月代と清庭と

あの襲撃から少し経ち、審神者の本丸はほぼ修繕が完了し今までと同じ日常の時間が流れ始めていた。





ただ、一人を除いて────────






「────暫く鍛錬を止める?」

「……そう」


鶴丸を執務室に呼び出した審神者は、すぐにそう告げた。

彼は眉を寄せ腕を組んで暫く、重い口を開いた。


「……俺が憑依したせいか?」

「…………」


審神者は違う、と咄嗟に声に出す事が出来なかった。

その理由を、問われたくなかったからだ。


「怖い思いをさせてすまなかった……だが君なら、あの襲撃で益々自分の力を高めたいと考えると思っていた…………」


審神者は少し目を見開いた。

鶴丸にそう思ってもらえていたなんて、彼女は知らなかった。

だが彼の言葉が誤解だと分かっていても、何も答えることが審神者にはできない。

鍛錬を止める理由は、彼女の気持ちのせいだからだ。

それを彼に言うことは、とても出来ない。




「…………俺の見込み違いか」


わかった、そう了承の意を告げ彼は執務室を出て行った。









彼の足音が完全に遠のいたのを確認し、審神者はようやく深い息を吐いた。

机にベッタリと突っ伏し、足をジタバタとさせる。


「だってさ〜!! しょうがないじゃん……」


審神者はあの襲撃事件以降、彼を見るとドキドキしてしまう自分が本当に嫌だった。

審神者が刀剣に恋なんて、という思いもあるが何よりあれだけ嫌っていた相手に好意を抱いてしまったなんて、そんな自分が彼女は嫌で嫌で仕方なかった。


「しかもあれだけ嫌いと本人にも公言しておきながら…………今更どの面下げて言えってのよ……」


ごもっともである。

だが、審神者にとって先程の鶴丸の言葉は刺さるものがあった。

審神者の指示で鶴丸に憑依させ戦った際、確かに恐ろしかったのだ。

斬る感触や、斬り込まれる恐怖、どちらも今思い出しても震えるほど恐ろしいことだと彼女は身震いする。

けれど、彼女はそれを刀剣男士たちに普段強いていることだと思うと、この出来事を忘れてはいけないことだと強く思った。

自分こそ、この恐怖を理解していなければならない。

そして乗り越えなければならないことだと。

そう考えてはいても、恐怖心が無くなるわけではない。


(逃げていいわけないし、立ち向かわなきゃとは思ってるけど……)


「問題はそこじゃないんだよなぁ〜」


ぐったりと項垂れていると、障子がスパーンと開け放たれた。


「────なら、問題はどこだ?」








(やっば……)


審神者は背筋が凍った。





開け放ったのは鶴丸であり、彼は執務室からワザと気配と足音を消して審神者の様子を窺っていたのである。

それに審神者が今更気付いても遅い。


「……………問題、は……ない」

「そうか。では何がしょうがないんだ? 本人に嫌いと公言して……どの面下げて、だったか? どうしてそんな言葉が出てくるんだ?」


完全に全て聞いてやがった。

審神者は怒るどころか完敗の白旗である。

負けを認めるからもうどこか行ってくれ! そんな思いを抱くが、彼は距離をジリジリと詰めてくる。


(お、追い詰められる前に何とか……)


何とか、どうするつもりなのか。


「…………主」



まだ白状しないのか。

彼の瞳からは、そんな言葉が読み取れる。


(出来るか!)


白状とは最早告白である。

審神者にそんな勇気はない。


(そもそも、鶴丸は何でこんな突っ掛かってくるのよ!! 好きじゃない癖に!)


だがそれも言葉にならない。

審神者が発しようとする言葉はどれも音にならず、はくはくと口を動かすだけだ。


「…………俺にも、怯えているのか……?」


突然、彼はそう言いながらピタリと動きを止めた。

彼の驚いた表情に、審神者も驚く。


(……鶴丸を、怖いなんて…………そういえば敵を斬ることは恐ろしいと思ったけど、鶴丸のことをそうだとは思わなかった)


