結び守

「勝手はさせん」


ようやく涙が収まってきた審神者は、慰めようと袖で泣き顔を隠してくれている三日月を見上げ、見た事もない程冷淡な眼差しで髭切と鶴丸を見下ろす姿に、背筋が凍りつくような恐ろしさを感じた。


(一体、この本丸で何が起きてるの……? なんでこんな、三日月と二人が敵対してるみたいな……)


母を失った悲しみに覆われていた心が、彼の冷たい眼差しで現実に引き戻される。


「…………やってくれるな、三日月」
「なに、主の為を思えばこそ」


鶴丸と三日月のやりとりも、審神者にはわかるようでいて、分からない部分があった。


(三日月は、私のことを考えて二人に冷たい態度をとっているの? でも、二人は私に優しくしてくれた……一緒に、戦ってくれていた)


母のことを忘れさせようとしたのにも、きっと自分のことを考えてくれての行動だったのだろうと審神者は涙を拭い、三日月の袖から出て二振りを見た。


(そうですよね?)


直接、なんと問えば良いのかわからず審神者が目だけを真っ直ぐに二振りに向ける。
その場にいた刀剣たちが、皆二振りを見ていた。
しん、と誰も動かず発しない状況に、審神者は不安が募っていく。
それが一秒か、十分か、審神者には永遠に長いような時間にすら感じられる。
そこへ、カタンと襖が静かに開けられた。




「待たせたな、茶を持ってきたぞ」


三日月に言われた通り、素直に茶を淹れてきた鶯丸だった。
彼は、全員分はないと言いながらも急須がたっぷり満ちるほど茶を用意してくれていたようだ。
全員のコップが用意され、少しずつ注がれていく。

少しずつ、少しずつ。

急須の茶が注がれるのを眺めながら、審神者の脳内には一つの出来事が頭を過った。
かつて平均か、それ以下でしかなかった自分の霊力。
それは、あの大穴の事件後唐突に跳ね上がって帰ってきた審神者。
二振りから抱きしめられたり、口吸いをされたこと。
普通の人には見えない付喪神も、審神者の霊力を与えれば一般人に見えるようにすることもできた。
そうして、二振りは大穴事件の時に審神者を守るべく戦っていた。


(最初に大穴に入り出た時代で領主に追われた時、鶴丸はなんて言っていた?)


審神者は、かつての記憶を辿る。




「主から一定以上の力を貰えれば、それぐらいは可能だ────」


あの時、手を握られていた。
温かく強く握られた手に、守られてばかりの自分を少し情けなく思いながらも、彼を頼もしく思ったのは事実だった。


(手を握るだけで、霊力が移ることがある────?)


もしその仮定が成立するのであれば、二振りから何度も抱きしめられ、口吸いをされたことは霊力を移すためのものだったのではないか。


(なんのために?…………先ほど、彼等が言っていた神格化…そのためには、恐らく平均程度の霊力ではなれない……誰かから、霊力を貰わなければ…………)


「…………三日月、手を出してください」


審神者は、鶯丸が茶を淹れるのを手伝っていたが不意に立ち上がり、すぐ傍で座る髭切と鶴丸を見下ろしていた三日月を呼んだ。


「どうした、主?」


そう言いながら、彼は笑顔で手を差し出してくる。
彼は、知っているのだと審神者はこの笑顔で知った。
そして、自分の仮定は正しいのだとほぼ確信しながらも彼の手を握った。


(髭切と鶴丸は、最初から私を神様にするために近くにいたんだ)


握手するように握った手だが、まるで彼と親睦を深めているような気になれない。
むしろ、疑心を確信させる天使の手のようにも審神者には見えた。


(どんな残酷なことでも事実を突きつける、正義の天使……)


「……三日月、私の霊力が流れていますか?」
「あぁ、しかしこれはまた……髭切と鶴丸の霊力がまだ主の霊力と混じり切っておらんものだな」
「…………ありがとうございます」


そういって審神者は三日月の手を離し、もう一度二振りを見た。


「…………どうしてですか? 私のこと、どうして……」


神隠しをしようとされた訳ではない。
それは、神に執着された審神者たちによく起こる現象だった。
けれど、そうではない。


「仲良く、一緒に生きられると思っていました……大穴事件の時も二人は頼もしくて、私は足手まといでしかなかったけど、一緒に戦えたことを嬉しく思っていました。これからは歴史を越えた経験も踏まえて、もっと…しっかり、審神者としてみんなと生きていくんだって……そう思ってました」



