結び守
夕陽が沈む頃、家にいたくなかった。
何度も何度も、青痣に色を重ねるように同じ場所を叩かれた。
『────────めて! お母さん!』
泣こうが叫ぼうが、手は止まってくれなかった。
頭を両手で抱え、その場に蹲る。
いつも、いつもそうだった────
「止めろ」
殴られ続ける痛みに耐えていた審神者の頭上から、男性の声がした。
(いつもと、ちがう…………)
いつもなら痛みに耐え続け、母が止めるまで続くこの行為を止めようとしてくれる人なんて、審神者の周りにはいなかった。
「この子が何をしたの? お前の醜いその面を彼女に見せるな。去れ」
聞き覚えのある二人の男性の声と、叩かれる痛みがなくなったことで、審神者はノロノロと顔を上げた。
そこには、二人の神様がいた。
「もう大丈夫だよ?」
「あぁ、何があろうと必ず俺たちが守る。だからもう、何も耐えなくていい」
二人は、審神者に手を差し伸ばした。
(……そう、私はいつも誰かに、手を伸ばして欲しくて……)
審神者の目から、涙が溢れた。
(大丈夫だと、私の苦しみを分かって、それでも一緒に歩いてくれる誰かを──────)
だが伸ばした手は光に包まれていく。
すぐに、何も見えなくなっていった。
「………………髭切、鶴丸……」
急激に身体の重さを感じ始め、目が覚めていく。
重い目蓋を開きながら、思わず小さく溢した二振りの名に審神者は少し微笑んだ。
(夢でも、二人に助けてもらってしまうなんて……)
「────た? 主」
目を開くと、鶴丸にそっと口元を塞がれた。
小さな声で呼ばれ、審神者はコクコクと頷いた。
動く度、鶴丸の焚き染めていた上質な香が香り、くらくらした。
ふわふわと、頭も揺れる。
「すまない主。どうやらここは、建物の中のようなんだが……」
「この狭い部屋の外からは、人の声がしていて出るに出れなかったんだ」
狭いと言う髭切の言葉に、目だけで周囲の状況を見回す。
薄暗い部屋は、二畳か三畳ほどの広さ。
箱や樽が並び、部屋の広さは実際のところ一畳もない。
窓はなく、扉は一つ。
髭切の話では、外から鍵がかかっているらしい。
しかも心なしか部屋の中が揺れているように感じられ、審神者はここがどこなのか分からないこともあり、心細い思いや不安が押し寄せる。
だが、その思いは瞬時に違う思いに掻き消される。
審神者たち三人は、審神者を真ん中に体を密着させるように固まっている状態だ。
これは審神者も恥ずかしい。
鶴丸の肩や、髭切の足が審神者の肩や足と触れ合っている状態なのだから。
彼等と少しでも触れないようにと身動ぎすると、聡い二振りはすぐそれに気付き微笑んだ。
「意識してくれてるの? 嬉しいなぁ」
「なっ、い……ぃえ、そうではない、ですが…………」
「どうした?」
ただでさえ綺麗な二振りと過ごすにも、目の保養どころか眩しすぎる存在だと感じていた審神者。
緊急時の時は思わないが、そんな二振りと並ぶことはおこがましいと思っている彼女にとって、風呂に入れていない今、彼等の近くにいることは恥ずかしい以外何があるだろうか。
それに気付かない二振りは、ただ単に審神者が自分達を意識してくれていると思っている。
間違ってはいない。
審神者は二振りを、とても意識している。
(風呂、せめて私がお風呂に入っていれば…………)
審神者が人生で初めて、風呂を切望した瞬間だった。
二振りは審神者が風呂に入っていないことなど、微塵も気にはしていなかったのだが、それに恥ずかしさで縮こまっていた審神者。
だが、その時間は長くなかった。
ガコン、何かが落ちる音と共に聞こえたのは水の跳ねる音。
音と共に部屋は揺れ、審神者たちは部屋の中で置かれていた物と一緒に揺れた。
「……ここは船内、でしょうか…………」
「そうなると、ある程度は発展した時代ということだな」
「今の音からして、投錨したんだろうね」
「……となると、ここにある箱や樽を取りに来られるな」
「見つかるのは避けたいですね。説明のしようがありませんし」
「だよねぇ、じゃあ今のうちに抜け出しちゃおうか?」
髭切はニッコリ笑うと、審神者の肩を掴んだ。
「え? ですが、どうやって──────っ?!」
何か方法があるのですか? そう問うはずだった審神者の言葉は逃げ切りに飲み込まれた。
元々彼等の距離は触れ合うほど近かった。
少し彼が審神者を引き寄せれば、あっという間に距離は埋まる。
審神者の顎を上げさせ、無理やり話していた彼女の口を塞いだ髭切。
審神者は話していたこともあり、驚きで動くことすらできない。
(な、なんで突然……今、誰かに見つかる前に抜け出そうって話ではなかったの?!)
