五条悟
小さい頃、変わったやつがいた。
白い髪に綺麗な色の目をもつその男の子は、名前も五条悟と至って平凡だった。
だが、平凡なのは名前だけ。
「ちぐはぐな顔」
綺麗、可愛いと周囲の大人がそう評する彼の第一印象は、私の中では良くなかった。
バサバサのまつ毛に、整った顔立ち。
幼い容姿は、彼の綺麗な顔立ちに可愛さと少しの憂いが漂っており、只者ではないことだけが確かだった。
そんな私の思考と同じだったのか、彼は学校でかなり浮いていた。
男子達はその子の容姿をからかう事すらなかった。いや、出来なかった。
男の子は、常に私達に分からない何かを見て、私達を寄せ付けない圧倒的な存在感を放っていた。
だから、嫌いだった。
女の子たちが遠巻きに「好きだ」「カッコいい」などと、他の男子と比べて静かなところが良いなどと彼をもてはやした。
私だけが、彼を嫌いだった。
「お前、俺のこと嫌いだろ」
「うん嫌い」
「なんで?」
「わかんない。ネギ嫌いなのと同じかも」
「なにそれ」
ある日突然聞かれた五条悟からの言葉に、私は迷いなく頷いた。
彼は、笑っていた。
「ネギは何で嫌いなの?」
「嚙んだらぬるぬるするし、気持ち悪いでしょ」
「俺噛んでもぬるぬるしないよ。そうじゃないネギもあるし」
「そう聞いたから」
「食べたことないの?」
「食べたくないの」
「あぁ、食わず嫌い?」
「そうそう」
「俺のことも?」
「似た感じ」
五条悟と私が話すのは、これが初めてだった。
「…なんかさ、お前凄いんだよね」
「なにが?」
「俺って存在を、お前ほど明確に嫌ってる奴っていないの。毎日毎日、視界に入る度にめちゃくちゃしっかり俺を嫌ってるの凄く分かるわけ」
「目に入れたいわけじゃないんだけど、同じ学校だからしょうがないね」
「それそれ!」
「どれ?」
私が首を傾げると、彼は腹の底から声を出して笑った。
(そういえば、笑ってるところ見たのはじめてだ……)
「俺を嫌いっていう気持ちは伝わってくるんだけど、お前それだけなんだよねぇ」
「? それ以外に、なにがあるの?」
「あ~……理由がないからかなぁ、変なの」
「さっきから何言ってるのかわからない……気持ち悪いんだけど」
「あぁ、そういうのそういうの。普通、嫌悪感と共にこう、泥の色とか見えるんだけど……お前なんか黒いだけで、綺麗なんだよねぇ。面白い」
「私泥なんかつけてない!」
「あ、怒った?」
ぷちっ、と私の中の何かが切れた。
(こいつ、きらいっ!!)
なんにも私がわからないのに、勝手に話して、勝手に面白いと指を指す。
挙句の果てに、私に泥が付いているだのなんだのと、良くわからないことを言われた。
その当時の私には、彼の言葉を全て理解することが出来ず、端的な言葉のみで判断していた。
『お前の泥、黒いんだよねぇ。面白い』
というように私の中では聞こえていたし、彼はもう一度同じことを言う事はなかったので今も私の記憶では、彼は初対面で泥が付いているとからかってきた嫌な男の子だ。
それが、小学三年生の冬のことだった。
「————で? 俺の第二印象はカッコいいな、って?」
「奇天烈」
「なんか昔、そういうのに大百科つけたアニメあったなぁ……懐かしいなぁ」
「あぁ、歌が印象的なやつ?」
「そうそう! やっぱお互い同世代だと話通じていいなぁ。今の子たち、こういうの言っても伝わらないんだよねぇ」
「すべってるんでしょ。五条が教師とかほんと信じられない…生徒が不憫」
「僕ほど教育熱心な先生はいないよっ!」
「へー、精々モンスターペアレントに気を付けて」
「感情が全然伝わってこないんだけど……傷つくなぁ、僕」
僕、という彼の言葉に、ぞわわっと背筋を何かが駆け抜ける。
「キモキモキモイっ!! アンタいつから自分のことそんな風に言うようになったの!?」
「んー? そうだねぇ……いつだったか、年上年下から良いように思われるようにみたいな、そんなことがあったようななかったような」
