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休日の朝、天月は一足早く集合場所付近にいた。
(予想外すぎる…………)
寝坊したため、大慌てで支度をして出た結果、朝食を食べ忘れた。
そして、集合場所に来ると誰もおらず再度連絡を確認すると、集合まであと一時間あったのだ。
ぐぅ、となる腹の虫を治めるべく、近くのカフェに入った。
すると、そのテラス席でゆるりと寛ぐ見知った顔に、彼女は目を見開き思わず声を上げた。
「おはよう、天月」
のんびり、ゆったり。コーヒーを飲みながら読書をしていたのは、三日月だった。
「あっはっはっは! 結果的に、時間が余ってしまったのだな」
本を閉じ、お腹を抑えながら笑う三日月に、彼女は顔を真っ赤にして怒った。
「そ、そんなに、笑わなくても……」
相変わらず、尻すぼみになる声にも彼は気にせず笑みを向ける。
出来れば会いたくない人物であったことは、言うまでもないだろう。
折角、諦めようとなるべく三日月といるより小狐丸と一緒にいる時間を長くしているというのに。
これでは意味がない、と静かにため息をつく天月。
だが、見つかってしまい、しかも相席となった以上話はしなければならないだろう。
「そ、そういう三日月は?」
この時、彼女は自分といて彼が周囲から嫌な目で見られないだろうかということを考えなくて済んだ。
それは、テラス席だったからだろう。
普通のカフェより立地が異なるここは、道路から上がった場所にあり、道を歩く人からは姿が見えない。
さらに、テラス席と繋がる扉は朝の陽ざしが反射して、仲の席の人たちの様子も見えなかった。
周囲の目を気にしなくて済むことは、彼女にとって、少し安心できる環境だ。
「俺か? 俺はいつも遅刻するからなぁ」
そう言って、またコーヒーを飲む。
天月がいくら彼の続きを待とうとも、その続きの求める答えは返って来ない。
彼が、なぜ集合時間より前にここにいるのか。
痺れを切らした彼女が、再度問おうとすると、タイミング良く彼女の朝食が運ばれてきた。
「お待たせいたしました、ホットケーキセットです」
コト、と最後に静かに置かれたハチミツ。
置かれた反動に、透明な容器のハチミツはゆらりと少しだけ揺れる。
天月はうっとりとそれを見つめた。
「女子は、本当に甘いものが好きだなぁ」
「苦手なの?」
ホットケーキの上で溶けかけのバターの上にハチミツをかけ、ゆっくりとそれを広げていく。
二段のうちの一段目だけ上手に切り分けた一口を、天月は嬉しそうに頬張ろうとした。
「…………いいや?」
不意に、彼の声と共にフォークを持つ手が掴まれ、彼に引っ張られる。
決して強くはない。けれど、有無を言わせぬ流れでそれを自分の方へ引き寄せた三日月は、フォークに刺さったホットケーキを口に入れた。
「甘すぎず、丁度良いな」
口の端についたハチミツを舌で掬い取り、また一口コーヒーを飲む。
一連の動作に、彼女はまるで石になったように彼を見つめていることしかできなかった。
フォークを持つ手が固まり、彼の手が離れても微動だにしない。
「…………から、かってる?」
かろうじて絞り出した声は、少し震えていた。
彼女の脳裏を、昔の記憶が掠める。
やはり、嫌われているのか。
そう考えれば、胃がキリキリと痛んだ。
「………………そう、思われるとはな」
そこで、二人の会話は終わる。
彼女は、フォークをようやく下げ、しばらくしてからパクパクと無心でホットケーキを平らげた。
(味……全然わからない)
天月がその意味を彼に問うことは、なかった。
それから一時間後、何事もなかったように集合した彼等は、真っ直ぐに三条ランドへ辿り着いた。
開園直後、彼等が真っ先に全員で乗り込んだのは、ジェットコースター。
友人たちに押されるがまま、天月は小狐丸と隣同士で席に乗り込む。
「これ、怖くない?」
「さぁ? 人によるのでは?」
「こ、怖くなってきたんだけど……」
ドキドキと、これから落ちたり凄いスピードの中、自分は生きていられるのかということに、不安を感じ始めた天月。
すると、小狐丸は降りてきた安全バーをぎゅっと握り締める天月の左手を取り、そっと手を繋いだ。
「大丈夫ですよ。何かあってもこれで死にませんし」
「死ぬ危険ある乗り物なの!?」
「あはは! だから、大丈夫ですって」
ワザと言ってきてるのではないか、というぐらい不穏な言葉に怯える天月に、後ろの席からトントンと肩を叩かれる。鶴子だ。
「だーいじょうぶっ! きっと楽しいよ!」
「……うん」
「だから、私も先ほどからそう言ってるのに」
「小狐丸は、そんなこと言ってなかった。不安煽ってたでしょ」
「人聞きの悪い」
「気をつけろ、ヒカル。そいつは、人を謀ることに長けたタヌキだ」
三人で会話していると、不意に声が聞こえた。
鶴子の隣の席で、ずっと微笑んでいた三日月の声はやはり彼女の耳によく通る。
「え、な……なんで、タヌキ? キツネじゃ、なくて?」
カフェでは苗字で、というより今まで苗字でしか呼ばれていなかったのに、突然名前で呼ばれたことに驚いたのは何も天月だけではない。
