マレビトとして来ちゃった島で奇跡を起こすまで

「────────で、ここが染料、あっちが燃料を研究するところだ。お前はこの島に来るまでは勉強していたと言ってたな。希望部署があれば聞いてやろう」

天柳李研究所に来てしばらく、使いっ走りだったり事務作業だったりと雑務を淡々とこなしていたところ、ようやくこの研究所のことを色々と教えてくれる気になったのか、豪月がそれぞれの専門部署を教えてくれた。

「この島は小さいし、放っておくとこの島の奴らは現状にすぐ満足しやがる。だから、俺たちがこの島の未来のために少しでも良くなるように色んな分野を研究している。まぁ、主に【赤】で採れる燃料の改良か、【橙】が海から拾ってきたものの使用用途を考えたり、それをここでどう商品にするかを全部担ってる」
「じゃあ、いつも私が届けている商品は……」
「そう、あれは全部試作品だ。商品として承認される前に使用感や用途なんかを絞っておく必要があるからな。常連客に本来売る商品より破格の低額で商品を試してもらってるんだよ」
「じゃあ、それで評価が良い商品だけが、島で売られるようになるってこと?」
「そうだ。本格化して商品にするやつは伊舎那天で各長から承認をもらう必要があるからな。あとは、コトワリへの申請も必要だが…資料作りも重要になってくる」

私が任されていた雑務には、そんな意味があったのか。
商品の研究という割には、やけに資料作りが多いなと思った。

「お前は勉強していたというだけあって、まとめんのが上手いな。そういう仕事でもしていたのか?」
「いえ、学校……あー、学ぶところがそういうまとめをよくさせてくる所だったので、必然的に」

学校、という言葉が通じないのは不便だ。
自分が現代にいるわけではないと、こういう時嫌でも思い知らされる。

「大いに役立ってるぜ」
「よかったです」

(豪月に褒められた!?……罵倒しか言われたことなかったのに! 今日雨かな!?)

至って普通に返事しながらも、心の中は大騒ぎだった。
それぐらい、ここで働きだしてから彼のダメ出しの数は多かったのだ。
しかも大体理不尽で腹立たしいことこの上なかったので、今の褒め言葉は録音したかったぐらいだ。

(そういえば、橋から落ちた時にスマホやカバンは落としたのかな……夢なら、何も持ってないっていうのは納得だけど…これだけ目が覚めないと夢じゃない可能性の方が高いだろうし……)

海を漂ううちに流されてしまったのだろうか。

(いや、そもそも橋から川に落ちたのに海流されるって、どういう理屈? 普通そんな状態なら私死んでる気がするんだけどな……)

不吉なことを考えてしまい、体に悪寒が走る。

「で、希望部署はあるのか?」
「あ……ちょっと考えても良いですか? こんなに色んなことをまとめて担っている所だとは思ってなかったので、やりたいことを考えたいんです」
「……変わった奴だな…明日までに決めろ」
「はい」

やりたいこと…この島で、自分が記憶を取り戻して帰るまでの間にしたいこと。

(それって、一体なんだろう……)



「おい、これエビス楼へ持ってけ」

豪月から、いつも通り渡された書類を持って、私はエビス楼へ向かった。

(そういえば、この世界には郵便局ってないのかな…まー、私みたいな下っ端がいっぱいいるなら、その人たちに任せればいいんだし、わざわざそういうのは考えないか……)

エビス楼は、何度か行ったことがあるので道順もしっかり覚えている。
地上の天供島にある、海から流れ着いたものを保管・展示している施設だ。
ここから流れ着くものはこの島よりかなり発展したものが多く、その保管物の中から島で利用できるものはないか、または改良の余地があるかを考え商品化するのが、私の働く研究所の仕事だ。



