結び守
本丸の雨が上がった次の日。
残念ながらまた雨が降り出したのだが、政府役員より再度二振りの霊力検査が行われ、二振りの数値が正常値に戻ったとのことで本丸は正常を取り戻した。
依然として大穴はあり、調査は続いているがその景色さえ除けば本丸は至っていつも通りの日常に戻ったと言っていい。
審神者は冷静に、刀剣達は明るく朗らかな一日を満喫していた中、ちょうどおやつ時に事件は起こった。
「主様、お母様が此方へ来られると先程ご連絡がありました」
こんのすけの言葉に、審神者は机に置かれたお茶を溢してしまった。
本日の近侍である髭切は、あらまーと暢気な声でそれを片し始めたが審神者は動かない。
いや、動揺のあまり動けなかった。
霊力が規定値を超える事件後、以前のような距離を取った接し方に表面上変えていた髭切と鶴丸だったが、この審神者の動揺に思わず髭切は彼女の肩に手を置いた。
「主、大丈夫?」
「…………すみません、突然来る……と、言われて思わず驚いてしまって」
「………………そう」
これだけの動揺、そして髭切と目を合わさず終始下を向いている審神者を見れば、母子の関係が良くないことは誰にでも分かる。
その上、髭切は審神者から少しの恐怖心と憎悪の感情を読み取った。
(ありゃ、これは鶴丸にも言っておこうかな……)
そんな事を髭切が考えているとは露知らず、審神者の頭の中は母をどうやって早く帰らせるかでいっぱいだった。
(と、とにかく母は神様とかあんまり信じないタイプだったはず! 皆には一先ず隠れていてもらって、早く帰ってもらわなければ……)
**********
「お久しぶりですね」
少し声の高い、他所行きの母の声に審神者はビクッと肩を揺らしたが、直ぐに母に笑みを浮かべた。
母も同じように笑みを浮かべてくれたが、それがとても不気味に感じた。
「……はい。お母さんがここへ来るのは初めて、ですね。案内しましょうか?」
「結構…………まだ生きてるとは、計算外だわ」
「? 今、なにか?」
母は何か呟くように言った為、聞き取れず審神者は聞き返したが答えは返ってこなかった。
「それで……今日は?」
「いえ、ね……貴女が行方不明となったと聞いて、これを作ったのだけれど、不要なら貴女が管理して頂戴」
母に手渡されたのは、A4サイズの封筒。
中を開くと、生命保険への加入が承認されたと示す書類だった。
(……あぁ、行方不明から死亡までを想定、してたのね…………つまり、心配して来てくれたわけではない)
審神者が悲しげな目でその書類に目を通す姿を、母は澄まし顔で見つめていた。
そして、徐に辺りを見渡し始める。
「それにしても、貴女の仕事は付喪神とやらを使役し戦わせるのが仕事とか……その割に、その神様はいないのね」
「……お母さんは、そういった心霊現象の類は否定派でしたので、皆には席を外していただいています」
「あら、そう……」
書類から視線を上げれば、母はいつになく上機嫌のように見えて、審神者は怪訝な顔をした。
(なんで、そんなことを聞くんだろう……)
だが、彼女はそれを母に問うことが出来ない。
口は動いても、それが声になって出てこない。
かつて母からされた事が甦り、意見を述べればどうなるか体が覚えている。
大人になった今なら、すでに抗う術があると分かっていても動けない。
彼女の本能の部分が、それを受け入れられないのだ。
(聞きたい、のに……嫌な予感がするのに、声に出来ない…………怖い)
「……貴女、そろそろこんな仕事は辞めたら?」
「………………は?」
突然の母の言葉に、審神者は思わず聞き返した。
「だって、歴史を守るだなんて……貴女、どの歴史が正しいかなんて分かるの? 私は、元々この仕事に就くことに賛成したことなんてなかったでしょう?」
「そ、そうだけど……それは世間体を気にしてのことで、私には興味がないのかと」
「……辞めたら、すぐに家に帰ってきなさい」
「ちょ、ちょっと待ってください! 勝手に決められるのは困ります!」