小狐丸、鶴子も目を見開き、三日月を見た。
ニッコリと笑みを崩さない彼の姿を見ようと、顔を横に向けた瞬間、ガクン! と急にジェットコースターが動き出した。
「ぎ……………ぎゃあああああああああああああああああ!!」
このジェットコースターは、最初からハイスピードを出せることで有名だった。
天月以外にも、これに乗る者は皆例外なく叫んでいる。
うたい文句は、≪歴史を超えるスピード感!≫。これに乗れば、過去の自分に会えるなんていう噂もあった。
それは、このスピードと、何度もある浮遊感やクネクネと進むコースのせいで、気絶して走馬燈を見た人たちの言葉では? なんてことも言われている。
特に、直前まで話していた四人は発進のタイミングすら分かっていなかった為、他の人より衝撃も大きいだろう。
「「あはははははは!」」
集団の絶叫が響き渡る中、何故か聞こえる二つの笑い声。
そう、小狐丸と三日月である。
彼等は、最初こそ驚いたものの、とてもジェットコースターを楽しんでいた。
「もっかい乗ろうぜー!」
乗り終えた瞬間、笑顔で拳を突き出して言う彼等に、いの一番に抜けたのは天月だ。
「私も止めとくー。ジュース飲んでるね」
「えぇー、鶴子行かないのー!?」
「ギブギブ! 朝食食べるの遅かったから、次乗ったら絶対吐く!!」
そう言い、鶴子は天月の手を引いた。
「冷たいジュースでも飲も? ちょっとはラクになるよ」
「………ありがと、鶴子」
「ん、行こ!」
そんな二人に、小狐丸は天月の様子に付き添おうと歩き出すと、鶴子に目で追い払われてしまった。
「振られたな、キツネ」
そんな様子を一部始終見ていた三日月の言葉に、小狐丸は彼を睨みつけた。
「驚きだな。何事にも静観していたお前が、自ら関わりを持とうとするとは」
三日月は、ゆったりと口元にだけ笑みを浮かべる。
それはまるで、下弦の月のような形で、小狐丸はゾクリと背筋が凍った。
「……いくら謀ろうとも、月は全てを見ている。思い上がるなよ」
「はっ…………見るだけで動かぬものの言葉など、相手にする気にもなれんな」
渇いた笑いが、テーマパーク内の喧騒に溶ける。
今の会話が、赤の他人や彼等の友人が聞いたとしても、その本質を理解できるものなど、この場にはいない。
だが、次の言葉にもう一度ジェットコースターに乗ろうとしていた友人たちの足が止まった。
「知っているぞ、小狐丸。お前は天月ヒカルを好いているが、あれが好きなのは私だ。お前の横恋慕は叶うまい」
三日月の言葉に、友人たちは皆呆気にとられた。
小狐丸と天月が付き合ってるのでは、と噂されていた中でこの彼の言葉は全員に衝撃を与えた。
これでは、たとえ付き合っていなかったとしても天月が小狐丸から寄せられる思いに答えず、友達である鶴子と同じ人を好きであるということになる。
しかも、それをこの場にいる誰も知らないとなれば、天月がその思いを隠していたことになる。
隠して、鶴子に便乗して三日月達とランチを食べていた。そう、思われても仕方のないことだ。
天月はずる賢く、三日月と付き合いたいが為に彼女等といた。そう、思われることになる。
真実など、今はまだ誰も知らないのだから。
「三日月っ!!」
小狐丸は、怒りを露わに彼へ掴みかかるが、すぐに男子達がそれを剥いだ。
彼には、三日月が何故今その言葉を言ったか、分かっていた。
小狐丸への罵倒と、天月への牽制。
三日月は、自分を好きな相手で知らぬ者、興味のない者を絶対に寄せ付けない。
だからこその言葉であり、それはその者が傷つくであろう結果になることを分かっていて言うのだ。
間違いなく、この後どう転んでも天月は鶴子達との友情が崩れる。
それが彼女にとって大切なものであることは、三日月にはお見通しだった。
そして、彼の考えがわかるからこそ、小狐丸は怒りを露わにした。
これは、小狐丸への攻撃でもある。
天月が傷つけば、小狐丸も傷つく。
彼女を好きな気持ちが本気だからこそ、三日月の言葉は許せないのだ。
「すみませーん! ただの喧嘩です!」
周囲が騒然としそうになる空気を、友人達が慌ててもみ消していく。
彼等は、今の三日月の言葉を追求する前にまずは目の前の二人を何とかする方が先決だと判断した。
そんな中でも、小狐丸は一際強く三日月を睨んでいた。
激しい憎悪と嫉妬に塗れた視線に、三日月は微動だにせず、ただただ無表情で小狐丸を見るだけだった。
一方、ジュースを買いに来ていた鶴子と天月は、三条ランド限定のドリンク売り場にいた。
「私はヨーグルトスカッシュにする。ヒカルは?」
「う〜ん、いっぱいあって…………あ、あれにする。いちごソーダ」
「オッケー!」
そう言って、鶴子はパパッと注文を終えて、二人分のドリンクを持ってきてくれた。
「並んでなくてラッキーだったね!」
「鶴子、お金! これ」
慌ててお金を渡すと、きょとんとした鶴子はすぐに笑った。
「あはは、これくらいいいのに! ありがと」
「いやいや、ダメでしょ」
「律儀なんだから、ヒカル」
「そういうものなの?」
