短編集
「主様、童話ではないお話が聞きたいです」
短刀たちと寝る昼。
そう言われ審神者は少し考えて、話し出した。
「…………ある日、女の子が田舎道を走っていました。少女が住んでいた家には、本当の家族がいませんでした」
「なんでですか?」
「……少女の大切な人は皆いなくなってしまって、仕方なくあの家にいたの。けれど抜け出した。本当の家族を探して」
「見つかりましたか?」
「そんな急かさないで」
今剣が、布団からもぞもぞと顔を出して瞳を輝かせて続きを強請る。
審神者は苦笑しながら、彼等と同じように布団に横になり話を続けた。
「そんな簡単ではなくて、少女は黒い男たちに捕まってしまいます。彼等は少女の不思議な力を利用しようと、偽物の家族を用意して言いました。これが今日からお前の家だ、と」
「偽物なんて酷い!」
五虎退の言葉に、審神者は静かに微笑み目を閉じた。
「でも、少女は喜んでその家に行きました。そこには大きな神様から、小さな神様まで、色んな神様が住んでいました。少女はすぐに皆と仲良しになりました」
「良かった……」
短刀たちの一挙一動に、審神者は思わず笑ってしまう。
自分にもこんな素直な時期があったのだろうか、と。
「少女にとってそこは、初めての家族と大切な家になりました。けれど少女の不思議な力は限度がありました。少女はそれを使い切ると、男たちに家を追い出されてしまいます」
「…………それで、その話はどうなるんだ?」
そっと室内に入ってきた膝丸に問われても、審神者は静かに微笑んだままだ。
「………………結末を決めるのは、私ね」
全てを諦めたようなその言葉に、全員が息を呑んだ。
夢の先は、いつだって過酷だった。
彼女の願いは叶わず、来週には審神者としての任を終えここを去る。
本丸に就任した当時は他を圧する程の霊力を誇っていた審神者。
けれど、その霊力もとうとう底が見えてしまった。
「ここは、来週以降新任の審神者に来ていただきます」
それが、政府からの最後通達だった。
審神者には、それに抗えるだけの力も知恵もない。
審神者を終えた後の自分の生活など、彼女には想像もつかない。
「…………どうしたもんかなぁ~」
縁側で扇風機を回しながら、ごろりと寝そべる。
別に彼女は自堕落な日々を過ごしていたわけではない。
一生懸命、歴史を守るために戦ってきた。
けれど、同期の他の審神者の霊力は尽きる気配がないというのに、審神者だけがそうなってしまった。
「不運は、私の為にある言葉だな……」
生まれた境遇から考えても、それは彼女にとってしっくりと来る言葉だった。
「逆じゃない?」
そう、隣に座りガリガリとアイスを食べ始めたのは髭切だった。
足音なくいつの間に来たのかわからないが、審神者はそれに驚くことはなかった。
それに慣れるほど、彼等とは時間を共にしていた。
「弟に聞いたよ。主しか知らない童話の話」
「童話よ……続きのない、面白くもない話」
「…………主は、幸運だよ」
「そう言うのは貴方ぐらいよ」
「主が知らないだけさ。これだけ多くの付喪神がいて、誰からも好かれている。君の魂はとても綺麗だよ」
「……人間に好かれないもの」
「それは主にとって必要なの?」
「必要よ。今後は特に」
そういうと、髭切はうーんと首を傾げた。
「それは、現世に帰るから? このまま此処に居られたなら?」
「必要よ。人の世に生きているのに、誰からも必要とされないのも、好かれないのも辛いわ」
「…………辛かったんだね」
髭切の言葉に、審神者はしまったと下を向いた。
(同情されたいわけじゃ、ないのに……)
同情されるのは苦手だった。
今も昔も、決まって向けられるあの哀れみの目は、彼女にとって嫌悪と同じ目だ。
向けられると、自分が特別不幸な気がする。
誰だって、苦しい過去はあるはずなのに自分がその誰より苦しい思いをしているのだと、思い知らされる。
それがどれだけ認めたくないものでも。
自分より不幸な人を見たくないのと同じぐらい、自分より不幸な人を見て自分の方がマシだと思いたい願いが強かった。
そんな人がいて欲しくない、そんな辛い人は増えないで欲しいと気持ちが分かるはずなのに、同じだけ不幸な人がいると安心する。
