短編集
ヘンシュウ
「……なあ」
俺はPCの前に座って淡々と作業をしていた。俺の隣にいるのは顔立ちの整った男。
「どうした?」
そいつは特にどんな表情だとか、そんな変化もなくただ普通に返事をした。俺は先ほどまで言いたかったことを口に出す。
「お前誰だよ」
誰だよ。ついさっきまで俺は部屋で一人で作業してたはずなんだが、気づけばそいつが隣にいた。そいつとは過去に会った事がある気がしないでもないんだが、そこを気にする前にまず自分の自宅に音も無く侵入されたことを警戒するべきだ。
「少し前に会っただろう、なあ。はは」
男は悪びれる様子もなくそして妙に馴れ馴れしい。途端にわけのわからないことを話し始めるあたり頭がおかしいのかもしれない。俺は男に向かってこう脅すように言った。
「今出て行けば警察は呼ばない」
勿論だが後で警察に連絡はする、とりあえず今は早急に出て行け。
しかし、男は意外な返事をする。
「じゃあ呼んでみてくれよ。早急にやってみてくれ」
俺は少しポカンとした後、一気に不安が募った。もしかしたらこいつは家の電話線を引き千切ってから俺の部屋に来たのかもしれない。そうだとしたら非常にまずいかもしれない……そうだ。
俺はズボンのポケットに入っているスマートフォンに手を伸ばす。今の時代に家にある連絡手段が固定電話だけなのは年寄りの家くらいだろう。それにしてもこいつは随分と時代遅れな奴だな。それともラノベの世界から抜け出てきた頭の悪いモブなのか?
無駄に頭を働かせてしまったが今は警察を呼んでみせるのが先決――――いや、それはまずくないか?仮に警察を呼んだとしても到着するまでの間に俺が殺されでもしたら……。
「早くしろよ」
一抹の不安要素が俺の思考を遮ってしまった結果、こいつの機嫌が少し悪くなった(気がする)。そして俺は自分の命がわりと危機に瀕していることに気づいてしまう。こいつが刃物を持っていないとは限らないし、そもそも何を目的として俺の家に入ってきたのかもわからない以上迂闊なことはできないはずだった。なのに俺の強気な脅しがとても好ましくない状況を作り出してしまった。これはもういっぺん死ぬしかないな……。
しかし俺が沈黙を続ける以上こいつの動きを読むことは難しい。上手いハッタリをかましてやれればこの状況もどうにかできるかもしれないが、先ほどまでの行動を見てわかるように俺の頭はそんなに良くないんだ。ここはもうすっぱり諦めてしまえば楽に逝けるだろうが、俺も心の底ではまだこの状況に納得しきっていない。せめて一矢報いることができれば……。
「どうしたんだよ、そんな顔をして」
俺は遂に椅子から立ち上がる。むしろさっきまで座っていたのは危機感が無さ過ぎる行為だな。俺はその拍子に男の手元を確認する。特に何も持ってはいないようだが、どこに隠し持っているかわからない。
俺はPCの本体を両手で掴んだ。やられる前にやらなくてはならない。これには命がかかっているのだ。怯えた姿から急に立ち上がった俺に対して男は困惑している様子だった。
「な、なあ大丈夫か?何があったんだよ」
俺は掴んだPC本体を持ち上げた。PCとしては古い型ではあるが人を殴るには十分。データが吹っ飛ぶかもしれないが俺の命が天国に飛ぶよりはマシだ。
「もしかしてまたPCの編集データが飛んだのか?八つ当たりにしても後で金がかかるからやめてくれよ」
俺にはもうあいつの声は聞こえていない。今やるべきことは――――――殺す。男の頭部目掛けて本体を振り下ろす。
「グッ、オォアア!?」
男は頭部への強い衝撃に姿勢を崩して床に倒れこんだ。俺はそれにすかさず二撃目を叩き込もうと体勢を整える。今度は動けないように脚を狙ってだ。男もまさかこうなるとは思ってもみなかっただろうな。しかしさっきこの男が喋ったことも、どこかで会ったことのあるような顔も、まるで俺と同居していたかのように思わせる雰囲気を醸し出している。いやまさかな、そんなわけがないんだ。俺がPC本体を振り上げると、男は弱弱しく囁いた。
「お前、俺に恨みでもあったのか……?」
そうだ、やっぱりそうだ。こいつは俺の同居人だったんだろう。そういう『設定』だ。こいつは天性の詐欺師でそうやって数々の人を騙して殺したんだろう。しかし俺がそれに騙されなかった、そして今は報いを受ける時だ。このやり方は非情かもしれないが俺を殺そうとしたこいつの方がよっぽどってやつだな。当然、俺からの返答はこれだ。
「死ね」
手に持った『鈍器』を男の脚に思い切り振り下ろす。そしてこれらが「バキッ」という好ましくない音を鳴らす。これではPC内のデータどころか粗大ゴミに出すことになりかねんが、まあPC自体そろそろ買い替え時だろう。それに俺の命は金を出しても替えられないからな。
男は軽く脳震とうを起こしているのだろうか、低い呻き声を出している。もう警察を呼ぶまでもないだろう。むしろ今呼んだら俺が捕まってしまいそうだ。事情を説明しても「過剰防衛」扱いだろうな。それならばいっそ俺だけがこの事実を知っていればいい。俺は男との会話を試みようと頭を揺さぶりつつ話しかけた。
「意識はあるか? まだ死んでるわけ無いもんな」
「……あぁ」
どうやら意識は手放していないらしい。それより俺の手に血がべったりと付いてしまった。男が殴られた時に頭から出血したようだ。よく見れば床に鼻血を垂らしている。思えば人生でこんな血を見たことはないかもしれない。
「うわ、汚いな」
俺は無意識にこう言ってしまった。そうだな、殺そうか。それがいい。
それからは無我夢中になって男を叩き潰した。しつこく何度も何度も。でかい蝿を煎餅みたいになるまで潰す作業と言えばわかりやすいだろうか。男は最早原型をも留めない。良く言えば洒落たカーペット、悪く言えば……猟奇殺人の被害者。まあ、仕方ない。
俺は血に塗れたPCの本体を所定の位置に戻し作業を再開する。配線はめちゃくちゃだがデータはしっかり残っていた。テキストデータが真っ赤な血で塗り潰されて読めない部分もあるが、それ以外は特に問題無かった。
ところで、これは現実か?
終
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