マレビトとして来ちゃった島で奇跡を起こすまで
「あぁ、赤紫のマレビト様! お、おはようございます!」
「ひっ…マレビトだ……」
「近寄るなよ…あぁ見えて、巨漢も一捻りされるお方だとか」
この天供島に来て三日目の朝。
赤紫の街を歩けば、この有り様である。
「…………はああぁ〜」
大きなため息をつかずにはいられない。
そんな、朝の始まりであった。
「大体、巨漢も一捻りってなに?!」
コトワリに来て開口一番の文句に、朱砂と玄葉は吹き出すように笑った。
「良かったじゃないか、強そうで」
「玄葉、そう言うならせめて声を震わせないで言ってよ。笑い堪えてるの丸分かりなんだけど」
早口でそう言い切りながら、玄葉を睨みながらそう言うと、彼は遠慮なく声を出して笑った。
「……まぁ、とにかく一難去って何よりだな」
「…おかげさまで」
朱砂と璃空には、頭が上がらなくなってしまった。
結局あの海でぶっ倒れた私を運んでくれたのも、晶を入れるのを私の覚悟が決まるまで待つように進言し、事を諫めてくれたのも全てあの二人だった。
だが、おかげでというのか、無事に赤紫色の晶を入れた私は晴れて赤紫の長が用意してくれた家で、新しく一人暮らしを始めている。
二人には、改めて礼を言いはしたが間違いなく迷惑をかけてしまった。
二人ともが善人だったために、生きていて良かったと口を揃えて言ってくれたが、そうでない人だったらと思うと本当に助けてくれたのがあの二人で良かったと思う。
「で、どうだ? 生活の方は?」
「生活自体は何の不自由もないけど、周囲の視線が痛い」
「マレビトは、島に何らかの奇跡をもたらすと言われている。皆お前に期待しているんだ」
「なにそれ? 私ただの一般市民だよ?」
「俺たちから見ると、マレビトというのはそれだけ稀有な存在だからな」
「ま、気負うことはないって」
二人の言葉に腑に落ちないことはあれど、この世界のルールさえ守れば意外と生きるのには困らないことも、少しずつ理解しつつある。
「飯はちゃんと食ったか?」
「玄葉は心配しすぎ。大丈夫です。今日天真医療院で健康診断と戸籍登録申請の書類受け取りに行くから、ちゃんと食べました」
「……そうか、なら良かった」
(なんで歯切れ悪いんだろう…まぁ、初対面で空腹でぶっ倒れた人を見てれば、信用出来ないかもしれないけど)
「じゃ、ちゃんと顔出したし私は行くね」
「もうすぐオランピアが来る。良ければ、病院はその後にしないか?」
朱砂の言葉に、以前良き友人になれると言われた言葉が蘇るが、今は戸籍申請の方が先だろう。
足場を固めてから、周囲の人たちへの対応を考えたい。
「ごめん、今日は遠慮しておく。でも、また近いうちにここに来るよ。毎日、手紙があればオランピアは来るんでしょ?」
「あぁ、分かった。なら俺からも彼女に伝えておこう。お前に会いたがっていた」
「了解。近いうちに」
あんなことがあったからか、朱砂も私も気付けば敬語で話すことをやめていた。
というより、海で気を失った後目覚めたら玄葉の部屋にいたのだが、そこで彼に散々説教された。
もう散々。
そこでお互いの考えを言い合った時に、私は彼に遠慮した態度でいても意見は伝わらないなと感じた。
きっと彼もそうだったんだろう。
その場に玄葉もいたせいで、彼に対しても同じような考えを持ってしまい、三人で話す時は特に敬語を使わなくなった。
(璃空は、お礼言った後も初対面から態度崩してこないんだよね……そうされると、こっちも崩しにくいけどまぁ…真面目そうだし、軍人さんだし。色々まだ私が知らないルールがあるのかもしれない)
病院へ向かう途中そんなことを考えていると、軍の人たちが歩く中にちょうど彼の姿があった。
あ、と思うと彼と目が合った。
彼は一瞬だけ笑みを浮かべると会釈をしてそのまま、どこかへ軍の人たちと共に歩いて行ってしまった。
一瞬の笑みは、出会ってから初めてみた彼の笑顔だったせいか、少し照れが混じるあの笑顔にはドキッとした。
(いやいやいや、何よドキッて……いやでも、あの笑顔は反則じゃない!? キリッとしてるのかと思えば、あんな照れ笑いながらも会釈されると……勘違いしそうになる)
好かれているのかと。
そんなわけはないけれど、と自分の自意識過剰すぎる意識をなんとか脳内から消し飛ばすように、意気揚々と病院へ向かう足を早めた。
コトワリと病院へそれぞれ検査や書類の記入をしに行き、私はめでたく赤紫の人として戸籍を作った。
正確には、承認が降りただけで現在はそれぞれの部署が私のデータを作成し共有しているところだろう。
名前は、まだ思い出せない。
だから、思い出した時には戸籍を変更してもらうことを条件に、近くに住む【赤紫】の前長である扶桑 さんに名付けてもらった。
『雪はよく見ると、それぞれ形の違う花のような結晶で出来ていると聞きます。貴方もまた、よく知らなければどんな花か分からない。そんな意味を込めましたが……本当に私が名付けてもよろしいのですか?』