「…… それが理由なら、やっぱ教師向いてないんじゃない」
「あははっ! 辛辣だねぇ。そんなんだから、君はいつまでも結婚できないんだよ」
「余計なお世話よ。私は仕事と結婚したの」
「なんでそんなもんと結婚したの。式いつだったの、僕呼ばれてない」
「友人しか呼んでないのよ」
「親友でしょ僕等!」
「止めてよ寒気が蕁麻疹になりそう」
「ひどすぎるっ!」
「白々しいわね」
小学生の間に、度々怪我をして登校してくる彼の姿を見た。
そうかと思えば転校していった彼は、その先々でも色々あったのだろう。
何故か今も連絡を取り合っている私は、薄々気付いていた。
彼が何か大変なことをしている。ということに。
でもそれは、私には関係のないことだった。
彼は私にそれを話したことはないし、聞きもしない。
ただ時々、さっきみたいに歯切れの悪い時がある。
自分のことを僕というようになったのにも、理由があるのかもしれない。
(……昔っから、全然変わってない)
大変な仕事の合間、こうして彼が私と会うのはきっと息抜きなのだろう。
なら私は、変わらずにいた方が良い。
「————じゃ、私次の仕事あるから」
「もう行っちゃうの~?」
「ウザい声出さないでよ、寒気がする」
「…………出張って、いつまで?」
私は出張で東北の方へ来ていた。
そこへ彼から連絡が来て、彼も仕事とのことでたまたま時間があったから話していた。
ただそれだけ。
「三日後にアポあるから、それまではこっちにいるわ。別で仕上げたい案件もあるし」
「そう……僕今から大変な仕事しに行くんだよね。最悪、いなくなるかも。嫌な予感がしててさ……」
「へぇ、そう」
「冷たいなぁ。真面目な話なのに~……だからさ、君を呪っておこうと思って」
「何それイヤ」
彼の不穏な言葉に、秒で嫌だと返すと彼はまた盛大に声を出して笑った。
「アハハハッ! 相変わらず、清々しいぐらい僕を嫌ってるよね」
「そりゃまぁ、最初の印象悪いし…別に連絡も、してくれなくていいのに」
「うん。僕からしなかったら、君はしてくれないよね」
五条の言葉に、ズキッと少し胸が痛む。
彼の言う通り、私から彼に連絡したことはなかった。
小学生の、彼が引っ越すと決まった時に全員の連絡先を渡された五条が、私にだけ連絡してきているのは知っていた。
中学生の頃には、小学生時代からの友人に「それ絶対五条があんたを好きだからよ!」と言われたこともあった。
だが、会って何度彼と話してもそんな風には見えなかったし、何度色んな事を話したり遊んだりしても、私たちの関係は友情未満だ。
私が彼を嫌いなことに変わりはないし、彼もそんな私を面白がっているだけなのだから。
そして、それを変えない方が良いのは多分五条の方だ。
(でも、そういえば……五条を嫌いな理由って、ずっとネギと一緒なのかな)
気付けば、ネギは食べられるようになっていた。
好きではないが、えずくほど嫌いでもなくなっている。
そんなことを考えていると、彼に両手を取られていた。
「ちょっ!? 何、ほんとに呪うつもり!?」
「もちろん」
「やっ、離してよっ!!」
全力で抵抗するが、屈強な彼の片手に両手を掴まれて手をお椀の形にさせられる。
「やだやだっ! どうせ蛇とかゴキブリ置くつもりでしょ!? これだから大人になっても男は脳みそ子どもなんだから!」
「えー、そんなことしないよ。人聞き悪いなぁ……後、男は大人になると社会に出てもっと狡猾になるから、君は僕の前以外では油断しないように」
「アンタの前が一番危ないのよっ!」
「あははっ、かもね」
「…………なに、してるの?」
彼は、左手で私の手を固定させたまま、右手で心臓の上に手を当てた。
そして、ぐっと何かを取り出すようにその手は空を掴んでいる。
「パントマイム?」
彼は目を覆っていた布を外し、目を閉じてその右手を眉間に押し当てる。
一連の流れは美しく、神社などで行われる巫女の舞のように見えた。