「んー? 人によるかな。ヒカルは、そのまんまが良いと思う! あ、一口それちょーだい!」
お互いに回し飲みをして、これもそれも美味しい。
そんな会話を楽しそうにしていた二人の元へ、ジェットコースターにいったはずの男子が一人、こちらへ向かって走ってきた。
「あれ? ジェットコースター、もう終わったの?」
息切れしていた彼は、鶴子が渡したヨーグルトスカッシュをズズッとストローで吸い込むと、叫ぶように二人へ告げた。
「小狐丸と三日月が、喧嘩し始めちまったんだよ! 三日月が吹っ掛けたみたいなんだけど、事情は俺にはよくわかんなくて……今、皆で止めてるんだけど」
そこで、男子がちらりと天月を見た。
天月は、何故二人が喧嘩をし始めているのかも、何故男子が今自分に視線を向けたのかも理解できない。
理解できないが、何故か彼女の胸は大きくざわついた。
(なんだろう……すごく、嫌な予感がする…………まさか、小狐丸と私が付き合ってないのがバレたから? でも、それじゃ三日月と喧嘩にならない……そもそも、付き合ってないことがバレても別に本当なんだから、問題はないはず)
考え込む天月の隣で、鶴子は苦し気な表情を一瞬見せたが、すぐに顔を引き締めた。
「心配だし、そっちに行こう」
彼女の声に、二人はすぐに頷き走って彼等が喧嘩をしているというジェットコースター前へと向かった。
(三日月は、やっぱりヒカルのこと…………)
走りながら、鶴子は先ほどのジェットコースターでのやり取りを思い出していた。
彼は、冗談でも女子の名前を呼び捨てにすることはない。
鶴子を呼び捨てなのは、幼い頃から同じ剣道をしていた友達だからだ。
それ以外に理由がないことを、彼女は知っている。
周囲が囃し立てるほど、実際鶴子と三日月の仲が良いわけでもなかった。
ただ、二人の絆を繋いでいたものは一つ。
「…………同類、か……」
小声で呟かれた声は、誰にも聞かれず消えていく。
鶴子と彼は、まだ二人が出会う前の小さい頃からそれぞれ人気があった。
見目麗しい容姿に、人当たりの良い二人は性別問わず好かれた。
だが、目立ちすぎる杭は打たれるもの。
二人は、よく虐められていた。
妬みや嫉妬、羨望など正と負の感情を他の人より多く受け続けた彼等は、他人への接し方をよく考えなければならなかった。
数ある選択肢の中から、奇しくも同じ選択肢を二人は選んだ。
それは、一線を引くこと。他人を寄せ付けない事。
誰とでも仲良く過ごせる彼等は、それ故に絶妙な線引きをした。
それから数年後に、二人は出会った。剣道場で。
互いに、すぐに仲良くなった。傍目からは、きっとそう見えたことだろう。
鶴子と三日月は、互いにハッキリとした線引きをしていた。
だからこそ、互いの領域内に踏み込まない付き合いがすぐに出来た。
お互いの存在が、居心地の良いものであった。
傷つけられず、傷つかず。
だが、それは決して恋愛関係に発展しようのないもの。
恋は、少なくとも表面上だけでは長続きしない。
本当に好きなら、尚更。自分の真意を曝け出さなければならない。
鶴子は、今更引いてしまった境界線を消せないでいた。
ずっと、三日月を好きだったものの、彼に自分の境界線内に踏み込ませることも、彼の方へ踏み入れることも出来なかったのだ。
そこへ今、天月が現れた。
彼女のことを、名で呼んだ三日月。
それは、鶴子にとって居心地の良かった時間の終わりであり、三日月にとっての始まり。
鶴子は、目が熱くなるのを必死に堪えた。
そして、今後起こるであろう事態に、一歩一歩走る足を強く踏み締めた。
(………………辛い、な)
男子に案内され、二人が喧嘩しているという場所に辿り着くと、そこには未だ睨み合ったままの二人がいた。
鶴子は、慌てて二人の輪に入った。
「落ち着こうよ、二人とも!」
鶴子の言葉に、二人は睨み合ったまま、三日月だけが口元にだけ笑みを浮かべた。
小狐丸は、苦虫を噛み潰したような顔で、間に入った鶴子のせいで動けないでいる。
動けたのなら、今すぐにでも三日月に殴りかかっていることだろう。
「…………あぁ、落ち着いているとも鶴子」
「俺達は別に、逆上しているわけでもないさ。ただ、互いが互いを気に食わないだけ」
三日月は、落ち着き払った様子で、静かな声で淡々とそう述べる。
そして、小狐丸から視線を外して一瞬鶴子を見た後、彼は周囲を見渡した。
すぅ、と目が一点で細められる。
「なぁ、ヒカル。お前は私が好きなのだろう?」
彼の言葉に、全員が天月を見る。
ぎょっとした天月は、周囲の目に怯んだ。
「な、ち、違う……そんな訳、ない」
「嘘をつくな。今朝、一緒にご飯を食べた仲ではないか」
およよ、とわざとらしく泣き真似をした三日月に、友人たちは天月を見た。
どよめく周囲の中、一人の女子が一歩前へ出た。
「そうなの? ヒカル」
「…………そ、れは、偶然で」
「鶴子が三日月を好きって知ってて、そんなことしたんだ……」
呆れと混ざる侮蔑の声音。
友人から聞こえた、聞いたことのないような声に彼女は肩を竦ませた。
(…………ちがう、違うのに!!)