目の前にある髭切の長い睫毛と、滑らかで綺麗な肌に驚く。
そして彼が審神者に視線を合わせてきた時、審神者は心臓が大きく飛び跳ねた。
それと同時に彼に口付けられているのだと、強く実感した。
驚きと、そんなことをしている場合ではないという焦りから、審神者は離れようと彼の胸を押すがビクともしない。
息の仕方もわからず呻く審神者に、髭切は少し唇を離す。
「............っぷはっ、ぁ......」
ようやく深く息を吸った審神者の口が開いたのを、髭切は見逃さなかった。
自身の舌を審神者の口内に無理やり入れ込み、油断していた審神者の舌をべろりと舐め上げ、絡め取る。
息苦しさからギュッと目を閉じていた彼女が、ビクッとしたことに髭切は気付いていたが、構わず彼女の口内を荒らした。
「…………おい、髭切やり過ぎだ」
それを間近で見せられた鶴丸は、思わず顔を顰める。
目を閉じたままの審神者は、彼の舌に翻弄されており鶴丸の言葉が聞こえていない。
今目の前で貪るように求めてくる髭切のことしか、見えなくなっていた。
思う存分審神者の口内を荒らした髭切は、彼女の唾液を舌で絡めとり何度も自分の方へ移しては、それを嚥下する。
コクリ、と彼の喉が鳴る度、審神者の羞恥心が募っていった。
ようやく彼から解放されると、審神者は力が抜けて座り込んだままふらりと背後にいる鶴丸にもたれ掛かる。
「……っぁ、はぁ、はぁ」
新鮮な空気を吸い込み、呼吸を整えようと肩で息をする審神者に髭切は静かな声で笑った。
「……ありがとう、主。甘くて美味しかったよ」
唾液が甘いわけないだろう。その言葉さえ、審神者の口から出てこないほど、彼女からは力が抜け意識は朦朧としていた。
(……髭切…………だめ、頭がフワフワして……何も、考え……)
審神者の意識はまとまらず、どこか宙を彷徨うような感覚。
「大丈夫か、主…………髭切、加減をしろ」
「ごめんね、つい。主ってば素直で可愛いから」
「……仕方ない、俺はこれで力を貰うか」
謝る気などさらさら無い様子の髭切を軽く睨みつけ、鶴丸は倒れ込んできている審神者をそっと優しく包み込んだ。
審神者はまだ息が整っておらず、視線は明後日の方へ向き放心状態である。
自身の契約した付喪神へ霊力を供給することは、本来なら触れずとも可能だ。
だが触れる、または審神者の唾液や血といったものを付喪神が飲み込むことは、手っ取り早く力を手渡すことができる。
その代わり、普段は審神者の溢れた霊力を分配し彼等の存在を保っていたはずのものが、審神者の体内にある霊力を奪うこととなる。
それはつまり審神者の霊力を奪う形となり、彼女の死期を早め、審神者として維持する霊力が枯渇する原因となり得る。
霊力は生命力に起因しているからだ。
だからこそ鶴丸は領主との戦いの際、彼女の手に触れることで必要分だけを吸収した。
だが今髭切は、見境なく彼が空腹を満たすように審神者の霊力を貪ったのである。
「大丈夫だよ、一応手加減はしたし」
「なら二度とするな。手加減してこれでは、主の身が持たん」
「…………悪かったよ。次は気を付ける……人間とは本当に不便だね」
「……そろそろ行くぞ、主は俺が。お前は先陣を頼む」
「仕方ないねぇ」
放心状態の主を抱え、三人は船を脱出した。
何度も何度も、青痣に色を重ねるように同じ場所を叩かれた。
『────────めて! お母さん!』
泣こうが叫ぼうが、手は止まってくれなかった。
頭を両手で抱え、その場に蹲る。
いつも、いつもそうだった────
「止めろ」
殴られ続ける痛みに耐えていた審神者の頭上から、男性の声がした。
(いつもと、ちがう…………)
いつもなら痛みに耐え続け、母が止めるまで続くこの行為を止めようとしてくれる人なんて、審神者の周りにはいなかった。
「この子が何をしたの? お前の醜いその面を彼女に見せるな。去れ」
聞き覚えのある二人の男性の声と、叩かれる痛みがなくなったことで、審神者はノロノロと顔を上げた。