押し当てていた右手は、彼の目が開かれると私の両手の中へ納められる。
何を言われるまでもなく、私はそれをそっと包み込んだ。
「手、あったかいな」
手ばかり見ていると、ふと彼の声がとても近くで聞こえ顔を上げる。
鼻が触れそうなほどの至近距離に、彼がいた。
相変わらずの端正な顔に、今は腹も立たない。
「それ……飲んで」
「………………これ?」
「そう。飲んで」
私が両手で包み込んだのは、何もない空気だ。
けれど彼は、その包んだ私の手ごと大事そうに撫でる。
そして、聞いたことのない優しい声音で何度も「飲んで」と言われる。
(やっぱり、子どもの頃から何にも変わってない)
相変わらず、意味の分からない事ばかり述べられる。
けれど、私は大人になった。
何も聞かない方が良いことも、世の中にはあることを知った。
これがそうかは、分からないけれど。
「知らぬが花、ってね」
五条にも聞こえないぐらい小さな声で呟いて、酒を煽るようにクイッと勢い良く両手の空気を吸い込む。
ゴクリと唾を飲み込むと、彼は嬉しそうにニヤリと笑った。
「それ、僕の君への恋心だから」
「うわー、気持ち悪い。吐き気がしてきた」
「ほんとに君、僕に対してヒドイよね……それ、置いていくからさ」
彼はグッと伸びをして、立ち上がる。
もう目は布に覆われて見えなくなっていた。
「君が持ってて。終わったら取りに来て、君に言葉で渡すよ」
「…………は? え、もしかしてマジなの?」
「それまでは、君が大事に持っていて」
「ちょっ、なんで私が五条の心を持ってなきゃいけないのよっ!」
思わず叫ぶように彼にそう言うと、彼は私の頬をするりと撫でた。
まるで愛しいものに大切に触れる様な優しさに、カッと熱くなる。
「暫く会えなくなるから、君が僕を忘れないように、いつも僕のことを思い出すように心を置いていくんだよ」
「なにそれ本当に呪いなの……?」
「そ、僕が取りに来るまで君は毎日僕のことを考えるの」
「何で私がそんな目に!?」
「あはは! 呪いだからだよ、じゃあね」
「じゃあねってちょっと!? 五条!??」
彼は、一瞬でその場から姿を消した。
「……前から怪しい、怪しいとは思っていたけど、最早人じゃないことを隠さなくなってきたわね……」
彼がいなくなってからも、顔が熱い。
ファンデーションで、顔の赤さは隠せているだろうか。
(ていうか、まじで私は毎日五条のこと考えなきゃいけないの? 冗談? 彼ならこれは本気? 冗談? いや待って、それより奴は恋心とかふざけたこと言ってた気がする…)
「あぁもうっ!!」
嫌いな奴のことなんか、考える必要はないと切替えてさっさと仕事しよう。
そう、今は彼の策略で考えてしまっているだけ。
私が強い精神を持てば、きっとそんな馬鹿な事にはならない。
だって私は、彼が嫌いなんだから。
その夜、ホテルで眠りについた私は夢を見た。
綺麗な夜景の見えるレストランには、五条と私しかいない。
五条は目を覆っている布を外していて、夜景に反射した彼の目はキラキラと輝いて見えた。
そんな彼が、そっとテーブルに置いている私の右手を優しく包み込む。
いつになく真面目な顔で、今まで見たことのない優しい微笑み。
綺麗なその唇からは、低く熱のこもった声が呟かれた。
「好きだよ、もう離したくない」
「五条……」
私を好きだという思いが、痛い程伝わる言葉に返答する言葉が見つからない。
彼を見ていられず視線を外すと、彼に包み込まれていた右手がぐいっと引っ張られる。
近付く彼との距離に、私は思わず————
ガバッと飛び起きた彼女は、丑三つ時だが構わずスマホを手に取った。
「もしもーし、君から連絡くれるなんてはじ「呪い解けばかっ!」」
プーッ、プーッ、と切られた電話に五条は腹を抱えて笑った。
「なんの夢見たのかな。次会えたら、絶対聞かなきゃね…………その前にまずはコレ、終わらせるとするか」
そう言って、五条は渋谷へ足を踏み入れていった。