その感情を持つ審神者は、自分が綺麗だと言われても到底信じ難かった。
(……嫌な話、しちゃったな)
「髭切、そのアイスはどうしたの?」
「これ? 燭台にもらったんだ」
「燭台……あぁ、光忠ね」
「そうそうそれ」
何時まで経っても誰の名前も覚えようとしない髭切に呆れながら、審神者は起き上がる。
「私もアイス貰ってくるね」
「うんうん、美味しいよとっても。食べたら主も元気になるよ」
「ありがとう」
食堂にいるであろう燭台切の元へ向かいながら、彼女はふと気付く。
「主も、って…………髭切も、元気なかったの?」
振り返っても既に彼の姿はなく、扇風機だけがクルクルと回っていた。
日は刻一刻と過ぎていく。
審神者の要望により、彼女の最終日まで特別なことは何もしない。
そう、彼女が決めた。
いつも通りの日常を、最後まで過ごしていたい。
大切な日々を忘れないよう、一日一日を一生懸命審神者は過ごした。
だが、日が一日経つ毎に審神者の苦しさは増す一方だった。
霊力が枯渇していく中、いつも過ごしていたように刀剣たちに霊力を補給し、本丸の結界を維持することなど到底無理な話だったのだ。
けれど審神者は、たとえ血反吐を吐こうともそれだけは譲らなかった。
「…………大丈夫よ」
何度も、何度も自分にそう言い聞かせて業務をこなしていく。
あの頃に戻れたら、そう何度願ったかわからない。
どう足掻いても変わらない現実に、少しでも抗うように彼女は今日も業務をこなす。
「大将、無理すんな」
「主、少しは休みなよ」
「そうです! 僕等とお話しましょう? 主様」
「主よ、お前は審神者を止める前に死んでしまいそうだ。休め」
何人もの刀剣男士が声をかけたが、審神者は絶対に首を縦に振らない。
どうしたものかと悩んでいた刀剣たちの中で、スッと二振りの刀剣が立ち上がった。
髭切と膝丸である。
「俺達に任せてくれないか」
「大丈夫、主の悪いようにはしない」
二振りの真剣な表情に、刀剣たちは彼等に任せることとした。
二振りは、執務室前に座り審神者に声をかける。
許可がおり、膝丸と髭切は礼儀正しく入室した。
「どうかしましたか? 仰々しく入られると、緊張します」
パソコンに向かっていた手を止め、審神者は自身に掛けた羽織を掛け直し居住まいを正した。
「ずっと業務をしてるんだね。大変だ」
「主、体調はどうだ?」
「万全、とまでは行きませんが大丈夫ですよ。それより、何か御用だったのでは?」
「いやなに、主もお疲れだと思ってな」
膝丸は審神者の左側に近寄り、そっと彼女の手を取った。
「少しは休憩した方が良い」
そういって、手を優しく撫でてツボを押される。
「いえ、仕事をしていた方が————」
良いので、そう言おうとした審神者の目がそっと何かに塞がれる。
「ちょっ!?」
「大丈夫、僕だよ」
「髭切? 何してるの?」
「ずーっとその機械とにらめっこしていたら疲れるんでしょう? 目も休めないと」
どうやら審神者は、彼の両手に目を塞がれているようだ。
膝丸に手を、髭切に目を奪われ座ったまま動けなくなる審神者。
二振りは、無言のまま各々好きなように審神者を労わる。
突然やってきて何をするかと思えばと、審神者は溜息をつく。
(………………ん)
溜息の後、吸った空気の中に静かな香りが掠めた。
「…………お香の香りがする」
審神者が思わず呟くと、二振りは笑った。
「あぁ、主の好きな香りだと良いのだが」
「好きですよ。それより、いつまでこれを? そろそろ仕事に戻りたいのですが?」
「つれないなぁ、もう少し付き合ってよ。主と過ごせる日は少ない。僕等だって主との時間を惜しみたいんだ」
「………………では、もう少しだけ」
「ありがとう、主」
二振りの刀のことは、審神者も多くを知る訳ではない。
彼等は来て日は経っているものの、まだまだ初期刀と比べると何でも話せるような仲ではない。
けれど、大事に審神者は彼等と接して来たし、彼等も審神者を慕っていた。
こんな自分でも惜しんでもらえる、それは審神者にとってとても喜ばしいことだった。
思わず目が熱くなる。