「なぜ? 神様とやらは随分優しいのでしょう? 例え貴女が辞めても、快く送り出してくれるわ」
「…………わ、私が続けたいと……」
「得体の知れない神様と、正しいかも分からない歴史を守る戦いをしたいのかしら?」
「………………」
「貴女は今生きるこの歴史が、本当に正しいと思っているの? 貴女が生まれてきた事は、本当に正しい?」
母の言いたいことがわからず、審神者は質問口調だが問いかけてはいない母の強い語尾にぎゅっと両手で服を握り締め、俯くしか出来ない。
「黙ってないで、何か言ったら?」
審神者がぎゅう、と縮こまるのを苛立ったような目で見下す母。
(どうしよう……答えなきゃ、嫌だって言わなきゃ…………生きてる価値がある、って思いたいって言わなきゃ……)
「貴女がいるせいで、私は散々な目にあったっていうのに、貴女は自分に生きる価値があるなんて思ってるのね……ほんと、あの人譲りの傲慢な考え。虫唾が走るわ」
言われた言葉は、今まで審神者が何度も聞いたこと。
何度も何度も傷付けられてきた心が、また痛み出す。
目の前が、真っ暗になっていく。
「主、言い返せ」
ふと、肩に置かれた手に振り返った審神者は、その真っ白な彼の姿に視界が開けていく。
目の前の光景が、良く見える。
それは、母が包丁を審神者に振り下ろそうとしたところを、髭切が刀で受け止めている光景だった。
だが、彼女はそれに驚きはしない。
何年も言われ続けた、貴女が生まれなければと言う言葉が、彼女の頭にはよく残っている。
いつそうなっても、おかしくなかった。
言葉でずっと刺されてきたものが、形になっただけのこと。
「俺たちの主に、刃を向けたな────」
髭切は、刀を返し母を弾き飛ばす。
「主、母の言葉に返せ。誠心誠意をもって」
鶴丸に支えられ、審神者は立ち上がる。
弾き飛ばされた母は、痛みを感じていないようにのそりと起き上がった。
崩れた障子を踏み付け立ち上がる姿からは、黒いモヤのようなものが纏わり付いている。
「……お母さん…………穢れてたんだね」
「あれだけ酷いと最早人ではない」
「…………人じゃなくても、私のお母さんに代わりはないよ……」
審神者は、鶴丸の手を離して母と向き合う。
「ヴゥゥァアアッ……」
人が発するものではない音を出す母だったもの。
審神者は、それを真っ直ぐに見た。
「お母さんから好かれてないのは分かってた。私の存在を認めると、お父さんを好きだったことを認めることになるから……浮気をしたことを許せないから、私も許せないのは知ってた」
だから、何をされても仕方ないと思っていた。
私はそういう運命に生まれたのだと。
審神者の適性があると言われた時は飛び付いた。
もう母に姿を見せずに済むのなら、それが一番だと思っていたから。
でも、違ったんだね。
「……あの大穴に残る穢れの気配……お母さんが、私を消そうと思ってやったんだね」
語尾が弱くなっていくのを、何とか必死に強く言い切ろうとしたが、やはり弱々しい声になってしまった。
本当は、お母さんが来た時点で分かってた。
大穴から発されていた微弱な穢れと、お母さんがやってきた時に感じた違和感。
(おかしい、でも私の勘違いかもしれない)
そう思いたかった。
「お父さんと出会うはずの運命を変えて、やり直したかったんだね」
母の虚な目が、審神者を写した。
「でも、それは叶わない。誰も過去は変えられない、変えさせない。それが、私の仕事だから」
審神者が目を閉じると、髭切と鶴丸が刀を抜いた。
「私はここで、彼等と生きる。私は今まで生きてきた自分が正しいと信じてるから……」
審神者は目を開き、しっかりと母に自分の意思を告げた。
それは今まで言えなかった、母に言いたかった言葉。
憎しみも、悲しみもなく告げられた言葉。
その言葉の後、二振りは自身の刀を振り下ろした。
辺りに血の臭いが漂い、審神者は政府の者達が駆け付けて片付け終えるまで、ずっとその場から動かなかった。
その日、長く長く降り続いた雨が止んだ。