そう言う扶桑さんに私が強く頷くと、扶桑さんは嬉しそうに笑って「では」と名前を書いてくれた。
雪花
私は今日から、そう名乗る。
まるで孫ができたような気がして嬉しい、と言ってくれた扶桑さん。
物腰も柔らかく、見るからに良い長だったんだろうなと思わせる風貌。
隣の小さな一軒家に住むことになった時、挨拶に行った時からすでに扶桑さんは優しかった。
なんでも相談していいと言ってくれたから、折角ならと甘えさせてもらったけれど、負担になっていないか心配だった。
けれど、嬉しいと言ってもらえたことは私も嬉しかった。
ここにきて、初めて嬉しい出来事だった。
るんるん気分で中央管理区を歩く。
ここは、コトワリ本部や天真医療院に行く際に通る道で、他にも伊舎那天、日時計広場(以前屋台が並んでいた広場)、軍本部が置かれる区域。
どの色でも立ち入り可能な場所で、毎日賑わっている。
街行く人々は様々な髪色をしていて、見ているだけでも色鮮やかな世界だと思う。
日本では、黒髪か茶髪がほとんどで奇抜な色は稀にしか見なかった。
(せっかく自由な髪色で生きられるのに……なんで、色で区別しちゃうんだろう)
学生の頃は学校のルールで、二十歳を過ぎれば就活の暗黙のルールで、社会に出れば会社のルールで。
いつも服装や髪色、態度を制限される生活を余儀なくされていた私からすると、せっかく綺麗な髪色や瞳で生まれられるのに。
この世界では、両親と同じ色ではない子が生まれた場合、色によっては親と引き離されて二度と会えないと聞いた。
(どの色も素敵で綺麗なのに、変なの…)
「おや、もうコトワリでの申請は終わったのかな?」
「叉梗さん。はい、おかげさまで」
叉梗さんは、午前中のうちにコトワリでの戸籍申請のために、天真医療院へ行った際に私の健康診断をしてくれた医師だ。
白い羽織は、白衣というより軍服に近いし隻眼の目が恐ろしい第一印象を与えてくれたが、意外にも彼は優しかった。
「同じ独色でしかも色相が近いと、つい親近感が湧いてね。困ったことがあればいつでも頼ってくれて構わないよ」
医療院の院長でもある彼にそう言ってもらえるのは、心強い。
叉梗さんは、【青紫 】の人でこの色の人たちは医療に携わる人が多いのだとか。
色により、得意分野が違うことを教えてくれたのも叉梗さんだ。
「この後何も予定がなければ、一緒に食事でもどうかな? 君の栄養不足は深刻だった。苦手な食べ物はあるかな?」
「はい、喜んで。苦手な食べ物ですか……強いていうなら、ネギ…です」
「おや、ネギがダメなのかい? 野菜は【緑 】で採れる新鮮な野菜ばかりで、とても美味しいんだ。君も一度食べてみるといい」
美味しい野菜料理が食べられる店にしよう、そう言って彼は私の手を引いた。
「あれ? もしかして、苦手なものわざと食べさせようとしていませんか?」
「好き嫌いは、医者としてはあまり良くないと思っているからね」
(言わなきゃ良かった)
食べれないわけではない。
ただ、たまに噛んだ瞬間にニュルっとするのが苦手なだけなのに。
叉梗さんの前では、もう二度と他に苦手な野菜があっても口に出さないようにしようと心に決めた。
「────何してんだ? こんなところで」
叉梗さんと歩いているところに、前から歩いてきた玄葉と出会した。
彼とは、少し前にコトワリで戸籍申請書類の記入で色々と話したところだったため、お昼休憩だろう。
私は彼がいることに特に疑問もなかったし、私がコトワリを出た時間から考えても特に違和感はないはずなのに、彼の方がとても驚いた様子だったことに、心の中でだけ首を傾げる。
(お昼時なんだし、私がこの辺をうろついていてもそんな驚くことじゃないよね? ってことは、叉梗さんといるのがびっくりってこと? でも医療院の人だし、一緒にいても不思議じゃないよね?)
「叉梗さんに誘われて、今からご飯を食べに行くところ」
隠すこともなければ、驚くことでもないだろうと本当のことを話した。
嫌なネギを食べに。と言いかかった言葉は飲み込んだ。
(嘘は言ってない…嘘は)
玄葉も医療関係者だし、この二人にタッグなんて組まれたくないと思ったから。
「叉梗さんと?」
玄葉は、私を見て怪訝そうな顔をすると叉梗さんの方へ向き直り頭を下げた。
「ご無沙汰しています」
「やぁ、玄葉。久しぶりだね」
(あ、そっか…医療関係者なんだし、そりゃ顔見知りか)
知り合いなのかと一瞬驚いたが、とても納得した。
戸籍を申請するにあたっても、両者は情報を行き来しているのだしそれぞれ交流があって然るべきだろう。
「玄葉、君も良かったら一緒にどうかな?」
(げっ)
二人からネギについてネチネチお小言でも言われたら面倒臭そう。
そう思い、来なくていいという思いを込めて玄葉を見ると、彼とバチっと目が合った。
彼は私の目を暫く見て、小さく頷く。
(わかってくれた!)
「はい、お邪魔でなければ」
(ちっがーう!!!!!)
