片翼の天使
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古い記憶だ。名前が小学生に上がった頃くらいの、忘れたくても忘れらない、辛く悲しい思い出。いつまで経っても個性が発現しない出久を、母が病院へ連れて行ったあの日。
薄暗い部屋から、母の悲痛な懺悔と泣き声が聞こえる。名前は僅かに開いたドアの隙間から、二人の様子を見ていた。わんわんと泣く母に、酷く戦慄する。何があったのか分からないほど、彼女は愚かではなかった。
「ごめんねえ、出久。ごめんね……!」
自分は何も出来ないという、無力感。家族なのに、姉なのにーーきっと一番辛いのは本人である、出久だろう。だが名前は涙を抑えられなかった。ガクリ、あまりの悲しみで膝が砕け散る。
後ろをちょこちょこついて来ては、ニカッと笑う可愛い弟。そんな彼の夢は、ヒーローになること。それがその日、叶わぬ願いになった。
ぴ、ぴ、という機械音が遠くから聞こえる。名前は目覚まし時計だと思い、止めようと手を伸ばした。しかし体は思うように動かず、代わりに強い倦怠感を訴えてくる。まどろみの中にいた意識が、だんだんと現実に引き戻さる感覚。彼女は瞼を、そっと押し上げた。
「名前……! 目が覚めたのね!」
白い天井に、涙を溜めた母の顔。名前は唯一自由の利く目だけを動かし、何とか状況を把握しようとした。すると母と入れ替わるようにして、白衣を着た男が彼女を覗き込む。彼の風貌から察するに、おそらくここはーー
「名前さん、ここがどこか分かりますか? ここは病院です」
白衣を着た男こと、ドクターの問いかけに名前は頷く。体が怠いので上手く動いたか定かではないが、どうやら伝わったようだ。ホッと表情を和らげたドクターが、母に告げる。
「意識の混濁は見られません。もう大丈夫でしょう」
「ありがとうございます……! 良かったねえ、名前!」
ついに泣き出した母が、ハンカチを目元に当てる。その姿は、名前にあの記憶を彷彿とさせた。まるで今起こっていることかのように、虚しさや悲しさがフラッシュバックする。
「リカバリーガールには私から連絡しておきます。お大事に」
そう言い残し、ドクターが退室していく。リカバリーガールという聞き慣れない名に名前は一瞬、気を惹かれるがーー母の言葉でその興味は断ち切られた。
「あなた、一週間も眠っていたのよ。出久も私も、それはもう心配して……」
一週間。その一言でどれほどの心労をかけたのか、名前には痛いほど分かった。ゆっくりとだが、何があったのか思い出す。たしか海浜公園で、あの人にーー
「また個性を使ったって聞いたわ。オールさんという方が、謝りに来たの」
どくん、名前は心臓が大きく脈打つのを感じた。酸素マスクを付けているのに、呼吸がままならない。瞬く間に目の前が暗く、世界が萎んでいく。そして最後に聞こえた母の声は、その後の彼女に深い影を落とすこととなった。
「あなたの個性で人は救われない。それはあなたが一番、分かっているはずよ」
*
気がつけば夏は過ぎ、秋の季節がやってきた。名前は病室の窓から、すっかり色づいた木々を眺める。風が吹けばハラハラと、落ち葉が舞った。
たしかいつだったか読んだ小説では、最後の葉が散った時、その命も終わるとーー馬鹿馬鹿しい、と彼女は頭を振る。ドクターの話では、もうすぐ退院出来るらしい。それもこれも素晴らしい治癒者である、リカバリーガールのおかげだ。
あれから名前は大学を休学し、のんびりと療養している。肺と胃に負ったダメージは凄まじく、回復にはそれ相応の時間が必要だったのだ。今ではだいぶ善くなったが、後遺症なのか腹にはどす黒い痣が残っている。
名前は自分に近づいてくる気配を感じ取り、顔を上げた。今日、誰かが来るとは聞いていないが、母だろうか。
「あっ、お母さん? いつも着替えありがとーー」
ぬ、と現れた人物に名前は息を止める。身長二メートルを超える者なんて、そう見間違えるはずもない。それに入院中、彼女が彼のことを忘れた時はなかった。笑っているのか泣いているのか、よく分からない顔で彼、以前オールと名乗った男は言う。
「……やあ」
突如として、名前は強い感情の波に攫われる。いつかは来ると覚悟していた瞬間なのに、逃げ出したくて堪らなくなった。しかし彼の力強い瞳が、それを許さない。顔は酷く窶れ、目元は落ち窪んでいるのに、その輝きは彼女を捉えて離さなかった。
「出久君から、君の容体は聞いていた。何度も見舞いに行こうとはしたのだが……遅くなってすまない」
名前が無理矢理に巻き込んだとはいえ、原因の一つであるオールが見舞いに来るのは、家族としてどう思うか。母に断られたであろうことは、想像に難くない。名前はぎこちない動作で、首を横に振る。
ふと、自分の手が目に入った。ガタガタと小刻みに震えている。しかし何か、何か言わなくてはーー
「か、勝手なことをして、すみませんでした。私は……」
ああ、とオールが名前の懺悔を遮る。今や彼の瞳は、激しい怒りと悲しみに塗り潰されていた。名前はひ、と小さく悲鳴を漏らす。耳を塞ごうとしたが、間に合わなかった。
