猫可愛がり

水で満たされた丸い硝子瓶の中、麗しき一匹の白蛇が焦れったそうに外を眺めていた。白蛇の名は濡神。「水郷」を司る筆神である。なぜこの蛇が硝子瓶に閉じ込められているのかと言うと…それは本人にもわからない。気付いたら瓶の中に居たのだ。濡神は何度もその中から出ようと試みたが、瓶の栓が抜けたことは一度たりともなかった。
そんな濡神には触れてみたい神がいた。自分と同じ、純白の身体と紅の隈取。違う所と言えば、四つの足と体毛とヒゲだろうか。他に何かあるとすれば…その神は最も…“自由”なのだ。
(壁神さん…今日こそあなたを撫でてみたい…。そのモフモフを感じてみたい…。)
濡神は愛する者の姿を思い浮かべる。なんとも可愛らしい猫がこちらに向かって鳴いている。
(いや…、でも…。)
濡神は蛇、壁神は猫。猫というものは蛇に見えた胡瓜を怖がるくらいには、蛇というものがどうも苦手なのだ。
さらに言えば、猫は濡れることを好まない。少し水に当たっただけで物凄い形相でどこかへ逃げてしまう。
そのことを知っていた濡神は壁神に出会ってもいつも素っ気なく接してしまう。本当は仲良くしたいのに。触れてみたいのに。
「はぁ…壁神さん、一度でもいいからあなたを…。」 「濡神ちゃん?わたしがどうしたの?」
濡神が誰にでもなく呟くと、どこからかひょっこりと壁神が現れた。噂をすればなんとやら。猫は自分の名前に敏感なのである。
「か、壁神さん!?あ、いや、えっと…。」
焦る濡神に首を傾げる壁神。
「か、壁神さんは…、やはり猫ですから…、水って苦手…ですよね…?」
「うん。」即答する壁神。
「うっ…。そ、そうですよね…。」
濡神の胸がチクリと痛む。素直さや純粋さというものは時に人を傷つけてしまう。
「それではやはり…蛇は苦手…ですか…?」
「うーん…。ちょっと、怖いけど…でも、濡神ちゃんは怖くないよ!濡神ちゃん、かわいいもん。」 「え、本当ですか…?」
もちろんと言わんばかりに壁神は首を縦に振る。濡神は照れ笑いをする。
しかし、また悲しそうな顔に戻ってしまう。
「でもやっぱり…水が苦手ですよね。」
「それはそうだね。濡神ちゃん、今日はよくお話ししてくれるけど、どうしたの?」
「え、えっと…!」
好奇心旺盛な壁神は濡神の瓶に肉球を押し付けて何度も聞く。もう話を逸らせそうにも無いので、仕方なく言うことにした。
「私…本当は壁神さんと仲良くなりたかったんです…。でも…、私って蛇だし、水郷の筆神だから…。壁神さんに怖がられてしまうって思ったんです。」
濡神の告白に壁神はいつものようににっこり笑う。
「わたしも濡神ちゃんと友達になりたい!」
「え、いいんですか…?私、蛇ですよ?濡れてるんですよ?」
「さっきも言ったけど…濡神ちゃんは、怖くないよ!だってわたしたち、同じ筆神だもん!」
濡神の目から大粒の涙が溢れ出す。最も、水中なので涙が水と混ざってよく見えないが…。
「うぅ…。ありがとう、壁神さん。私、うれしいです。」
「もう壁神でいいよ!友達だからね、濡神。」
「は…、あ、うん。壁神。」
蛇と猫は笑い合う。もはや二神を隔てる壁は無いのだろう。
「あ、そうそう、壁神ちょっといい?」
「?何?」
「この硝子瓶の栓、外してくれる?」
「それは無理かな。」
壁神は間髪入れず答えるのだった。
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