見事、私の思いは伝わらず医療関係者二人に挟み込まれるような形で、私は美味しい野菜料理屋まで連れて行かれることとなった。
「ほら、いっぱい食えよ」
「野菜も、お肉も沢山あるからね」
着いて早々に、メニュー表はひったくられた。
二人曰く、私の栄養不足は深刻だから食べるものについては今日は任せろと。
(いや、食べるものぐらい自分で選びたい)
だが、倒れるぐらいにご飯を食べていなかったのは事実だし、それに関しては頑なになっていた自分に非がある。
医者からの言葉には、逆らいづらいのもあった。
「せめて、食べる量は自分で選ばせてくださいよ…病人じゃないんですから」
「お前、自分の健康状態をちゃんと把握してからその台詞言えよ」
玄葉の言葉に、ぐうの音も出ない。
(医者って、こんなに心配性なものだっけ? 現実の医者は、行きつけのところがあったけどもうちょっと淡白だった気がする。それぐらいで良いのに)
少し、距離感が近いなと思った。
医者と患者というより、親戚などの家族に近しい距離感はどこか懐かしさを感じさせる。
(まぁ、私の親ほどお節介ではないか……)
大切な親は、どれだけお節介で口うるさいと思っても嫌いにはなれなかっ…いや、鬱陶しいと思う日は多々ある。かなり、ある。
しかし血の繋がりは、どこか不思議な感情を感じさせるものがある。
けれど今、この二人とはなんの血の繋がりもない。
それでも似たような感情が蘇る二人に、少し笑うと二人が「どうした?」と聞いてくるから、それもまた可笑しかった。
「いや、なんか…面白くて」
家族みたい、とは言えなかった。
知り合ってまだ一日と少し、それでも感じた家族みたいな温かい思いを口に出せるほど、私は素直な人間じゃない。
(恥ずかしいし)
「なんだそれ。ンなことは言いから、とっとと食え食え」
「野菜やお肉、お魚など満遍なく食べるのが重要だからね」
「はいはい」
「お前、叉梗さんの言ってることは正しいんだから、ちゃんと言う事聞けよ」
「子どもじゃないんだから、そんなに横から二人してガミガミ言わないでくださーい」
「そうか。子どもじゃないなら好き嫌いも言わないね」
叉梗さんは、それは良い笑顔で私の皿にネギの料理を乗せた。
「ん?」
何も知らないような笑顔を浮かべ、首を傾げているが、この人わざわざ私の苦手な食べ物聞いてきておいて、本当に私に食べさせようとしている。しかも笑顔で!
(この人、優しそうに見えて実は優しくないっ! いじめっ子か!!)
仕方なくネギを咀嚼していると、玄葉が不思議そうに叉梗さんを見た。
「コイツ、好き嫌いあるんですか?」
「さっき、ネギが苦手だと聞いたんだけどね。子どもじゃないから食べられるだろうと思って」
「あぁ、なるほど……」
にやにやとこちらを見てくる二人を鬱陶しく感じながらも、皿に乗せられたネギ料理はちゃんと完食した。
完食直後に水を飲むのは、別に反則ではない。
水で流し込むようには食べてないし、ちゃんと咀嚼もした。
ちょっとニュルっ、としたけど食べた。
ただ、顔面まではどうだか自分ではわからない。
私の表情は、きっと二人からは丸見えだったことだろう。
そう思うと、少し恥ずかしい。
「………………なんですか」
ネギ料理を食べたのだからと他の料理に手を伸ばす私を、二人が笑顔で見ていることにとても不気味さを感じる。
「いやいや、偉いなぁセツカ」
玄葉は、私の頭を撫でながら不意に新しい名を呼んだ。
この、彼の唐突な名前呼びにはドキッとしたが、それ以上に頭を撫でられたことに心音が二人に聞こえてしまうのではと思うほどバクバクした。
「そんなに不味かったかな?」
叉梗さんは、さり気なく店員さんに声をかけて、空になった私のグラスに水を注ぎ足してくれた。
優しい。至れり尽くせりである。
しかし、二人とも完全に私を子ども扱いである。
大人の女性に対する態度とは思えない。
「あの……仮にも大人の女性に対してそれは失礼すぎません?」
「それとは? どれのことかな?」
「……はぁ、もう良いです。二人も食べてくださいよ。私ばかり食べていると、私一人でこの量食べる大食いみたいじゃないですか」
この二人に口で勝てそうにない。
早々に諦めて、先ほどから箸すら持たない二人に皿を向ければ、ようやく二人は私を見ていた目を料理へ向けてくれた。
「確かに、そうだな」
「では、我々もいただこうか」
(全くもう……)
成人してまだ一年未満とはいえ、分類上大人に該当する私がなぜこんなに子ども扱いされるのか。
怒りたいところではあったが、綺麗で静かな店内であったため、こんな場所で感情をむき出しにするようではそれこそ私が子どもであると言っているようなものなので何とか堪えた。
食事を終えて、とりあえず戸籍の申請も無事に済み特にすることがなくなったので、玄葉が職場に戻ると聞きそのままそれについて行くことにした。
朱砂が、オランピアのことを気にしていたのを思い出し、午前と午後に数回訪れることもあると聞いたのでタイミングが合えば会えると思ったからだ。
叉梗と別れて暫く無言で歩いていると、不意に玄葉が立ち止まった。
「……お前、何もされてないよな?」
「誰に?」
「いや、何もないなら……いい、忘れてくれ」
突然何を言うのかと思えば、脈絡もなく何もされていないかと言う言葉。
きっと、私を心配してくれての言葉なのだろうが、もう少し何か言葉をつけ加えて欲しい。
誰に何をされていないのかを心配しているのかとか、そういうの。
「…………忘れておくけど、次聞くときはもーちょっと具体的な言葉付け加えてよね。全然意味分からないから、混乱する」
「……悪りぃな」
「そういえば、朱砂に色の話を聞いたことがあるんだけどさ、玄葉って何色になるの?」
褐色の肌に、黒い髪。
黒人とまでは言わないが、スポーツマンらしい日焼けした肌に短めの黒髪は彼によく似合っていて格好良い。
体格が良いから、尚更そう見えるのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、彼は急に吹き出した。
「っははははは! いや、悪い……っ、つい先日も聞いた言葉だと思ってな」
なぜだろう。
私みたいな他所から来た人が、最近だということなのだろうか。
それで、その人にも同じようなことを聞かれた?
