短編集
真実の愛
「愛は他者がいなければ成立しないのか?」
ヤツは答えの見え透いた質問を投げかけてきた。確かにこの世には他者になんて興味なく、自分のみを愛する人間だっているだろう。しかしそれは愛なんかじゃあなく、ただの病気でしかない。そんなこと誰もが知っているというのにわざわざそんな質問をするってことは、アイツが“愛情とただの自己愛を履き違えているビョーキ野郎”である可能性が出てきた。
「お前はその“愛”という言葉の意味を知ってるんだろうな?」
「わからないから質問しているんだよ」
確定。コイツは病気。あるいは哲学的なお話が大好きなクソ野郎なのかもしれないな。どちらにしろ極めて下劣な精神構造をしていることには間違いない。だが俺は慈悲深い性格をしているから、そいつを気に入らないからと言って殺そうとしないし、考えを改めさせようとも思わない。何せ今のご時勢、多様性だからな。それぞれの個性ってやつは大切にするべきだし、それを否定するんだったら真っ先に社会から粛清されて然るべきである。
「お前……左右の目がそれぞれで逆の方向を向いているぞ」
ヤツはどうやら他の病気もお持ちのようだ。この場合は幻覚か妄想かのどちらかか、まあ、どっちかなんて考える必要なんて無いな。俺は差別をしないからだ。例え目の前の人間が病気であろうとなかろうと、差別心がなければ全てが平等に扱われる。だから知っていようが知っていまいが関係のないことだ。それに病気かどうか追及すると嫌な顔をする奴もこの世に存在する。なるべく面倒事は避けたい気持ちは誰もが持っているはずだろう。
「は? いやいや、随分と愉快だなお前は、実に愉快なことばかり言う奴だ、うん」
「失礼した。見間違えだったのかもしれないし、そうでないかもしれない」
何故謝ることがあるんだ。そもそも病気なんて誰もが発症するかもしれないものだ、なのに病気を理由に謝ったりなんかしたら、病気と悪がイコールで結ばれてしまう。そんなことあってはならないわけだが、まあ、こいつにはそんな判断力はないだろうな。可哀想に。
「……何故俺のことを病気だと?」
まあ、自覚症状がないことは想定済みだ。特に精神に関わる病気は自覚なしに発症するものだ。それに自覚なんてあったらとっくに治ってる、そうだろう。ヤツの幻覚だか妄想だかが寄生虫が原因でそうなっているのなら話は別になるが、頭を割って確認するわけにもならないからな。俺が誰かを手にかけるわけにはいかないから、大人しく寄生虫に脳を食われておいてくれよ。原因がどうであれ救いなんてないだろうがな。
「ああ、とにかく君は自分が病気であることを恥と思わないほうがいいよ。もっとも、こんなこと言ってもわからないだろうが……」
「そうか、これは大変失礼したよ」
ヤツの表情が少し固くなった。やはり現実を受け入れる、ということは大変辛く苦しいことだろう。しかし、それがあいつのためであり、この社会のためになるのだ。例え精神の一部が壊れてしまったとしても、現実を受け入れた分の見返りは存在するさ。
「ところで、だ。質問の答えはいつになるんだ」
コイツは本当に自分のことしか考えられないようだな。面倒事は嫌いだが、それが慈善活動となるなら話は別だ。俺は積極的にコイツの病気を治すために努力してやるんだ。見返りがなくともやらなくてはならない。しかしこれは誰にでもできることじゃあないな。俺のように心を広く持っていて、差別心のない人間じゃないといけない。
「厳しいことを言うが、愛と自己愛は全く別のものだよ。お前の愛は偽物なんだ。愛は他者に対する感情であり、本能だ。なのにお前は自分を愛することしかできない欠陥人間なんだ。それを理解しないとお前の病気は治らないだろうな」
「あなたは俺のことを愛してくれたのかい?」
「愛してくれたって言い方はおかしいだろう。今だってお前に最大の慈愛を注いでいる。お前が自分を愛することでしか心を満たすことができない人間だとしても、俺はお前に対して優しくしてやれるんだ。俺にはそれができる。」
「なあ、父さん」
コイツは俺のことを父親と誤認識しているようだ。愛情を注いでやったはいいが、こういう勘違いは非常に困るわけだ。だからあまりやりたくないんだが、やらなければならないのだ。
「父さん、だあ? 俺は子どもなんかいないはずだし、いてもお前なんか育てていない……」
俺がそう言いかけると、目の前が急激に揺れ動いた。目がそれぞれ別の方向へと動き、何かを必死に探すようだった。
「一体俺の身に何が起こっているんだ。まさかお前の病気がうつったのか」
「その目は父さんの一番愛する人間を探しているのさ」
「お前は何故俺を父さんと呼ぶんだ。俺は息子がいれば愛するが、お前に対する愛情なんかちっとも感じやしなかったんだ」
「どうか来世は、来世では幸せになってくれ」
俺の一番愛する自分自身の思考を、俺の目は見つめ続けている。
俺の父親は俺のことを愛してはくれなかったし、それでいて愛情を注いでやってると思い込んでいる。俺はそんな父親でもいつか真人間になってくれると信じていた。しかし、それは可能性に対する執着でしかなかった。俺は可能性という虚像を愛し続けていたんだ。あいつはクズでしかなく、俺はあのクズを愛してなんかいなかった。そして今、俺の愛する可能性はこいつの手によって殺された。
ああ、さようなら、俺の愛していた……。
終
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