結び守
「村人から搾取し、女を奪い私を騙し、挙句の果てに収入は全て自分のものだなんて…………そんな低俗な人が領主だなんて、有り得ません」
「主、落ち着け……とりあえず、深呼吸しろ」
鶴丸の言葉に、審神者は眉を寄せたまま大きく深呼吸した。
深呼吸すると、ツンと床から汗と人の臭いの染み付いた嫌な臭いがした。
「うんうん、臭いよねぇここ。さっさと出よう」
髭切の言葉に、審神者はすぐさま頷いた。
茶屋の店主から忠告を受けた審神者は、茶を飲んだら店を出ようとしていたのだが、その前に領主の使いと名乗る者が現れた。
神隠しの件で、依頼があると聞き審神者たちは半信半疑ながらもその者に従い領主の住む屋敷へ招かれたのだが、そこで審神者は一室に閉じ込められた。
何の説明もないまま。
そして今に至るわけなのだが、普通の女性であれば途方に暮れるところだったのだろう。
しかし審神者には、二振りの刀剣男士がついている。
審神者は、大穴に落ちた時に二振りが助けようと手を伸ばしてくれたことに心底感謝していた。
(自分一人だったら……この状況でこんなに冷静でいられたかどうか。いられたとしても、抜け出すことなんて出来なかった)
外側から閉められた扉を、髭切が刀を鞘に納めたままぶつけ破壊する。
小さな小窓からしか差し込んでいなかった夕陽が、壊れた扉から差し込む。
眩しく、赤々と輝く光に三人は少し目を細めた。
騒音が辺りに響いた為、きっと領主お抱えの警備がすぐにこちらへやって来るだろう。
「行くぞ、主」
鶴丸の声に、審神者はすぐ立ち上がり走り出す。
自分一人の力で、何も出来ないことを審神者はよく理解していた。
(……だけど、だからと言って助けてもらうばかりではいけない。せめて今は二人の足手まといにならないように)
二振りの姿は審神者と違って、一般人には見えない。
髭切は扉を破壊した直後から、退路を探し一足先に廊下を走り去っている。
鶴丸に連れられ、審神者は誰とも遭遇しないよう周囲の足音や声に気を配りながら、髭切の後を追った。
「待てっ!!」
だが、早速審神者は見つかってしまう。
鶴丸が、咄嗟に審神者の手を取り引っ張る。
自分に抱き寄せる様にして、男が横に払った刀を避けて二人は廊下を転がった。
「主、俺に力を渡せ!」
鶴丸の言葉の意味が分からないまま、審神者は咄嗟のことに鶴丸と繋がれた手から力を送った。
手から、彼の手へ。
どくん、どくんと血が脈動するのと同時に彼に血を分け与える。
繋がる手からそれぞれ脈打っていた血管が、同じリズムに重なっていく。
「おい貴様! 領主様に連れられた者だろう! 出合え! 出合えーっ!!」
男が周囲に審神者の居場所を知らせるべく、大きな声を出した。
どうすればいいのか分からず審神者は慌てて転がったままだった身を起こそうとしたが、それより先に鶴丸に抱えられ、抱き起こされた。
ふわりと床に両足がつき、彼は優しく審神者へ微笑んだ。
「……君は、いつも甘いな」
そっと、手の甲で頬を撫でられる。
「貴様っ!? 何者だ! 何処からっ…………」
男が他の者が来た時に、二人を捕らえられるようにじり寄ってきていたが、鶴丸の存在に今しがた気付いたようだった。
だが、男がそれ以上言葉を紡ぐことはない。
鶴丸が、刀を抜くことなく気絶させたのだ。
「知ってるだろうが、鞘に収めた刀は重いんだ。寝てろ」
「……鶴丸、向こうから沢山の声が」
審神者の声に、鶴丸はそちらを確認する。
声の聞こえる方は髭切が向かった方向だったが、このまま向かうのはまずいと判断し、二人は逆方向へ走った。
「主、こけるなよっ!」
「はい!」
手を強く引かれながら、二人は走った。
途中、何度か現れた男たちは鶴丸が全て彼等が声を発する前に気絶させていく。
「……っ、鶴丸。貴方は今、皆に姿が見えるのですか?」
先ほどから、審神者だけでなく鶴丸も男たちに姿を認識されていることに疑問だった審神者が問うと、彼はあぁ、と肯定した。