「こんにちはー、天柳李研究所です。展示物の一つが商品化として承認されましたので、資料と申請書をお持ちしました」

いつもは誰かが玄関口にいるのだが、今日は誰もいなかった。
少し大きめの声で、職員の誰かが出てきてくれればと思っていると、鬱陶しそうにオレンジの頭の人が奥から出てきた。

「そんな大声を出さなくても聞こえていますよ」

つっけんどんな言い方に少しムッとするが、すぐに既視感を覚えた。

「あの、あなたは……」

ここには既に何度か足を運んだことがあったが、彼を見たのは初めてだった。

「おや、噂のマレビトさんでしたか…失礼、今はセツカと名乗られているとか」
「はい。あの時は海への道を教えていただいてありがとうございました。ろくに礼もせず失礼しました」
「堅苦しい話し方をせずとも大丈夫ですよ。あなたとは、またいつかお会いできるだろうと思っていました」
「……そ、そうですか」

(ど、どういう意味……まさか一目惚れされたとか!?……は、ないな…妄想でも烏滸がましいかも)

「あなたは【橙】の人だったんですね」
「えぇ、【橙】の長を務めています。柑南カナンといいます」

(やば…すごい偉い人だった!)

歳が近いように見えていたため、まさか長だったとは思わず居住まいを急いで正す。
ピシッと立ち直した私を見て、彼は小さく口元を抑えて笑った。

「あなたのことは色々と聞いてますよ? 巨漢を一捻りで倒したとか、コトワリや黄泉、【赤紫】の者たちを侍らせているだとか、あの有名なオランピアとも懇意にされているとか」
「……最後は合ってますけど、それ以外は全部誤情報ですよ」
「おや、そうでしたか? 目撃情報は多々ありますよ?」
「ただ話していた程度です。それで言うなら、貴方とも噂されてしまいますよ」

茶化すようにそう言うと、彼は声を出して笑った。

(初対面の時からそうだけど、よく笑う人だなぁ)

「私は噂されても構いませんよ? と、いうより瓦版は私共の管轄なんですよ」
「え?! じゃあ、あの巨漢一捻り云々の巫山戯た記事は、貴方が書いたんですか?!」
「巫山戯ていませんよ? 至って真面目に、人々が興味を持ってくれる記事を書いています」
「誇張して書きすぎないで下さいよ…せめて今後は」
「さて、どうでしょうね…では、貴方と私が噂になることも誇張ですか?」

随分、バッサリと斬り込んでくるタイプの人だ。
しかも、笑みを浮かべてはいるが本心が読めない。
逆に、今までこの島で出会った人達が良い人ばかりだったので、研究所や、柑南のような人を久しぶりに感じる。
世の中には普通、良い人と悪い人がいて当然なのに、良い人ばかりすぎた。
気を許せない感覚は、現代にいた頃は常にあった。
その感覚を取り戻すには、彼と話すのは良いかもしれない。
ここに慣れすぎて、帰ってからフワフワしてたんじゃ困る。

(この世界は、幸せなルールではないはずなのに、周りの人が優しくて温かくて、幸せな気持ちになる…もっと、みんなと…って、思ってしまう)

でも、そうじゃない。
私は記憶を取り戻さなきゃいけないし、帰らなきゃいけない。
自分に何度も言い聞かせるみたいに、心の中で考える。


「……それはただの言葉のあやですが、貴方が本気にとってしまっていたら、そうなるのかもしれません」
「…セツカはそれが事実だとでも?」
「初対面の人を嫌いになる方が、珍しいんじゃないですか?」
「言葉を躱すのが得意なようですね」
「貴方ほどではありません」
「……敬語」
「はい?」
「敬語止めませんか? 貴方のその言葉遣いを聞いていると、何故か鳥肌が…」
「何それひどっ!」

そう言えば、彼はまた笑った。

(あれだな…小学生の男子と一緒のタイプだな…虐めて楽しんでる嫌な人だ)

しかも言葉巧みな分、イヤらしい。
でも、最初の刺々しい話し方と比べれば、小馬鹿にされるぐらいの方が話していて嫌な感じがしない。

(変な人……)

