもね」「一つ言えるのは、あれが来てから、僕たちの学校の噂は話されなくなったということだけ。勘ぐっているようだが、あれは周りの都市伝説とか、フォークロアとかを喰らって育つものなんじゃないかと僕は思っている。あれと、あれに呑まれたもの全てがまるごと禁忌になるんだ」「とても強いものだ、きっと、
あれは、おびただしい、
むこうがわに、
きれいな、       もうひとつ、
    まっせきが、               うがたれて」
「部長!」
 それこそなにかに取り憑かれでもしたかのように喋っていた部長の目の焦点が合わなくなったかと思うと、ぶつぶつと脈絡の無い言葉を垂れ流し始めた。どう見ても普通じゃない。部長を必死に呼んで肩を揺するが、正気は戻ってこない。半泣きで部長にすがっている僕の背中を、誰かが触った。
「どうしたの」
「副部長、部長が、部長がおかしくて、どうしよう」
「落ち着いてね、部長がどうしたって?」
「えっ?」
「彼、寝ちゃってるよ。こんなところにいたら風邪を引いちゃうから中に入ろう」
 いつの間にだろう、先ほどまであんなに錯乱していたのに。すうすうと寝息を立てる部長を担ぎ上げて、笑顔の副部長に呼ばれた。混乱している僕はどうしようもなく、二人についていく。いつの間にか雨は上がって、空は晴れ上がっていた。もうじき下校が許可されるだろう。
 そういえば僕は、二人の名前を知らない。
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