結び守

『お前さえいなければ!──────』


見知った声と暗闇の視界。

溝臭いような異臭に、審神者はそこから顔を背けた。


(いやだ……いやだ!!)


真っ暗な視界の中でも、ここから出ようともがき、走るように足を動かす。

ここではない、何処かへ。





「…………ろ…………じ、起きろ」


遠くで、誰かの声がする。

審神者は暗闇に聞こえる声に、重い目蓋を開けた。

彼女の予想より眩し過ぎた開けた視界に、思わず強く目を閉じるが、恐る恐る明るさに慣れるように目を開いていく。


「大丈夫? どこか痛むところはある?」


よく聞けば、左からは髭切の声がする。


「とにかく主が目を覚まさんことには、俺たちも身動きが取れん」


右からは鶴丸の声がした。

そして、ようやく視界が慣れてきた頃、彼らの白めな衣服が太陽の光を反射し、余計に眩しく感じていたことに気付く。


「……ここは?」

「わからん。近くを見て回ったら、森を抜けたところに板葺屋根の家はあった」

「板葺屋根? どうして…………そうでした。ここは本丸ではないんですね」


審神者は二振りに支えられながら立ち上がり、周囲を見渡して思い出す。

意識を失う前、本丸内の庭に現れた巨大な大穴。

そして、その穴から出てきた手に掴まれ穴の中に引き摺り込まれたことを。


「ではここは、穴の中?」

「どうもそんな気はしないな……主を掴んで穴に引き摺り込まれた時、何か知った感覚があった」

「知った感覚?」


鶴丸の言葉に首を傾げる審神者。

だが、それが何かは彼もわからないらしく顎に手を当て考え込んでしまっている。


「……分からないことは後回しにしましょう。まずは出来ることから」


審神者が端末を取り出すが、圏外となっており外部へ接続できない状態だ。

つまり、本丸や政府に連絡が取れない。


「……あぁ、そうそう。出陣した時の感覚だよね?」

「突然なんだ髭切」

「引き摺り込まれた時、そんな感じがしたんだ」


髭切の言葉に、鶴丸はハッとした。


「そうだ! それだ! あの穴は転移装置と同じものだ!」

「……ということは、ここは何処か過去の時代……になるんでしょうか?」

「うんうん。三半規管がぐるぐるした感じが、その装置やらと同じだったんだよねぇ」

「皆さん普段、こんな思いをしながら歴史を越えて下さってたんですね……にしてもおかしいですね」


審神者は、鶴丸と同じように考え込んだ。

鶴丸と目を合わせると、彼も同様のことを考えていると審神者は思う。


「主が歴史を越えられるとなると、な」


鶴丸の言葉に審神者は大きく頷いた。

そう、おかしい。

本来、審神者が刀剣男士を呼び覚ます理由が、歴史を越えられないからだ。

歴史を変えようと目論む、歴史修正主義者を排除する為に歴史を越える。

それは、彼等なら普通の人間に姿を見られることなく敵だけを排除可能なことが理由として挙げられる。

だからこそ審神者は歴史を越えず、刀剣男士達に指示を出す形で敵と戦っていた。


だが今、審神者が歴史を越えられた。


審神者などの人間は、歴史を越えられないよう政府から規定されていたはず。

これが出来てしまったということは、あの大穴は政府非公認の転移装置が使用された可能性が高くなる。

つまり、政府以外の誰かが転移装置を作った。


「重大な歴史犯罪者ね……何故私を狙ったのかは分からないけれど、その何者かも私を引き摺り込んだなら、この時代にいる可能性が高い」

「まさか探す気か?」

「…………そうですね。帰る方法も分からないし、探して聞くしかないでしょう」


いつも語尾優しく話す審神者だが、刀剣の前で彼女は初めてトーンを落とし言い切った。

そんな淡々とした審神者の言葉に、鶴丸と髭切は顔を見合わせた。


「……だが、そいつが教えてくれるとは限らんだろう?」

「それに、探すのにここの時代の人間と話すと、歴史を変えたと言われるかも」

「えぇ。ですから、教えてもらえるよう二振りの力を借りたいのです」