(髭切が目を塞いでくれて良かった…………)
「そうだ主、香の十徳って知ってる?」
「? いえ、初めて聞きました。なんですかそれ?」
「発症は日本ではないらしいが、江戸時代に一休が伝えたとされる言葉だ」
「感格鬼神 清浄心身 能除汚穢 能覚睡眠 静中成友 塵裡偸閑 多而不厭 寡而為足 久蔵不朽 常用無障」
髭切は、まるで呪文でも唱えるかのようにスラスラと言葉を並べた。
「要は香の効用だ。主にもきっと効果があるだろう」
「へぇ、そんな言葉があるんだ……」
言葉の意味は分からずとも、二人が主のためにと考えてくれたことは伝わった。
審神者は、優しく微笑む。
「ありがとう。髭切、膝丸」
「感は鬼神に格 る、ってね。これは僕等にも良いんだ」
「そう。では今日の出陣での活躍が期待されますね」
「「………………」」
その後、二振りは沈黙したまま主の目と手を塞いだまま暫くの時を過ごした。
ふいに、審神者の背に何かが当たる。
「あ、ごめんなさい」
「いいよ、僕に凭れて?」
「そんな訳には……そろそろ仕事にも戻らないと」
「駄目だよ」
両手で抑えられた目をそっと後ろに引かれ、審神者は強制的に髭切に背を預けることになる。
彼の吐く息で、耳横の髪が揺れて審神者はカッと顔が熱くなった。
「ひ、髭切!?」
「大丈夫」
「わ、私が大丈夫じゃないっ!」
「大丈夫だよ。怯えないで」
「怯えているわけでは……」
髭切から離れようとした審神者は、ふと気付く。
髭切が一本の腕で審神者の腕ごと自分にぴったりと沿うように抱きしめている。
そして、片手で審神者の目を塞いでいる。
膝丸に擦られていた手は、いつの間にか髭切に抑え込まれていた。
「髭切っ! 離しなさいっ!!」
「主はさ、自分を卑下するよね。僕等にとって君がどれだけ尊い存在だと伝えても、それを受け入れてくれない」
「今関係ないでしょう?!」
「いやあるさ」
膝丸の声が、審神者のとても近くで聞こえた。
「膝丸? 近くにいるなら、すぐに髭切を何とかして!」
「いいや主、そんなことをする必要はない」
「なにを………………」
ぎゅっと髭切に強く抱きしめられる。
それは、審神者に強く警鐘を鳴らさせる。
「や、やだっ……離してっ!」
「あぁ、暴れないで? 僕等だって乱暴したくないんだ」
「主は綺麗すぎる。人の世は合わないんだ」
そういって、膝丸は審神者にそっと口付ける。
一瞬触れるか、触れないか。
まるで壊れものに触れる様な優しい口付けに、審神者は出かかった言葉が詰まる。
「そうそう。気にしなくて良いのに、主はそれを止められない。それは他人のせいだよ」
「だから俺達が何とかしよう」
「主が自分らしく居られる、僕等の世界へ」
「霊力がなくとも生きられる、主の大切な家族と共に居られる世界を」
「「さぁ、主」」
髭切が、塞いでいた手を離し審神者は目を開く。
「…………そんなこと、出来るわけ」
二振りの言葉を否定しようとすると、髭切に口付けられる。
ちゅっ、と音が鳴ったかと思うとねっとりと審神者の唇を何かがゆっくりと這っていき離れた。
それが彼の舌だと理解した瞬間、審神者は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「兄者、やりすぎだ」
「えー、だって主美味しいんだもん」
「連れて行ってからでも良いのではないのか?」
「他の奴等も一緒、ってのは気に食わないけどね」
「主のためだ。大切な家族と————」
「だから今のうちに唾つけとくの」
「それは隠喩だろ兄者」
「もう一回する?」
「…………しない。何考えてるの、二人とも」
審神者の言葉に、二振りは静かに微笑んだ。
「主の幸せに決まってるじゃないか」
「おいで、僕等が幸せにしてあげる。君はもう自由になっていいんだよ」
二振りの言葉に、段々と審神者の思考がぼやけていく。
(あれ……でも私、審神者じゃなくなるんじゃ…………)
髭切から解放されても、審神者は座ったまま動けない。
それを二振りが審神者の手を取り、立ち上がらせる。
(なんで、私は審神者じゃなくなるんだっけ……彼等はなんで、私にここまでしてくれるんだろう?)