違うと思っていても、友人の言葉を全て否定することも出来なかった。
知っていて三日月を好きになり、未だに諦めがついていないことは最早隠しようもない。
そして、今朝のことを鶴子にも、小狐丸にも聞かれてしまったことが、彼女にはどうしようもなく嫌だった。
一度俯いてしまったら、もう顔を上げられなかった。
それこそが、何より答えだと周囲は受け取ってしまうことも、彼女には分かっていても上げられない。
(顔、合わせられない…………)
「うわぁ、女ってこえぇー」
「これが噂の、三角関係ってやつかよ」
「四角関係でしょ、小狐丸はヒカルが好きなんだから」
「うわ、泥沼だな」
先ほどまで、確かに笑い合い、楽しく過ごしていたはずの友人たちの顔も、もう見れなかった。
(嫌われた、もうダメ………鶴子にも、小狐丸にも…………三日月にも、バレちゃって……皆にも嫌われた。もう、嫌だ)
「残念だなぁ、ヒカル。俺はお前のことを好きではない。すまんな」
そこへ、三日月の言葉が響く。
天月は、心がズタズタに切り裂かれるような気分だった。
頭が、真っ白になっていく。
知らない赤の他人まで、彼女を指差し「振られてるー不憫」などと言われる。
カッ、と顔が熱くなり、思考も目の前すら全てが真っ赤に血染めされていくように彼女には見えた。
「だが安心しろ、ヒカル。小狐丸がお前を好きだそうだ。良かったな、捨てる神あれば拾う神あり、というやつだ」
その言葉に、鶴子と小狐丸が三日月へ掴みかかろうと動いた。
瞬間、彼女の頭の中で、感情の一部が切れた。
ブチッ、と分厚い何かが切れる音に天月は大きな一歩を踏み出す。
そして、二人より早く三日月の前に出る。
天月の姿に、驚いた二人の足が止まった。
「……いい加減にして」
三日月は、目を見開いた。
それは、今朝一緒に朝食を取った時にあからさまに緊張していた女子でも、さっきまで委縮していた女子でもない。
強い瞳で睨みつけてくる、意志の強い女子。
「私が嫌いなら、最初からそう言えばいい。でも、小狐丸と私のことを言わないで。それは三日月に関係ない」
「関係はあるだろう? だから今、全て解き明かしてやろうと思ったのだから。あいつはお前を騙している。好意を隠して、お前に近付いているのさ。隙を見せれば食われるぞ。気を付けた方が良い」
「二度言わせないで、関係ない。今日は遊びに来てるのに、そんな話を今されたら台無し。最低だよ」
「笑えるな。お前はそんな最低な私を好きなんだろう? 俺に指図するな小娘が」
吐き捨てる様に言った三日月の言葉に、天月は右手を大きく振りかぶり彼の頬を思いきり打った。
「っ!?」
勢い余ってこけた三日月は、驚いたように彼女を見上げた。
「貴方こそ、私に指図しないで! なんでも分かったような口振りで、私は三日月を好きだと思ったけど! 鶴子が好きなのを知ってても、我慢できないし諦められなかったけど、言うつもりなんてなかった!! 勝手に私の気持ちを暴いて、フッて! 貴方はそれで満足かもしれないけど、私はそうじゃなかったのに!」
勢いのまま叫んだ天月。
少し上擦ったり、枯れたりと、まるで赤ん坊の悲痛な叫び声のような、酷い声だった。
周囲の視線が集まり、赤の他人たちも足を止め何事かと事態を見守っていた。
けれど、頭に血が上った彼女には、その視線も気にならない。
ちらりと小狐丸へ視線をやった彼女は、すぅと深く息を吸い込んだ。
「……小狐丸には、諦め方を教えてもらってた。私は昔からずっと嫌われてて……だから、初めて出来た友達を困らせたくなかった。三日月を好きなことは隠して、諦めて、ずっと鶴子と……皆で笑っている時間を過ごしたかったのに! 大切に、してたのに………… それを、アンタが全部ぶち壊したっ!!」
座り込む三日月に、次はグーで殴りかかろうとした天月を、慌てて近くに立っていた鶴子と小狐丸が抑え込む。
「ヒカル! お、落ち着いてっ!」
「最低! 最低野郎! アンタなんて大っ嫌い! 私に嫌いになって欲しくて言ったんでしょう!? 大正解よ! アンタなんて嫌い、嫌い嫌い大っ嫌い!!」
ボロボロと涙を零し泣き崩れた彼女に、誰も声を掛けることが出来なかった。
そして、ずっと座り込んでいた三日月はようやく立ち上がる。
呆然とした様子の彼に、鶴子は恐る恐る声を掛けた。
「む、宗近……?」
彼は、呆然とどこか遠くを見ていた。
(俺は……ヒカルに、嫌われたかったのか…………俺は、何がしたかったんだ?)
小狐丸へ苛立っていた。
彼が、三日月を見下すような、小馬鹿にするような態度を取ったからだ。
小狐丸は、昔から三日月と仲が良かったが、よく喧嘩もしていた。
今回も、それと同じであることは彼には分かっていた。
(キツネが、俺を好きな女子を取ることはよくあった……今回は珍しく、それを俺に隠していたから……俺は、それが気になって)
彼はいつも、三日月を好きな女子の気持ちが自分に向くことを楽しんでいた。
仕方のない阿保だと思いながらも、別段それを気にしなかったのは、別にその女子がどう思おうと気にならなかったからだ。
(気付けば、名前で呼んでいた……気にも、していなかった)
彼が天月へ視線を向けると、彼女は涙目のまま立ち上がり、今日は帰ると言って入退場門の方へ歩いていく姿が見えた。
(俺は、彼女に嫌われたかったのか?)
