加州清光に落ちる

「行ってらっしゃい」

そう見送る審神者に、笑顔で手を振り旅立つ男。
いや、刀剣男子の一振り加州清光。
彼等の関係は付喪神と審神者という、シンプルな間柄であった。

初期刀でもなく、ある日顕現した彼はゆっくりと現状に慣れていった。
他の審神者から聞いていた情報より随分とアッサリした加州清光だったことは、当初審神者を少し驚かせたが、それは彼女にとっては喜ばしいことでもあった。
誰かと距離を詰めすぎることが苦手な審神者にとって、刀剣男子達は程良い距離を保ってくれていた。
どこかの刀剣男子の言う、馴れ合いすぎない関係である。
審神者として働く彼女にとってそれは、気まずい人と行く飲み会がない会社の様に、とても素晴らしく感じられた。
そんな彼女が加州を見送って一日が経ち、彼から手紙が届いた。
現状報告と、審神者や皆を案ずる言葉に審神者は苦笑する。

「自分のこと心配しろっての」

修行は生半可ではないと聞いていた審神者だったが、彼の手紙からはそんな様子が見て取れない。
心配する思いと、まぁ彼なら大丈夫だろうという安心と、ぐるぐる二つの感情が入り混じっていた。
そして、そんな思いを抱え眠りにつく頃、PCへ通信が入った。
緊急かと慌てて出ると、彼だった。

「未来の機器って凄いね。やっほー主、元気?」

ほーとか、へー、と言いながら此方へ手を振る加州に、審神者は声を出して笑った。

「元気元気。そっちは?」
「うん、まぁね。何かたった一日なのに、本丸にいた頃が懐かしく思えるよ」
「時代超えてるんだし、感覚がズレてるのかもね」
「主、今日も何か困ったことがあっても、一人で何とかしちゃったんじゃない?」
「え? うーん、なかったと思うけど?」
「主はいつも頼ってくれないからさー。偶に声かけて様子見るの楽しかったんだよね、実は」

言われてみれば、彼が慣れてきた頃から何かと声をかけられることが増えていたなと、審神者も当時を思い出していた。

「それが見れないのは残念だな~」
「あと数日でしょ? それに、私は皆に頼ってるよ。いつも感謝してる」
「うん、まぁ……そうなんだけどね」

こんな長話していて、彼の周囲は安全なのだろうか。
そして、誰か起きてくるんじゃないかと、段々審神者はそわそわしてきた。

「ごめん、そろそろ切るね。突然連絡してごめんね」
「あ、いや違うよ。話すのが嫌ってわけじゃなくて…」
「分かってるよ。俺の周囲の情報言ってなかったし、主の方も皆が起きてこないか心配なんでしょ?」
「……そうです」
「それぐらい分かるよ。俺刀剣男子だけど、空気は読めるから」
「ソレハ、ドーモ」

自分の心境を読み切られ、何となく不満げな主の声に彼は少し笑った。

「じゃ、またね。おやすみ」
「おやすみ、加州」

やはり、安全な場所から通信してきたわけではなかったんだな。
審神者はそう思いながら、PCをそっと閉じた。
その後、修行が終わる日まで毎晩彼と通信して近況報告をお互い行っていた。



それも終わり、とうとう彼の帰還日となった。

「「「「「加州、おかえりーっ!!」」」」」

最早恒例となりつつある修行後のお疲れ会。
ただの酒飲みたちの酒飲みの為の会でもあるのだが、普段は出陣や遠征などで会う機会の少ない刀剣同士の交流も出来るので、審神者からは許可が出ていた。
ちなみに、審神者は下戸のため参加しない。
出だしの音頭だけとり、後は彼等の自由にさせるのが通例となっていた。

(しかし何度見ても違和感)

乾杯の音頭をとり、グラスを盆に戻した審神者はチラリと短刀達の方へ目をやった。
付喪神のため、見た目が幼くとも彼等は数千年の時を生きる神様である。
酒を飲もうが何をしようが、未成年というものに引っかかてくるものではないし、ましてや人と同じ法に縛られたりしないので飲酒は可能なのだが、何度見ても審神者は慣れなかった。

(なんか犯罪見逃す親の気持ちだな……ってことは私が犯罪者か…………)

