某章

 山の木々が赤く燃える季節。多くの人々が行き交う城下町。日が西の方に傾きかけた頃。赤みがかった茶の、子犬の耳が如くはねた髪を揺らし、さほど可愛くもない女を両手に、犬山飯之いぬやまいいすけは女共と駄弁りながらだらだらと歩いていた。
 ふと、彼らの前を黒い猫が横切った。人に飼われているらしいその黒猫は、首輪の小さな鈴をチリンと鳴らしながら、何かを探すかのようにてくてくと歩いていた。
「あら、可愛らしい黒猫だわ。そういえば、黒猫に会うのは幸運の前触れだって言うじゃない?」
「ええ、よく聞くわね。…はあ、これでうちの店も繁盛しないかしら…。」
「本当、うちのとこもよ。あ、そうそう、店のことなんだけど、この前___」
 女共は自分の店の客がどれほど腹立だしいか、競うかのように不幸自慢をし合っている。黒猫のことなど、彼女らはもう既に忘れている。不幸自慢ほど楽しい話はないのである。
「___それで、飯之さんはどう思います?」
 女の一人の問いかけに、飯之の意識が戻ってくる。
「ああ、ごめん、ごめん。ちょっと考え事してたわ。」
 軽く笑いながら飯之は謝る。女共は飯之に不満を垂れるが、その表情に怒りは見えない。

 この時、飯之は彼の友人のことを思い出していた。ある日、猫の如き耳が生えてしまった友人、猫宮黑之助ねこみやくろのすけ。自身の前を通り過ぎた一匹の黒猫に、その友人の姿を重ねていた。
 実を言うとここ最近、彼の姿を見かけないのだ。いや、彼は基本的に神出鬼没だから会えないのはよくあることだが、それにしてもひと月は見ていないのは珍しい。現に、今さきほど黒猫を見るまで黑之助のことは飯之の頭になかった。
(あいつ…最近どうしてんのかな。まぁ、あいつのことだ。家を追い出されたところで、今更そう簡単にくたばっちまうような奴では絶対ねぇけど、それにしても心配だな。)
わりぃ、急用思い出しちまった。ごめんな嬢ちゃん達、オレちょっと行くわ。」
 そう言い残し、女共を置いて飯之は行き交う人の群を抜けて夕焼けの中に消えていった。

___どこかで猫が鳴いている。何かを求めているかのように。きっと先刻の黒猫だろう。

 城下町から少しだけ離れたところにある、木造のそう大きくはない家。日はもうすっかり落ちて、夜の闇の中で鈴虫や松虫達の声だけが飯之の耳に届いていた。
「おーい、黑之助、生きてるかー?」
 勢いよく戸を開け、飯之は家の中に向かって叫ぶ。飯之の声が家の中に響き渡る。こんな時間に留守かと飯之が引き返そうかとつま先を後ろに向けたその時、
「…い、いすけ、か…?」
 掠れたような、舌っ足らずな男の声が聞こえた。男の声にしては妙に高いような気もしたが、彼が探している友人の声で違いなかった。
「黑之助?いんのか?」
 そう言うなり飯之は家の中に入る。
「…やめ、ろ、く、くるな!」
 友人とおぼしき男は彼を拒む。呂律の回らぬ声で。
「はぁ?なんでだよ、具合悪いのか?オレは流行病には罹ったことねぇから伝染らねぇよ。安心しろ。」
 そう言い放ち、飯之は声のする部屋の障子を蹴破るがのごとく開く。
 暗い室では、中央部分が少し膨らんでいる布団が、揺らめく灯火に照らされていた。その布団の中から金色2つの光が漏れ出す。飯之はそれ、、が何かすぐにわかった。
「なんだよ、黑之助。本当に具合悪そうだな。」
 そう言って飯之は、彼の様子を見ようと黑之助の布団を引っ剥がす。飯之は雷に打たれたかのような衝撃でほんの一瞬、固まってしまった。
 彼の目に飛び込んできたのは、熱に震え、呼吸が荒く、頰を紅く染め、着物も髪も乱れ、苦しげに耳を伏せた友人の姿___それだけなら風邪と思うだろう。さらに己のソレに刺激を加える、なんとも情けのない姿だった。

「黑之助、お前…『さかり』か…?」
 閃いたように飯之は言う。その言葉に黑之助は震えながら頷き、言葉を紡ぐ。
「…だから、くるな、と、いった…。」
 そう言う黑之助は灯火に照らされて妖艶に見えた。乱れた着物や髪から見える橙に内側から熱い何かがこみ上げてくるかのようだ。紅色の頰に目から涙が零れ落ち、それもまた嗜虐心に訴えかけるのだった。
 さて、そんな黑之助に対し、飯之は口角を小さく上げて言う。
「相手がいればいいんだろ?」
 そのようなことを普段の黑之助なら、何を馬鹿げたことを、と斬り捨てるはずだ。しかし、状況が状況なのだ。黑之助は、それは本当にまるで雌猫のような調子で、愛らしげに頷くのだった。


(何故だろう。女の子よりも良かったな。)
 飯之はぼんやりと闇を眺める。隣では黒いネコが眠っている。髪は、まあ、乱れているが、呼吸は落ち着いているようだ。
 眠る友人を優しく撫でて、飯之も眠りについた。

 翌朝。飯之が目を覚ますと、室に友人の姿は見えなかった。彼を探しに室を出ると、昨夜、斯様のことがあったというのに、常のような調子で着物を乱れなく着こなして髪を高く結い上げた、友人の姿が丁度あった。
「…俺は行く。お前は好きにしてろ。」
 いつもと変わらぬ調子で友人に言い放つ。なるほど、ある意味で言えばこれも「漢らしさ」なのかもしれない。
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