短編集

「————それで、この家では不吉なことが?」


彼女は、出されたティーカップに口をつける。

少し渋みがあるが、優しいアプリコットティーをコクリと嚥下した。


彼女は、祖母の電話を受けて強制的に祓い屋の仕事を押し付けられた。

仕事道具だと送られてきたいくつかの護符や刀に驚きはしたが、その中の刀が喋り出したことより驚くものはない。

そして、その刀二振りによってどうやったのかは彼女は分かっていないが、一気に自宅からここ遠暮呂(オンボロ)邸にやってきた。

遠暮呂さんは、祖母に祓い屋の仕事を依頼した依頼主である。

名前に似合わず山の奥に聳え立つ洋館は年季が入っているが、手入れが行き届いておりとても不吉なことが起こるような場所には見えない。

彼女は、最早ここまで来てこの仕事を断れるほど祖母が嫌いなわけでもなかったこと、この山奥からの帰り道が分からないことも含め、仕事を引き受けるべく遠暮呂邸の扉を叩いて今に至る。


「ここ数年、突然電気が消えたりするんです……工事の人に見てもらっても、何も問題はないのに。私怖くて……」


遠暮呂さんが不吉だという話を始めたので、慌てて彼女は姿勢を正した。

しかし、聞こえてきた話に少し肩の力を抜く。

大した話ではないように思えたからだ。


(古いからでは?)

「古いからじゃない?」


彼女の横に立つ色素の薄い男が、顎に手を当てながら首を傾げながら呟く。

彼は髭切という刀の付喪神で、祖母の使役する式神だ。

そして、その髭切の隣で薄緑の髪をブンブン縦に振り髭切に同意している男、彼は膝丸。

同じく祖母の使役する式神である。

理由は不明だが、彼等二人が祖母の命に従い彼女をここへ強制的に連行した。

一般人には姿も見えなければ声も聞こえないらしく、言いたい放題である。

だが彼女は、自分の代わりに意見を言ってくれた髭切に少し笑う。

彼女の声は髭切と違って目の前の女性に聞こえてしまうため、思うように正直なことを言えない。


(誰かが堂々と言ってくれると清々しいな)


この仕事を引き受けたからには、きちんと解決して祖母に返したい。

そう願う彼女だったが、遠暮呂さんの言葉に思わず肩透かしを食らったのも仕方がない。

これ以降も、いくら事案を伺えど出てくるのはとても奇妙で不吉とは言い難いものばかり。

勝手に蛇口が動き出す、階段の数が増えたり減ったりする、椅子が勝手に動くなどなど。


(学校の怪談か!)


彼女が思わずそうツッコミを入れたくなるのも無理はない。

大抵そういったものは勘違いであり、七不思議でもなければ学校の怪談でもない。

そこでふと彼女は目の前に座る遠暮呂さんを見た。


やつれた体に、濃い目のクマ。

祖母の友人の知合い、ということだったが少しこの女性の情緒が不安定なことも気になった。

怯え方が尋常ではないと思えば、会話中に突然ぼーっとしていたり。

かと思えば、ティーカップに角砂糖を六個もドボドボ入れている。

くるくるとティースプーンでかき混ぜてはいるが、女性が紅茶を入れたのはもう三十分以上前だ。

そして、混ざらずぐるぐる回る紅茶を微笑みながら眺めている。

紅茶は冷めており砂糖は溶けず、女性が飲むとジャリジャリと砂糖をかみ砕きながら紅茶を嚥下している。

その光景は、少し異常に見えた。


「ええっと……では、今伺った異常のある箇所を見せていただきたいのですが」

「ええ、好きに見て下さい……私は、ここにいます」


後ろの二人に目配せをして、彼女は立ち上がった。

リビングの扉を閉めて廊下に出た彼女は、深くため息をついた。


「…………ひ、膝丸、だっけ? あの女性、どう思う?」


彼女は、一先ず二人の意見を聞いてみることにした。

まずは異常があるという二階へ上がる階段へ向かいながら。


「あの老婆? 特に何かに憑りつかれているわけではなさそうだ」

「……そ、そう(それだったら余計怖いな)。髭切は?」

「うーん、変」

「それは同意」


家の構造は、広いけれどややこしくはない。

すぐに二階へ向かう階段に着き、数を上りながら数える。


「十二段。普通だよね?」

「ていうかここ、別に何もいないけどねぇ」


髭切の言葉に、彼女は彼へ振り返る。


「そうなの? そもそも、何かいたら分かるの?」

「一応そういうの専門で退治してるからね」

「へぇ、凄いね。じゃあもう解決じゃん?」


特に、何も問題はなかった。

これで仕事は終わりだと、彼女はほっと胸を撫で下ろすが髭切も膝丸も苦い顔のままだ。


「…………な、なに?」

「孫、お前は何も問題はなかったとあの老婆に告げて話が済むと思うか?」

「………………思わない」

「だよねぇ、厄介だなぁ」


髭切は、うんうんと頷きながら微笑んでいる。


(コイツ……本当に厄介と思ってるのかな。何か楽しんでるように見えるのは気のせいかな?)