ぐるぐるぐる、視界は正常なのに頭が回らない。
一歩、また一歩と執務室の外へ向かって足が進んでいく審神者。
「髭切、膝丸…………私はもうすぐ何の価値もない人間に、なるんだよ?」
「それは主達の基準でしょう? 僕等はそう思わない」
「主は、俺達が必要じゃないのか? 家族だと、童話で言ってくれたのは嘘だったのか?」
「嘘じゃ、ない……でも私は昔から、不運で……」
「大丈夫だよ主」
あと一歩、執務室から廊下へ出るところで審神者が留まる。
髭切と膝丸は、互いに執務室から一歩出たところで審神者の手を取ったまま止まる。
「主から、こっちへ来て?」
「来い主。必ず俺と兄者が守ってみせる。主を害す全てから」
二人の言葉に、進みたくなる足が何かに繋ぎ留められている感覚。
(なんで、進んじゃ行けないんだっけ? 思い出せない……か、み隠し…………あれ?)
「………………あれか」
審神者に聞こえない小さな声で、膝丸が何かを見つける。
だがそれより早く、髭切がその何かを切り捨てる。
ガキンッ! と金属のような何かが割れる音がした。
審神者には見えない程の速さで行われたそれに、彼女は気付けない。
大きな割れる音も、審神者にとっては考え事の方が今は優先で彼女は振り返らなかった。
(…………何を悩んでいるんだろう、私)
審神者は、二人をゆっくり見上げる。
「……髭切、まだ元気ない?」
「ん?」
「前、アイス食べてた時……そういう風に聞こえたから」
「あぁ、うんそうなんだ。主がこっちに来てくれたら、元気になれるよ」
ニッコリと、いつも通りの髭切の優しい笑顔。
審神者はそれを見てほっとする。
「膝丸は?」
「俺はいつでも大丈夫だ」
キリリとした声に、審神者は小さく笑う。
「膝丸らしい」
「ほんと、弟丸は頑丈な心の持主だよ」
「膝丸だ、兄者」
「そうそうそれ」
審神者は声を出して笑う。
「あー、笑った…………二人は、私が必要?」
「「当然」」
「ふふっ、即答だね………………うん、私も」
すっ、と審神者が執務室の部屋を出る。
ガラスのような何かが大きな音を立てて割れていく。
けれど、審神者は先ほどの金属音同様、気にしなかった。
それは目の前の二人を見ていたからか、見て見ぬふりをしたからか。
ガラスに映る世界は虚ろで、その中に焦り走り回るこんのすけの姿があったのだが、審神者はそれに気付かない。
「主様ーっ!」
短刀たちが嬉しそうに中庭から審神者を呼んでいる。
「行っておいで、主」
「うん、行ってくる!」
審神者は二人から手を離し、駆けて行く。
もう、彼女は何も恐れないし、自分を卑下することもなくなるだろう。
髭切と膝丸は、割れたガラスの向こうに写るこんのすけと、複数の黒い男たちが見えた瞬間ガラスを刀で粉々に砕いた。
「これはまた、派手にやらかしたな」
粉々になったガラス片を土足で踏みつけながら、三日月は二振りを見た。
「ありゃ? 三日月か、丁度良かった。これ片付けてよ」
「ふむ……石切丸にさせよう」
「頼む。俺達は後片付けが苦手なんだ」
「…………そうであろうな」
ここはもう、現世と違う世界。
誰も、審神者を蔑む者も同情する者もいないのだ。
「かごめかごめやりたいですー!!」
「「「賛成っ!」」」
「主様オニやって~!」
「はーい!」
こうして少女は成人後黒い男たちから逃れ、神様たちに守られながら幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。
短刀たちと寝る昼。
そう言われ審神者は少し考えて、話し出した。
「…………ある日、女の子が田舎道を走っていました。少女が住んでいた家には、本当の家族がいませんでした」
「なんでですか?」
「……少女の大切な人は皆いなくなってしまって、仕方なくあの家にいたの。けれど抜け出した。本当の家族を探して」
「見つかりましたか?」
「そんな急かさないで」
今剣が、布団からもぞもぞと顔を出して瞳を輝かせて続きを強請る。
