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短編集

思考

 ぐちゃぐちゃの肉塊を尻目に黙々と作業する。肉塊はさっきまで人だったのだが、俺が殺してしまった。だから今はもう人とは呼べないほどにぐちゃぐちゃのどろどろだ。言っておくが俺は悪くないんだ。あの元人間は俺の家に勝手に上がりこみ、俺を殺そうとした。だから肉塊にしたのは正当防衛だ。
 正当防衛とは言え俺以外に証人がいるわけじゃないので人に見つかったらアウトだ。家のどこかに隠そうかと考えたが、あの肉塊は汚いので触りたくない。俺は色々と考えを巡らせた結果、肉塊を放置してPCの作業に戻ったわけ。幸いにも俺の家に遊びに来るような知り合いはいないし、これからそのような予定を取り付ける気も一切ない。
 俺はしばらくの間、この肉のカーペットと共に過ごすこととなる。これがいつ終わるのかと言うと、警察が家を訪ねてきたときぐらいかな。俺は誰かに気づかれるまでアレを放っておくつもりだ。例えアレが腐って変な虫が大量にたかり、異臭が部屋中に広がってもだ。アレの処理はそれほど面倒に感じる。なんならネズミやらが肉塊を全部食らいつくしてくれれば楽ができるってもんだ。ああ、さっさとこの現状から抜け出したい。
 話は変わってPCの画面に映るのは大量に書き込まれたテキスト。しかしそのデータが壊れてしまっている。どんな感じに壊れたかと言うと、まず普通は真っ白であるはずの背景が真っ赤に染まっている。打ち込まれた文字は滑るようにゆっくりと下へ流れていく。元々あった文字列はもちろん、新しく打った文字もまた下に流れてしまうので、作業どころではない。
 しかし俺は何故か文字を打ち続ける。きっと楽しいんだろうな。絶え間なく頭の中を通過していく考えが忘れ去られていくように、打った文字も流れそして消えていく。自分の脳内が視覚化されているようで楽しいんだ。ということはこの文字列を打つこの手も無意識に近いのなのだろう。自分の中で考えたことをそのまま形にできることは良いことだ。全ての芸術家がそれを望むだろう。俺は今、この世で最も素晴らしい芸術家だ。
 芸術、と言えば俺のすぐ隣にある肉塊。どんなに作業に集中していても気がつけばそちらを見ている。さっきまで人間の熱のあったアレは、時間の流れによって冷めてしまっているようだ。これが“死ぬ”ってことなんだな。俺はブラインドタッチでそのことをテキストに打ち込む。文字は下へぬるりと流れていく。落ちた文字はどこかに溜まっているのだろうか。あり得るはずはないのに、俺はディスプレイの下を覗いた。
 ――――あった。血に濡れた大量の文字の山が出来ている。それはぐちゃぐちゃでどろどろで、あの肉塊と似た姿をしている。現実を比喩として捉えるなら、俺の思考が肉塊のようになっているわけだ。
 自分がどんなに有意義な考えをしていたとしても、それが頭の中で流れ落ち、意味のない肉屑として捨てられるのなら、ただ邪魔でしかないあの肉塊と同じものに成り下がる。俺の思考は何の意味もない、食えもしない冷えた肉。ただ腐っていくだけの死んだ脳。それでもなお動く指はカロリーの寿命をすり減らす。それだけ。
 俺は思考停止していたんだ。思考しているふりをして、実際は何も考えていない。無意識どころか意識がどこにも存在していない。現実から逃げて、現状からも逃げて、目の前にあるPCにノイズを吐き出すだけの機械。それに何の意味がある?
 俺の中をほんの少しの電気がはしった。新たな動作をするための脳の反発。思考停止からの脱出。それらが体の中を巡っていく。そして全身に刺激がまわった時に、俺は椅子から立ち上がった。
「……片づけるぞ」
 視線はあの肉塊を明確に捉えた。素手で触れるとぶつぶつしていてすごくキモい。俺はキッチンから大きめのポリ袋を用意し、手で肉塊を詰めていく。人間一人分の量があるので大変だ。一つ目のポリ袋がいっぱいになったらまたキッチンから袋を持ってくる。そして詰めての繰り返し。
 肉の詰まったポリ袋が三袋、みちみちと音をたてている。俺は体中に汚い血がべったりついている。両手の全てが血に染まっているほどだ。あと俺にできることは周辺を掃除することと、自分の体を洗うことだ。ちゃちゃっと済ませてしまおう。
 部屋の片すみにある肉入りの袋以外は以前と同じ光景になった。まるで何もなかったかのよう。俺は気分よく部屋を見渡してみる。そういえば、PCからこぼれ落ちた文字は一体どうなったのだ。ディスプレイの下を覗いてみても文字の山は見当たらない。おかしいと思ってPCの画面を確認してみると、正常なテキストデータが映っていた。そこに書かれているのは大量のうわ言。俺が現実から目をそらしている間に生まれた言葉だ。
 結構な時間を使ってデータを一通り読んでみたが、何と書いてあるか理解できない。これは思考停止ではなくて、本当にわからないんだ。仕方がないのでテキストを閉じ、うわ言の詰まったデータをごみ箱に送った。

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