シャレにならない。
そんなことを思いながら、近くの刀剣に戻ると伝え席を立った。
大広間を出て、審神者は自室への階段を上がっていく。

「…………っ、ふぅ」

十階建てのこの本丸。
最上階が審神者の自室と執務室のみを備える構造なのだが、そこに辿り着く方法が階段しかない。
近未来らしくワープやらエレベーターぐらい設置してほしいものなのだが、申請許可が降りなかった。
おかげで審神者は運動不足を解消できているわけなのだが、階段昇降は毎日やっても慣れないもので、大広間の三階から上がってきても七、八階あたりで絶対に息切れしていた。
しかもこの本丸、厄介なことに一階から八階までは普通に階段を上がるだけで良いのだが、そこからはまた別の通路を通り九階へ上がり、また別の通路から最上階への階段を上らなければならない厄介な構造だ。
敵の襲撃時、簡単に審神者の場所へ辿り着けないようにするための構造で、江戸時代の城建築の際にも用いられていた手法なのだが、普段毎日使用するものからしたらこれ程面倒なものはない。
当時の城と比べるとかなり簡略化されているらしいのだが、現代人には考えられない程厄介なのだ。

「リフォームしたいな……」

切実な思いであった。
しかし、現状はどうしようもない。
息切れする中でも上るしかないと、足を動かした。
九階まで辿り着き通路を歩いていると、どこかからセミの鳴く声が聞こえてきて審神者は足を止めた。
まだ梅雨の季節だと思っていたなぁ、と夜も寝ずに鳴いて動くセミに感心していると、背後から足音が近付いてきた。

「主ー、もう寝る?」

現れたのは、加州清光であった。
修行後の彼の姿は、帰還時にも見たが以前よりどこか表情が大人びたようになっていて、審神者はドキッとしたことを思い出し、彼から顔を逸らした。

(しまった。あからさますぎたかな?)
「あ、ううん。雑務片付けてから、ちょっと休憩しようかと思ってた」
「……そう? 実はさ、そう言うと思ってコレ持って来たんだ」

そう言って彼が盆に乗せているものニヤリと笑って見せた。
あからさまに目を逸らしたことを言及されずほっとして、彼が見せたものを見て審神者は眉を上げた。

「ラムネ?」
「夏の始まりは、やっぱりコレって言ってたじゃん」
「確かに~。丁度さっきセミの鳴き声聞こえてさ、夏かーと思ってたとこ」
「じゃあ雑用手伝うからさ、終わったら一緒に飲もう」
「飲み会の方は? っていうか修行後で疲れてるのに手伝わなくて良いよ」

そう審神者が言うと、加州は眉をハの字に曲げた。

「主、気使い過ぎ。俺人じゃないんだよ? そんな簡単に疲れないよ」
「いやいや、疲労度溜まるじゃん。人じゃなくても疲れるよ」
「じゃあ飲み会戻る。主と一緒に」
「なんでそうなるの。私は飲まないんだから行かないよ」
「なら俺も行かない。主の仕事手伝う」
「おかしいおかしい。手伝わずにいるならいいよ」
「それこそおかしいよ。俺主の付喪神だよ? それじゃただの役立たず」
「いつも手伝ってくれてるんだから、今日ぐらいゆっくりしなよ」
「じゃあやっぱり二択だね。一緒に飲み会参加か、一緒にお仕事。どっち?」
「三番目。一人でやる」
「ないから。それじゃ俺のこのラムネどーすんの?」
「貰っていく」

二本のうちの一本のラムネを取ろうと手を伸ばすと、スッと加州が盆ごと自分の背に隠す。

「ダメダメ、我儘言わないの主」

そして、背をやんわり押され前を向けさせられる。

「いや違うでしょ。加州でしょワガママ押し通そうとしてるの」
「もー、主強情。ちゃっちゃと終わらせて早くラムネ飲もうよ。美味しいよ?」

カラン、とラムネ瓶の中のビー玉が揺れて音が鳴る。
その音に振り返ると、予想していたより近くに彼の顔があった。
彼はすぐ先にある階段を見ていて視線は合わなかったが、審神者の心臓が高鳴った。
彼の端正な横顔に、耳が少し見えて顔の輪郭に沿ってかかる前髪。
一つに結ばれた襟足の髪は片側に流され、首を伝い着物の襟の中へ入り込んでしまっている。
視線がそのまま彼の顔から首、襟元へ降りていき鎖骨から胸元にかけて緩められた襟元から中が見えそうになり、慌てて審神者は前を向き直した。

(なんか、なんか…………見てはイケナイものを見た気がする。そんなこと、別にないはずなのに)

修行から帰ってきても、彼は何も変わっていない。
審神者への接し方も態度も、刀剣男子達同士のやりとりも、何も変わっていないのに。
審神者だけが、意識してしまっていた。
今、彼の顔をまともに見れる気がしなかった。

「あれ? なんか大人しくなってる。降参?」

何も気づかない彼は、主の背を押しながらきょとんとした声を出した。
いつもならもっと言葉の応酬があるのに、という意味だ。

「うるさい考え中」

低い声でそう言うと、加州は声を出して笑った。

「そんなに喉渇いてたんだ? ラムネの誘惑に負けそう?」
「全然違う」
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