「主から一定以上の力を貰えれば、それぐらいは可能だ。長時間は出来ないが、主を守るには敵の注意をこちらに引き付ける必要があったんでな。勝手な行動を取ってすまない」
「い、いえ……驚きましたが、納得です」
「主、不安だろうが必ず守る。安心してくれ」
廊下を曲がり、それでもスピードを落とさず走り続けながら、鶴丸は強くはっきりとそう述べた。
審神者は、走りながら彼に負けないよう強く返答した。
「おやおや、君は誰だろうね」
障子の閉まった場所から、突如として刀が突き出された。
審神者と鶴丸の繋がれた手を貫通しそうな勢いで突き出されたそれは、鶴丸が寸前で審神者を突き放したことで何とか回避する。
男に染み付く強い穢れに、鶴丸は男が障子の向こうにいるのだと気付くことが出来た為間に合ったのだ。
「避けられてしまったか……残念だ。貴女が巫女だね?」
長い漆黒の髪に、紫色の着物。
ゆらりと動く様には品があるが、どこか目が虚ろな男。
「…………貴方が、領主様ですか」
審神者は鶴丸に突き放されて後ろに尻もちをつく形でこけたが、すぐに立ち上がり目の前に現れた男を見た。
幸いにも、ここは廊下横が縁側となっている。
鶴丸が彼と戦うには場所も開けていて申し分ない。
ちらりと横目でそれを確認していると、男はくすっと笑った。
「いかにも……巫女は初めて見たが、案外良さそうだ。嫁にしてやろう」
「……お断りいたします」
さも当然の様に差し伸べられた手を、審神者は断りの言葉と共に手を振り払った。
男は、振り払われた手を呆然と見た。
「…………断る権利があるとでも思ってるのかな?」
「貴方が如何に権力を誇示しようと、罷り通らないこともあります」
「ないさ。今までの女達と同じ」
「……では、やはり一連の女性失踪事件は貴方が」
「おぉ、怖い怖い。そんな恐ろしい目で私を見ないでおくれ。何も殺したわけではないというのに」
その言葉に、鶴丸は男の背後から刀を振るった。
だが、男は器用に後ろからの攻撃を避けて縁側に一歩引いた。
「…………無粋な男だね。まだ話の途中だったというのに、酷いことをする」
「下種が。主に近寄るな」
審神者を背に、鶴丸は抜いた刀を構える。
「鶴丸……殺してはなりません」
「一連の犯人だと自白した男だ。それに主に触れようとした。許すわけにはいかん」
「それでも…………貴方に人殺しをしてほしくありません」
審神者の言葉に、鶴丸は少し彼女の方へ振り返った。
だが、その様子を見ていた男は目を輝かせた。
「あぁ、もしかしてそれは巫女の霊力で作られた何かなのか?」
「……私の大切な刀です」
「刀…………そうか、それはそれは。益々巫女が欲しくなった。巫女を娶ればそれも私のもの。なんて素晴らしい!」
男が話している隙に、鶴丸は審神者へ小声で伝える。
「主……アイツは穢れている。髭切を呼べ」
「え、でもどうすれば」
「強く念じろ。近くに入るはずなんだ、きっと声が届く」
鶴丸は、刀を握り直す。
「思うより、素直にここは通れそうにない。手練れだ」
「つ、鶴丸」
彼が続きを話すより早く、男は鶴丸に斬りかかってきた。
「あぁ、真っ白で綺麗だ。人ならざる者、私はお前も欲しい」
「俺の主はただ一人だ。貴様のような奴のものになるぐらいなら、死んだ方がマシだな」
「…………躾がなっていないようだ。面白くもない」
男は笑いながら斬りかかってきていた表情を止め、両手で刀を握り直し再び鶴丸へ斬りかかる。
次の一撃は重いと鶴丸も読んでいたため、体を翻して何とかそれを躱す。
男は先ほどよりも素早さは落ちるものの、少し距離のある審神者の方にまで刀を振るう音が聞こえてくるほどに、強い一撃を打ち込んできている。
「おや、躱されてしまった。いつもはこれで皆死んでくれるのに」
神隠しの事件かと思い、半信半疑のまま直接領主に攫われる形でここへやってきた三人だったが、領主が犯人であることは彼等の想定内。
だが、彼がこれ程の剣客だったとは誰も予想していなかった。
(は、早く髭切を呼ばなくては…………髭切、髭切っ!!)
