短編集
痛みのない話
私には痛みがない。
昨日は気づかないで腹を壊していた。その日は久しぶりに外出しようと決心したのに、水を差されてしまった。
起きた瞬間にそれを思い出し、最悪な気分で目覚めることになる。
痛みを失ったのは小学生の頃。たしか二年に上がったばかりのときだった。私は校庭の岩場で思い切り転んで、右膝を擦りむいてしまったのだ。
あのときの痛みは今でも忘れられない。何せ人生最後の強い刺激だったからだ。今の私にあるのは形にならない憂鬱な気分だけなのだから。
そう、あのときの私は転んだ瞬間の激痛で岩の前を右へ左へと転がっていた。はたから見れば間抜けな光景かもしれないが、そのとき周りにいた生徒も教師も皆、顔が青ざめてしまっていた。その中でも私の担任がひどくうろたえながら「救急車、救急車……」とひたすらに呟いていたのが印象深い。
こうして皆が混乱している間に私は意識を失ってしまった。目が覚めたときには病院のベッドの上だ。しかし私が意識を失っている間、奇妙な体験をしたんだ。
身体中から白い“糸”のようなものがするすると抜き取られていくような夢。それを体を動かすことのできない私はただ見るしかなかった。今思えばあの糸は私の痛覚なのかもしれない。
その夢を見てから私は痛みを感じることができなくなった。最初のうちはまだ幼い子供だったこともあり、色々と無茶をするようになった。高いところを後ろ向きで飛び降りたり、腐った牛乳を飲んでみたりした。
結果的にそれらの行為は全て裏目に出た。私に痛みはなくとも体がそれに耐えることができるかどうかは別なのだ。全身打撲になったときは一ヶ月間全く動けなかったし、腐った食品を食べれば当然腹を壊してしまう。
逆を言えば痛み以外の感覚は全て揃っているのだ。体の機能も普通の人間と同じ。私は特別なんかじゃなく、ただ“失って”しまっただけだった。それに気づいたときには私は中学を卒業していた。よくここまで生きていられたものだ。
中学を卒業してからは外出することもなくなった。家族は皆私のことを心配し続けていたが、いつの日からか腫れ物扱いするようになった。それから私は欝を患い、一日をベッドの中で過ごすことが多くなった。
私が外に出なくなってからちょうど一年後、家族の誰かがとある研究機関に私のことを話した。それから興味を持った機関は私を引き取りに来た。私は抵抗する気にもなれず、研究員に連れて行かれた。
私のことをここまで面倒を見てくれた家族には感謝しかない。その家族にこれ以上迷惑をかけないためにも、私は家族の元から離れるしかなかったのだ。
引き取られて間もないときは何をされるかわからない恐怖もあったが、研究員たちは私のことを一人の人間として見てくれていた。
最初に目隠しをした状態でどの程度の痛みまで耐えられるかテストされたが、私に火傷しない程度の熱を加えても全く無反応だったのを知ってからそのようなテストは行われなくなった。
そしてテストが最後に行われてから8年後、現在は私も研究機関の一員になっている。長らく保護の扱いだったが、私自身が研究に興味を持ち参加するようになったのだ。
しかし保護対象であることには変わらず、外出は禁止されている。私が太陽を浴びることができる場所は中庭だけだ。
中庭にある岩の上は見晴らしが良く、私のお気に入りの場所だ。最近雨が降り続いておりしばらく行くことができなかったが、昨日は久しぶりに晴天だった。だからこそ外に出たかったのだか、腹を壊してしまっていたようだ。
今日の空は曇りだ。外に出るには問題ないが、気持ちが収まらない。できれば晴れ渡る空の下で昼寝をしたかったのだが、だめなものは仕方ない。
そうやって考え込んでいると、私の部屋に一人の研究員が訪ねてくる。
研究員は少し興奮した顔で話した。
「博士。もしかしたら、もしかしたらですよ、痛みを取り戻すことができるかもしれないんです」
私はその言葉に少し驚き、それからこう言った。
「私はもう失ってしまったものをここで埋めてしまったのだよ。皆には悪いが断らせてもらうよ」
研究員は意外そうな顔をした後、納得したようにこう言う。
「博士らしい言葉です。それにあなたが断ってもこの研究は無駄にはなりませんからね。何せ今も世界中で痛みを失った人たちが増え続けているのですから……」
終
2/13ページ