審神者は苦笑しながら、彼等と同じように布団に横になり話を続けた。
「そんな簡単ではなくて、少女は黒い男たちに捕まってしまいます。彼等は少女の不思議な力を利用しようと、偽物の家族を用意して言いました。これが今日からお前の家だ、と」
「偽物なんて酷い!」
五虎退の言葉に、審神者は静かに微笑み目を閉じた。
「でも、少女は喜んでその家に行きました。そこには大きな神様から、小さな神様まで、色んな神様が住んでいました。少女はすぐに皆と仲良しになりました」
「良かった……」
短刀たちの一挙一動に、審神者は思わず笑ってしまう。
自分にもこんな素直な時期があったのだろうか、と。
「少女にとってそこは、初めての家族と大切な家になりました。けれど少女の不思議な力は限度がありました。少女はそれを使い切ると、男たちに家を追い出されてしまいます」
「…………それで、その話はどうなるんだ?」
そっと室内に入ってきた膝丸に問われても、審神者は静かに微笑んだままだ。
「………………結末を決めるのは、私ね」
全てを諦めたようなその言葉に、全員が息を呑んだ。
夢の先は、いつだって過酷だった。
彼女の願いは叶わず、来週には審神者としての任を終えここを去る。
本丸に就任した当時は他を圧する程の霊力を誇っていた審神者。
けれど、その霊力もとうとう底が見えてしまった。
「ここは、来週以降新任の審神者に来ていただきます」
それが、政府からの最後通達だった。
審神者には、それに抗えるだけの力も知恵もない。
審神者を終えた後の自分の生活など、彼女には想像もつかない。
「…………どうしたもんかなぁ~」
縁側で扇風機を回しながら、ごろりと寝そべる。
別に彼女は自堕落な日々を過ごしていたわけではない。
一生懸命、歴史を守るために戦ってきた。
けれど、同期の他の審神者の霊力は尽きる気配がないというのに、審神者だけがそうなってしまった。
「不運は、私の為にある言葉だな……」
生まれた境遇から考えても、それは彼女にとってしっくりと来る言葉だった。
「逆じゃない?」
そう、隣に座りガリガリとアイスを食べ始めたのは髭切だった。
足音なくいつの間に来たのかわからないが、審神者はそれに驚くことはなかった。
それに慣れるほど、彼等とは時間を共にしていた。
「弟に聞いたよ。主しか知らない童話の話」
「童話よ……続きのない、面白くもない話」
「…………主は、幸運だよ」
「そう言うのは貴方ぐらいよ」
「主が知らないだけさ。これだけ多くの付喪神がいて、誰からも好かれている。君の魂はとても綺麗だよ」
「……人間に好かれないもの」
「それは主にとって必要なの?」
「必要よ。今後は特に」
そういうと、髭切はうーんと首を傾げた。
「それは、現世に帰るから? このまま此処に居られたなら?」
「必要よ。人の世に生きているのに、誰からも必要とされないのも、好かれないのも辛いわ」
「…………辛かったんだね」
髭切の言葉に、審神者はしまったと下を向いた。
(同情されたいわけじゃ、ないのに……)
同情されるのは苦手だった。
今も昔も、決まって向けられるあの哀れみの目は、彼女にとって嫌悪と同じ目だ。
向けられると、自分が特別不幸な気がする。
誰だって、苦しい過去はあるはずなのに自分がその誰より苦しい思いをしているのだと、思い知らされる。
それがどれだけ認めたくないものでも。
自分より不幸な人を見たくないのと同じぐらい、自分より不幸な人を見て自分の方がマシだと思いたい願いが強かった。
そんな人がいて欲しくない、そんな辛い人は増えないで欲しいと気持ちが分かるはずなのに、同じだけ不幸な人がいると安心する。
その感情を持つ審神者は、自分が綺麗だと言われても到底信じ難かった。
(……嫌な話、しちゃったな)
「髭切、そのアイスはどうしたの?」
「これ? 燭台にもらったんだ」
「燭台……あぁ、光忠ね」
「そうそうそれ」