どう強く念じればいいのか分からず、審神者は両手を強く合わせて髭切の名を心の底から叫んだ。
合わせた手が仏教ではなく、キリスト教徒への祈りを捧げるように指と指が交差し組まれた手ではあったが。
(髭切、髭切お願い聞こえたらここへ来てっ!! 髭切っ!!)
「熱烈だねぇ、主」
そっと、頭を撫でられる感覚に目を開くと、目の前には優しく微笑んでくれる髭切がいた。
「髭切っ!」
叫ぶように彼を呼んだ審神者の口を、髭切はそっと抑えて笑った。
「しぃーっ。今、僕の姿はアイツに見えていない。戦いは一旦鶴丸に任せよう」
「で、ですが……」
「アイツが、一連の首謀者だよね? 退路確保している途中で、怪しい小屋があったから覗いたらそこにいたよ」
「女性達、ですか…………」
髭切の話では、狭い小屋に十人以上が押し込められていたとのこと。
その中には明かりもなく、水分も食糧も与えられていない様子だった。
そして、何人かは生きて髭切が扉を開いたことで逃げ出した。
「つまり、残りの方は……………」
審神者は、俯き強く拳を握り締めた。
悲しみより、怒りが勝っていた。
「主が心を痛めることはないよ。さぁ、とりあえずここから避難しよう。その後に鶴丸も僕が誘導して…………主?」
審神者には、髭切の声が聞こえていなかった。
彼女の脳内では、頭が沸騰するような怒りが回っていた。
視界が、赤く染まっていく。
木材独特のにおいと塗料のにおいが混ざった、暗くてジメジメとした場所。
少し開いた場所から聞こえてくるのは、罵声と悲鳴。
審神者はいつも、その中でいつ自分が死ぬのかとそればかり考えていた。
襖のにおい。
殴られた時の、頭が揺れて前後左右の感覚が分からなくなる痛み。
過去の、思い出したくもない審神者の記憶。
今でも鮮明に痛みを思い出せるほどの、強烈な記憶。
彼女には今領主が行っている行為と、自分がかつてされた記憶が混ざり合っていく。
(こんな……こ、んな…………こんな奴がいるから、私は————)
審神者は、髭切の制止の声も聞かずに鶴丸と男の斬り合いの最中へ飛び込んでいった。
鶴丸は当然刀を止める。
男が振るった一撃を避け、数本の髪が斬られながらも彼女は男を力の限り引っ叩いた。
パアァンッ!!!
「……いい加減に、しなさいっ!」
この時、審神者は気付いていなかったのだが審神者の力強いビンタにより、男についていた穢れが一部祓われた。
そして、それを知りつつ関与しないことを優先して黙っていた二振りは、「あ、」と気付く。
「貴方の行いは卑劣で、非道で……人のすることではありません!」
「………………す、すまなかった」
男は、審神者の力強すぎるビンタに吹っ飛び土に伏せていたのだが、審神者の言葉にノロノロと起き上がり、彼女に向けて頭を下げた。
審神者にとって、その男の行動は予想外であった。
(だ、だってこういうタイプの人は、絶対に悔い改めたりしないような人で……こ、これは何かの罠? 私を謀るつもり?)