「オランピアだよ、聞かれたのは。俺は【黒】だな」
「へぇ、オランピアが【白】で特殊だって聞いたから、やっぱり【黒】も特殊なの?」
「まぁ、な……お前の思うような良い方にじゃなく、色に分類もしたくないっていうほど悪い方に特殊だな」
「なんで? 黒はカッコイイのに」
「は?」
「え?」
私の言葉に彼が聞き返してくるから、思わず私も聞き返した。
(え、だって冠婚葬祭は黒だし、黒って誰にでも似合う素晴らしい色だよね? 日本人は皆黒髪で生まれる場合がほとんどだし、黒は女を美しくしてくれるって有名な魔女っ子アニメで言ってたし)
脳内では、箒に跨る黒猫を連れた女の子が空を飛んでいる。
「……もっかい言って?」
「え、あ、黒はカッコいい」
「黒は? ってことは、俺も?」
「うん、カッコいいと思ってるよ。てか、朱砂も叉梗さんも。この島はイケメン多いんだねぇ」
まだ脳内を箒が飛んでいるまま、懐かしいと思いながら適当に玄葉の質問に答えていると彼が横で項垂れた。
「お前、せめてそこは俺だけって言ってくれよ……せめて!」
「え? なんの話?」
「わざとだろそれ!」
「だからなんの話! さっきから玄葉は言葉足らず!」
「お前、モテないだろ…」
同情するような目で見られ、めちゃくちゃ腹が立った。
だが、ここで付き合ったことぐらいありますなんて言おうものなら、その話を穿り返される。
それはしたくなかった。
あまり、良い思い出ではなかったし。
「……そういうアナタはモテそうですね」
「まぁな」
「謙遜って知ってる?」
「事実だからなぁ〜、しょうがないよなぁ」
「うっわー自意識過剰だー」
「お前、さっき俺のことかっこいいって言ったじゃねぇか」
「うん、かっこいいと思うよ」
それは事実だけど、自分で自分のことを褒めるのは誰もいない時だけでいい。
他人がいるところでそれを言ってのけるのは、間違いなく自意識過剰だ。
「…………」
そんな言い合いをしていると、あっという間にコトワリについたのだが朱砂は席を外しているらしく、オランピアも来ていないようだった。
「じゃ、オランピアいないみたいだし、私は帰るね。お邪魔しました」
「あ、あぁ、おう……」
歯切れ悪いな。
とりあえず一旦帰ろうと、【赤紫】にある自宅を目指して真っ直ぐ歩くことにする。
「あれ、天然か?……オランピアといい、最近の女はタチが悪いな…………」
玄葉がそんなことを言って項垂れていたなんて、一度も後ろを振り返らなかった私は知らない。
一旦自宅に戻り、ソファに深く腰掛ける。
(そう言えば、よくよく考えるとこの世界って不思議だらけ)
引き戸の家で鍵もかからないほど安全性はお粗末なのに、ソファや床張りの部屋。
ベッドもあるし、ガスコンロもある。
電気もあるのに、自動車はなくて街灯はある。
人々は大荷物を馬車に乗せたり、荷車に乗せて運んでいく。
後は、川の船も移動手段になっているようだ。
(叉梗さんは、色によって技術の進歩レベルも違うって言ってたっけ……)
この世界は、最初にやってきたマレビト【卑流呼 様】という方が色を作ったとされる。
その時に、【青】には人を晶に変える力を。【黄】には【卑流呼様】の声を聞く力を与えた。
(だれ、ヒルコ様って…てか、赤だけ何にもないってそんなことあるのかな……御伽噺や神話なら、赤にも何か特別な力がありそうなのに)
【赤】だけ、呪われているやら何も力を持たないと【原色】の中では言われている。
また、【原色】の三色が交配し違う色が生まれた。
それらは【独色】と呼ばれ、階級では原色の次に良いとされている。
(三色が混ざってできた色が独色なら、なんでオレンジ色とか緑色はあるのに紫がないのはなんでだろう……)
これも、教えてもらった時には謎だった。
【青紫】、【赤紫】はあるのに【紫】という色はまるで存在しないかのように誰も教えてくれないし、当然のように領地もない。
色ごとに発展した技術などが異なるのであれば、紫の技術は必要な技術ではなかったとか?
(だとしても、不思議……ここの世界、本屋がないのも変だよねぇ…学びたいことがあったら、どうすればいいんだか)
ソファの背もたれに、ずっしりと沈み込みながら天井を見上げる。
【赤】は呪われた大地から、燃料などの鉱石を発見し発展した。
【青】は特殊能力を持つ者たちがいるゆえに、その役目を果たし続けている。
(私からすると、死刑執行人とか、葬儀屋とかそう言うイメージだなぁ。ないと困るけど、やりたい人が少ないような仕事だと思うけど…色でその仕事を縛っちゃって大丈夫なのかな……)
【青紫】は、医療関係者が多いと言っていた。
(じゃあ、【赤紫】は?)