何時まで経っても誰の名前も覚えようとしない髭切に呆れながら、審神者は起き上がる。
「私もアイス貰ってくるね」
「うんうん、美味しいよとっても。食べたら主も元気になるよ」
「ありがとう」
食堂にいるであろう燭台切の元へ向かいながら、彼女はふと気付く。
「主も、って…………髭切も、元気なかったの?」
振り返っても既に彼の姿はなく、扇風機だけがクルクルと回っていた。
日は刻一刻と過ぎていく。
審神者の要望により、彼女の最終日まで特別なことは何もしない。
そう、彼女が決めた。
いつも通りの日常を、最後まで過ごしていたい。
大切な日々を忘れないよう、一日一日を一生懸命審神者は過ごした。
だが、日が一日経つ毎に審神者の苦しさは増す一方だった。
霊力が枯渇していく中、いつも過ごしていたように刀剣たちに霊力を補給し、本丸の結界を維持することなど到底無理な話だったのだ。
けれど審神者は、たとえ血反吐を吐こうともそれだけは譲らなかった。
「…………大丈夫よ」
何度も、何度も自分にそう言い聞かせて業務をこなしていく。
あの頃に戻れたら、そう何度願ったかわからない。
どう足掻いても変わらない現実に、少しでも抗うように彼女は今日も業務をこなす。
「大将、無理すんな」
「主、少しは休みなよ」
「そうです! 僕等とお話しましょう? 主様」
「主よ、お前は審神者を止める前に死んでしまいそうだ。休め」
何人もの刀剣男士が声をかけたが、審神者は絶対に首を縦に振らない。
どうしたものかと悩んでいた刀剣たちの中で、スッと二振りの刀剣が立ち上がった。
髭切と膝丸である。
「俺達に任せてくれないか」
「大丈夫、主の悪いようにはしない」
二振りの真剣な表情に、刀剣たちは彼等に任せることとした。
二振りは、執務室前に座り審神者に声をかける。
許可がおり、膝丸と髭切は礼儀正しく入室した。
「どうかしましたか? 仰々しく入られると、緊張します」
パソコンに向かっていた手を止め、審神者は自身に掛けた羽織を掛け直し居住まいを正した。
「ずっと業務をしてるんだね。大変だ」
「主、体調はどうだ?」
「万全、とまでは行きませんが大丈夫ですよ。それより、何か御用だったのでは?」
「いやなに、主もお疲れだと思ってな」
膝丸は審神者の左側に近寄り、そっと彼女の手を取った。
「少しは休憩した方が良い」
そういって、手を優しく撫でてツボを押される。
「いえ、仕事をしていた方が————」
良いので、そう言おうとした審神者の目がそっと何かに塞がれる。
「ちょっ!?」
「大丈夫、僕だよ」
「髭切? 何してるの?」
「ずーっとその機械とにらめっこしていたら疲れるんでしょう? 目も休めないと」
どうやら審神者は、彼の両手に目を塞がれているようだ。
膝丸に手を、髭切に目を奪われ座ったまま動けなくなる審神者。
二振りは、無言のまま各々好きなように審神者を労わる。
突然やってきて何をするかと思えばと、審神者は溜息をつく。
(………………ん)
溜息の後、吸った空気の中に静かな香りが掠めた。
「…………お香の香りがする」
審神者が思わず呟くと、二振りは笑った。
「あぁ、主の好きな香りだと良いのだが」
「好きですよ。それより、いつまでこれを? そろそろ仕事に戻りたいのですが?」
「つれないなぁ、もう少し付き合ってよ。主と過ごせる日は少ない。僕等だって主との時間を惜しみたいんだ」
「………………では、もう少しだけ」
「ありがとう、主」
二振りの刀のことは、審神者も多くを知る訳ではない。
彼等は来て日は経っているものの、まだまだ初期刀と比べると何でも話せるような仲ではない。
けれど、大事に審神者は彼等と接して来たし、彼等も審神者を慕っていた。
こんな自分でも惜しんでもらえる、それは審神者にとってとても喜ばしいことだった。
思わず目が熱くなる。
(髭切が目を塞いでくれて良かった…………)
「そうだ主、香の十徳って知ってる?」
「? いえ、初めて聞きました。なんですかそれ?」