二人は、違ったんですね。


その言葉は静かな部屋によく響いた。
誰もが、審神者の言葉を聞いていた。
皆、審神者の顔を見ていたが二振りは違った。
黙って座り、茶を見ていた。
審神者は、じっと彼等の返事を待った。







先に動いたのは、鶴丸だった。


「……あんたの本心を聞きたい」


顔を上げたかと思うと、彼は真っ直ぐに審神者を見てそう言い切った。
それに声を荒げたのは和泉守だ。


「テメェが言えよっ! 俺たちの主を勝手に神格化しようとしやがって!! テメェの考えを押し付けときながら、主の本音だと?! それ聞いてテメェがどうするってんだよっ!」
「兼さん落ち着いて!!」


審神者は、鶴丸の目に彼の本心を探す。


(私の、本心……?)

「今のが、私の本心です。みんなとこれからも「違うよね?」」


審神者の言葉を遮ったのは、髭切だ。


「確かに、それも思ってるけど…そうじゃないでしょ?」


そうじゃない、と髭切は茶を啜りながら言う。
審神者は首を傾げる。


(あれが私の本心でしょ…なんで、私じゃない二人が違うって思うの?)


「主の口から出た言葉が信じられぬとでも言うつもりか?」
「彼女を理解できてない外野は引っ込んでなよ」


髭切の言葉に、空気が瞬時にピリッとした。


「僕らは、一緒に歴史を越えながら生きた。僕らの霊力と、主の霊力は何度も行き来した。その霊力の中に主の気持ちも入ってた……僕らはそれを知っている」
「あんたの願いは俺らが叶える」
「ここに敵はいない。何を言ったっていいんだよ? ほら、心に従っていいんだよ?」


(霊力の中に、私の気持ちが入ってた……?どんな?)

何度考えても、自分の気持ちなんてわからない。
さっきの言葉以外、何も口から言葉が出てこない。
昔から、自分の欲しいものと聞かれてもすぐ答えられなかったのだ。
それも当然だろう。
欲しいものは、絶対に手に入らないと子どもの頃から知っていたから。


(どんなに願っても、もうお母さんは帰ってこない……だから私の願いは叶わない…………愛されたかったなんて、叶わないの)


どんなに頑張って生きても、自分と他人は違うのだと意識していた。
意識しあって、どうしてみんなは仲良くなれて私は出来ないんだろうと思ってた。


(友達が欲しかった…ただ、なんでもないことに笑い合える。そんな友達が)


家庭環境が悪かった、成績が悪かった、友達ができなかった。
それらは私の価値を下げた。
人として生きる中で、私は誰よりも下なんだと常に思っていた。


(不幸な自分が、当然のものだと思っていた。幸せになる価値なんて、自分にはないって思っていたかった。幸せだなんて思えたことがなかったから)


人の中で生きていくことがこんなに難しいのなら、と適正のあった審神者になった。
家族や学生時代の人たちと会わずに済むのは良かった。
気持ちが楽になっていった。
私の居場所はここなのかもしれないと、思い始めていた。


(相手は神様、失礼があってはならない。私の方が立場は下だ。生きる世界が違うんだから)


戦果の報告を、政府に定期的に行わなければならない。
どれだけ頑張っても、私の霊力では限界があった。


(成績が悪い。頭を下げて謝らなくてはならない。こんな戦況にいて、戦果を上げられない私はダメなんだ)


結局はここも、私の居場所ではないのだ。


(自分の居場所なんて、どこにもないんだ…………違う!)


私は、こんな考えしかできない自分がすごく嫌いだった。
こんな風にしか、考えられなかった。
どんなに願っても、子どもは生まれる場所を選べない。
私の生きてきた世界には、小さな幸せを見つける方法なんてなかった。
違う。


(こんな自分を変えたくて、だから私は──────)


