巳樓記
油照腕を突き刺す陽の光全てを恵み全て蝕む
2025/07/16 18:00暑い。それ以上でもそれ以下でもない。ただひたすらに暑い。
まるで小籠包にでもなったかのような気持ちだ。太陽に蒸されている。纏わりつくかのような暑さには参ってしまう。
それだけではない。この暑さときたら、暑いを通り越して、痛いのである。こんな暑さだ。勿論私は半袖の服を着ている。長袖など着ていられない。そのさらけ出した腕が刺されるかのように痛いのである。まさに太陽のあの斜光が、そのまま槍のような武器にでもなって、それに何度も何度も刺されているかのようだ。
ここまでは夏の嫌なところを語っていたが、どうせなら夏の素晴らしいことも語ろうではないか。
やはり夏の何がいいかって、夕方に物悲しく鳴くヒグラシだろう。私にとってあの虫ほど不快感の少ない虫はいない。ただ、あの虫にずっと鳴いていてほしいわけではない。夏の夕方。そういった情緒的な時間にあの声が聴こえるからこそ、よりいっそう好きになるのだ。
しかし、ヒグラシはまだこの時期にはいない。彼らはもう少し秋に近づいてから出てくる。そうだとしたら、今この時期で夏の良きものとは何であろうか。
それは“蚊取り線香の香り”である。
夏になると得体のしれない気持ちの悪い虫が大量発生して不快感に見舞われるのは言うまでもないが、それを解消してくれるのが、まさに蚊取り線香である。一度焚けば大抵の虫は消え失せる。しかも焦げ臭いのではなく、ほのかに甘く、そして優美な香りだ。この雅が家中に漂うのだ。なんと素晴らしいことだろう。
どんな物にも良い所、悪い所必ずある。夏は確かに暑さや虫が鬱陶しい。否定するものはいないだろう。
しかし、もしこの暑さがなかったとしたら、
風鈴はあの清涼な音色を奏でていただろうか?
まるで小籠包にでもなったかのような気持ちだ。太陽に蒸されている。纏わりつくかのような暑さには参ってしまう。
それだけではない。この暑さときたら、暑いを通り越して、痛いのである。こんな暑さだ。勿論私は半袖の服を着ている。長袖など着ていられない。そのさらけ出した腕が刺されるかのように痛いのである。まさに太陽のあの斜光が、そのまま槍のような武器にでもなって、それに何度も何度も刺されているかのようだ。
ここまでは夏の嫌なところを語っていたが、どうせなら夏の素晴らしいことも語ろうではないか。
やはり夏の何がいいかって、夕方に物悲しく鳴くヒグラシだろう。私にとってあの虫ほど不快感の少ない虫はいない。ただ、あの虫にずっと鳴いていてほしいわけではない。夏の夕方。そういった情緒的な時間にあの声が聴こえるからこそ、よりいっそう好きになるのだ。
しかし、ヒグラシはまだこの時期にはいない。彼らはもう少し秋に近づいてから出てくる。そうだとしたら、今この時期で夏の良きものとは何であろうか。
それは“蚊取り線香の香り”である。
夏になると得体のしれない気持ちの悪い虫が大量発生して不快感に見舞われるのは言うまでもないが、それを解消してくれるのが、まさに蚊取り線香である。一度焚けば大抵の虫は消え失せる。しかも焦げ臭いのではなく、ほのかに甘く、そして優美な香りだ。この雅が家中に漂うのだ。なんと素晴らしいことだろう。
どんな物にも良い所、悪い所必ずある。夏は確かに暑さや虫が鬱陶しい。否定するものはいないだろう。
しかし、もしこの暑さがなかったとしたら、
風鈴はあの清涼な音色を奏でていただろうか?
