結び守

「————まだ雨止まないねぇ」


縁側に座り込み、早朝から鬼殺しとラベルの貼られた酒をちびちび飲む髭切に、起き抜けのボンヤリした頭で鶴丸は頭を掻きながら答えた。


「大方、主が泣いてるんだろう……現世で何があったのやら」

「ありゃ、ここの天気は主の感情に引き摺られるのかい?」

「説明受けなかったか? 主の感情は俺達刀剣にも響く。俺達は歴史を守るだけじゃなく、戦うためにも主も守らなくちゃならねぇのさ」

「うんうん、そうだったねぇ。そんな説明もあったような、なかったような」

「……聞いてなかったな」

「君も飲むかい? 鶴丸」

「…………はぁ、全く。いただこう」


大きな瓶に入った酒を小さなお猪口に並々と注がれ、鶴丸は零れるほど注がれたそれをくいっと煽った。


「おぉ、朝から良い飲みっぷりだねぇ。凄い凄い」

「……主に何があったかは知らんが、これじゃ皆が煩くて敵わんな」

「そうだねぇ……主は帰還後も大変だ」

「俺達ですら、人の身を経てまだ感情とやらを持て余しているのが多い。主のような娘では扱いきれんだろうなぁ」


鶴丸の言う俺達、とは刀剣男士たちのことだ。

彼等は何千年と生きる付喪神。

そんな長く生きてきた自分たちですら扱いきれていない感情を、五十年も生きていないような娘が理解できるはずもない。

彼の言葉に、髭切は小さく笑った。


「だからかなぁ、たまに主を見ていると…………とっても虐めたくなるんだ」

「驚きは必要だが、虐めるのはどうかと思うぞ」

「えぇ~、似たようなものでしょ?」

「違うだろ」

「そうかなぁ……何でも素直に受け止めちゃう主を見ていると、純粋過ぎて見てられないんだよねぇ。一緒でしょ?」

「……違う」

「嘘つきだなぁ鶴丸は」


クスクス笑いながら、髭切は彼のお猪口に二杯目を注ごうと酒瓶を持ち上げるが、彼は首を振り立ち上がった。


「まぁいいが……あまりやりすぎるなよ。他の奴等から狙われるぞ」

「君みたいに? それは嫌だなぁ」


鶴丸国永という刀は、どの本丸にいっても自由奔放だと審神者たちの間では有名だった。

線の細い儚げな美青年の容姿とは裏腹に、驚きを求めて日々誰かを追いかける賑やかな様は出現当時審神者たちを驚かせていた。

そんな彼が、この本丸でも同じような行動を取ることは必然だった。

だが、審神者の心理状態が霊力と直結していることもあり、審神者を守ることを優先とする刀たちにとって鶴丸のような審神者を驚かせるなどの行為は、有り得ないことであった。

彼等は必要以上に審神者を擁護し、庇護下の元絶対的な安全環境に置いておくことを望んでいる。

その為、それを脅かす可能性のある鶴丸は度々彼等から刀を振り回し追い掛け回されていた。

その光景を見たことのある髭切はそれを思い出し、声を上げて笑った。


「笑いごとじゃない。ったく、皆過保護すぎるんだ……面白みのない。追いかけられるのも最初は楽しめたが、今じゃつまらんものだ」

「それは同意するよ。何事ももっと緩やかにのんびりでいいのにねぇ」

「俺はそうは思わんが。主はもっと自由にやればいいのにとは思っている」

「じゃあ、俺達でそうしてあげようか」


髭切のニヤリとした微笑みに鶴丸は逡巡したが、彼の伸ばした手を強く握り返した。


「一緒に何かをするなんて、何年振りだろうねぇ」

「……あぁ、霜月騒動を思い出すな」

「大丈夫、また墓に入っても掘り起こしてあげるよ」

「抜かせ」


鶴丸に手を振り払われた髭切は、去っていく彼の後姿を眺めながら優しく微笑んだ。





その日の夕方、まだ雨で外の視界が白んでいる中審神者が帰還した。

心配性な初期刀が、傘もささずに帰宅した審神者をそっとタオルで包みながら、彼女を自室へと運んでいく様を見ていた鶴丸と髭切は、互いに目を合わせてすぐに何事もなかったように逸らした。

どちらにしろ、今は何も行動のしようもない。

行動するのなら、機会を探らなくてはならない。

時間をかけて、じっくりと。




「すみません、加州。世話ばかりかけてしまって」

「主がそんなこと気にしなくていいの! むしろ、頼ってくれなきゃ俺することないじゃん」


加州の優しい言葉に、タオルで体を拭きながら審神者は感謝の言葉を述べた。


「何か本丸で変わったことはありましたか?」

「ううん、何も……雨が降り始めたぐらいかな。現世も雨だったの?」


加州は恐る恐る、審神者にそう尋ねた。

雨の原因に少し探りを入れる、そんな言葉だったからだ。

審神者が深く傷ついていたのなら、これで外が嵐になる程審神者がそのことを思い出し傷ついてしまうかもしれない。

加州は、それは嫌だった。

だが、返ってきた言葉は彼が予想していたものとは違っていた。


「…………えぇ、まだ雨季で。近年長引いていて水害が増えているとか」

「そっか……昔から水害は絶えないけど、色んな技術が進歩しても水には勝てないんだね」

「ふふ、加州のような歴史ある方が言うと説得力がありますね」


審神者が少し笑ったことに、加州はほっとする。

かなりの雨が降っていることから、審神者の心境はかなり深刻だと考えていたからだ。

だが、笑みを浮かべられるのなら心配のし過ぎだったのかもしれない、と彼は考えを改めた。


「今日の夕餉はハンバーグだってさ! 安定が手が凍る! って言いながらこねてたよ」


安定の物まねをして見せる加州に、審神者はまた笑った。


「それは苦労されたんですね。夕餉を楽しみにしています」

「うん! 伝えてくるよ!」


加州を見送り、審神者は執務室の障子を閉めた。

濡れた服を着替えるためだ。

服を脱ぎ下着も履き替え、袴に腕を通しながら審神者はふと現世に帰った時のことを思い出した。


『だから言ったじゃない! ————だって!!』

『————っさい! 大体お前が—————————』


鮮明な記憶が彼女の脳内を流れていく。

ぎゅっと袴の紐を引き絞る。

ギリギリと腹部が締め付けられいき、胃が痛むような感覚に審神者は眉を潜めた。

それと同時に、外では稲光が走った。

そこで審神者はハッと我に返り、いつも通りの強さで紐を結んだ。

雷はもう、鳴らなかった。
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