月代と清庭と

手入れの行き届いた庭に、小鳥がやって来る。

可愛らしい泣き声と共に、再び飛んだ小鳥たちは鏡のように透明な池の水をひと舐めする。




バターンッ!!




どこかから突然響いてきたその音に、小鳥たちは慌ててどこかへ飛び去っていった。








道場に響いた音は、審神者が鶴丸に吹っ飛ばされた音だ。

ゴロゴロと転がりながら、審神者は態勢を立て直した。


「……も、もう一本!」


肩で息をし、竹刀を握り締める手は豆が潰れ血塗れだ。

そんな手で、再び審神者は師匠である鶴丸へ向かって飛びかかった。

上段に構え、大きく一歩を踏み切る。

しかしそんな大振りで、真正面に構える相手を討つことは出来ない。

当然のように避けられ、振り切った竹刀を床に叩きつけすぐに左に避けた彼を視界に入れる。

その瞬間に、鶴丸は審神者の足を払う。

またバターン! と豪快な音が響いた。


「振りが遅い。そんなに遅くちゃ、女子どもにすら当たらんぞ」

「……もう一本!」


勢いだけは良い審神者を、手に持つ竹刀を使わず稽古をつける鶴丸。

その後もずっと、審神者は鶴丸に竹刀を当てるどころか掠ることすら出来なかった。





「…………もう、一本!」


諦めの悪い審神者に、鶴丸は彼女の額を人差し指で押して向かって来る足を止めた。


「止めろ。今日は終いだ」

「でも!」

「水分を取れ。あと着替えろ」


そう言って、鶴丸は道場を去って行った。

審神者は汗だくなのに対し、彼は汗一つかいていない。

その差は当然であり、数日で上手くなるなんて思っていなかった。

それらも含めて理解していた審神者だが、それでもやはりもどかしい思いがあり、焦りがあるのも事実であった。

彼がいないなら、せめて素振りでもと竹刀を握り締めると遠くで声が聞こえた。




「主、今日は終いだと言ったろう。それ以上やるなら気絶させるぞ」




気絶させる、そう言い放った鶴丸は道場の戸に背を預けている。

だが、審神者には分かった。

握った竹刀を一振りでもしようものなら、彼はこの離れた距離を一瞬で詰めて審神者を気絶させることが可能なんだと。

改めて理解する。

彼等は刀の付喪神という名の通り、人とは比べ物にならない程、刀の扱いに長けている。





「湯浴み、するか?」

「……はい。部屋ので済ませます」

「ならさっさと片付けろ」


彼に顎でくいっとされ、審神者は渋々竹刀を片付け道場を出る。

少し後ろを、鶴丸がついて来る。


(み、見張られている……)


戻って素振りしに行くことも許されない。


「…………」

「………………ちなみに、どこまで来るつもりで?」

「湯浴みに行くまでだな」

「そこまで信用されてない?」

「俺を師匠というなら、言うことに従って欲しいもんだな」

「うっ…………すみません」

「ほら、さっさと行くぞ」




師匠にしてもらった初日、審神者は鶴丸に指導してもらった後に物足りないからと素振りを続けた結果、深夜にぶっ倒れた。



脱水症状、過労。



薬研の診断に、鶴丸は思い切り顔を顰め、審神者は思い切り眉をハの字に寄せた。

それ以降、鶴丸は審神者が指示以上に何かすることを許さない。

責任を持って教えてくれているのだと思えば、とても有難いことなのだろう。

優しくはないが。

だが、焦りがある審神者にとって鶴丸の指導は物足りないのだ。


(もっと必死に、もっと強くならなければならないのに……)


彼がそれを許さない。







審神者の自室に着くと鶴丸は、どさっとソファに座り込んだ。

彼女の部屋は畳部屋で、置かれた西洋の家具が明治を彷彿とさせるハイカラな部屋だ。

その中でも審神者お気に入りが、鶴丸が入ってすぐに座ったソファだ。

障子の木と同じ暗い色の材木で作られたソファは布は暗めの赤色になっており、夜にスタンドライトだけ付けてそこで読書をすることが、彼女の楽しみの一つになっている。

そんなソファにでーんと座る鶴丸もまた、様になっているのが審神者には嬉しいような悔しいような複雑な気分だ。


「あの、そこで待っていなくても……」


近未来の湯浴みは早い。

密閉された、人一人入れる程の小さいシャワー室に入ると、10秒で髪から爪先まで全て磨いてくれるハイパー仕様だ。

その代わり、10秒間は目を閉じて息も止めなければならないが。

そんな短い時間とはいえ、彼にそのシャワーの音を聞かれるのは審神者としては恥ずかしかった。




(違うのは分かってるけど……風呂、覗かれてる気分になる)




しかし、そんな審神者の思いを知らない鶴丸は興味深そうな瞳を向けた。


「いや、君の所の湯浴みは俺たちのとは違うんだろう? 良ければ俺もそれを試してみたいと思ってな」


駄目か? と聞かれれば断れない。

羞恥は10秒だけだと自分に言い聞かせ、審神者は急いで自室の扉にある脱衣所へ。

パパッと服を脱いでいくが、出来る限り衣擦れなどの音は立てないように。

けれど急ぐという、いつもしないことをするせいで、緊張感が半端ない。

先に彼を入れてしまい追い出そうともしたのだが、主の前に入るようなことは出来ないと鶴丸に断られた。


(正直、そこを気にするなら風呂も気にして遠慮して欲しい。変なところで気遣いなんてしないでほしい)


そんなことを考えている間に10秒だ。

ピーッ、と終了知らせる音が鳴る。

審神者はシャワー室から脱衣所へ出ると、扉がバーン! と開け放たれた。


「…………」

「あ? なんだ、10秒で着替えまで済むわけではないのか」


開け放ったのは、当然鶴丸国永だ。

そして彼は審神者を上から下まで視線を落としてから、先ほどの言葉を呟いた。





(……あれ? これ、覗き?)


審神者の脳に、これが怒るべきところだということが伝達されるまでかなりの時間を要した。

それまで彼は、ジロジロと普通に素っ裸の審神者を見ていた。





「っ!? こンの、覗き魔あああああああああああああああ!!!!」





今日一番、力強い声と共に何かが叩かれる音が本丸中は響いた。

その日の夕餉は、鶴丸はまるで別人のように顔を腫らした状態で訪れ、刀剣達は驚きと笑いに包まれた。




「信じらんない! 最悪! 鶴丸嫌い嫌い! 大っ嫌い!!」



審神者の中で彼が決定的に嫌いになった、記念すべき日である。

ちなみに、手入れは暫く行われなかったため、鶴丸は腫れた顔で日々を過ごし刀剣たちから揶揄われていたのだった。
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