「……それはつまり?」


審神者は聞いてきた鶴丸にニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。

それは、普段本丸にいる審神者では見せない顔。

彼女は、現状に怒りを抱いていた。




「当然、力づくでしょう」


「……悪い顔だな主」

「ここまでやられて、黙ってなんていられません。その方に会うまで、多少の歴史犯罪は致し方ないでしょう。緊急ですし、何かあっても責任は私が持ちます」

「格好良いね主」


髭切は嬉しそうに笑う。

いつも人の良い、手本のような審神者のいつもと違う一面が見れたことを喜んでいるのだろう。

だが、審神者は話しながらも頭の中では別のことを考えていた。


(あの手、臭い……まさか…………)


ドロドロとした汚れた手と溝の臭いは、彼女の中で一つの色濃く残る記憶を思い出させる。

それは暗く、重い記憶。

審神者が思い出したくない、本丸で雨が止まない原因。


「……主?」


髭切の呼びかけに、審神者は優しく微笑みを浮かべ振り返る。


「……では、行きましょうか。まずは聞き込みですね。この辺りで何か異変や変わった人物を見たかなど、有益と思われる情報を集めましょう」


二振りが頷く姿に、審神者はふと自分の格好を見た。

よく神社などで見る白と赤の袴姿の彼女は、平安時代以降であれば巫女として見られるだろう。

問題は目の前の二振りである。

彼等の格好は、時代によっては民にとって彼等こそ変な格好をした異人ということになってしまう。

そうなっては、聞き込みも思うように進まないのは目に見えている。

いつの時代もこの国民は、異質なものを避ける傾向にあるからだ。


「…………その前に、何処かで衣服を調達しましょう。時代にあった、目立たないものを」

「……主、それなんだが…………目立って良いんじゃないか?」

「え? なぜですか? 怪しまれれば情報は貰えないと……」


審神者は納得出来ず、鶴丸に矢継ぎ早に問う。

すると髭切は笑いながら審神者の肩に手を置いた。


「どうどう、主」

「……そんな馬みたいな扱いはしないで下さい」

「アハハ! でも馬みたいに鼻息荒かったよ主。大丈夫、鶴丸の案を聞いてみよう。ね?」


彼はぽんぽん、と優しく審神者の肩を叩く。

そこで初めて、審神者は自分の肩に力が入っていることに気付き、少し肩の力を抜く。


(鼻息、荒かったかな…………)


「俺が思うに、明治やそこらの時代は分からんが、それ以前の時代であれば巫女ってのはいつの時代も神聖で崇高な存在扱いされていた」

「成る程。じゃあ鶴丸は、主に巫女として振る舞ってもらうつもりなんだね?」

「あぁ、そして俺たちは式神として紹介すれば良い。こんな見目なんだ、利用しない手はないだろう?」

「そんなに変かなぁ? まぁ、あながち嘘ではないね。嘘の中に真実を混ぜる、騙す時の基本だ」

「お前得意だろ?」

「君程じゃないよ」


空気が、ひんやりとする。

ピリッと電気のような刺激を感じて、審神者は二人の間に立った。

物理的に二人の視線を遮る。


「そこで険悪にならないで下さい……怪しまれる可能性が高いですが、やってみますか?」

「あぁ、その方が面白いだろう!」

「面白くても解決出来なければ困るのですが……私は嘘が苦手です。困ったら手助けして下さい」

「任せろ!」

「ここは嘘つきに任せるよ」

「……言ってくれる」



「では、早速板葺屋根に向かいましょう」


二振りを無視して歩き出せば、彼等はすぐに主の方は歩き出す。

彼等のピリピリした空気が治ったことに、審神者は安堵する。

元々二振りは仲も良く、よく過去の話をしていたことも審神者は知っていた為、これが彼等なりの戯れている様子なのだろうが。


(心臓に悪い……)


衣服を正し、深く息を吸う。

審神者は二振りの刀を携え、板葺屋根の家の引き戸をノックした。
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