何度彼が自分に問いかけようと、その答えはわからないままだった。
(予想外すぎる…………)
寝坊したため、大慌てで支度をして出た結果、朝食を食べ忘れた。
そして、集合場所に来ると誰もおらず再度連絡を確認すると、集合まであと一時間あったのだ。
ぐぅ、となる腹の虫を治めるべく、近くのカフェに入った。
すると、そのテラス席でゆるりと寛ぐ見知った顔に、彼女は目を見開き思わず声を上げた。
「おはよう、天月」
のんびり、ゆったり。コーヒーを飲みながら読書をしていたのは、三日月だった。
「あっはっはっは! 結果的に、時間が余ってしまったのだな」
本を閉じ、お腹を抑えながら笑う三日月に、彼女は顔を真っ赤にして怒った。
「そ、そんなに、笑わなくても……」
相変わらず、尻すぼみになる声にも彼は気にせず笑みを向ける。
出来れば会いたくない人物であったことは、言うまでもないだろう。
折角、諦めようとなるべく三日月といるより小狐丸と一緒にいる時間を長くしているというのに。
これでは意味がない、と静かにため息をつく天月。
だが、見つかってしまい、しかも相席となった以上話はしなければならないだろう。
「そ、そういう三日月は?」
この時、彼女は自分といて彼が周囲から嫌な目で見られないだろうかということを考えなくて済んだ。
それは、テラス席だったからだろう。
普通のカフェより立地が異なるここは、道路から上がった場所にあり、道を歩く人からは姿が見えない。
さらに、テラス席と繋がる扉は朝の陽ざしが反射して、仲の席の人たちの様子も見えなかった。
周囲の目を気にしなくて済むことは、彼女にとって、少し安心できる環境だ。
「俺か? 俺はいつも遅刻するからなぁ」
そう言って、またコーヒーを飲む。
天月がいくら彼の続きを待とうとも、その続きの求める答えは返って来ない。
彼が、なぜ集合時間より前にここにいるのか。
痺れを切らした彼女が、再度問おうとすると、タイミング良く彼女の朝食が運ばれてきた。
「お待たせいたしました、ホットケーキセットです」
コト、と最後に静かに置かれたハチミツ。
置かれた反動に、透明な容器のハチミツはゆらりと少しだけ揺れる。
天月はうっとりとそれを見つめた。
「女子は、本当に甘いものが好きだなぁ」
「苦手なの?」
ホットケーキの上で溶けかけのバターの上にハチミツをかけ、ゆっくりとそれを広げていく。
二段のうちの一段目だけ上手に切り分けた一口を、天月は嬉しそうに頬張ろうとした。
「…………いいや?」
不意に、彼の声と共にフォークを持つ手が掴まれ、彼に引っ張られる。
決して強くはない。けれど、有無を言わせぬ流れでそれを自分の方へ引き寄せた三日月は、フォークに刺さったホットケーキを口に入れた。
「甘すぎず、丁度良いな」
口の端についたハチミツを舌で掬い取り、また一口コーヒーを飲む。
一連の動作に、彼女はまるで石になったように彼を見つめていることしかできなかった。
フォークを持つ手が固まり、彼の手が離れても微動だにしない。
「…………から、かってる?」
かろうじて絞り出した声は、少し震えていた。
彼女の脳裏を、昔の記憶が掠める。
やはり、嫌われているのか。
そう考えれば、胃がキリキリと痛んだ。
「………………そう、思われるとはな」
そこで、二人の会話は終わる。
彼女は、フォークをようやく下げ、しばらくしてからパクパクと無心でホットケーキを平らげた。
(味……全然わからない)
天月がその意味を彼に問うことは、なかった。
それから一時間後、何事もなかったように集合した彼等は、真っ直ぐに三条ランドへ辿り着いた。
開園直後、彼等が真っ先に全員で乗り込んだのは、ジェットコースター。
友人たちに押されるがまま、天月は小狐丸と隣同士で席に乗り込む。
「これ、怖くない?」
「さぁ? 人によるのでは?」
「こ、怖くなってきたんだけど……」
ドキドキと、これから落ちたり凄いスピードの中、自分は生きていられるのかということに、不安を感じ始めた天月。
すると、小狐丸は降りてきた安全バーをぎゅっと握り締める天月の左手を取り、そっと手を繋いだ。
「大丈夫ですよ。何かあってもこれで死にませんし」
「死ぬ危険ある乗り物なの!?」
「あはは! だから、大丈夫ですって」
ワザと言ってきてるのではないか、というぐらい不穏な言葉に怯える天月に、後ろの席からトントンと肩を叩かれる。鶴子だ。
「だーいじょうぶっ! きっと楽しいよ!」
「……うん」
「だから、私も先ほどからそう言ってるのに」
「小狐丸は、そんなこと言ってなかった。不安煽ってたでしょ」
「人聞きの悪い」
「気をつけろ、ヒカル。そいつは、人を謀ることに長けたタヌキだ」
三人で会話していると、不意に声が聞こえた。
鶴子の隣の席で、ずっと微笑んでいた三日月の声はやはり彼女の耳によく通る。
「え、な……なんで、タヌキ? キツネじゃ、なくて?」
カフェでは苗字で、というより今まで苗字でしか呼ばれていなかったのに、突然名前で呼ばれたことに驚いたのは何も天月だけではない。