彼は嬉しそうに、また書類は私に持って来て欲しいと言った。
まるで、また会いたいと言われているような気になってしまう。
そんなはずは無いと頭では理解しているはずなのに、私はおかしくなっているのかもしれない。

「……じゃあ、また」
「お待ちしてますよ、セツカ」

彼の言葉が、やけに耳に残った。









その後は、特にエビス楼に書類を届けにいくような事案がなかったため、私は日々を仕事に費やしていた。


だが、ようやくこの時が来た。



「今日よね、女子会! 私はこれから黄泉で受け取った手紙を配達したら、すぐに向かうわね!」

オランピアと道でばったり出会うと、彼女はそれはもう意気揚々とそう言って走っていった。
今日は、以前言っていたカメリアとオランピアと私の三人での女子会である。
場所は縁が死菫城を使って良いと言ってくれたため、遠慮なく使わせてもらう事になった。

「ちょっと早いけど、早めに行って黄泉を散策でもしようかな」

今日は仕事は休み。
何度か仕事では行って慣れてはきたものの、まだ知らないところも多い。
予定時間より早いが、黄泉をうろついている間に良い時間になるだろうと私は今日も、クナドの鳥居へ向かった。

途中、天真医療院の前を通ると荷物の受け渡しをしている豪月の姿が見えた。
遠かったため声をかけずに去ろうとしたのだが、目の前から叉梗さんがやってきて目がバッチリ合ってしまった。

「おはようございます、叉梗さん」
「おはよう。セツカ、と名乗ることに決めたと聞いたよ。最近、【赤紫】の研究所でも働くようになったとか……あぁ、そういえば豪月のところだったね」
「詳しいですね。仰る通りです」
「君はマレビトで、今この島にいるマレビトの中では君が唯一の女性のマレビトだ。みんなセツカをよく知りたいと思っているのだろう」
「世間に筒抜けってことですか…(田舎みたいな情報網の速さだな……)」
「まぁ、大衆の意見は置いておいても、セツカのことは気にかけているよ。同じ独色としても、色が近い者同士としてもね」

色々と含みのある言い方に聞こえたが、取り敢えずお礼の言葉を言っておく。
彼に関しては、第一印象はすごく優しい人に見えていたのに、私の嫌いなものを敢えて食べさせようとしたことがあった。
あのせいで、彼はいじめっ子のレッテルを私の中では貼っている。

(そういえば、そうやって揶揄おうとしたり、含みのある言い方をするのって誰かに似て…………玄葉だ…やっぱり師弟って似るのかな……)

「丁度よかった、先ほど豪月から届いたのは剥の新薬でね。君も新薬の治験に立ち会わないかい? 時間があればだけど」
「え……でも、そういうのって医療専門のことですよね…私が見ても何も……」
「セツカ、君はまだ勤め始めて日が浅い。研究所が様々な分野の研究を行なっていることは知っているだろう? この国の流行病である剥の薬の開発も、君たちの研究所に頼んでいるものの一つだ」

確かに、叉梗さんのいう通り私はまだ研究所がどのような研究をしているのか、全てを理解できているわけではない。
今は特に、荷物の配達や書類整理などが主な仕事となっており、いろんな分野においての研究を一手に担っているということぐらいしか理解できていない。

「勿論、我々も研究はしているが、一方向からだけでなく多方面からの意見が欲しいんだ。何より、病から人を救うために」

彼の言葉は、真実に聞こえた。
救いたい誰かが、彼にはいるのかもしれない。
ここで過ごせば過ごすほど、この島や関わるみんなに愛着というか、信頼感というのだろうか。
そんな思いが芽生えてきている私にとって、流行病はもう他人事とは思えなくなっていた。