白い髪に綺麗な色の目をもつその男の子は、名前も五条悟と至って平凡だった。
だが、平凡なのは名前だけ。
「ちぐはぐな顔」
綺麗、可愛いと周囲の大人がそう評する彼の第一印象は、私の中では良くなかった。
バサバサのまつ毛に、整った顔立ち。
幼い容姿は、彼の綺麗な顔立ちに可愛さと少しの憂いが漂っており、只者ではないことだけが確かだった。
そんな私の思考と同じだったのか、彼は学校でかなり浮いていた。
男子達はその子の容姿をからかう事すらなかった。いや、出来なかった。
男の子は、常に私達に分からない何かを見て、私達を寄せ付けない圧倒的な存在感を放っていた。
だから、嫌いだった。
女の子たちが遠巻きに「好きだ」「カッコいい」などと、他の男子と比べて静かなところが良いなどと彼をもてはやした。
私だけが、彼を嫌いだった。
「お前、俺のこと嫌いだろ」
「うん嫌い」
「なんで?」
「わかんない。ネギ嫌いなのと同じかも」
「なにそれ」
ある日突然聞かれた五条悟からの言葉に、私は迷いなく頷いた。
彼は、笑っていた。
「ネギは何で嫌いなの?」
「嚙んだらぬるぬるするし、気持ち悪いでしょ」
「俺噛んでもぬるぬるしないよ。そうじゃないネギもあるし」
「そう聞いたから」
「食べたことないの?」
「食べたくないの」
「あぁ、食わず嫌い?」
「そうそう」
「俺のことも?」
「似た感じ」
五条悟と私が話すのは、これが初めてだった。
「…なんかさ、お前凄いんだよね」
「なにが?」
「俺って存在を、お前ほど明確に嫌ってる奴っていないの。毎日毎日、視界に入る度にめちゃくちゃしっかり俺を嫌ってるの凄く分かるわけ」
「目に入れたいわけじゃないんだけど、同じ学校だからしょうがないね」
「それそれ!」
「どれ?」
私が首を傾げると、彼は腹の底から声を出して笑った。
(そういえば、笑ってるところ見たのはじめてだ……)
「俺を嫌いっていう気持ちは伝わってくるんだけど、お前それだけなんだよねぇ」
「? それ以外に、なにがあるの?」
「あ~……理由がないからかなぁ、変なの」
「さっきから何言ってるのかわからない……気持ち悪いんだけど」
「あぁ、そういうのそういうの。普通、嫌悪感と共にこう、泥の色とか見えるんだけど……お前なんか黒いだけで、綺麗なんだよねぇ。面白い」
「私泥なんかつけてない!」
「あ、怒った?」
ぷちっ、と私の中の何かが切れた。
(こいつ、きらいっ!!)
なんにも私がわからないのに、勝手に話して、勝手に面白いと指を指す。
挙句の果てに、私に泥が付いているだのなんだのと、良くわからないことを言われた。
その当時の私には、彼の言葉を全て理解することが出来ず、端的な言葉のみで判断していた。
『お前の泥、黒いんだよねぇ。面白い』
というように私の中では聞こえていたし、彼はもう一度同じことを言う事はなかったので今も私の記憶では、彼は初対面で泥が付いているとからかってきた嫌な男の子だ。
それが、小学三年生の冬のことだった。
「————で? 俺の第二印象はカッコいいな、って?」
「奇天烈」
「なんか昔、そういうのに大百科つけたアニメあったなぁ……懐かしいなぁ」
「あぁ、歌が印象的なやつ?」
「そうそう! やっぱお互い同世代だと話通じていいなぁ。今の子たち、こういうの言っても伝わらないんだよねぇ」
「すべってるんでしょ。五条が教師とかほんと信じられない…生徒が不憫」
「僕ほど教育熱心な先生はいないよっ!」
「へー、精々モンスターペアレントに気を付けて」
「感情が全然伝わってこないんだけど……傷つくなぁ、僕」
僕、という彼の言葉に、ぞわわっと背筋を何かが駆け抜ける。
「キモキモキモイっ!! アンタいつから自分のことそんな風に言うようになったの!?」
「んー? そうだねぇ……いつだったか、年上年下から良いように思われるようにみたいな、そんなことがあったようななかったような」