小狐丸、鶴子も目を見開き、三日月を見た。
ニッコリと笑みを崩さない彼の姿を見ようと、顔を横に向けた瞬間、ガクン! と急にジェットコースターが動き出した。
「ぎ……………ぎゃあああああああああああああああああ!!」
このジェットコースターは、最初からハイスピードを出せることで有名だった。
天月以外にも、これに乗る者は皆例外なく叫んでいる。
うたい文句は、≪歴史を超えるスピード感!≫。これに乗れば、過去の自分に会えるなんていう噂もあった。
それは、このスピードと、何度もある浮遊感やクネクネと進むコースのせいで、気絶して走馬燈を見た人たちの言葉では? なんてことも言われている。
特に、直前まで話していた四人は発進のタイミングすら分かっていなかった為、他の人より衝撃も大きいだろう。
「「あはははははは!」」
集団の絶叫が響き渡る中、何故か聞こえる二つの笑い声。
そう、小狐丸と三日月である。
彼等は、最初こそ驚いたものの、とてもジェットコースターを楽しんでいた。
「もっかい乗ろうぜー!」
乗り終えた瞬間、笑顔で拳を突き出して言う彼等に、いの一番に抜けたのは天月だ。
「私も止めとくー。ジュース飲んでるね」
「えぇー、鶴子行かないのー!?」
「ギブギブ! 朝食食べるの遅かったから、次乗ったら絶対吐く!!」
そう言い、鶴子は天月の手を引いた。
「冷たいジュースでも飲も? ちょっとはラクになるよ」
「………ありがと、鶴子」
「ん、行こ!」
そんな二人に、小狐丸は天月の様子に付き添おうと歩き出すと、鶴子に目で追い払われてしまった。
「振られたな、キツネ」
そんな様子を一部始終見ていた三日月の言葉に、小狐丸は彼を睨みつけた。
「驚きだな。何事にも静観していたお前が、自ら関わりを持とうとするとは」
三日月は、ゆったりと口元にだけ笑みを浮かべる。
それはまるで、下弦の月のような形で、小狐丸はゾクリと背筋が凍った。
「……いくら謀ろうとも、月は全てを見ている。思い上がるなよ」
「はっ…………見るだけで動かぬものの言葉など、相手にする気にもなれんな」
渇いた笑いが、テーマパーク内の喧騒に溶ける。
今の会話が、赤の他人や彼等の友人が聞いたとしても、その本質を理解できるものなど、この場にはいない。
だが、次の言葉にもう一度ジェットコースターに乗ろうとしていた友人たちの足が止まった。
「知っているぞ、小狐丸。お前は天月ヒカルを好いているが、あれが好きなのは私だ。お前の横恋慕は叶うまい」
三日月の言葉に、友人たちは皆呆気にとられた。
小狐丸と天月が付き合ってるのでは、と噂されていた中でこの彼の言葉は全員に衝撃を与えた。
これでは、たとえ付き合っていなかったとしても天月が小狐丸から寄せられる思いに答えず、友達である鶴子と同じ人を好きであるということになる。
しかも、それをこの場にいる誰も知らないとなれば、天月がその思いを隠していたことになる。
隠して、鶴子に便乗して三日月達とランチを食べていた。そう、思われても仕方のないことだ。
天月はずる賢く、三日月と付き合いたいが為に彼女等といた。そう、思われることになる。
真実など、今はまだ誰も知らないのだから。
「三日月っ!!」
小狐丸は、怒りを露わに彼へ掴みかかるが、すぐに男子達がそれを剥いだ。
彼には、三日月が何故今その言葉を言ったか、分かっていた。
小狐丸への罵倒と、天月への牽制。
三日月は、自分を好きな相手で知らぬ者、興味のない者を絶対に寄せ付けない。
だからこその言葉であり、それはその者が傷つくであろう結果になることを分かっていて言うのだ。
間違いなく、この後どう転んでも天月は鶴子達との友情が崩れる。
それが彼女にとって大切なものであることは、三日月にはお見通しだった。
そして、彼の考えがわかるからこそ、小狐丸は怒りを露わにした。
これは、小狐丸への攻撃でもある。
天月が傷つけば、小狐丸も傷つく。
彼女を好きな気持ちが本気だからこそ、三日月の言葉は許せないのだ。
「すみませーん! ただの喧嘩です!」
周囲が騒然としそうになる空気を、友人達が慌ててもみ消していく。
彼等は、今の三日月の言葉を追求する前にまずは目の前の二人を何とかする方が先決だと判断した。
そんな中でも、小狐丸は一際強く三日月を睨んでいた。
激しい憎悪と嫉妬に塗れた視線に、三日月は微動だにせず、ただただ無表情で小狐丸を見るだけだった。
一方、ジュースを買いに来ていた鶴子と天月は、三条ランド限定のドリンク売り場にいた。
「私はヨーグルトスカッシュにする。ヒカルは?」
「う〜ん、いっぱいあって…………あ、あれにする。いちごソーダ」
「オッケー!」
そう言って、鶴子はパパッと注文を終えて、二人分のドリンクを持ってきてくれた。
「並んでなくてラッキーだったね!」
「鶴子、お金! これ」
慌ててお金を渡すと、きょとんとした鶴子はすぐに笑った。
「あはは、これくらいいいのに! ありがと」
「いやいや、ダメでしょ」
「律儀なんだから、ヒカル」
「そういうものなの?」