この色に住まわせてもらうにあたって、現在はコトワリから支給品として生活費などを借りている状態だ。
現実では大学生だったとはいえ、今の私はただのニート。
しかも、【赤紫】の長に保護してもらった身。
マレビト、というのが一体どれほどの力があるのかは知らないが、所詮私はただの人。
保護してもらったからとニートのままでいていいはずがない。
(働かざるもの、食うべからず)
【赤紫】にいる人たちがどんな仕事を生業としている人が多いのかは知らないが、それを聞いて自分にでもできることを探して働かなければならないだろう。
(できれば、初心者でもできるような仕事だと有難いんだけど……)
そう思いながら、自分の知る【赤紫】の人というと知り合いは一人しかいない。
早速、隣人の扶桑さんを訪ねたところ彼は用事があり、黄泉へ行ったという。
(黄泉って、いわば地下の街みたいなところで、私が思う地獄のような場所じゃないんだ…)
さっき教えてくれた人は、親切で黄泉の場所について簡単に教えてくれたので、とりあえず黄泉に行くために絶対に通らなければならないクナドという大きな鳥居がある場所へと向かった。
「ひっ…マレビトだ……」
「近寄るなよ…あぁ見えて、巨漢も一捻りされるお方だとか」
この天供島に来て三日目の朝。
赤紫の街を歩けば、この有り様である。
「…………はああぁ〜」
大きなため息をつかずにはいられない。
そんな、朝の始まりであった。
「大体、巨漢も一捻りってなに?!」
コトワリに来て開口一番の文句に、朱砂と玄葉は吹き出すように笑った。
「良かったじゃないか、強そうで」
「玄葉、そう言うならせめて声を震わせないで言ってよ。笑い堪えてるの丸分かりなんだけど」
早口でそう言い切りながら、玄葉を睨みながらそう言うと、彼は遠慮なく声を出して笑った。
「……まぁ、とにかく一難去って何よりだな」
「…おかげさまで」
朱砂と璃空には、頭が上がらなくなってしまった。
結局あの海でぶっ倒れた私を運んでくれたのも、晶を入れるのを私の覚悟が決まるまで待つように進言し、事を諫めてくれたのも全てあの二人だった。
だが、おかげでというのか、無事に赤紫色の晶を入れた私は晴れて赤紫の長が用意してくれた家で、新しく一人暮らしを始めている。
二人には、改めて礼を言いはしたが間違いなく迷惑をかけてしまった。
二人ともが善人だったために、生きていて良かったと口を揃えて言ってくれたが、そうでない人だったらと思うと本当に助けてくれたのがあの二人で良かったと思う。
「で、どうだ? 生活の方は?」
「生活自体は何の不自由もないけど、周囲の視線が痛い」
「マレビトは、島に何らかの奇跡をもたらすと言われている。皆お前に期待しているんだ」
「なにそれ? 私ただの一般市民だよ?」
「俺たちから見ると、マレビトというのはそれだけ稀有な存在だからな」
「ま、気負うことはないって」
二人の言葉に腑に落ちないことはあれど、この世界のルールさえ守れば意外と生きるのには困らないことも、少しずつ理解しつつある。
「飯はちゃんと食ったか?」
「玄葉は心配しすぎ。大丈夫です。今日天真医療院で健康診断と戸籍登録申請の書類受け取りに行くから、ちゃんと食べました」
「……そうか、なら良かった」
(なんで歯切れ悪いんだろう…まぁ、初対面で空腹でぶっ倒れた人を見てれば、信用出来ないかもしれないけど)
「じゃ、ちゃんと顔出したし私は行くね」
「もうすぐオランピアが来る。良ければ、病院はその後にしないか?」
朱砂の言葉に、以前良き友人になれると言われた言葉が蘇るが、今は戸籍申請の方が先だろう。
足場を固めてから、周囲の人たちへの対応を考えたい。
「ごめん、今日は遠慮しておく。でも、また近いうちにここに来るよ。毎日、手紙があればオランピアは来るんでしょ?」
「あぁ、分かった。なら俺からも彼女に伝えておこう。お前に会いたがっていた」
「了解。近いうちに」
あんなことがあったからか、朱砂も私も気付けば敬語で話すことをやめていた。
というより、海で気を失った後目覚めたら玄葉の部屋にいたのだが、そこで彼に散々説教された。
もう散々。
そこでお互いの考えを言い合った時に、私は彼に遠慮した態度でいても意見は伝わらないなと感じた。
きっと彼もそうだったんだろう。
その場に玄葉もいたせいで、彼に対しても同じような考えを持ってしまい、三人で話す時は特に敬語を使わなくなった。
(璃空は、お礼言った後も初対面から態度崩してこないんだよね……そうされると、こっちも崩しにくいけどまぁ…真面目そうだし、軍人さんだし。色々まだ私が知らないルールがあるのかもしれない)
病院へ向かう途中そんなことを考えていると、軍の人たちが歩く中にちょうど彼の姿があった。
あ、と思うと彼と目が合った。
彼は一瞬だけ笑みを浮かべると会釈をしてそのまま、どこかへ軍の人たちと共に歩いて行ってしまった。
一瞬の笑みは、出会ってから初めてみた彼の笑顔だったせいか、少し照れが混じるあの笑顔にはドキッとした。
(いやいやいや、何よドキッて……いやでも、あの笑顔は反則じゃない!? キリッとしてるのかと思えば、あんな照れ笑いながらも会釈されると……勘違いしそうになる)
好かれているのかと。
そんなわけはないけれど、と自分の自意識過剰すぎる意識をなんとか脳内から消し飛ばすように、意気揚々と病院へ向かう足を早めた。
