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夢小説設定

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体育の授業で目眩を起こした天月は、鶴子に連れられて保健室に来ていた。
保険医不在の為、勝手にベッドを使用する訳にもいかず、天月を椅子に座らせた鶴子は職員室へ教員を呼びに向かった。
椅子に深く座り込んだ彼女は、目を閉じ深呼吸を何度か繰り返し天井を見上げた。
締め切られた窓の向こうで聞こえる雷鳴など、彼女の耳には入っていない。

(どうして、釣り合えないのも分かっていて、鶴子が好きな人だって分かってるのに諦められないんだろう)

世の中に溢れる恋事情を、彼女は知りたくなった。
好きになった人が、友達の好きな人だった場合、皆はどうしているのだろうか。
好きな人を諦めるには、どうすればいいのか。
それらは全て、高校に入る前の自分なら、想像もしなかったものだ。
誰かを好きになることも、誰かに傷ついてほしくないと思うことも、彼女はきっと縁のないものだと思っていた。
誰かに嫌われ、傷つけられたことしか経験がない。
だからこそ、彼女は鶴子に傷ついて欲しくないのに。

(上手く……いかない)

彼女が辛うじて救われるのは、それを知る者が小狐丸しかいないことだった。
本人たちに気付かれては、生きていけないと思いながら、天月は強く目を閉じ直した。
その時、ゆっくりと保健室の扉が開かれた。
横開きの扉は、ガラガラと大袈裟な音を立てる。
そこから現れた者の姿を見た途端、天月はぎゅっと眉を寄せた。



「おや、入学式ぶりですね」

何度か鶴子と一緒に三日月たちとランチを食べる機会があった天月だが、一度もそこに小狐丸はいなかった。
だから、初日以来彼女らは会うことがなかった。
それは意図的に小狐丸が、三日月らと一緒にランチをしなかったのが原因なのだが、勿論それは本人以外知らないことだ。

「どこか、具合が悪いんですか?」
「……………う、ん……あ、嘘。もう大丈夫、だから」
「……そうですか」

向かい側に置かれた椅子に、ゆっくりと座る彼の姿に、やはり天月は三日月の姿を彷彿とさせられた。

(話し方とか所作が、やっぱり似てる……)

「どうかしましたか?」
「……え、あ…………聞いても、いい?」
「えぇ、どうぞ」

少し小首を傾げ、ゆるりと弧を描く口元に、吸い寄せられそうになる。
一呼吸置き、彼女は尋ねた。

「……三日月と小狐丸って、何か同じ習い事とか、してる?」
「…………何故?」

少し低くなる声に、一瞬怯んだ天月だが、ぐっと身を乗り出して彼と目線を合わせた。

「動き、とか……何か、似たような雰囲気が、あって」

だが、言おうとすればやはり自分の勘違いではないかと思い始め、尻すぼみになっていく声。
それを聞いた小狐丸の表情は、やはり笑みを浮かべたままだが、最初から目が笑っていなかった。

「………えぇ、昔から同じ剣術道場に通っていますよ」
「剣術……剣道部に入ってるの?」
「部活ではありませんよ。試合がしたいわけではないですから」
「へぇ、そうだったんだ」

そこで、ふと気付いた。
鶴子も帰宅部だが、剣道をやっていると言っていたのを。

「それって、鶴子も同じ場所で習ってるの?」
「いいえ、けれど何度か合同合宿をしたことがありますよ」

天月は、その話を聞いて合点がいった。
だから鶴子は、三日月とよくお似合いに見えるのだ。
それは、醸し出される空気が同じだからだと。

(だから、二人の距離は近いんだ…………)

同じ趣味があって、互いに距離感が分かるぐらい長い付き合いがある。
だからこそ、彼等の距離は近く特別な雰囲気を纏っている。
それは、昨日今日会って恋をした天月が得られない、特別なものであるということ。
勝てるはずがない。
三日月を好きだという女子は、入学式以降大勢いた。
告白をした子も、勿論大勢いたことだろう。
だが大抵は、鶴子と三日月の並ぶ姿を見て諦めていくのだ。
それは、二人の距離感が他者とは違うから。
それを皆、感じ取っていたのだ。