「発症は日本ではないらしいが、江戸時代に一休が伝えたとされる言葉だ」
「感格鬼神 清浄心身 能除汚穢 能覚睡眠 静中成友 塵裡偸閑 多而不厭 寡而為足 久蔵不朽 常用無障」
髭切は、まるで呪文でも唱えるかのようにスラスラと言葉を並べた。
「要は香の効用だ。主にもきっと効果があるだろう」
「へぇ、そんな言葉があるんだ……」
言葉の意味は分からずとも、二人が主のためにと考えてくれたことは伝わった。
審神者は、優しく微笑む。
「ありがとう。髭切、膝丸」
「感は鬼神に
「そう。では今日の出陣での活躍が期待されますね」
「「………………」」
その後、二振りは沈黙したまま主の目と手を塞いだまま暫くの時を過ごした。
ふいに、審神者の背に何かが当たる。
「あ、ごめんなさい」
「いいよ、僕に凭れて?」
「そんな訳には……そろそろ仕事にも戻らないと」
「駄目だよ」
両手で抑えられた目をそっと後ろに引かれ、審神者は強制的に髭切に背を預けることになる。
彼の吐く息で、耳横の髪が揺れて審神者はカッと顔が熱くなった。
「ひ、髭切!?」
「大丈夫」
「わ、私が大丈夫じゃないっ!」
「大丈夫だよ。怯えないで」
「怯えているわけでは……」
髭切から離れようとした審神者は、ふと気付く。
髭切が一本の腕で審神者の腕ごと自分にぴったりと沿うように抱きしめている。
そして、片手で審神者の目を塞いでいる。
膝丸に擦られていた手は、いつの間にか髭切に抑え込まれていた。
「髭切っ! 離しなさいっ!!」
「主はさ、自分を卑下するよね。僕等にとって君がどれだけ尊い存在だと伝えても、それを受け入れてくれない」
「今関係ないでしょう?!」
「いやあるさ」
膝丸の声が、審神者のとても近くで聞こえた。
「膝丸? 近くにいるなら、すぐに髭切を何とかして!」
「いいや主、そんなことをする必要はない」
「なにを………………」
ぎゅっと髭切に強く抱きしめられる。
それは、審神者に強く警鐘を鳴らさせる。
「や、やだっ……離してっ!」
「あぁ、暴れないで? 僕等だって乱暴したくないんだ」
「主は綺麗すぎる。人の世は合わないんだ」
そういって、膝丸は審神者にそっと口付ける。
一瞬触れるか、触れないか。
まるで壊れものに触れる様な優しい口付けに、審神者は出かかった言葉が詰まる。
「そうそう。気にしなくて良いのに、主はそれを止められない。それは他人のせいだよ」
「だから俺達が何とかしよう」
「主が自分らしく居られる、僕等の世界へ」
「霊力がなくとも生きられる、主の大切な家族と共に居られる世界を」
「「さぁ、主」」
髭切が、塞いでいた手を離し審神者は目を開く。
「…………そんなこと、出来るわけ」
二振りの言葉を否定しようとすると、髭切に口付けられる。
ちゅっ、と音が鳴ったかと思うとねっとりと審神者の唇を何かがゆっくりと這っていき離れた。
それが彼の舌だと理解した瞬間、審神者は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「兄者、やりすぎだ」
「えー、だって主美味しいんだもん」
「連れて行ってからでも良いのではないのか?」
「他の奴等も一緒、ってのは気に食わないけどね」
「主のためだ。大切な家族と————」
「だから今のうちに唾つけとくの」
「それは隠喩だろ兄者」
「もう一回する?」
「…………しない。何考えてるの、二人とも」
審神者の言葉に、二振りは静かに微笑んだ。
「主の幸せに決まってるじゃないか」
「おいで、僕等が幸せにしてあげる。君はもう自由になっていいんだよ」
二振りの言葉に、段々と審神者の思考がぼやけていく。
(あれ……でも私、審神者じゃなくなるんじゃ…………)
髭切から解放されても、審神者は座ったまま動けない。
それを二振りが審神者の手を取り、立ち上がらせる。
(なんで、私は審神者じゃなくなるんだっけ……彼等はなんで、私にここまでしてくれるんだろう?)
