襤褸切れの猫


 猫耳侍と呼ばれた男、猫宮黑之助ねこみやくろのすけは、武家猫宮家の末弟であった。さて、この男、幼少期は剣技に冴えず、末弟ということも相まって家内では其れこそ冷遇されていた。そんな彼がある朝、目が覚めると猫耳が生えていた。家の者はそれを気味悪がり、何の悪事も働いてはいないのにまるで親殺しの罪人が如くひどく罵った。そして、猫宮家先代当主にあたる彼の父によって、彼は家を追い出されたというわけだ。
 そもそも何故彼に猫耳なぞ生えたのだろうか。それは猫宮家の書物庫の奥の奥に隠された『ねこみや伝来』に詳しい。その書物には次のように記されている。ここでは現代語訳したものを載せる。

「男は国司に出かけた先で世にないほど美しい女に会う。女はたいそう珍しい金色の目の色をしており、歯が人のものよりも幾分鋭かったが、それすらも美しいと思えるほど男は女に惚れ込んでしまった。男は来る日も来る日も女に会い、とうとう女の腹には男との子ができた。
 そして、女が子を産んだ時、男はその子を見て驚いた。その子には猫のような耳と尾が生えていたのだ。女は子を抱きながら男に『実を申せば、私は化け猫なのです。初めのうちは人を騙して過ごしておりましたが、貴方様と出会い、恐れ多くも貴方様に愛され、私も貴方様を愛してしまったのでございます。ですが、貴方様は人で私は怪異。交わってはならぬのです。どうぞ私とその子のことはお忘れになってくださいな。』と言った。すると女の体はみるみるうちに縮んでいき、尾が二又に分かれた黒い猫になっていた。その小さな体を、男は抱きしめて『どうしてそのようなことを言うのか。私はお前が人であろうが怪異であろうが、お前を愛している。お前は私の妻だ。ずっと側に居てくれ。』と言う。夫婦めおととなった二人はその国で幸せに暮らした。その国がここ、〇〇(黒く塗り潰されていた)である。」

 つまり、猫宮家は化け猫の家系だったのだ。しかし、この書物はまるで隠されているかのように書物庫の奥底で眠っており、数百年間誰も目にしたことがない。故に家の者は誰もこの話を知らないのだった。
 この話が正しいか、そしてその数百年の間に猫耳が生えたものがいたかは定かではないが、少なくとも今、黑之助に猫耳が生えていることは事実である。

 己を捨てた猫宮家の者共を見返す為に黑之助は武功を立てようとした。しかし、彼の生きた江戸は太平の世。大火はあれども戦などそう起こるものではなく、立てる武功などありやしない。
 黑之助は夜の闇の中、当て所無く彷徨っていた。襤褸切れのような髪から覗く猫の耳だけが小さく動いていた。城下町から少し離れた土地に小さな庵を構え、そこで侘しげに暮らしていた。彼の元を偶に訪れてくれる古くからの友人が居なかったならば、彼はとっくのまに武士の矜恃も捨て去り、盗みでも殺しでも働いていたかもしれない。あるいは、武士の矜恃は捨てきれずとも、腹を切って死んでいたかもしれない。彼はひどく打ちひしがれていた。
 この猫耳が生えてから、黑之助は七里先の音までも能く聞こえるようになった。人の足音、笑う声、泣く声、怒る声、そして、身の毛もよだつ怪談話。夜な夜な人を脅かす物の怪だとか、将又、若き娘を娶っては喰い殺す鬼だとか、或いは人に化けて人を謀る狐だとか…。
 あな恐ろしき斯様の類、己の猫耳を手で触れつつも、その時の黑之助には唯の物語のようにしか聞こえなかった。そう、かの大鼠を屠るまでは…。
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