「……私で、何かお役に立てるのなら」
「では、行こうか」

彼にやんわりと背を支えられるようにして、私は天真医療院へと足を運んだ。



病院内は、現代と変わらないぐらい清潔感に溢れている。
白い壁、白い床、少し鼻につく消毒液の臭い。

「ここの患者さんは、全員剥の?」
「……全員ではないが、ほとんどの患者が剥に罹っている。退院できるまで回復出来る患者の方が少ないのが現状だ」
「…………」
「だからこそ、治験は重要だよ。それが例え失敗であっても、患者はそれに縋るしかないからね」
「……そう、ですね…………」

現代で流行っていた病気と、イメージが被る。
それは、ここほど致死率が高いものではなかったが、治療薬がない中で最初は感染する原因も分からなかった。
私がここへ来る前も、結局ははっきりとした治療薬がないままだった。

(私が、医学を学んでいたら……ここで、役に立てたのかな…)

成績は昔から、悪くはないが良くもなかった。
それを別に悪いと思ったことはなかったし、それなりに努力もして今の大学にいる。
そのことを、今初めて後悔した。

(こんな事になるなら、って……今更考えてもしょうがないのはわかるけど…でも…………)

病室を通り過ぎるたび、小さい呻き声が聞こえて胸が痛くなる。
何もできない自分に対する歯痒さと、どうしようもない虚無感。
何をどうすればいいのかわからないもどかしさに、少し苛立ち眉間にしわがよる。

「……すまない。君にそんな顔をさせたかったわけじゃないんだよ…」
「いえ、違います。これは……その…マレビトと言われていますが、私は他の人たちと違ってただの人です……この状況を何とかしたいと思っても、私には何をどうすればいいのかわからなくて」

それが、どうしようもなく情けなくて。そんな自分へ苛立っているだけです。
そう小さく呟くと、叉梗さんは私の背に優しく手を添えてくれた。

「セツカ……それは医者である私も同じだ。医者なら病気を救ってくれると、助けを求めてやってくる患者を、私は救えていない…そんな自分を情けなく思うこともある」
「叉梗さんは、こうして解決策を常に考えてるじゃないですか」
「結果に至らなければ、行動に意味はないよ……だからこそ、私は結果が出るまで剥の治療薬を作ることを諦めたりはしない。そう決めている」

あまり心情を見せない叉梗さんが、確固たる意思で言い切ったのを初めて聞いた。
それは、きっと今までたくさんの患者を見てきた彼だからこそ出た言葉。
今の私には、そう言い切れるものが何もない。

「だから、少しの可能性にも縋る……セツカ、君に頼みがあるんだ」

彼の目は強く、暗い光を宿している。
私は、彼の目をまっすぐに見つめ返した。

「……私に、できることなら」

そう言葉を返すと、彼は一瞬眉を寄せたがすぐに優しい笑みを浮かべた。

「君はマレビトだ。その君から、患者に薬を飲ませてあげてくれ」
「私がですか?」
「プラシーボ効果、というものを最近海から流れてきた本で読んだんだ」
「聞いたことがあります」

ただの小麦粉でも、これが睡眠薬ですと渡された患者が飲んだら不眠症が解消したとか。
実際には薬の効果がなかったとしても、思い込みで何とかしてしまえるようなそういう効果のことを指していたはず。

「そうか。君のいたところは医学もさぞ発達していたんだろうね」
「……ここよりは、そうだと思いますが…それでも解決できない病気はあります」
「…………そうか」

叉梗さんが、ある扉の前で足を止めた。

「ここの患者さんだ。セツカ、君にしかできないことだ」

そういって、彼は白い紙に包まれた薬を一包私の手に握らせる。
この薬は、今私が勤める研究所が開発したもの。
それなら私は、この薬がどのように作用するのか見届ける義務もあるだろう。

(なんか……怖い、な)

プラシーボ効果なんて、ニュースやテレビで見たことがある程度で、実際にそんな事例があったなんて私は身近な人で経験していない。
それに、今まで何をしても治らなかった病を、この薬で解決できるのだろうか。