そう思いながら悩んでいると、髭切は審神者の傍に寄り耳打ちした。
その様子に、鶴丸はやれやれと溜息をつきつつ刀を鞘へ収めた。
「主のおかげで、穢れが少し祓われて自我を取り戻したみたいだよ」
「え……では、この人は穢れに操られていたのですか?」
「穢れ全てが悪いというより、穢れによって自我の奥に眠る強い感情が引き出されるんだ」
「………………では、この方はもう大丈夫なんですね」
「穢れのない人はいない。後は気持ち次第だねぇ」
穢れのない人はいない。
髭切の言葉を強く胸に刻みながら、審神者は深呼吸した。
「……領主様、お願いがございます」
「は、はい」
完全に怯えられてしまっていることに、審神者は少し強くビンタしすぎたことへ罪悪感を抱きつつも話した。
「多く妻を娶ることが(今この時代では)悪いとは申しませんが、全て人なのです。貴方には妻だけでなく、領内に住む全ての村人全員の命が懸かっています。皆、貴方の為に働き尽力してくれることでしょう。ですから貴方は、貴方の領地内にいる全ての人を守り、優しくしてあげてください。人の上に立つ者は、それだけの責任が生じていることを忘れないで下さい」
こくこく、と強く領主が首を縦に振る。
「もう二度と、人をぞんざいに扱わないで下さい。お願いします」
審神者はそう言って頭を下げた。
自然と、審神者の頭は下がっていた。
「…………はい。必ず」
領主の言葉に、審神者は俯いたまま涙を零した。
(……私も、あの時にちゃんと言ってあげなければならなかった…………それは悪いことだと、言わなければならなかった)
いつまでも頭を下げ続ける審神者に、鶴丸と髭切は困ったように顔を見合わせるのだった。
「主、落ち着け……とりあえず、深呼吸しろ」
鶴丸の言葉に、審神者は眉を寄せたまま大きく深呼吸した。
深呼吸すると、ツンと床から汗と人の臭いの染み付いた嫌な臭いがした。
「うんうん、臭いよねぇここ。さっさと出よう」
髭切の言葉に、審神者はすぐさま頷いた。
茶屋の店主から忠告を受けた審神者は、茶を飲んだら店を出ようとしていたのだが、その前に領主の使いと名乗る者が現れた。
神隠しの件で、依頼があると聞き審神者たちは半信半疑ながらもその者に従い領主の住む屋敷へ招かれたのだが、そこで審神者は一室に閉じ込められた。
何の説明もないまま。
そして今に至るわけなのだが、普通の女性であれば途方に暮れるところだったのだろう。
しかし審神者には、二振りの刀剣男士がついている。
審神者は、大穴に落ちた時に二振りが助けようと手を伸ばしてくれたことに心底感謝していた。
(自分一人だったら……この状況でこんなに冷静でいられたかどうか。いられたとしても、抜け出すことなんて出来なかった)
外側から閉められた扉を、髭切が刀を鞘に納めたままぶつけ破壊する。
小さな小窓からしか差し込んでいなかった夕陽が、壊れた扉から差し込む。
眩しく、赤々と輝く光に三人は少し目を細めた。
騒音が辺りに響いた為、きっと領主お抱えの警備がすぐにこちらへやって来るだろう。
「行くぞ、主」
鶴丸の声に、審神者はすぐ立ち上がり走り出す。
自分一人の力で、何も出来ないことを審神者はよく理解していた。
(……だけど、だからと言って助けてもらうばかりではいけない。せめて今は二人の足手まといにならないように)