残念ながらまた雨が降り出したのだが、政府役員より再度二振りの霊力検査が行われ、二振りの数値が正常値に戻ったとのことで本丸は正常を取り戻した。
依然として大穴はあり、調査は続いているがその景色さえ除けば本丸は至っていつも通りの日常に戻ったと言っていい。
審神者は冷静に、刀剣達は明るく朗らかな一日を満喫していた中、ちょうどおやつ時に事件は起こった。
「主様、お母様が此方へ来られると先程ご連絡がありました」
こんのすけの言葉に、審神者は机に置かれたお茶を溢してしまった。
本日の近侍である髭切は、あらまーと暢気な声でそれを片し始めたが審神者は動かない。
いや、動揺のあまり動けなかった。
霊力が規定値を超える事件後、以前のような距離を取った接し方に表面上変えていた髭切と鶴丸だったが、この審神者の動揺に思わず髭切は彼女の肩に手を置いた。
「主、大丈夫?」
「…………すみません、突然来る……と、言われて思わず驚いてしまって」
「………………そう」
これだけの動揺、そして髭切と目を合わさず終始下を向いている審神者を見れば、母子の関係が良くないことは誰にでも分かる。
その上、髭切は審神者から少しの恐怖心と憎悪の感情を読み取った。
(ありゃ、これは鶴丸にも言っておこうかな……)
そんな事を髭切が考えているとは露知らず、審神者の頭の中は母をどうやって早く帰らせるかでいっぱいだった。
(と、とにかく母は神様とかあんまり信じないタイプだったはず! 皆には一先ず隠れていてもらって、早く帰ってもらわなければ……)
**********
「お久しぶりですね」
少し声の高い、他所行きの母の声に審神者はビクッと肩を揺らしたが、直ぐに母に笑みを浮かべた。
母も同じように笑みを浮かべてくれたが、それがとても不気味に感じた。
「……はい。お母さんがここへ来るのは初めて、ですね。案内しましょうか?」
「結構…………まだ生きてるとは、計算外だわ」
「? 今、なにか?」
母は何か呟くように言った為、聞き取れず審神者は聞き返したが答えは返ってこなかった。
「それで……今日は?」
「いえ、ね……貴女が行方不明となったと聞いて、これを作ったのだけれど、不要なら貴女が管理して頂戴」
母に手渡されたのは、A4サイズの封筒。
中を開くと、生命保険への加入が承認されたと示す書類だった。
(……あぁ、行方不明から死亡までを想定、してたのね…………つまり、心配して来てくれたわけではない)
審神者が悲しげな目でその書類に目を通す姿を、母は澄まし顔で見つめていた。
そして、徐に辺りを見渡し始める。
「それにしても、貴女の仕事は付喪神とやらを使役し戦わせるのが仕事とか……その割に、その神様はいないのね」
「……お母さんは、そういった心霊現象の類は否定派でしたので、皆には席を外していただいています」
「あら、そう……」
書類から視線を上げれば、母はいつになく上機嫌のように見えて、審神者は怪訝な顔をした。
(なんで、そんなことを聞くんだろう……)
だが、彼女はそれを母に問うことが出来ない。
口は動いても、それが声になって出てこない。
かつて母からされた事が甦り、意見を述べればどうなるか体が覚えている。
大人になった今なら、すでに抗う術があると分かっていても動けない。
彼女の本能の部分が、それを受け入れられないのだ。
(聞きたい、のに……嫌な予感がするのに、声に出来ない…………怖い)
「……貴女、そろそろこんな仕事は辞めたら?」
「………………は?」
突然の母の言葉に、審神者は思わず聞き返した。
「だって、歴史を守るだなんて……貴女、どの歴史が正しいかなんて分かるの? 私は、元々この仕事に就くことに賛成したことなんてなかったでしょう?」
「そ、そうだけど……それは世間体を気にしてのことで、私には興味がないのかと」
「……辞めたら、すぐに家に帰ってきなさい」
「ちょ、ちょっと待ってください! 勝手に決められるのは困ります!」