(できなかったら……薬が効くどころか、逆の作用を引き起こしたら…………)

薬は、副作用があるものだ。
特に新薬は、どんな作用が引き起こされるか分からない。
だから新薬はすぐに作られたとしても中々世の中に出回らない。
何度も何度も、こうして治験者を元に副作用を確認するから。

(怖い……もしも、って考えたら…そんなの、近くで見たくない……)

足が震えてくる。
薬を握る手が汗ばんできて、汗をかいているのに体が冷えていく。

「大丈夫だよ。私が傍についているし、万が一何かあっても君には何の責もない」

(責がない……だからって、簡単に渡せるものじゃない…)

私が薬を渡して、その人が亡くなってしまったら…その人に私が薬を渡しさえしなければ、その人は死なずに済む。
渡さなければ、そのまま病気が進行して死んでしまうかもしれない。

(どちらを選んでも…この病気に罹った人は、私が想像も出来ないような苦しみを味わってる……)

「……セツカ、無理強いはしたくない。君が無理なら、これは私が────」
「いえ、やります。大丈夫です…」

病室の扉をノックし、私はそこへ足を踏み入れた。







「────カ、セツカ! どうしたの? さっきから様子が変よ?」

真っ暗になっていた視界に、突然オランピアの声が聞こえてハッと顔を上げる。
ここは死菫城の中で、今はちょうどオランピアとカメリアと話していた第一回女子会の真っ最中だ。
今朝の出来事が、頭から離れず会話を聞いていなかった。

(…………助からなかった……それどころか、薬を飲んでから症状が悪化して…………)

剥がどのような病気か、何度か聞いたことはあっても見るのは初めてだった。
みんなが恐れるのも無理はないと、初めて知った。

(あんな急速に体がボロボロに朽ちていくのに、さらに痛みまで……)

祖父母が入院した時に、何度か病院に行ったことはあった。
喀痰吸引で、叫ぶように苦しい呻き声を聞いたこともあった。

(だめ……頭から、離れない…………今は、女子会…二人に、心配をかけちゃいけない)

「顔色も悪いですよ? 具合が悪いんですか?」
「大丈夫。心配してくれてありがとう、二人とも。で、何の話してたっけ?」

苦笑しながら、テーブルにあったドリンクを一口飲んで笑顔を作る。

「この間ね、ヒムカと日時計広場に行ったら屋台が出ていて【オランピアソーダ】っていうのが出てたの! 自分の名前の飲み物があってびっくりしたの!」
「オランピア様のソーダ! 僕飲んでみたいです!」
「あはは! すっごい有名人なんだね、オランピア。飲み物はやっぱり白色だったの?」
「そう! でもキラキラしていて、色んな色が混じっていてとっても素敵だったの! 今度一緒に飲みに行きましょ! その時は、カメリアにもお土産で持ってくるわね」
「わぁっ! 本当ですか!? 嬉しいです!」

三人で、次の約束ができました!
そういって喜ぶカメリアの姿を見ていると、こちらまで笑顔になってしまう。
そう思っていると、不意にオランピアがドリンクに視線を落としながら悲しそうに笑った。

「……私も嬉しいわ。この三人でいると、飾らない自分でいられる」

飾らない自分、そう低く口にしたオランピアは寂しそうに笑う。
この世界では、朝が夜になるように自然と時を繰り返すのではない。
時々、綻びか何かで太陽が沈んでしまう。
それを【陽の舞い手】である【白】の一族の女性が、太陽に祈りを捧げることで初めて太陽がまた世を照らす。
私は太陽が沈んでしまうのを見たことも、オランピアが舞い手として踊る姿を一度も見たことがないけれど。
私がマレビトとして周囲から奇異の目で見られるのと同じような視線を、彼女も受けているというのは見たことがあった。