コトワリと病院へそれぞれ検査や書類の記入をしに行き、私はめでたく赤紫の人として戸籍を作った。
正確には、承認が降りただけで現在はそれぞれの部署が私のデータを作成し共有しているところだろう。
名前は、まだ思い出せない。
だから、思い出した時には戸籍を変更してもらうことを条件に、近くに住む【赤紫】の前長である
『雪はよく見ると、それぞれ形の違う花のような結晶で出来ていると聞きます。貴方もまた、よく知らなければどんな花か分からない。そんな意味を込めましたが……本当に私が名付けてもよろしいのですか?』
そう言う扶桑さんに私が強く頷くと、扶桑さんは嬉しそうに笑って「では」と名前を書いてくれた。
私は今日から、そう名乗る。
まるで孫ができたような気がして嬉しい、と言ってくれた扶桑さん。
物腰も柔らかく、見るからに良い長だったんだろうなと思わせる風貌。
隣の小さな一軒家に住むことになった時、挨拶に行った時からすでに扶桑さんは優しかった。
なんでも相談していいと言ってくれたから、折角ならと甘えさせてもらったけれど、負担になっていないか心配だった。
けれど、嬉しいと言ってもらえたことは私も嬉しかった。
ここにきて、初めて嬉しい出来事だった。
るんるん気分で中央管理区を歩く。
ここは、コトワリ本部や天真医療院に行く際に通る道で、他にも伊舎那天、日時計広場(以前屋台が並んでいた広場)、軍本部が置かれる区域。
どの色でも立ち入り可能な場所で、毎日賑わっている。
街行く人々は様々な髪色をしていて、見ているだけでも色鮮やかな世界だと思う。
日本では、黒髪か茶髪がほとんどで奇抜な色は稀にしか見なかった。
(せっかく自由な髪色で生きられるのに……なんで、色で区別しちゃうんだろう)
学生の頃は学校のルールで、二十歳を過ぎれば就活の暗黙のルールで、社会に出れば会社のルールで。
いつも服装や髪色、態度を制限される生活を余儀なくされていた私からすると、せっかく綺麗な髪色や瞳で生まれられるのに。
この世界では、両親と同じ色ではない子が生まれた場合、色によっては親と引き離されて二度と会えないと聞いた。
(どの色も素敵で綺麗なのに、変なの…)
「おや、もうコトワリでの申請は終わったのかな?」
「叉梗さん。はい、おかげさまで」
叉梗さんは、午前中のうちにコトワリでの戸籍申請のために、天真医療院へ行った際に私の健康診断をしてくれた医師だ。
白い羽織は、白衣というより軍服に近いし隻眼の目が恐ろしい第一印象を与えてくれたが、意外にも彼は優しかった。
「同じ独色でしかも色相が近いと、つい親近感が湧いてね。困ったことがあればいつでも頼ってくれて構わないよ」
医療院の院長でもある彼にそう言ってもらえるのは、心強い。
叉梗さんは、【
色により、得意分野が違うことを教えてくれたのも叉梗さんだ。
「この後何も予定がなければ、一緒に食事でもどうかな? 君の栄養不足は深刻だった。苦手な食べ物はあるかな?」
「はい、喜んで。苦手な食べ物ですか……強いていうなら、ネギ…です」
「おや、ネギがダメなのかい? 野菜は【
美味しい野菜料理が食べられる店にしよう、そう言って彼は私の手を引いた。
「あれ? もしかして、苦手なものわざと食べさせようとしていませんか?」
「好き嫌いは、医者としてはあまり良くないと思っているからね」
(言わなきゃ良かった)
食べれないわけではない。
ただ、たまに噛んだ瞬間にニュルっとするのが苦手なだけなのに。
叉梗さんの前では、もう二度と他に苦手な野菜があっても口に出さないようにしようと心に決めた。
「────何してんだ? こんなところで」
叉梗さんと歩いているところに、前から歩いてきた玄葉と出会した。
彼とは、少し前にコトワリで戸籍申請書類の記入で色々と話したところだったため、お昼休憩だろう。
私は彼がいることに特に疑問もなかったし、私がコトワリを出た時間から考えても特に違和感はないはずなのに、彼の方がとても驚いた様子だったことに、心の中でだけ首を傾げる。
(お昼時なんだし、私がこの辺をうろついていてもそんな驚くことじゃないよね? ってことは、叉梗さんといるのがびっくりってこと? でも医療院の人だし、一緒にいても不思議じゃないよね?)
「叉梗さんに誘われて、今からご飯を食べに行くところ」
隠すこともなければ、驚くことでもないだろうと本当のことを話した。
嫌なネギを食べに。と言いかかった言葉は飲み込んだ。
(嘘は言ってない…嘘は)
玄葉も医療関係者だし、この二人にタッグなんて組まれたくないと思ったから。
「叉梗さんと?」
玄葉は、私を見て怪訝そうな顔をすると叉梗さんの方へ向き直り頭を下げた。
「ご無沙汰しています」
「やぁ、玄葉。久しぶりだね」
(あ、そっか…医療関係者なんだし、そりゃ顔見知りか)
知り合いなのかと一瞬驚いたが、とても納得した。
戸籍を申請するにあたっても、両者は情報を行き来しているのだしそれぞれ交流があって然るべきだろう。
「玄葉、君も良かったら一緒にどうかな?」
(げっ)
二人からネギについてネチネチお小言でも言われたら面倒臭そう。
そう思い、来なくていいという思いを込めて玄葉を見ると、彼とバチっと目が合った。
彼は私の目を暫く見て、小さく頷く。
(わかってくれた!)
「はい、お邪魔でなければ」
(ちっがーう!!!!!)