「なぜ? 神様とやらは随分優しいのでしょう? 例え貴女が辞めても、快く送り出してくれるわ」
「…………わ、私が続けたいと……」
「得体の知れない神様と、正しいかも分からない歴史を守る戦いをしたいのかしら?」
「………………」
「貴女は今生きるこの歴史が、本当に正しいと思っているの? 貴女が生まれてきた事は、本当に正しい?」
母の言いたいことがわからず、審神者は質問口調だが問いかけてはいない母の強い語尾にぎゅっと両手で服を握り締め、俯くしか出来ない。
「黙ってないで、何か言ったら?」
審神者がぎゅう、と縮こまるのを苛立ったような目で見下す母。
(どうしよう……答えなきゃ、嫌だって言わなきゃ…………生きてる価値がある、って思いたいって言わなきゃ……)
「貴女がいるせいで、私は散々な目にあったっていうのに、貴女は自分に生きる価値があるなんて思ってるのね……ほんと、あの人譲りの傲慢な考え。虫唾が走るわ」
言われた言葉は、今まで審神者が何度も聞いたこと。
何度も何度も傷付けられてきた心が、また痛み出す。
目の前が、真っ暗になっていく。
「主、言い返せ」
ふと、肩に置かれた手に振り返った審神者は、その真っ白な彼の姿に視界が開けていく。
目の前の光景が、良く見える。
それは、母が包丁を審神者に振り下ろそうとしたところを、髭切が刀で受け止めている光景だった。
だが、彼女はそれに驚きはしない。
何年も言われ続けた、貴女が生まれなければと言う言葉が、彼女の頭にはよく残っている。
いつそうなっても、おかしくなかった。
言葉でずっと刺されてきたものが、形になっただけのこと。
「俺たちの主に、刃を向けたな────」
髭切は、刀を返し母を弾き飛ばす。
「主、母の言葉に返せ。誠心誠意をもって」
鶴丸に支えられ、審神者は立ち上がる。
弾き飛ばされた母は、痛みを感じていないようにのそりと起き上がった。
崩れた障子を踏み付け立ち上がる姿からは、黒いモヤのようなものが纏わり付いている。
「……お母さん…………穢れてたんだね」
「あれだけ酷いと最早人ではない」
「…………人じゃなくても、私のお母さんに代わりはないよ……」
審神者は、鶴丸の手を離して母と向き合う。
「ヴゥゥァアアッ……」
人が発するものではない音を出す母だったもの。
審神者は、それを真っ直ぐに見た。
「お母さんから好かれてないのは分かってた。私の存在を認めると、お父さんを好きだったことを認めることになるから……浮気をしたことを許せないから、私も許せないのは知ってた」
だから、何をされても仕方ないと思っていた。
私はそういう運命に生まれたのだと。
審神者の適性があると言われた時は飛び付いた。
もう母に姿を見せずに済むのなら、それが一番だと思っていたから。
でも、違ったんだね。
「……あの大穴に残る穢れの気配……お母さんが、私を消そうと思ってやったんだね」
語尾が弱くなっていくのを、何とか必死に強く言い切ろうとしたが、やはり弱々しい声になってしまった。
本当は、お母さんが来た時点で分かってた。
大穴から発されていた微弱な穢れと、お母さんがやってきた時に感じた違和感。
(おかしい、でも私の勘違いかもしれない)
そう思いたかった。
「お父さんと出会うはずの運命を変えて、やり直したかったんだね」
母の虚な目が、審神者を写した。
「でも、それは叶わない。誰も過去は変えられない、変えさせない。それが、私の仕事だから」
審神者が目を閉じると、髭切と鶴丸が刀を抜いた。
「私はここで、彼等と生きる。私は今まで生きてきた自分が正しいと信じてるから……」
審神者は目を開き、しっかりと母に自分の意思を告げた。
それは今まで言えなかった、母に言いたかった言葉。
憎しみも、悲しみもなく告げられた言葉。
その言葉の後、二振りは自身の刀を振り下ろした。
辺りに血の臭いが漂い、審神者は政府の者達が駆け付けて片付け終えるまで、ずっとその場から動かなかった。
その日、長く長く降り続いた雨が止んだ。