その後も洗面所の蛇口や、ダイニングの椅子などを確認したが、特に怪しいものや突然何かが起こることはない。


「…………うーん、どうしようかなぁ」


特に何もない。それが結果ではある。

だが先ほど膝丸が言った通り、それではあの女性は納得しない。

あれだけ怯えるなど情緒不安定になるほどなのだ。

何もなかったとしても、何かあったと言って祓ったと嘘をつくべきか。


(でも、そんなんで効果あるのかな……なかったら、私詐欺師では?)


祓い屋どころか詐欺師……彼女は、大きく首を横に振った。

人生台無しである。

それだけは、人を騙すようなことはしてはならないと大きく頷き自分を納得させる。


「……………………あ、いい方法があるよ」


突然、ひょこっと何処かの部屋から現れた髭切はニコニコと笑っていた。


「本当? ていうかどこにいたの?」

「探検。こっちこっち」


髭切に手招きされ、膝丸と共に首を傾げながら彼の跡を追う。


(しかしまぁ、よくこんな短時間で私も彼等に慣れたもんだ……)


人ではない彼等に怯えない、とは言えないけれど嫌悪感はない。

彼女にとっては、この祓い屋という仕事をこなす上でどうしても必要な存在だと認識してしまえば、思ったより彼等は害のない存在だと気付いた。


(……凄いイケメンで、目の保養にも良いのはメリットだよねぇ。眼福眼福)


心の中で拝みながら、彼女は歩いた。


「ここ……ちょっと待ってね」


そう言って髭切が連れてきたのは、最初に見た階段下の廊下。

大きな廊下であり、そこかしこに置かれた棚には豪華絢爛な調度品が並んでいる。

絵画も、ゴテゴテとした装飾品で飾られた額縁に入れられ、それだけで絵の価値が分からずとも価値のある絵なのだろうと思わせた。


「……はぁ、すごいねー」


彼女がそう言って、周囲を見ているとパリーンッ!! と大きな音がすぐ近くで響いた。








髭切が、大きな壺を割っていた。




「ななな!? な、何してるのっ!!?」


彼女は思わず彼の胸倉を掴み、襲い掛かる勢いで尋ねた。


「えーっとね、これで万事解決だよ」

「さすが兄者!」

「黙れ膝丸っ! 逆でしょ逆! 万事大問題! 冗談でしょ……」


割れた壺の欠片を座り込み拾い上げ、彼女は顔を真っ青にした。


「……ここの壺とか、そういうの……すっごい高いと思うの…………式神に価値とか分からないかもしれないけど、大変なの」

「大丈夫大丈夫、この壺年代物でしょ? こういう年代が経っていれば、そりゃ悪霊ぐらい憑くよねって話せばいいよ。この壺は割れたから、もう不吉な事は起こらないよ」

「………………ほんと?」


座り込んだまま、潤んだ瞳で髭切を見上げる。

すると、髭切は優しくふんわりと微笑んだ。

それはとても綺麗な笑顔で、思わず彼女は頬が熱くなったがまだ不安は消えない。

彼の隣に立つ膝丸へ目を向けると、彼は彼女の目線までしゃがみ込み、慣れない手つきで彼女の頭をそっと撫でた。


「……大丈夫だ。兄者を、俺達を信じろ」

「………………うん」












「結局駄目だったじゃんかーっ!!」

「あはははははっ!」

「笑いごとじゃないっ!」


結局、事情を説明すると祓い屋の仕事的には納得してもらえたのだが、壺の半分の値段で良いから払ってくれなければこちらも困ると女性に怒られた。

そもそも、勝手に割っている時点で彼女等に文句は言えない。


(……しかも、あの壺もただの壺だったわけだし、まぁ当然か…………)


そして最悪なことに、それを聞いた祖母が壺の金額を彼女の代わりに支払った。


「ごめんね、お祖母ちゃん」


彼女の謝罪の言葉にニッコリと笑って祖母は言った。


「借金分、しっかり頼んだよ祓い屋」

「……………………え?」









こうして、彼女の髭切と膝丸を連れた借金返済のための祓い屋稼業が始まるのだった。





「いやー、最近ドラマで見た壺商法ってホントだったんだねぇ」

「さすがだな兄者! 主の命通り、孫を祓い屋に仕立て上げるとは!」

「いやいや~、お前の俺達を信じろっていう最後の言葉が聞いたんだよ、きっと」

「…………彼女が、今日から俺達の新しい主だな」

「うんうん。きっと楽しくなるね」

「あぁ、きっと楽しくなるな」


クスクス笑う二人の姿を、彼女は知らない。
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