「…… それが理由なら、やっぱ教師向いてないんじゃない」
「あははっ! 辛辣だねぇ。そんなんだから、君はいつまでも結婚できないんだよ」
「余計なお世話よ。私は仕事と結婚したの」
「なんでそんなもんと結婚したの。式いつだったの、僕呼ばれてない」
「友人しか呼んでないのよ」
「親友でしょ僕等!」
「止めてよ寒気が蕁麻疹になりそう」
「ひどすぎるっ!」
「白々しいわね」
小学生の間に、度々怪我をして登校してくる彼の姿を見た。
そうかと思えば転校していった彼は、その先々でも色々あったのだろう。
何故か今も連絡を取り合っている私は、薄々気付いていた。
彼が何か大変なことをしている。ということに。
でもそれは、私には関係のないことだった。
彼は私にそれを話したことはないし、聞きもしない。
ただ時々、さっきみたいに歯切れの悪い時がある。
自分のことを僕というようになったのにも、理由があるのかもしれない。
(……昔っから、全然変わってない)
大変な仕事の合間、こうして彼が私と会うのはきっと息抜きなのだろう。
なら私は、変わらずにいた方が良い。
「————じゃ、私次の仕事あるから」
「もう行っちゃうの~?」
「ウザい声出さないでよ、寒気がする」
「…………出張って、いつまで?」
私は出張で東北の方へ来ていた。
そこへ彼から連絡が来て、彼も仕事とのことでたまたま時間があったから話していた。
ただそれだけ。
「三日後にアポあるから、それまではこっちにいるわ。別で仕上げたい案件もあるし」
「そう……僕今から大変な仕事しに行くんだよね。最悪、いなくなるかも。嫌な予感がしててさ……」
「へぇ、そう」
「冷たいなぁ。真面目な話なのに~……だからさ、君を呪っておこうと思って」
「何それイヤ」
彼の不穏な言葉に、秒で嫌だと返すと彼はまた盛大に声を出して笑った。
「アハハハッ! 相変わらず、清々しいぐらい僕を嫌ってるよね」
「そりゃまぁ、最初の印象悪いし…別に連絡も、してくれなくていいのに」
「うん。僕からしなかったら、君はしてくれないよね」
五条の言葉に、ズキッと少し胸が痛む。
彼の言う通り、私から彼に連絡したことはなかった。
小学生の、彼が引っ越すと決まった時に全員の連絡先を渡された五条が、私にだけ連絡してきているのは知っていた。
中学生の頃には、小学生時代からの友人に「それ絶対五条があんたを好きだからよ!」と言われたこともあった。
だが、会って何度彼と話してもそんな風には見えなかったし、何度色んな事を話したり遊んだりしても、私たちの関係は友情未満だ。
私が彼を嫌いなことに変わりはないし、彼もそんな私を面白がっているだけなのだから。
そして、それを変えない方が良いのは多分五条の方だ。
(でも、そういえば……五条を嫌いな理由って、ずっとネギと一緒なのかな)
気付けば、ネギは食べられるようになっていた。
好きではないが、えずくほど嫌いでもなくなっている。
そんなことを考えていると、彼に両手を取られていた。
「ちょっ!? 何、ほんとに呪うつもり!?」
「もちろん」
「やっ、離してよっ!!」
全力で抵抗するが、屈強な彼の片手に両手を掴まれて手をお椀の形にさせられる。
「やだやだっ! どうせ蛇とかゴキブリ置くつもりでしょ!? これだから大人になっても男は脳みそ子どもなんだから!」
「えー、そんなことしないよ。人聞き悪いなぁ……後、男は大人になると社会に出てもっと狡猾になるから、君は僕の前以外では油断しないように」
「アンタの前が一番危ないのよっ!」
「あははっ、かもね」
「…………なに、してるの?」
彼は、左手で私の手を固定させたまま、右手で心臓の上に手を当てた。
そして、ぐっと何かを取り出すようにその手は空を掴んでいる。
「パントマイム?」
彼は目を覆っていた布を外し、目を閉じてその右手を眉間に押し当てる。
一連の流れは美しく、神社などで行われる巫女の舞のように見えた。