「んー? 人によるかな。ヒカルは、そのまんまが良いと思う! あ、一口それちょーだい!」
お互いに回し飲みをして、これもそれも美味しい。
そんな会話を楽しそうにしていた二人の元へ、ジェットコースターにいったはずの男子が一人、こちらへ向かって走ってきた。
「あれ? ジェットコースター、もう終わったの?」
息切れしていた彼は、鶴子が渡したヨーグルトスカッシュをズズッとストローで吸い込むと、叫ぶように二人へ告げた。
「小狐丸と三日月が、喧嘩し始めちまったんだよ! 三日月が吹っ掛けたみたいなんだけど、事情は俺にはよくわかんなくて……今、皆で止めてるんだけど」
そこで、男子がちらりと天月を見た。
天月は、何故二人が喧嘩をし始めているのかも、何故男子が今自分に視線を向けたのかも理解できない。
理解できないが、何故か彼女の胸は大きくざわついた。
(なんだろう……すごく、嫌な予感がする…………まさか、小狐丸と私が付き合ってないのがバレたから? でも、それじゃ三日月と喧嘩にならない……そもそも、付き合ってないことがバレても別に本当なんだから、問題はないはず)
考え込む天月の隣で、鶴子は苦し気な表情を一瞬見せたが、すぐに顔を引き締めた。
「心配だし、そっちに行こう」
彼女の声に、二人はすぐに頷き走って彼等が喧嘩をしているというジェットコースター前へと向かった。
(三日月は、やっぱりヒカルのこと…………)
走りながら、鶴子は先ほどのジェットコースターでのやり取りを思い出していた。
彼は、冗談でも女子の名前を呼び捨てにすることはない。
鶴子を呼び捨てなのは、幼い頃から同じ剣道をしていた友達だからだ。
それ以外に理由がないことを、彼女は知っている。
周囲が囃し立てるほど、実際鶴子と三日月の仲が良いわけでもなかった。
ただ、二人の絆を繋いでいたものは一つ。
「…………同類、か……」
小声で呟かれた声は、誰にも聞かれず消えていく。
鶴子と彼は、まだ二人が出会う前の小さい頃からそれぞれ人気があった。
見目麗しい容姿に、人当たりの良い二人は性別問わず好かれた。
だが、目立ちすぎる杭は打たれるもの。
二人は、よく虐められていた。
妬みや嫉妬、羨望など正と負の感情を他の人より多く受け続けた彼等は、他人への接し方をよく考えなければならなかった。
数ある選択肢の中から、奇しくも同じ選択肢を二人は選んだ。
それは、一線を引くこと。他人を寄せ付けない事。
誰とでも仲良く過ごせる彼等は、それ故に絶妙な線引きをした。
それから数年後に、二人は出会った。剣道場で。
互いに、すぐに仲良くなった。傍目からは、きっとそう見えたことだろう。
鶴子と三日月は、互いにハッキリとした線引きをしていた。
だからこそ、互いの領域内に踏み込まない付き合いがすぐに出来た。
お互いの存在が、居心地の良いものであった。
傷つけられず、傷つかず。
だが、それは決して恋愛関係に発展しようのないもの。
恋は、少なくとも表面上だけでは長続きしない。
本当に好きなら、尚更。自分の真意を曝け出さなければならない。
鶴子は、今更引いてしまった境界線を消せないでいた。
ずっと、三日月を好きだったものの、彼に自分の境界線内に踏み込ませることも、彼の方へ踏み入れることも出来なかったのだ。
そこへ今、天月が現れた。
彼女のことを、名で呼んだ三日月。
それは、鶴子にとって居心地の良かった時間の終わりであり、三日月にとっての始まり。
鶴子は、目が熱くなるのを必死に堪えた。
そして、今後起こるであろう事態に、一歩一歩走る足を強く踏み締めた。
(………………辛い、な)
男子に案内され、二人が喧嘩しているという場所に辿り着くと、そこには未だ睨み合ったままの二人がいた。
鶴子は、慌てて二人の輪に入った。
「落ち着こうよ、二人とも!」
鶴子の言葉に、二人は睨み合ったまま、三日月だけが口元にだけ笑みを浮かべた。
小狐丸は、苦虫を噛み潰したような顔で、間に入った鶴子のせいで動けないでいる。
動けたのなら、今すぐにでも三日月に殴りかかっていることだろう。
「…………あぁ、落ち着いているとも鶴子」
「俺達は別に、逆上しているわけでもないさ。ただ、互いが互いを気に食わないだけ」
三日月は、落ち着き払った様子で、静かな声で淡々とそう述べる。
そして、小狐丸から視線を外して一瞬鶴子を見た後、彼は周囲を見渡した。
すぅ、と目が一点で細められる。
「なぁ、ヒカル。お前は私が好きなのだろう?」
彼の言葉に、全員が天月を見る。
ぎょっとした天月は、周囲の目に怯んだ。
「な、ち、違う……そんな訳、ない」
「嘘をつくな。今朝、一緒にご飯を食べた仲ではないか」
およよ、とわざとらしく泣き真似をした三日月に、友人たちは天月を見た。
どよめく周囲の中、一人の女子が一歩前へ出た。
「そうなの? ヒカル」
「…………そ、れは、偶然で」
「鶴子が三日月を好きって知ってて、そんなことしたんだ……」
呆れと混ざる侮蔑の声音。
友人から聞こえた、聞いたことのないような声に彼女は肩を竦ませた。
(…………ちがう、違うのに!!)