二振りの姿は審神者と違って、一般人には見えない。
髭切は扉を破壊した直後から、退路を探し一足先に廊下を走り去っている。
鶴丸に連れられ、審神者は誰とも遭遇しないよう周囲の足音や声に気を配りながら、髭切の後を追った。
「待てっ!!」
だが、早速審神者は見つかってしまう。
鶴丸が、咄嗟に審神者の手を取り引っ張る。
自分に抱き寄せる様にして、男が横に払った刀を避けて二人は廊下を転がった。
「主、俺に力を渡せ!」
鶴丸の言葉の意味が分からないまま、審神者は咄嗟のことに鶴丸と繋がれた手から力を送った。
手から、彼の手へ。
どくん、どくんと血が脈動するのと同時に彼に血を分け与える。
繋がる手からそれぞれ脈打っていた血管が、同じリズムに重なっていく。
「おい貴様! 領主様に連れられた者だろう! 出合え! 出合えーっ!!」
男が周囲に審神者の居場所を知らせるべく、大きな声を出した。
どうすればいいのか分からず審神者は慌てて転がったままだった身を起こそうとしたが、それより先に鶴丸に抱えられ、抱き起こされた。
ふわりと床に両足がつき、彼は優しく審神者へ微笑んだ。
「……君は、いつも甘いな」
そっと、手の甲で頬を撫でられる。
「貴様っ!? 何者だ! 何処からっ…………」
男が他の者が来た時に、二人を捕らえられるようにじり寄ってきていたが、鶴丸の存在に今しがた気付いたようだった。
だが、男がそれ以上言葉を紡ぐことはない。
鶴丸が、刀を抜くことなく気絶させたのだ。
「知ってるだろうが、鞘に収めた刀は重いんだ。寝てろ」
「……鶴丸、向こうから沢山の声が」
審神者の声に、鶴丸はそちらを確認する。
声の聞こえる方は髭切が向かった方向だったが、このまま向かうのはまずいと判断し、二人は逆方向へ走った。
「主、こけるなよっ!」
「はい!」
手を強く引かれながら、二人は走った。
途中、何度か現れた男たちは鶴丸が全て彼等が声を発する前に気絶させていく。
「……っ、鶴丸。貴方は今、皆に姿が見えるのですか?」
先ほどから、審神者だけでなく鶴丸も男たちに姿を認識されていることに疑問だった審神者が問うと、彼はあぁ、と肯定した。
「主から一定以上の力を貰えれば、それぐらいは可能だ。長時間は出来ないが、主を守るには敵の注意をこちらに引き付ける必要があったんでな。勝手な行動を取ってすまない」
「い、いえ……驚きましたが、納得です」
「主、不安だろうが必ず守る。安心してくれ」
廊下を曲がり、それでもスピードを落とさず走り続けながら、鶴丸は強くはっきりとそう述べた。
審神者は、走りながら彼に負けないよう強く返答した。
「おやおや、君は誰だろうね」
障子の閉まった場所から、突如として刀が突き出された。
審神者と鶴丸の繋がれた手を貫通しそうな勢いで突き出されたそれは、鶴丸が寸前で審神者を突き放したことで何とか回避する。
男に染み付く強い穢れに、鶴丸は男が障子の向こうにいるのだと気付くことが出来た為間に合ったのだ。
「避けられてしまったか……残念だ。貴女が巫女だね?」
長い漆黒の髪に、紫色の着物。
ゆらりと動く様には品があるが、どこか目が虚ろな男。
「…………貴方が、領主様ですか」