【白】は希少な種族で、生き残りは彼女しかいないのに何故かと思っていたら、街の人たちが噂している声が聞こえた。
「オランピア様は、神の御使いだ」「あの方がいなければ太陽は消えてしまう」「なんと神々しい」
声はどれも、彼女の役職に対する言葉だと思っていた。
でも、街の人たちはきっとオランピアが本当はどういう人物なのかなんて知らないし、これからも知るつもりもないのではないかと思った。

太陽さえ消えなければ、結局のところオランピアという太陽を照らす者がいれば誰でも構わない。

(……この街の人たちは、マレビトに対しても同様の感情で見ている気がする…彼らに必要な奇跡を起こせるマレビトだと信じているから、今は友好的な態度だけれど……私が何もできないと知ったら、きっと…………)

病室で亡くなった人の姿が、鮮明に頭に浮かぶ。
あの人は、私を恨みながら死んだのだろうか。
悲痛に叫びながら目が合ったあの人は、私に助けを求めていた。
でも、何もできなかった。

「私も。オランピアとカメリアといる時は、懐かしい気持ちになる」

大学の友達と食べた学食の味や、中学高校の頃教室で馬鹿騒ぎしていた頃の、思い返すと何を話していたか覚えていないけど、楽しかったということだけ覚えているあの感覚に近い。

「僕は、お二人といると温かくなります。カラクリで冷たい体なのに、変ですよね」

首をこてん、とかしげるカメリアは、やっぱり不思議な子だなと思うのと同時に、幼児のような純粋さを感じた。

「いいね。温かいカラクリ、って冬に抱きしめたくなりそう」
「そうですか!? あ、じゃあ、今の僕は冷たいですよ!」

今の季節は夏。
地上が暑いのと同じで、太陽が照らしてはいないもののやはり黄泉も暑い。
だから、涼は常に求められているし、私たちが飲んでいるドリンクは冷たいものだ。
少しおずおずと、けれど期待感たっぷりなカメリアに、私は席を立ち向かい側に座るカメリアに思いっきり抱きついた。

「ほんとだー、冷たくってきもち〜!」
「ぅわっ…セツカ様!? あははっ、くすぐったいですぅ」

彼女の髪の毛がちょうど顎の下にあり、頬擦りするとカメリアがくすぐったかった。

「オランピアも、ほら!」

おいで、と手招きすると彼女は少し照れ臭そうに笑った後、飛び込むように私とカメリアの二人に抱きついた。

「オランピア様までっ?!」
「あははは! 三人で抱きつくと、おしくら饅頭みたいであっつーい!」

不満も不安も、誰にでもある。
でも、オランピアにはそんな気持ちを抱えたままで生きて欲しくない。
キラキラと、好奇心と楽しそうな笑顔で笑う彼女が、寂しそうに笑う姿は見ていて辛かった。
だから、いっぱい笑った。
テレビでお笑いを見ていると、笑い声に釣られて何だか楽しくなってくるのと同じで、私が笑う顔や声を見て同じように笑ってほしい。
釣られてでもいいから。そんな思いを込めて。




三人で話していて、すっかり遅くなってしまった。
カメリアは仕事に戻り、オランピアがちゃんと馬車に乗るのを見送ってから、私は帰路につく。
クナドの鳥居を超えたあたりで、見知った顔が前から歩いてくるのが見えて思わず足を止めた。

「朱砂? 仕事?」
「……いや。今帰りか?」
「え、あぁ。うん」
「今日は女子会だったんだったか?」
「あれ? なんで知ってるの?」
「オランピアが手紙の検閲に来た時に、えらく急いだ様子だったんで理由を聞いたら、女子会があるから仕事を早く終わらせたいと言っていた」
「なるほど」

そんなに焦って仕事しちゃうほど待ち望んでくれていたとは。
クスッと笑ってしまう。
その時の彼女の様子が、目に浮かぶようだったからだ。
今日、少し寂しそうな笑い方をしているところを見てしまったが、この一日が彼女にとって楽しい一日になっていれば良いなと思う。