見事、私の思いは伝わらず医療関係者二人に挟み込まれるような形で、私は美味しい野菜料理屋まで連れて行かれることとなった。
「ほら、いっぱい食えよ」
「野菜も、お肉も沢山あるからね」
着いて早々に、メニュー表はひったくられた。
二人曰く、私の栄養不足は深刻だから食べるものについては今日は任せろと。
(いや、食べるものぐらい自分で選びたい)
だが、倒れるぐらいにご飯を食べていなかったのは事実だし、それに関しては頑なになっていた自分に非がある。
医者からの言葉には、逆らいづらいのもあった。
「せめて、食べる量は自分で選ばせてくださいよ…病人じゃないんですから」
「お前、自分の健康状態をちゃんと把握してからその台詞言えよ」
玄葉の言葉に、ぐうの音も出ない。
(医者って、こんなに心配性なものだっけ? 現実の医者は、行きつけのところがあったけどもうちょっと淡白だった気がする。それぐらいで良いのに)
少し、距離感が近いなと思った。
医者と患者というより、親戚などの家族に近しい距離感はどこか懐かしさを感じさせる。
(まぁ、私の親ほどお節介ではないか……)
大切な親は、どれだけお節介で口うるさいと思っても嫌いにはなれなかっ…いや、鬱陶しいと思う日は多々ある。かなり、ある。
しかし血の繋がりは、どこか不思議な感情を感じさせるものがある。
けれど今、この二人とはなんの血の繋がりもない。
それでも似たような感情が蘇る二人に、少し笑うと二人が「どうした?」と聞いてくるから、それもまた可笑しかった。
「いや、なんか…面白くて」
家族みたい、とは言えなかった。
知り合ってまだ一日と少し、それでも感じた家族みたいな温かい思いを口に出せるほど、私は素直な人間じゃない。
(恥ずかしいし)
「なんだそれ。ンなことは言いから、とっとと食え食え」
「野菜やお肉、お魚など満遍なく食べるのが重要だからね」
「はいはい」
「お前、叉梗さんの言ってることは正しいんだから、ちゃんと言う事聞けよ」
「子どもじゃないんだから、そんなに横から二人してガミガミ言わないでくださーい」
「そうか。子どもじゃないなら好き嫌いも言わないね」
叉梗さんは、それは良い笑顔で私の皿にネギの料理を乗せた。
「ん?」
何も知らないような笑顔を浮かべ、首を傾げているが、この人わざわざ私の苦手な食べ物聞いてきておいて、本当に私に食べさせようとしている。しかも笑顔で!
(この人、優しそうに見えて実は優しくないっ! いじめっ子か!!)
仕方なくネギを咀嚼していると、玄葉が不思議そうに叉梗さんを見た。
「コイツ、好き嫌いあるんですか?」
「さっき、ネギが苦手だと聞いたんだけどね。子どもじゃないから食べられるだろうと思って」
「あぁ、なるほど……」
にやにやとこちらを見てくる二人を鬱陶しく感じながらも、皿に乗せられたネギ料理はちゃんと完食した。
完食直後に水を飲むのは、別に反則ではない。
水で流し込むようには食べてないし、ちゃんと咀嚼もした。
ちょっとニュルっ、としたけど食べた。
ただ、顔面まではどうだか自分ではわからない。
私の表情は、きっと二人からは丸見えだったことだろう。
そう思うと、少し恥ずかしい。
「………………なんですか」
ネギ料理を食べたのだからと他の料理に手を伸ばす私を、二人が笑顔で見ていることにとても不気味さを感じる。
「いやいや、偉いなぁセツカ」
玄葉は、私の頭を撫でながら不意に新しい名を呼んだ。
この、彼の唐突な名前呼びにはドキッとしたが、それ以上に頭を撫でられたことに心音が二人に聞こえてしまうのではと思うほどバクバクした。
「そんなに不味かったかな?」
叉梗さんは、さり気なく店員さんに声をかけて、空になった私のグラスに水を注ぎ足してくれた。
優しい。至れり尽くせりである。
しかし、二人とも完全に私を子ども扱いである。
大人の女性に対する態度とは思えない。
「あの……仮にも大人の女性に対してそれは失礼すぎません?」
「それとは? どれのことかな?」
「……はぁ、もう良いです。二人も食べてくださいよ。私ばかり食べていると、私一人でこの量食べる大食いみたいじゃないですか」
この二人に口で勝てそうにない。
早々に諦めて、先ほどから箸すら持たない二人に皿を向ければ、ようやく二人は私を見ていた目を料理へ向けてくれた。
「確かに、そうだな」
「では、我々もいただこうか」
(全くもう……)
成人してまだ一年未満とはいえ、分類上大人に該当する私がなぜこんなに子ども扱いされるのか。
怒りたいところではあったが、綺麗で静かな店内であったため、こんな場所で感情をむき出しにするようではそれこそ私が子どもであると言っているようなものなので何とか堪えた。
食事を終えて、とりあえず戸籍の申請も無事に済み特にすることがなくなったので、玄葉が職場に戻ると聞きそのままそれについて行くことにした。
朱砂が、オランピアのことを気にしていたのを思い出し、午前と午後に数回訪れることもあると聞いたのでタイミングが合えば会えると思ったからだ。
叉梗と別れて暫く無言で歩いていると、不意に玄葉が立ち止まった。
「……お前、何もされてないよな?」
「誰に?」
「いや、何もないなら……いい、忘れてくれ」
突然何を言うのかと思えば、脈絡もなく何もされていないかと言う言葉。
きっと、私を心配してくれての言葉なのだろうが、もう少し何か言葉をつけ加えて欲しい。
誰に何をされていないのかを心配しているのかとか、そういうの。
「…………忘れておくけど、次聞くときはもーちょっと具体的な言葉付け加えてよね。全然意味分からないから、混乱する」
「……悪りぃな」
「そういえば、朱砂に色の話を聞いたことがあるんだけどさ、玄葉って何色になるの?」
褐色の肌に、黒い髪。
黒人とまでは言わないが、スポーツマンらしい日焼けした肌に短めの黒髪は彼によく似合っていて格好良い。
体格が良いから、尚更そう見えるのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、彼は急に吹き出した。
「っははははは! いや、悪い……っ、つい先日も聞いた言葉だと思ってな」
なぜだろう。
私みたいな他所から来た人が、最近だということなのだろうか。
それで、その人にも同じようなことを聞かれた?