審神者は鶴丸に突き放されて後ろに尻もちをつく形でこけたが、すぐに立ち上がり目の前に現れた男を見た。
幸いにも、ここは廊下横が縁側となっている。
鶴丸が彼と戦うには場所も開けていて申し分ない。
ちらりと横目でそれを確認していると、男はくすっと笑った。
「いかにも……巫女は初めて見たが、案外良さそうだ。嫁にしてやろう」
「……お断りいたします」
さも当然の様に差し伸べられた手を、審神者は断りの言葉と共に手を振り払った。
男は、振り払われた手を呆然と見た。
「…………断る権利があるとでも思ってるのかな?」
「貴方が如何に権力を誇示しようと、罷り通らないこともあります」
「ないさ。今までの女達と同じ」
「……では、やはり一連の女性失踪事件は貴方が」
「おぉ、怖い怖い。そんな恐ろしい目で私を見ないでおくれ。何も殺したわけではないというのに」
その言葉に、鶴丸は男の背後から刀を振るった。
だが、男は器用に後ろからの攻撃を避けて縁側に一歩引いた。
「…………無粋な男だね。まだ話の途中だったというのに、酷いことをする」
「下種が。主に近寄るな」
審神者を背に、鶴丸は抜いた刀を構える。
「鶴丸……殺してはなりません」
「一連の犯人だと自白した男だ。それに主に触れようとした。許すわけにはいかん」
「それでも…………貴方に人殺しをしてほしくありません」
審神者の言葉に、鶴丸は少し彼女の方へ振り返った。
だが、その様子を見ていた男は目を輝かせた。
「あぁ、もしかしてそれは巫女の霊力で作られた何かなのか?」
「……私の大切な刀です」
「刀…………そうか、それはそれは。益々巫女が欲しくなった。巫女を娶ればそれも私のもの。なんて素晴らしい!」
男が話している隙に、鶴丸は審神者へ小声で伝える。
「主……アイツは穢れている。髭切を呼べ」
「え、でもどうすれば」
「強く念じろ。近くに入るはずなんだ、きっと声が届く」
鶴丸は、刀を握り直す。
「思うより、素直にここは通れそうにない。手練れだ」
「つ、鶴丸」
彼が続きを話すより早く、男は鶴丸に斬りかかってきた。
「あぁ、真っ白で綺麗だ。人ならざる者、私はお前も欲しい」
「俺の主はただ一人だ。貴様のような奴のものになるぐらいなら、死んだ方がマシだな」
「…………躾がなっていないようだ。面白くもない」
男は笑いながら斬りかかってきていた表情を止め、両手で刀を握り直し再び鶴丸へ斬りかかる。
次の一撃は重いと鶴丸も読んでいたため、体を翻して何とかそれを躱す。
男は先ほどよりも素早さは落ちるものの、少し距離のある審神者の方にまで刀を振るう音が聞こえてくるほどに、強い一撃を打ち込んできている。
「おや、躱されてしまった。いつもはこれで皆死んでくれるのに」
神隠しの事件かと思い、半信半疑のまま直接領主に攫われる形でここへやってきた三人だったが、領主が犯人であることは彼等の想定内。
だが、彼がこれ程の剣客だったとは誰も予想していなかった。
(は、早く髭切を呼ばなくては…………髭切、髭切っ!!)
どう強く念じればいいのか分からず、審神者は両手を強く合わせて髭切の名を心の底から叫んだ。
合わせた手が仏教ではなく、キリスト教徒への祈りを捧げるように指と指が交差し組まれた手ではあったが。
(髭切、髭切お願い聞こえたらここへ来てっ!! 髭切っ!!)
