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左馬刻サマのぬい活事情

左馬刻がソレに出会ったのは、一郎が鞄を置きっぱなしにした日だった。
多種多様な趣味を持つ一郎の最近の流行りがぬいぐるみ遊びだとは知っていたが、まさか鞄にわざわざぬいぐるみ用の鞄を付けて持ち歩くまでハマっているとは思っていなかったのだ。
ビニール素材の外から見える、むしろ見られる事を想定したデザインの鞄の中にいるのは左馬刻のぬいぐるみ、通称さまぬいだった。
中王区が主催するディビジョン・ラップ・バトルの参加メンバーのグッズも展開しており、そのサンプルが送られてくるので左馬刻の部屋に適当な段ボールの中にあるはずだ。
一郎のこれはわざわざゲームセンターで取ったと言っていた物だ。
いつもと違うな、と左馬刻が持ち上げしげしげと見れば左馬刻が愛用しているアロハではなく、緑と茶色のチェックの服を着せられていた。
「んだこれ」
さまぬいが入っている鞄からぬいぐるみを取り出せば、どうやらぬいぐるみに服を着せているようで、冬らしいコートだろう。
「あー!」
背後からの急な大声にビクリと肩を跳ねさせた左馬刻の手から、一郎が飛び掛かるようにしてさまぬいを取り戻し意味などなく背に隠す。
「見たか!?」
「まぁ見ただろうな」
わかっている事を何故聞くのだコイツは、と思いながらさして嘘をつく必要も感じずそのまま答えると、だよなぁ~と諦めたようにそっとテーブルに置く。
「それ、どうしたんだよ」
服が違う事だろうと察し、買ったんだよ、と左馬刻が理解し難い分野の趣味の話しをする時と同じ顔で一郎が説明するには、ネットで個人が作ったハンドメイドのぬいぐるみ服を着せ、一緒に出掛ける事が流行っているという。
どこのガキだ、と思いはしたが誰に迷惑をかけるでもないし、と否定するのはやめるか程度の理解は示すようにしている左馬刻がそうか、と一郎の予想より淡泊に返った返事は本当に疑問だったから聞いた、という声色で馬鹿にでもされるのかと身構えた自身を恥じ、可愛いだろ、と左馬刻に見せるようにさまぬいを手に持ち左馬刻の視界の高さまで持ち上げる。
「チョコミントイメージで、ミントグリーンとチョコレートブラウンの服探すの苦労したんだぜ」
お前がラジオの時にチョコミントが好きって言ってたから、と食べないくせに買って来るチョコミントアイスの謎が急に解けた事にそうか、と相槌を打ったのだが、一郎はそうは思わなかったようだった。
「合歓ちゃんのぬいはないけどさ、左馬刻だって合歓ちゃんのぬいが出たら絶対に色々着せたり出掛けたりしたくなるって」
軽い気持ちで言った一郎の一言。
ただ、シスコンを極めている左馬刻に取っては青天の霹靂程の閃きで、なまじ金に困るような収入ではないだけに本腰を入れたのが極めて速かったのが、一番の誤算だと後に一郎は振り返る事になる。


ダイニングのテーブルに広げられた小さな服、服、服、服、そして小物。
一郎が数年かけてちまちまと買い集めたさまぬいの衣服を越える量の服と、ちょこんとソファーに座っているねむぬいに、そうだった、と左馬刻の行動力に頭を抱えた。
件の左馬刻は外出中で、一郎が電車内で確認した左馬刻からのメッセージにダイニングの上の触るな、と入っていた事からも急用で出かけて行ったのだろう。
「ホネ入ってんだろこれ……」
ぬい活の同士でも舎弟にいるのだろうか、とまずは疑った。
同士でなくとも左馬刻を崇拝とまではいかずとも左馬刻のためなら、という様なのが集まっているような舎弟の面々だ。
調べて左馬刻に教えて、もしかすると作りだす者まで現れたとて何ら不思議はない。
舎弟以外にも、何でも器用にこなす軍人がいる。
左馬刻の金にとやかく言った事はないが、今までこういった趣味を持ったことのない左馬刻には釘を刺しておかなければ際限なく金をつぎ込むに決まっている、と取り合えず話しがある旨をメッセージに入れておく。
初沼は後から支払い明細を見て心臓がキュッとなる事もあるのだ。
一郎にも経験がある。
自重しているつもりで出来ていないのが沼なのだから、こういった事にハマるのが初めての左馬刻なら尚の事、一月に使うぬい活費を決めておいた方がいい。



「金ならあんぞ?」
帰って来た左馬刻を迎え、一通り説明しぬい活費を決めるよう提案した一郎に、ぽかん、と不思議な者を見る目で左馬刻が小首を傾げた。
「金があるのはわかってるんだよ。そうじゃなくて、見境なく使っちまうって言ってんの!」
「わかんねー」
グゥ、と一郎には可愛く見える「わかんねー」に胸を押さえ、だからな、ともう一度沼の恐ろしさを切々と語る。
それでも首を傾げたまま、何を言ってんだコイツは、と見つめて来る左馬刻には一郎の説明の何も伝わってはいないだろう。
「別にちょっと作らせただけじゃねーか」
作らせたっつたかコイツ。
「お前みてーに外に連れてくでもねーんだし、その鞄とかも買ってねーよ」
不貞腐れたようにねむぬいに着せたアイシクル・ピンクのセーターを整えている。
本当に誰が教えたのかぬいぐるみ用ブラシで髪の毛も整え出した左馬刻に、話しを一応は聞いている風だが訊く気はねーな、とこれ見よがしとも取れる大きな溜息に、左馬刻がじろりと一郎を見上げた。
「わーたよ! んな顔しなくたっていいだろーが!」
別に元からそこまで買う気なんかねーよ、とぬいぐるみスタンドをセーターの中に入れテーブルに置き、その横に小さな雪だるまを置いた。
「別に、本物じゃねーんだし、毎日違う服もいらーし、何にも言わねーし」
ツン、と優しくねむぬいを突く左馬刻の横顔は寂しそうで、確かに弟達と離れ離れで暮らしていれば淋しいと思う事はあるだろうが、左馬刻とは違い一郎はいつでも弟達に会う事が出来た。
あ~~、と急に罪悪感で一杯になりながら、テーブルに置かれた服を見る。
気まずさに服の数を数え、ツンツンと突く一瞬は優し気に緩む左馬刻の横顔にガシガシと頭を掻いた。
「玄関に居て貰おう! いってきますとただいま。合歓ちゃんの代わりにさ、ねむぬいに聞いて貰おうぜ」
だからそんな顔するな、とまでは言わず提案すれば意外だったのだろう、パチパチと邪魔そうに長い睫毛を音がしそうな程に瞬かせながら一郎を見つめた左馬刻がふい、と顔を背けなら、とねむぬいの頭を優しく撫でた。
「お前の弟らも、置くか?」


結局は玄関のシューズボックスの上にはねむぬい、じろぬい、さぶぬいの他、さまぬいといちぬいも飾られた。
季節とイベントに合わせてねむぬいの服を変え、時々ペアルックでならぶ碧棺兄妹のぬいぐるみの横、さまぬいの隣でいちぬいが羨ましそうな顔で見ているような気になり、さまぬいといちぬいを時々一郎はペアルックにさせた。
言ったり言わなかったりの「いってきます」と「ただいま」は日常に溶け、ただ一つ一郎が残念だな、と感じるのは玄関でのスーパーレアイベント、いってらっしゃいのキスが一切なくなった事だった。
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