「………………すまない」


彼が徐に出て行こうとし、審神者は突然のことに思わず彼の袖を掴んで引き留めた。

鶴丸はそれに少し驚き、審神者へゆっくりと振り返る。


「そ、そんな風に……思ってない。思ってないよ」


彼の顔を見て言うのは何だか恥ずかしく、審神者は下を向きながらになってしまったが、はっきりとそう告げる。

彼は暫く表情の見えない審神者を見ていると、ため息をついた。


「……なら何故俺を避ける」

「こ、答えられない」

「やはり俺を恐ろしく思ってるのではないのか?」


もっと答えられる質問をしてくれ。

審神者は最早泣きたくなってきた。


「そうじゃなくて、そうじゃないの! あの襲撃事件は怖かったし忘れられないけど、もっと自分が戦えるようにならなくちゃって思ったし……」

「だが、鍛錬はしないのだろう? そして今も、俺と目を合わせようともしない」


そう言われ、審神者はヤケクソで顔を上げた。

審神者は鶴丸と目が合うと、カッと顔に熱が集まるのが分かったが、もう構うものかと捲し立てるように話した。


「鍛錬したいけど! 今はいつも以上に政府への報告案件が多いし、正直言ってやっぱり恐怖心は簡単に消えないから! 鶴丸が怖いとかじゃなくて私の心の整理がつくまで待って、ってこと! わかった?!」




「…………分かった。では俺が怖くないんだな?」

「もちろん」

「俺を恐ろしく思ってないんだな?」

「もちろん」

「俺を嫌ってないのか?」

「もちろん」

「…………やはりそうなのか」

「いやいやいや、ちょっと待って」

「俺を好きか?」

「もちろ……って違う! ちょっと待って! それずるくない!? 流れで無理やり言わせようだなんて!!」

「でもそうなんだな」

「違うってば!」


完全に審神者のミスである。

焦りまくっている審神者と違い、鶴丸はニヤニヤと嬉しそうに笑っている。


「主には黙っていたが……実は知っていた」

「は? 何を? 私が鶴丸に惚れたとか言わないでよ? それは鶴丸の妄想でしょ?」

「あの時、皆の前で言ったことだろう? 嘘じゃない、だろ?」


髪を一房掬われ、勝ち誇った笑みを浮かべられる。

いつの間にか詰められた距離にも、言われた言葉にも審神者は反論しようにも動けないし話せない。

彼の自信に満ちた笑みには、人を魅了する力がある。

少し前髪がかかった中から見える黄蘗きはだ色の瞳が、審神者を捕らえて離さない。

刀を教えてもらう前まで見ていた、あの鋭い瞳と同じものとは今の審神者には思えなかった。




思えなく、なっていた。





「君に憑依した時、不思議と君の感情が聞こえた。俺を苦手に思っていたことも、俺が命を懸けて君を助けたことを……感謝以上の想いを抱いてくれたことも」

「…………」


掬われた髪に、そっと口付けられる。

審神者はあの襲撃事件以降、風呂には入っていたが丁寧に髪の手入れなんてしていなかった。

そのことが急に恥ずかしくなり、カッと熱くなる。

彼の言葉が、耳に入ってこないほどに。


「………………嬉しかった」


(……今、彼は何て言った?)



また見つめられる。

彼に見つめられ熱くなり震える中、右手を取られる。

彼から視線を外せず、何をされるのかと思っていると彼の手と重ねられ、互いの指と指を一本ずつ絡めながら優しく握り締められる。

その間もずっと、彼は審神者を見つめ続ける。

その目に、審神者はまるで自分が強く求められているかのように錯覚してしまう。

握られた手は、手だけでなく全身が彼に優しく包まれているように思えてしまう。


(…………頭、回らない……彼は、なんで……こんな)