押し当てていた右手は、彼の目が開かれると私の両手の中へ納められる。
何を言われるまでもなく、私はそれをそっと包み込んだ。
「手、あったかいな」
手ばかり見ていると、ふと彼の声がとても近くで聞こえ顔を上げる。
鼻が触れそうなほどの至近距離に、彼がいた。
相変わらずの端正な顔に、今は腹も立たない。
「それ……飲んで」
「………………これ?」
「そう。飲んで」
私が両手で包み込んだのは、何もない空気だ。
けれど彼は、その包んだ私の手ごと大事そうに撫でる。
そして、聞いたことのない優しい声音で何度も「飲んで」と言われる。
(やっぱり、子どもの頃から何にも変わってない)
相変わらず、意味の分からない事ばかり述べられる。
けれど、私は大人になった。
何も聞かない方が良いことも、世の中にはあることを知った。
これがそうかは、分からないけれど。
「知らぬが花、ってね」
五条にも聞こえないぐらい小さな声で呟いて、酒を煽るようにクイッと勢い良く両手の空気を吸い込む。
ゴクリと唾を飲み込むと、彼は嬉しそうにニヤリと笑った。
「それ、僕の君への恋心だから」
「うわー、気持ち悪い。吐き気がしてきた」
「ほんとに君、僕に対してヒドイよね……それ、置いていくからさ」
彼はグッと伸びをして、立ち上がる。
もう目は布に覆われて見えなくなっていた。
「君が持ってて。終わったら取りに来て、君に言葉で渡すよ」
「…………は? え、もしかしてマジなの?」
「それまでは、君が大事に持っていて」
「ちょっ、なんで私が五条の心を持ってなきゃいけないのよっ!」
思わず叫ぶように彼にそう言うと、彼は私の頬をするりと撫でた。
まるで愛しいものに大切に触れる様な優しさに、カッと熱くなる。
「暫く会えなくなるから、君が僕を忘れないように、いつも僕のことを思い出すように心を置いていくんだよ」
「なにそれ本当に呪いなの……?」
「そ、僕が取りに来るまで君は毎日僕のことを考えるの」
「何で私がそんな目に!?」
「あはは! 呪いだからだよ、じゃあね」
「じゃあねってちょっと!? 五条!??」
彼は、一瞬でその場から姿を消した。
「……前から怪しい、怪しいとは思っていたけど、最早人じゃないことを隠さなくなってきたわね……」
彼がいなくなってからも、顔が熱い。
ファンデーションで、顔の赤さは隠せているだろうか。
(ていうか、まじで私は毎日五条のこと考えなきゃいけないの? 冗談? 彼ならこれは本気? 冗談? いや待って、それより奴は恋心とかふざけたこと言ってた気がする…)
「あぁもうっ!!」
嫌いな奴のことなんか、考える必要はないと切替えてさっさと仕事しよう。
そう、今は彼の策略で考えてしまっているだけ。
私が強い精神を持てば、きっとそんな馬鹿な事にはならない。
だって私は、彼が嫌いなんだから。
その夜、ホテルで眠りについた私は夢を見た。
綺麗な夜景の見えるレストランには、五条と私しかいない。
五条は目を覆っている布を外していて、夜景に反射した彼の目はキラキラと輝いて見えた。
そんな彼が、そっとテーブルに置いている私の右手を優しく包み込む。
いつになく真面目な顔で、今まで見たことのない優しい微笑み。
綺麗なその唇からは、低く熱のこもった声が呟かれた。
「好きだよ、もう離したくない」
「五条……」
私を好きだという思いが、痛い程伝わる言葉に返答する言葉が見つからない。
彼を見ていられず視線を外すと、彼に包み込まれていた右手がぐいっと引っ張られる。
近付く彼との距離に、私は思わず————
ガバッと飛び起きた彼女は、丑三つ時だが構わずスマホを手に取った。
「もしもーし、君から連絡くれるなんてはじ「呪い解けばかっ!」」
プーッ、プーッ、と切られた電話に五条は腹を抱えて笑った。
「なんの夢見たのかな。次会えたら、絶対聞かなきゃね…………その前にまずはコレ、終わらせるとするか」
そう言って、五条は渋谷へ足を踏み入れていった。