そこには、二人の神様がいた。
「もう大丈夫だよ?」
「あぁ、何があろうと必ず俺たちが守る。だからもう、何も耐えなくていい」
二人は、審神者に手を差し伸ばした。
(……そう、私はいつも誰かに、手を伸ばして欲しくて……)
審神者の目から、涙が溢れた。
(大丈夫だと、私の苦しみを分かって、それでも一緒に歩いてくれる誰かを──────)
だが伸ばした手は光に包まれていく。
すぐに、何も見えなくなっていった。
「………………髭切、鶴丸……」
急激に身体の重さを感じ始め、目が覚めていく。
重い目蓋を開きながら、思わず小さく溢した二振りの名に審神者は少し微笑んだ。
(夢でも、二人に助けてもらってしまうなんて……)
「────た? 主」
目を開くと、鶴丸にそっと口元を塞がれた。
小さな声で呼ばれ、審神者はコクコクと頷いた。
動く度、鶴丸の焚き染めていた上質な香が香り、くらくらした。
ふわふわと、頭も揺れる。
「すまない主。どうやらここは、建物の中のようなんだが……」
「この狭い部屋の外からは、人の声がしていて出るに出れなかったんだ」
狭いと言う髭切の言葉に、目だけで周囲の状況を見回す。
薄暗い部屋は、二畳か三畳ほどの広さ。
箱や樽が並び、部屋の広さは実際のところ一畳もない。
窓はなく、扉は一つ。
髭切の話では、外から鍵がかかっているらしい。
しかも心なしか部屋の中が揺れているように感じられ、審神者はここがどこなのか分からないこともあり、心細い思いや不安が押し寄せる。
だが、その思いは瞬時に違う思いに掻き消される。
審神者たち三人は、審神者を真ん中に体を密着させるように固まっている状態だ。
これは審神者も恥ずかしい。
鶴丸の肩や、髭切の足が審神者の肩や足と触れ合っている状態なのだから。
彼等と少しでも触れないようにと身動ぎすると、聡い二振りはすぐそれに気付き微笑んだ。
「意識してくれてるの? 嬉しいなぁ」
「なっ、い……ぃえ、そうではない、ですが…………」
「どうした?」
ただでさえ綺麗な二振りと過ごすにも、目の保養どころか眩しすぎる存在だと感じていた審神者。
緊急時の時は思わないが、そんな二振りと並ぶことはおこがましいと思っている彼女にとって、風呂に入れていない今、彼等の近くにいることは恥ずかしい以外何があるだろうか。
それに気付かない二振りは、ただ単に審神者が自分達を意識してくれていると思っている。
間違ってはいない。
審神者は二振りを、とても意識している。
(風呂、せめて私がお風呂に入っていれば…………)
審神者が人生で初めて、風呂を切望した瞬間だった。
二振りは審神者が風呂に入っていないことなど、微塵も気にはしていなかったのだが、それに恥ずかしさで縮こまっていた審神者。
だが、その時間は長くなかった。
ガコン、何かが落ちる音と共に聞こえたのは水の跳ねる音。
音と共に部屋は揺れ、審神者たちは部屋の中で置かれていた物と一緒に揺れた。
「……ここは船内、でしょうか…………」
「そうなると、ある程度は発展した時代ということだな」
「今の音からして、投錨したんだろうね」
「……となると、ここにある箱や樽を取りに来られるな」
「見つかるのは避けたいですね。説明のしようがありませんし」
「だよねぇ、じゃあ今のうちに抜け出しちゃおうか?」
髭切はニッコリ笑うと、審神者の肩を掴んだ。
「え? ですが、どうやって──────っ?!」
何か方法があるのですか? そう問うはずだった審神者の言葉は逃げ切りに飲み込まれた。
元々彼等の距離は触れ合うほど近かった。
少し彼が審神者を引き寄せれば、あっという間に距離は埋まる。
審神者の顎を上げさせ、無理やり話していた彼女の口を塞いだ髭切。
審神者は話していたこともあり、驚きで動くことすらできない。
(な、なんで突然……今、誰かに見つかる前に抜け出そうって話ではなかったの?!)