「オランピアだよ、聞かれたのは。俺は【黒】だな」
「へぇ、オランピアが【白】で特殊だって聞いたから、やっぱり【黒】も特殊なの?」
「まぁ、な……お前の思うような良い方にじゃなく、色に分類もしたくないっていうほど悪い方に特殊だな」
「なんで? 黒はカッコイイのに」
「は?」
「え?」
私の言葉に彼が聞き返してくるから、思わず私も聞き返した。
(え、だって冠婚葬祭は黒だし、黒って誰にでも似合う素晴らしい色だよね? 日本人は皆黒髪で生まれる場合がほとんどだし、黒は女を美しくしてくれるって有名な魔女っ子アニメで言ってたし)
脳内では、箒に跨る黒猫を連れた女の子が空を飛んでいる。
「……もっかい言って?」
「え、あ、黒はカッコいい」
「黒は? ってことは、俺も?」
「うん、カッコいいと思ってるよ。てか、朱砂も叉梗さんも。この島はイケメン多いんだねぇ」
まだ脳内を箒が飛んでいるまま、懐かしいと思いながら適当に玄葉の質問に答えていると彼が横で項垂れた。
「お前、せめてそこは俺だけって言ってくれよ……せめて!」
「え? なんの話?」
「わざとだろそれ!」
「だからなんの話! さっきから玄葉は言葉足らず!」
「お前、モテないだろ…」
同情するような目で見られ、めちゃくちゃ腹が立った。
だが、ここで付き合ったことぐらいありますなんて言おうものなら、その話を穿り返される。
それはしたくなかった。
あまり、良い思い出ではなかったし。
「……そういうアナタはモテそうですね」
「まぁな」
「謙遜って知ってる?」
「事実だからなぁ〜、しょうがないよなぁ」
「うっわー自意識過剰だー」
「お前、さっき俺のことかっこいいって言ったじゃねぇか」
「うん、かっこいいと思うよ」
それは事実だけど、自分で自分のことを褒めるのは誰もいない時だけでいい。
他人がいるところでそれを言ってのけるのは、間違いなく自意識過剰だ。
「…………」
そんな言い合いをしていると、あっという間にコトワリについたのだが朱砂は席を外しているらしく、オランピアも来ていないようだった。
「じゃ、オランピアいないみたいだし、私は帰るね。お邪魔しました」
「あ、あぁ、おう……」
歯切れ悪いな。
とりあえず一旦帰ろうと、【赤紫】にある自宅を目指して真っ直ぐ歩くことにする。
「あれ、天然か?……オランピアといい、最近の女はタチが悪いな…………」
玄葉がそんなことを言って項垂れていたなんて、一度も後ろを振り返らなかった私は知らない。
一旦自宅に戻り、ソファに深く腰掛ける。
(そう言えば、よくよく考えるとこの世界って不思議だらけ)
引き戸の家で鍵もかからないほど安全性はお粗末なのに、ソファや床張りの部屋。
ベッドもあるし、ガスコンロもある。
電気もあるのに、自動車はなくて街灯はある。
人々は大荷物を馬車に乗せたり、荷車に乗せて運んでいく。
後は、川の船も移動手段になっているようだ。
(叉梗さんは、色によって技術の進歩レベルも違うって言ってたっけ……)
この世界は、最初にやってきたマレビト【
その時に、【青】には人を晶に変える力を。【黄】には【卑流呼様】の声を聞く力を与えた。
(だれ、ヒルコ様って…てか、赤だけ何にもないってそんなことあるのかな……御伽噺や神話なら、赤にも何か特別な力がありそうなのに)
【赤】だけ、呪われているやら何も力を持たないと【原色】の中では言われている。
また、【原色】の三色が交配し違う色が生まれた。
それらは【独色】と呼ばれ、階級では原色の次に良いとされている。
(三色が混ざってできた色が独色なら、なんでオレンジ色とか緑色はあるのに紫がないのはなんでだろう……)
これも、教えてもらった時には謎だった。
【青紫】、【赤紫】はあるのに【紫】という色はまるで存在しないかのように誰も教えてくれないし、当然のように領地もない。
色ごとに発展した技術などが異なるのであれば、紫の技術は必要な技術ではなかったとか?
(だとしても、不思議……ここの世界、本屋がないのも変だよねぇ…学びたいことがあったら、どうすればいいんだか)
ソファの背もたれに、ずっしりと沈み込みながら天井を見上げる。
【赤】は呪われた大地から、燃料などの鉱石を発見し発展した。
【青】は特殊能力を持つ者たちがいるゆえに、その役目を果たし続けている。
(私からすると、死刑執行人とか、葬儀屋とかそう言うイメージだなぁ。ないと困るけど、やりたい人が少ないような仕事だと思うけど…色でその仕事を縛っちゃって大丈夫なのかな……)
【青紫】は、医療関係者が多いと言っていた。
(じゃあ、【赤紫】は?)
この色に住まわせてもらうにあたって、現在はコトワリから支給品として生活費などを借りている状態だ。
現実では大学生だったとはいえ、今の私はただのニート。
しかも、【赤紫】の長に保護してもらった身。
マレビト、というのが一体どれほどの力があるのかは知らないが、所詮私はただの人。
保護してもらったからとニートのままでいていいはずがない。
(働かざるもの、食うべからず)
【赤紫】にいる人たちがどんな仕事を生業としている人が多いのかは知らないが、それを聞いて自分にでもできることを探して働かなければならないだろう。
(できれば、初心者でもできるような仕事だと有難いんだけど……)
そう思いながら、自分の知る【赤紫】の人というと知り合いは一人しかいない。
早速、隣人の扶桑さんを訪ねたところ彼は用事があり、黄泉へ行ったという。
(黄泉って、いわば地下の街みたいなところで、私が思う地獄のような場所じゃないんだ…)
さっき教えてくれた人は、親切で黄泉の場所について簡単に教えてくれたので、とりあえず黄泉に行くために絶対に通らなければならないクナドという大きな鳥居がある場所へと向かった。