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一次

原始の海は翡翠とあの子を混ぜたような色をしているということをぼくは初めて知ったのですが、それはきっと命の存在さんたちのかけらがそういう色を形作っているのでしょう、あの子も命の存在さんでしたし水の中をよくよく眺めてみれば螺旋や鳥籠や勲章の形をした諸々のみなさんが蠢きながら何かになろうと頑張っているのがわかります。ぼくはここで立ち止まっているわけには行かないのでどんどん先に進んでいきますがストロマトライトの上に物理的遺伝子プールの標識が立っているのを見て安心しうっかり転んでしまいました。顔が水に浸かると同時にぱしゃぱしゃ、足に何かが絡みついて「こんにちは」「こんにちは」「きみはだれ?」「ウナッウナッ、ウナギのウナさんだよ」ウナギのウナさんは元気にぼくの周りを泳ぎながら先導をしてくれます。「ウナギのウナさんのお友達はいないんですか?」「みんなみんなとっくのむかしにいなくなってしまったウナ」「そんな……」「そういうこともあるウナ。きみのお友達もいないウナだろ?」「そういえばそうです、ぼくはどこに行けばいいんだろう」「それはウナギのウナさんにはどうしようもないウナね、ここから先はきみが行く道ウナ」浅瀬にたどり着いて足が水から離れるとウナギのウナさんは名残惜しげにくるくる回っていましたがしまいにアノマロカリスにしっぽの方を飲み込まれて「ウナーッ!絶滅するウナ!」と悲鳴が聞こえてきました。助けに行きたくはありましたがぼくにはあの子がいるのでどうにもできません。陸の土はふっくら柔らかくてところどころがクリームのようにとろとろした泥になっていて、微小な命の存在さんたちが卵を生んだりつがいを食べたり三人で輪になって踊っていたりまあ様々に営みをやっていっているのですが、突然二つある太陽のうちの狂ったほうが表に出てきて異常電波を発し始めたのでみるみるうちに豊かな水は蒸発、高温高圧その他諸々の危険環境に耐えられない命の存在さんたちは淘汰されてしまいました。生えてくるのは金属繊維を内に秘めたタケ科植物とスロットマシン、それに踊る観覧車だけになってしまい、第八宇宙公用語でいうところの動物は「我思ってるから大丈夫!我思ってるから大丈夫!」としか言わなくなった蛍光色のデカルトおじさんと視認できない大きさのクマムシしか存在していません。スロットマシンから爽やかイチゴ味のマネキンがジャラジャラ出てくるのを横目にぼくはずんずん進みます。マネキンたちがぼくの後ろに並んで行軍を始めましたが彼らも試作巨大捕食者におやつ代わりにつまみ食いされてしまうので数は減っていく一方で、これはいけないと思ったぼくはあの子のことを考えてポッケに入っていた桃味のドロップスとフリーズドライタケノコ汁の素などを後ろに投げていきますが特に何も生まれません。試作巨大捕食者はついてこなくなったのでまあいいかなと思うしあの子は死人ではないのでよく考えれば最初からついてくることもないのでしょう、それにあの子は優しい子だから爽やかイチゴ味のマネキンさんたちをいじめる訳もありません。それでもなんとか異常な気象は落ち着いたようでまともなシダ植物が前葉体を当たりに撒き散らし始めたあたりでぼくは森を抜けました。視界が開けて出たところは暗い夜の浜辺でした。あの子が足を濡らして立っているのが見えて「きみは誰を連れていくつもりなの、みんななんて連れていけないよ」「まずぼくが行くだろ」「きみひとりじゃどうにもならないよ」「ぼくの家族を連れてくだろ」「インセストタブーを解さない馬鹿」「隣の家族を乗せて」「少なすぎる」「もちろんそれだけじゃあないよ、ぼくの街、ぼくの国、いいやこの星のすべてのひとを」「単一種族のみの繁栄なんて」「ポチとシロを乗せて」「哺乳類が優れてると思ってる馬鹿」「カエルもトビムシもぼくがまだ知らない命も全部」「…………」「もちろんウナギのウナさんも乗せて」いつの間にかぼくの周りにはたくさんのひとやひとじゃないものやよく分からないものが溢れてがやがやピヨピヨきぃきぃと騒ぎながらみんなであの子を見つめています。ウナギのウナさんはぼくの頭の衛星軌道に乗ってウナッウナッと楽しそうに鳴く始末でこれ以上置いておくとどうにも収まらなくなってしまうと思ったぼくはあの子にむかって手を差し出して、「そして最後にきみを乗せるんだ、運転席の隣にカプセルを置いてあげる」あの子は目を大きく見開いてぽろぽろと涙をこぼしながら「ほんとうにいいの?」と聞きましたが、その直後砂浜がさらさら崩れ落ち始め月の道をたどるようにぼこりぼこりと穴が空いてあの子はぼくの手をつかめずにその底の底の方へと落ちていってしまったのでぼくはその後を追いかけて走って走って暗い穴の中の道を落ちるように進んでいきます。N-708星系の巨大なゲル生命体が婚姻色に輝いてあちらこちらに新星のかけらを落としていくのでそこだけは少し明るいのですが、ほとんどまわりは見えないのでほんとうにこちらで合っているか不安になってきました。走り抜ける最中にもデアルカラシテとプリントされたシャツを着ている五億人の地学科教員が無限プラス一回の討論を繰り返していたりウナギのウナさんの故郷であるところのマリアナ海溝の深い深い底で元気に踊るウナギのウナさんとその仲間たちに出くわしたり色々なことがあったわけですけれどぼくはあの子にただ会いたいだけなので討論にも加わらずウナギのウナさんの求愛ダンスも断ってひたすらに走り続けていけばだんだん辺りが明るくなって足もとの水も粘度を増していき気がつけばそこは最初にいた物理的遺伝子プールの中でした。ばしゃばしゃ核酸たちを蹴散らして攪拌しながら駆け寄っていきあの子を今度こそ腕に閉じ込めて強く抱きしめると「早く起こしてね」と囁かれて起床。顕微鏡座不規則銀河のど真ん中にゆらゆら浮かぶ亜高速宇宙艇の中操縦ユニットに横たえられた仮想の身体が目覚めます。三千二百七十二万四千五百八十一の生物種の設計図に思いを馳せながら唯一方舟を拒んだあの子の死骸、インダストリアル=ピアスを飾ってぼくの耳許で清く輝くブルーダイヤとその中に眠る遺伝子たちを撫でながら「やっぱり一人は寂しいなぁ。おやすみなさい、いい夢を」
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