目の前にある髭切の長い睫毛と、滑らかで綺麗な肌に驚く。
そして彼が審神者に視線を合わせてきた時、審神者は心臓が大きく飛び跳ねた。
それと同時に彼に口付けられているのだと、強く実感した。
驚きと、そんなことをしている場合ではないという焦りから、審神者は離れようと彼の胸を押すがビクともしない。
息の仕方もわからず呻く審神者に、髭切は少し唇を離す。
「............っぷはっ、ぁ......」
ようやく深く息を吸った審神者の口が開いたのを、髭切は見逃さなかった。
自身の舌を審神者の口内に無理やり入れ込み、油断していた審神者の舌をべろりと舐め上げ、絡め取る。
息苦しさからギュッと目を閉じていた彼女が、ビクッとしたことに髭切は気付いていたが、構わず彼女の口内を荒らした。
「…………おい、髭切やり過ぎだ」
それを間近で見せられた鶴丸は、思わず顔を顰める。
目を閉じたままの審神者は、彼の舌に翻弄されており鶴丸の言葉が聞こえていない。
今目の前で貪るように求めてくる髭切のことしか、見えなくなっていた。
思う存分審神者の口内を荒らした髭切は、彼女の唾液を舌で絡めとり何度も自分の方へ移しては、それを嚥下する。
コクリ、と彼の喉が鳴る度、審神者の羞恥心が募っていった。
ようやく彼から解放されると、審神者は力が抜けて座り込んだままふらりと背後にいる鶴丸にもたれ掛かる。
「……っぁ、はぁ、はぁ」
新鮮な空気を吸い込み、呼吸を整えようと肩で息をする審神者に髭切は静かな声で笑った。
「……ありがとう、主。甘くて美味しかったよ」
唾液が甘いわけないだろう。その言葉さえ、審神者の口から出てこないほど、彼女からは力が抜け意識は朦朧としていた。
(……髭切…………だめ、頭がフワフワして……何も、考え……)
審神者の意識はまとまらず、どこか宙を彷徨うような感覚。
「大丈夫か、主…………髭切、加減をしろ」
「ごめんね、つい。主ってば素直で可愛いから」
「……仕方ない、俺はこれで力を貰うか」
謝る気などさらさら無い様子の髭切を軽く睨みつけ、鶴丸は倒れ込んできている審神者をそっと優しく包み込んだ。
審神者はまだ息が整っておらず、視線は明後日の方へ向き放心状態である。
自身の契約した付喪神へ霊力を供給することは、本来なら触れずとも可能だ。
だが触れる、または審神者の唾液や血といったものを付喪神が飲み込むことは、手っ取り早く力を手渡すことができる。
その代わり、普段は審神者の溢れた霊力を分配し彼等の存在を保っていたはずのものが、審神者の体内にある霊力を奪うこととなる。
それはつまり審神者の霊力を奪う形となり、彼女の死期を早め、審神者として維持する霊力が枯渇する原因となり得る。
霊力は生命力に起因しているからだ。
だからこそ鶴丸は領主との戦いの際、彼女の手に触れることで必要分だけを吸収した。
だが今髭切は、見境なく彼が空腹を満たすように審神者の霊力を貪ったのである。
「大丈夫だよ、一応手加減はしたし」
「なら二度とするな。手加減してこれでは、主の身が持たん」
「…………悪かったよ。次は気を付ける……人間とは本当に不便だね」
「……そろそろ行くぞ、主は俺が。お前は先陣を頼む」
「仕方ないねぇ」
放心状態の主を抱え、三人は船を脱出した。