「熱烈だねぇ、主」
そっと、頭を撫でられる感覚に目を開くと、目の前には優しく微笑んでくれる髭切がいた。
「髭切っ!」
叫ぶように彼を呼んだ審神者の口を、髭切はそっと抑えて笑った。
「しぃーっ。今、僕の姿はアイツに見えていない。戦いは一旦鶴丸に任せよう」
「で、ですが……」
「アイツが、一連の首謀者だよね? 退路確保している途中で、怪しい小屋があったから覗いたらそこにいたよ」
「女性達、ですか…………」
髭切の話では、狭い小屋に十人以上が押し込められていたとのこと。
その中には明かりもなく、水分も食糧も与えられていない様子だった。
そして、何人かは生きて髭切が扉を開いたことで逃げ出した。
「つまり、残りの方は……………」
審神者は、俯き強く拳を握り締めた。
悲しみより、怒りが勝っていた。
「主が心を痛めることはないよ。さぁ、とりあえずここから避難しよう。その後に鶴丸も僕が誘導して…………主?」
審神者には、髭切の声が聞こえていなかった。
彼女の脳内では、頭が沸騰するような怒りが回っていた。
視界が、赤く染まっていく。
木材独特のにおいと塗料のにおいが混ざった、暗くてジメジメとした場所。
少し開いた場所から聞こえてくるのは、罵声と悲鳴。
審神者はいつも、その中でいつ自分が死ぬのかとそればかり考えていた。
襖のにおい。
殴られた時の、頭が揺れて前後左右の感覚が分からなくなる痛み。
過去の、思い出したくもない審神者の記憶。
今でも鮮明に痛みを思い出せるほどの、強烈な記憶。
彼女には今領主が行っている行為と、自分がかつてされた記憶が混ざり合っていく。
(こんな……こ、んな…………こんな奴がいるから、私は————)
審神者は、髭切の制止の声も聞かずに鶴丸と男の斬り合いの最中へ飛び込んでいった。
鶴丸は当然刀を止める。
男が振るった一撃を避け、数本の髪が斬られながらも彼女は男を力の限り引っ叩いた。
パアァンッ!!!
「……いい加減に、しなさいっ!」
この時、審神者は気付いていなかったのだが審神者の力強いビンタにより、男についていた穢れが一部祓われた。
そして、それを知りつつ関与しないことを優先して黙っていた二振りは、「あ、」と気付く。
「貴方の行いは卑劣で、非道で……人のすることではありません!」
「………………す、すまなかった」
男は、審神者の力強すぎるビンタに吹っ飛び土に伏せていたのだが、審神者の言葉にノロノロと起き上がり、彼女に向けて頭を下げた。
審神者にとって、その男の行動は予想外であった。
(だ、だってこういうタイプの人は、絶対に悔い改めたりしないような人で……こ、これは何かの罠? 私を謀るつもり?)
そう思いながら悩んでいると、髭切は審神者の傍に寄り耳打ちした。
その様子に、鶴丸はやれやれと溜息をつきつつ刀を鞘へ収めた。
「主のおかげで、穢れが少し祓われて自我を取り戻したみたいだよ」
「え……では、この人は穢れに操られていたのですか?」
「穢れ全てが悪いというより、穢れによって自我の奥に眠る強い感情が引き出されるんだ」
「………………では、この方はもう大丈夫なんですね」
「穢れのない人はいない。後は気持ち次第だねぇ」
穢れのない人はいない。
髭切の言葉を強く胸に刻みながら、審神者は深呼吸した。
「……領主様、お願いがございます」
「は、はい」
完全に怯えられてしまっていることに、審神者は少し強くビンタしすぎたことへ罪悪感を抱きつつも話した。
「多く妻を娶ることが(今この時代では)悪いとは申しませんが、全て人なのです。貴方には妻だけでなく、領内に住む全ての村人全員の命が懸かっています。皆、貴方の為に働き尽力してくれることでしょう。ですから貴方は、貴方の領地内にいる全ての人を守り、優しくしてあげてください。人の上に立つ者は、それだけの責任が生じていることを忘れないで下さい」
こくこく、と強く領主が首を縦に振る。
「もう二度と、人をぞんざいに扱わないで下さい。お願いします」
審神者はそう言って頭を下げた。
自然と、審神者の頭は下がっていた。
「…………はい。必ず」
領主の言葉に、審神者は俯いたまま涙を零した。
(……私も、あの時にちゃんと言ってあげなければならなかった…………それは悪いことだと、言わなければならなかった)
いつまでも頭を下げ続ける審神者に、鶴丸と髭切は困ったように顔を見合わせるのだった。