違うと思っていても、友人の言葉を全て否定することも出来なかった。
知っていて三日月を好きになり、未だに諦めがついていないことは最早隠しようもない。
そして、今朝のことを鶴子にも、小狐丸にも聞かれてしまったことが、彼女にはどうしようもなく嫌だった。
一度俯いてしまったら、もう顔を上げられなかった。
それこそが、何より答えだと周囲は受け取ってしまうことも、彼女には分かっていても上げられない。
(顔、合わせられない…………)
「うわぁ、女ってこえぇー」
「これが噂の、三角関係ってやつかよ」
「四角関係でしょ、小狐丸はヒカルが好きなんだから」
「うわ、泥沼だな」
先ほどまで、確かに笑い合い、楽しく過ごしていたはずの友人たちの顔も、もう見れなかった。
(嫌われた、もうダメ………鶴子にも、小狐丸にも…………三日月にも、バレちゃって……皆にも嫌われた。もう、嫌だ)
「残念だなぁ、ヒカル。俺はお前のことを好きではない。すまんな」
そこへ、三日月の言葉が響く。
天月は、心がズタズタに切り裂かれるような気分だった。
頭が、真っ白になっていく。
知らない赤の他人まで、彼女を指差し「振られてるー不憫」などと言われる。
カッ、と顔が熱くなり、思考も目の前すら全てが真っ赤に血染めされていくように彼女には見えた。
「だが安心しろ、ヒカル。小狐丸がお前を好きだそうだ。良かったな、捨てる神あれば拾う神あり、というやつだ」
その言葉に、鶴子と小狐丸が三日月へ掴みかかろうと動いた。
瞬間、彼女の頭の中で、感情の一部が切れた。
ブチッ、と分厚い何かが切れる音に天月は大きな一歩を踏み出す。
そして、二人より早く三日月の前に出る。
天月の姿に、驚いた二人の足が止まった。
「……いい加減にして」
三日月は、目を見開いた。
それは、今朝一緒に朝食を取った時にあからさまに緊張していた女子でも、さっきまで委縮していた女子でもない。
強い瞳で睨みつけてくる、意志の強い女子。
「私が嫌いなら、最初からそう言えばいい。でも、小狐丸と私のことを言わないで。それは三日月に関係ない」
「関係はあるだろう? だから今、全て解き明かしてやろうと思ったのだから。あいつはお前を騙している。好意を隠して、お前に近付いているのさ。隙を見せれば食われるぞ。気を付けた方が良い」
「二度言わせないで、関係ない。今日は遊びに来てるのに、そんな話を今されたら台無し。最低だよ」
「笑えるな。お前はそんな最低な私を好きなんだろう? 俺に指図するな小娘が」
吐き捨てる様に言った三日月の言葉に、天月は右手を大きく振りかぶり彼の頬を思いきり打った。
「っ!?」
勢い余ってこけた三日月は、驚いたように彼女を見上げた。
「貴方こそ、私に指図しないで! なんでも分かったような口振りで、私は三日月を好きだと思ったけど! 鶴子が好きなのを知ってても、我慢できないし諦められなかったけど、言うつもりなんてなかった!! 勝手に私の気持ちを暴いて、フッて! 貴方はそれで満足かもしれないけど、私はそうじゃなかったのに!」
勢いのまま叫んだ天月。
少し上擦ったり、枯れたりと、まるで赤ん坊の悲痛な叫び声のような、酷い声だった。
周囲の視線が集まり、赤の他人たちも足を止め何事かと事態を見守っていた。
けれど、頭に血が上った彼女には、その視線も気にならない。
ちらりと小狐丸へ視線をやった彼女は、すぅと深く息を吸い込んだ。
「……小狐丸には、諦め方を教えてもらってた。私は昔からずっと嫌われてて……だから、初めて出来た友達を困らせたくなかった。三日月を好きなことは隠して、諦めて、ずっと鶴子と……皆で笑っている時間を過ごしたかったのに! 大切に、してたのに………… それを、アンタが全部ぶち壊したっ!!」
座り込む三日月に、次はグーで殴りかかろうとした天月を、慌てて近くに立っていた鶴子と小狐丸が抑え込む。
「ヒカル! お、落ち着いてっ!」
「最低! 最低野郎! アンタなんて大っ嫌い! 私に嫌いになって欲しくて言ったんでしょう!? 大正解よ! アンタなんて嫌い、嫌い嫌い大っ嫌い!!」
ボロボロと涙を零し泣き崩れた彼女に、誰も声を掛けることが出来なかった。
そして、ずっと座り込んでいた三日月はようやく立ち上がる。
呆然とした様子の彼に、鶴子は恐る恐る声を掛けた。
「む、宗近……?」
彼は、呆然とどこか遠くを見ていた。
(俺は……ヒカルに、嫌われたかったのか…………俺は、何がしたかったんだ?)
小狐丸へ苛立っていた。
彼が、三日月を見下すような、小馬鹿にするような態度を取ったからだ。
小狐丸は、昔から三日月と仲が良かったが、よく喧嘩もしていた。
今回も、それと同じであることは彼には分かっていた。
(キツネが、俺を好きな女子を取ることはよくあった……今回は珍しく、それを俺に隠していたから……俺は、それが気になって)
彼はいつも、三日月を好きな女子の気持ちが自分に向くことを楽しんでいた。
仕方のない阿保だと思いながらも、別段それを気にしなかったのは、別にその女子がどう思おうと気にならなかったからだ。
(気付けば、名前で呼んでいた……気にも、していなかった)
彼が天月へ視線を向けると、彼女は涙目のまま立ち上がり、今日は帰ると言って入退場門の方へ歩いていく姿が見えた。
(俺は、彼女に嫌われたかったのか?)
何度彼が自分に問いかけようと、その答えはわからないままだった。