「……送る」
「は? いや、いいよ別に」
「女性が、こんな夜に一人で出歩かない方がいい」
「巨漢一捻り云々の噂が立つ私に襲ってくる人って、いないと思うけど」

この噂、早く消えるものと思ったら想像より長引いているせいで、最早放置するしかないが、いい加減飽きてきてもいる。

(他に噂できるようなネタがないから、いつまでも引っ張られているんだろうけど……あの噂を広めたのが柑南かと思うと、急に苛立ってくる)

大体彼は、それを相手が嫌がることだと分かっていてやっている。
しかも悪びれもせずに。それがタチが悪い。

「心配だから送りたいと言ってるんだ」

そもそも柑南は………そも、そも……。

(え、心配…朱砂が? オランピアじゃなくて、私の心配?)

「あ、オランピアは大丈夫だよ。ちゃんと馬車で帰るのを見送ったから」
「お前の心配をしているに決まってるだろう」
「…………」

どうしよう。
何も言葉が出てこない。

「行くぞ」

彼がゆっくりと歩き出す。
慌てて少し後ろを歩き出すと、彼は歩調を緩めて私の隣を歩く。

「…………縁から、玄葉に連絡があった」

オランピアを大切にしているのは、知っていた。
でも、コトワリの仕事だからって、どうして彼はここまでしてくれるんだろう。

(こんなんじゃ、色んな女の子に勘違いされちゃうんだろうな……罪作りにも程があるんじゃないだろうか)

「セツカに元気がない。何かあったかもしれないが、声をかけてやれなかったと」
「……私が? どっちかというと、オランピアの方が元気なくってさ…何かあったんだとしたら、そっちだと思うよ?」

へらっと笑いながら、そう言う。
大丈夫、声は震えなかった。

(病院でのことは、誰にも言いたくない……)

怖いからだろうか、恐ろしいと思ったからだろうか。
情けなかった自分を、知られたくないからなのだろうか。
どれが理由なのか、違う理由なのかも、自分のことなのに分からない。

でも、朱砂には心配をかけたくないと思った。
恩があるし、彼は良い人だ。
コトワリの仕事も忙しいと聞いている。

「玄葉は急用で抜けられなくてな。俺が来たんだが…何かあったのか?」
「いや、だから私じゃなくて…」

オランピアが。
そう続くはずの言葉が、朱砂と目が合った途端、声が止まってしまった。
真っ直ぐな目に、真剣な表情。
でも、少し心配そうな眉を見たら、なぜか涙が出そうになり慌てて顔を背ける。

「どうした?」
「……」

鼻をすすりたいが、それだと泣いているとバレそうで口元を押さえるようにして鼻を少し擦る。
鼻声になってしまうが、足早に立ち去れば彼にバレないだろうか。

「あー、ははは。そんな心配かけちゃったんだ、ごめん。でもさ、私玄葉とかにも言ったけどもう大人なんだよね。流石に何かあって解決できないことなら、誰かに相談するし、今日みたいな日だって一人で帰れるから大丈夫。心配してくれてありがとう。縁と、あと玄葉にもよろしく伝えておいて。じゃっ!」

チラリと一瞬だけ振り返り、手を挙げて走って彼から離れる。
遠くから彼が私を呼び止めようとする声が聞こえるが、絶対に振り返らなかった。
早口で言い切ったが、鼻声だったのはバレバレだろう。

(あー、恥ずかしい……大体、何で泣きそうになるかな私…………)

この世界に来てから、何だかいつも空回りしている気がする。
初めて伊舎那天に行った時もそうだし、死菫城の時もだし。

(ダメダメ……こう言う時は違うことを考えよう…)

仕事、そうだ仕事。明日は仕事。
頑張れ私。

何度言い聞かせてみても、家のベッドで目を閉じると病院での光景が思い浮かんで、その日は一睡もできなかった。
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