「………………主、言ってくれ」

「……なに、を」


少し、また少しずつ彼と距離が縮まる。

もう少しで、鼻先が触れあってしまいそうなほど彼が近くにいる。

審神者は、もう何も考えられなかった。

フワフワと思考に靄がかかり、彼しか見えなくなる。


「俺を、鶴丸国永をどう思っている?」

「鶴丸、を?」

「そう。言ってくれ」


優しい彼の微笑みと、彼の右手が審神者の頬を優しく撫でるその手に、審神者は自然と声が出た。


「…………好き、なの……」

「あぁ…………ありがとう」

「す、きなの……すきなの」


一度言ってしまえば、何度でもするりと言葉にできた。

互いの額が重なり、審神者の頬に涙が伝った。

彼女は、自分が何故涙を流しているのか分からなかった。


「本当は助けてくれる前から、ずっと好きだったの。貴方のことばかり、考えていたの。指導してもらう前から、意識していたのかもしれない」

「あぁ…………俺もだ。主が他の刀を見ないよう、俺ばかり意識して欲しくて」

「ほんとう?」

「本当だ…………好きだ。愛している」

「……わ、たしも」


好きだ。

審神者の言葉は、言葉にならなかった。


柔らかな唇が押し付けられ、黙らされる。

話そうと開いていた口内に、ぬるりと彼の舌が入ってくる。


「んっ……」


話そうとしていた分、息が漏れる。

彼の舌に驚き、逃れようと引っ込めようとした彼女の舌が絡め取られる。

舌に残る唾液が彼の方へ流れていき、ゴクリと鶴丸が嚥下する音が直ぐ近くで聞こえて審神者の羞恥が一気に蘇った。


「んんんんーっ!!」


審神者が叫ぼうとしても、暫く彼女の口内を堪能し続けた彼がようやく唇を離す頃には、審神者はぐったりしていた。

そして、審神者はぐったりしながらも気付く。

いつの間にか、彼に握られていた右手も空いた自分の左手も彼の首に回されている。

そんな動きをした覚えはないのに。


「………………私も、なに?」



おかしい、いつの間に。そう言おうとする前に彼からそう言われ、審神者はきょとんとした。

鶴丸は、そっと彼女を抱きしめながらもう一度そう尋ねる。


「…………え?」


ぐったりと力の入らない審神者は、もう鶴丸に抱きしめられるがまま彼の肩に頭を預けて呆けていた。

彼の問いかけが何なのか、思い出せない。


「先ほど、俺が愛していると言った後」

「……………………」


とん、とん、と静かにゆっくりと背を撫でる様に優しく叩かれる。


(……言えと、さっきの言おうとした言葉を。それはさっきも言ったのに…………)


彼の手に抗えないが、恥ずかしくて言いたくもないと黙っていると、するりと彼の手が背中から下へ降りていく。

腰のあたりを触れられた瞬間、ぞくりと鳥肌が立った。


「ちょ、鶴丸!?」

「何だ?」


彼は、至って平然とした面持ちだ。

審神者は、真っ赤になった顔で彼を睨みつけるが、それを見ても彼は笑うだけ。


「…………やっぱり嫌い」

「はははっ!!」


ぶすっとした顔で、審神者はそう言い鶴丸に抱き着いた。

ぎゅうっと、彼の背を力いっぱい抱きしめる。

嬉しそうに笑う鶴丸に、審神者は悔しさでいっぱいだ。

優しくまた背を撫でられ、審神者は恥ずかしさに耐え切れなくなる。



(耐え切れない……もう、もうっ!)


羞恥の果て、彼女は自分から鶴丸へ口付けた。

一瞬の出来事ではあったが、鶴丸はピタリと動きを止めて目を真ん丸にした。


(私ばっかりなんて、おかしいわそんなの)


彼も、少しは慌てふためいて欲しい。

余裕をなくして、顔を真っ赤にした彼を見たい。

そう思い、彼の驚いた表情に少し嬉しそうに微笑む審神者。


「…………全く、仕方ないなぁ君は」


再び彼に包まれながら、審神者は彼の呆れた、けれど嬉しそうな笑顔を見ながら目を閉じた。













次の日の朝。


「めえええええええええぇっん!!」


防具を身に着けた審神者が、竹刀を思いっきり振り下ろす。

道場ではまた鶴丸が審神者を鍛えるべく、指導していた。


「君は成長がないな……むしろ退化してるんじゃないか?」


審神者は、そんな彼の言葉にむっと顔を顰めた。


「…………が……」

「なんだって?」


聞こえないほど小さな声に、鶴丸が聞き返すと審神者は俯いていた顔を上げた。

彼女の顔は、真っ赤だった。


「腰が痛くて動けないっ!!」

「………………そ、それは、すまなかった」

「謝るな馬鹿!! もうほんと最悪……」

「いや、悪い。そうだな、今日は止めておこう。大丈夫か、おぶって部屋へ行くか?」

「うるさい! 早く指導再開して!」

「だが昨日は俺があれだけ「うるさいうるさいっ!! もうほんと最悪!」」


彼が言わんとした言葉を必死で遮り、審神者は竹刀を振り回した。

彼女のあまりの必死さが可愛らしくて、鶴丸が口元を抑えながら笑うと、それが見えたのか審神者は彼を睨みつける。








「……っ! 鶴丸なんて嫌いなんだからーっ!!」











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