どこまでもマイペースに生きている髭切が、
自由奔放に走り回る鶴丸が、



二人を羨ましく思ったから。



審神者の体から、急に光が溢れ出てくる。
刀剣たちはそれに驚き立ち上がった。


「「「主!?」」」


何人かは主に触れようと手を伸ばすが、それを止めたのは三日月だった。


「……もう遅い」


三日月は、溢れ出る光に優しく触れる。
そこには、主が今まで生きてきた痛みや願い、思いが溢れ出ている。
どんなにみっともなく生にしがみつき、親からの虐待に耐える姿や、同級生からの度重なるいじめ、教師や近所の大人たちからの厳しく冷たい視線、侮蔑するような言葉、いつまでもまとわりつく気味の悪い感情。
それら全てを耐えて生きた審神者の霊力は、自身の中でずっと研磨され続けてきた。
大切に守られていた自己の精神は、今解き放たれたのだ。


「辛い経験をしたのだろうとは思っていたが、これほどとは……」


刀剣たちは、三日月と同じように溢れ出る審神者の光に触れる。
強すぎる真っ直ぐな光は、紛れもなく審神者の霊力で、彼女の今まで抑えてきた唯一の光。


「対等で生きていたいと願った。でも、それは私も二人みたいに生きてみたいと憧れたから」


人、神、どの者になろうと問題ではない。
どう生きるか。





「私がそう生きるために、人であることが枷なら外して。私はもう、迷わない」





そうして、審神者は一歩を踏み出した。









「いやー、あの時のあんたは格好良かったなぁ」


本丸の屋敷の庭に、三人はのんびりと散歩をしていた。


「あの時?」
「あぁ、神格化ね」


鶴丸の言葉に、元審神者が首を傾げると髭切がくすくすと笑った。


「弱かったからね、本音すら見えなくなってたんだよね」


ふぅ、と息を吐きながら彼女が言うと二人がギョッと目を見開いて首を横に振った。


「いやいや、何言ってるの。強かったよ君は昔から」
「は?」


彼女が首を傾げると、鶴丸はゲラゲラと笑いながら髭切に同意するように頷いた。


「大穴事件で刀持ってた領主張り倒してたでしょ? ちゃんと覚えてるよ」
「攫われても泣くどころか、そいつと腰据えて話し合ったりしてな。あれは笑った」
「もう! なんでそうやって変な所だけ覚えてるんですか…それに、それを言うなら、その時から私になんの相談もなしにちゅーしまくってきた変態な二人に言われたくありません」
「変態って! 失礼だな君は!! 俺らがせっかく主を助けてやったって言うのに!」


そういった鶴丸の言葉に、彼女はジトっとした目で二人を睨んだ。


「そんなこと言って、この前三日月から聞きましたよ。二人とも、大穴事件の前から私の神格化について計画してたらしいじゃないですか? とんだ愉快犯ですね」
「クッソまたあのジジィ余計なことバラしやがる!!」


彼女と鶴丸のやりとりにゲラゲラと声をあげて笑う髭切に、鶴丸は思わず彼を指さした。


「それで言うなら、髭切の方が変態だった! 口吸いの仕方はねちっこかっただろ!?」
「え? だって、せっかくなら気持ち良くなった方が良いでしょ? それに最後までしてないんだから良かったじゃない」
「さい、…………もういい、二人とこれ以上話してると穢れる」
「そんな審神者の頃みたいなこと言うなよ」
「そうそう、もう穢れとか気にしなくても良いじゃない?」


庭の中には小さな池と川があり、橋がかかっている。
橋に二人が一歩先を行き、振り返って二人の手が伸ばされる。


「……そういえば、言ってなかったね……お母さんのことも、私のことも、ありがとう」


彼女は迷いなく二人の手を取る。
二人は、温かい彼女の手に笑う。


「そういえば、今日の晩御飯は何だ?」
「確か、光忠がハンバーグって言ってたよ」
「また洋食か……俺はそろそろ和食が食いたいんだが」
「御霊供膳に入れてあげようか? 食器だけでも和風になるよ?」
「髭切、俺を勝手に供養するな」
「そもそも、ハンバーグはどの椀にも入らないでしょ」
「細切れにして入れてあげるよ」
「調子に乗るなよ。叩っ斬るぞ」
「はいはい、二人ともじゃれ合いはその辺で終わってくださいよ」


空は青い。


「三人ともご飯できたよーっ!」
「カッカッカ! 今日は俺も手伝ったぞーっ!」


光忠と山伏の声に、三人は小走りで食堂へ向かう。

真っ青な空一面にある太陽は、どこまでも強く輝く。


きっともう、雨は降らない。








終わり。
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