「もう二度と、個性は使わないでくれ。迷惑だ」
薄暗い部屋から、母の悲痛な懺悔と泣き声が聞こえる。名前は僅かに開いたドアの隙間から、二人の様子を見ていた。わんわんと泣く母に、酷く戦慄する。何があったのか分からないほど、彼女は愚かではなかった。
「ごめんねえ、出久。ごめんね……!」
自分は何も出来ないという、無力感。家族なのに、姉なのにーーきっと一番辛いのは本人である、出久だろう。だが名前は涙を抑えられなかった。ガクリ、あまりの悲しみで膝が砕け散る。
後ろをちょこちょこついて来ては、ニカッと笑う可愛い弟。そんな彼の夢は、ヒーローになること。それがその日、叶わぬ願いになった。
ぴ、ぴ、という機械音が遠くから聞こえる。名前は目覚まし時計だと思い、止めようと手を伸ばした。しかし体は思うように動かず、代わりに強い倦怠感を訴えてくる。まどろみの中にいた意識が、だんだんと現実に引き戻さる感覚。彼女は瞼を、そっと押し上げた。
「名前……! 目が覚めたのね!」
白い天井に、涙を溜めた母の顔。名前は唯一自由の利く目だけを動かし、何とか状況を把握しようとした。すると母と入れ替わるようにして、白衣を着た男が彼女を覗き込む。彼の風貌から察するに、おそらくここはーー
「名前さん、ここがどこか分かりますか? ここは病院です」
白衣を着た男こと、ドクターの問いかけに名前は頷く。体が怠いので上手く動いたか定かではないが、どうやら伝わったようだ。ホッと表情を和らげたドクターが、母に告げる。
「意識の混濁は見られません。もう大丈夫でしょう」
「ありがとうございます……! 良かったねえ、名前!」
ついに泣き出した母が、ハンカチを目元に当てる。その姿は、名前にあの記憶を彷彿とさせた。まるで今起こっていることかのように、虚しさや悲しさがフラッシュバックする。
「リカバリーガールには私から連絡しておきます。お大事に」
そう言い残し、ドクターが退室していく。リカバリーガールという聞き慣れない名に名前は一瞬、気を惹かれるがーー母の言葉でその興味は断ち切られた。
「あなた、一週間も眠っていたのよ。出久も私も、それはもう心配して……」
一週間。その一言でどれほどの心労をかけたのか、名前には痛いほど分かった。ゆっくりとだが、何があったのか思い出す。たしか海浜公園で、あの人にーー
「また個性を使ったって聞いたわ。オールさんという方が、謝りに来たの」
どくん、名前は心臓が大きく脈打つのを感じた。酸素マスクを付けているのに、呼吸がままならない。瞬く間に目の前が暗く、世界が萎んでいく。そして最後に聞こえた母の声は、その後の彼女に深い影を落とすこととなった。
「あなたの個性で人は救われない。それはあなたが一番、分かっているはずよ」
*
気がつけば夏は過ぎ、秋の季節がやってきた。名前は病室の窓から、すっかり色づいた木々を眺める。風が吹けばハラハラと、落ち葉が舞った。
たしかいつだったか読んだ小説では、最後の葉が散った時、その命も終わるとーー馬鹿馬鹿しい、と彼女は頭を振る。ドクターの話では、もうすぐ退院出来るらしい。それもこれも素晴らしい治癒者である、リカバリーガールのおかげだ。
あれから名前は大学を休学し、のんびりと療養している。肺と胃に負ったダメージは凄まじく、回復にはそれ相応の時間が必要だったのだ。今ではだいぶ善くなったが、後遺症なのか腹にはどす黒い痣が残っている。
名前は自分に近づいてくる気配を感じ取り、顔を上げた。今日、誰かが来るとは聞いていないが、母だろうか。
「あっ、お母さん? いつも着替えありがとーー」
ぬ、と現れた人物に名前は息を止める。身長二メートルを超える者なんて、そう見間違えるはずもない。それに入院中、彼女が彼のことを忘れた時はなかった。笑っているのか泣いているのか、よく分からない顔で彼、以前オールと名乗った男は言う。
「……やあ」
突如として、名前は強い感情の波に攫われる。いつかは来ると覚悟していた瞬間なのに、逃げ出したくて堪らなくなった。しかし彼の力強い瞳が、それを許さない。顔は酷く窶れ、目元は落ち窪んでいるのに、その輝きは彼女を捉えて離さなかった。
「出久君から、君の容体は聞いていた。何度も見舞いに行こうとはしたのだが……遅くなってすまない」
名前が無理矢理に巻き込んだとはいえ、原因の一つであるオールが見舞いに来るのは、家族としてどう思うか。母に断られたであろうことは、想像に難くない。名前はぎこちない動作で、首を横に振る。
ふと、自分の手が目に入った。ガタガタと小刻みに震えている。しかし何か、何か言わなくてはーー
「か、勝手なことをして、すみませんでした。私は……」
ああ、とオールが名前の懺悔を遮る。今や彼の瞳は、激しい怒りと悲しみに塗り潰されていた。名前はひ、と小さく悲鳴を漏らす。耳を塞ごうとしたが、間に合わなかった。
「もう二度と、個性は使わないでくれ。迷惑だ」
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