ぐるぐるぐる、視界は正常なのに頭が回らない。
一歩、また一歩と執務室の外へ向かって足が進んでいく審神者。
「髭切、膝丸…………私はもうすぐ何の価値もない人間に、なるんだよ?」
「それは主達の基準でしょう? 僕等はそう思わない」
「主は、俺達が必要じゃないのか? 家族だと、童話で言ってくれたのは嘘だったのか?」
「嘘じゃ、ない……でも私は昔から、不運で……」
「大丈夫だよ主」
あと一歩、執務室から廊下へ出るところで審神者が留まる。
髭切と膝丸は、互いに執務室から一歩出たところで審神者の手を取ったまま止まる。
「主から、こっちへ来て?」
「来い主。必ず俺と兄者が守ってみせる。主を害す全てから」
二人の言葉に、進みたくなる足が何かに繋ぎ留められている感覚。
(なんで、進んじゃ行けないんだっけ? 思い出せない……か、み隠し…………あれ?)
「………………あれか」
審神者に聞こえない小さな声で、膝丸が何かを見つける。
だがそれより早く、髭切がその何かを切り捨てる。
ガキンッ! と金属のような何かが割れる音がした。
審神者には見えない程の速さで行われたそれに、彼女は気付けない。
大きな割れる音も、審神者にとっては考え事の方が今は優先で彼女は振り返らなかった。
(…………何を悩んでいるんだろう、私)
審神者は、二人をゆっくり見上げる。
「……髭切、まだ元気ない?」
「ん?」
「前、アイス食べてた時……そういう風に聞こえたから」
「あぁ、うんそうなんだ。主がこっちに来てくれたら、元気になれるよ」
ニッコリと、いつも通りの髭切の優しい笑顔。
審神者はそれを見てほっとする。
「膝丸は?」
「俺はいつでも大丈夫だ」
キリリとした声に、審神者は小さく笑う。
「膝丸らしい」
「ほんと、弟丸は頑丈な心の持主だよ」
「膝丸だ、兄者」
「そうそうそれ」
審神者は声を出して笑う。
「あー、笑った…………二人は、私が必要?」
「「当然」」
「ふふっ、即答だね………………うん、私も」
すっ、と審神者が執務室の部屋を出る。
ガラスのような何かが大きな音を立てて割れていく。
けれど、審神者は先ほどの金属音同様、気にしなかった。
それは目の前の二人を見ていたからか、見て見ぬふりをしたからか。
ガラスに映る世界は虚ろで、その中に焦り走り回るこんのすけの姿があったのだが、審神者はそれに気付かない。
「主様ーっ!」
短刀たちが嬉しそうに中庭から審神者を呼んでいる。
「行っておいで、主」
「うん、行ってくる!」
審神者は二人から手を離し、駆けて行く。
もう、彼女は何も恐れないし、自分を卑下することもなくなるだろう。
髭切と膝丸は、割れたガラスの向こうに写るこんのすけと、複数の黒い男たちが見えた瞬間ガラスを刀で粉々に砕いた。
「これはまた、派手にやらかしたな」
粉々になったガラス片を土足で踏みつけながら、三日月は二振りを見た。
「ありゃ? 三日月か、丁度良かった。これ片付けてよ」
「ふむ……石切丸にさせよう」
「頼む。俺達は後片付けが苦手なんだ」
「…………そうであろうな」
ここはもう、現世と違う世界。
誰も、審神者を蔑む者も同情する者もいないのだ。
「かごめかごめやりたいですー!!」
「「「賛成っ!」」」
「主様オニやって~!」
「はーい!」
こうして少女は成人後黒い男たちから逃れ、神様たちに守られながら幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。
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