(…………最初から、分かっていたことだった)

そう、天月だって最初からそれは頭の奥で理解できていた。
二人は、特別なのだと。



自分がいくら想おうと、叶わない。



すとん、と落ちてきた結論に、鼻の奥が痛くなる。
目が、熱くなる。
ぽろぽろと頬を流れていくものを辿り、彼女は目を見開いた。
自分が、泣いていた。

「……何故、泣くのですか?」

小狐丸の問いに答えられず、嗚咽で流れそうになる鼻水を啜る。
ただひたすらに、悲しみだけが彼女の頭を巡る。
だが、それでもまだ消えない思いに、天月はその思いを粉々に砕きたい衝動に駆られる。
浅ましく、見えるはずのない希望に縋り付こうとする自分の気持ち悪さに、吐き気さえする。
じっと天月を見ていた小狐丸は、ゆっくりと立ち上がり、彼女へ近付いた。
しゃがみ込み、下から彼女を見上げ、当たるか当たらないかの手で頭を撫でる。

ヒカル、諦めたいですか?」

何を、とは言わなかった。
互いにそれが何かは、明白だった。

「…………」

声のない代わりに、小さく頷いた彼女の頭を優しく撫でていた小狐丸は、陽だまりのように優しい笑みを浮かべる。

「教えてあげましょうか」

優しく笑う小狐丸の思考を、彼女は知らない。
彼が、わざと三日月を真似た所作をして、天月から聞かれるのを待ったことも。
鶴子と三日月の信頼関係の強さを示すよう、言葉を選んだことも。
まだ諦めきれていない彼女の想いを、絡め取るように見えない糸を手繰り寄せていることも。
ゆっくり、ゆっくりと。
相手の様子を見ながら、引っかけた糸を寄せていく。

「教えて。それをやる」

涙を拭き取った、赤く腫れた目が真っ直ぐに向けられ、小狐丸の背筋を何かが駆け抜ける。
彼は、あの時見た強い瞳を向けられた喜びに、生唾を飲んだ。
そして、糸を強く引っ張った。

「他の誰かを、好きになればいい」
「…………それ、は……」
「私が協力しましょう。知った以上、放っておけませんから」

できない、と言われる前に彼女の言葉を遮った小狐丸は、彼女の両手を取る。
手が避けられないことに、彼はまた笑みを深くした。
それだけ、彼女の心が弱っているのだと、そして今の時点では自分に心を許している証拠だと確信する。
しかも、自身が向ける好意もさらりと隠した。

「実際に好きになる、とまではいかなくても良いんですよ」
「そう、なの?」
「えぇ。そうですね、まずは私と一緒にいる時間を増やしましょう」
「…………なんで?」
「今まで、ずっと彼のことを考えていたのでしょう? その時間を、少しずつ減らすんです」
「減らせば、諦められるの?」
「急には、無理でしょうけどね」

そう言って、彼女の手を軽く引っ張る。
泣き疲れて力の抜けた体は、簡単にしゃがむ小狐丸へと吸い寄せられる。
彼は、少し前屈みになった天月の頬へ、ちゅっと大袈裟に音を立てて唇を寄せた。
瞬間、ゆでだこのように真っ赤になった彼女に突き放される。

「ちょ!? な、んでこんなっ!」

ガタッ! と大きな音を立てた彼女に、小狐丸は外へ耳を澄ませた。
そろそろ、鶴子が教員を連れて戻ってくるだろうことを計算に入れる。

「ふふ、挨拶ですよ。外国ではね」
「!? ここ、日本なんだけど!」

あたふたする天月の様子を楽しそうに観察していた小狐丸は、彼女が落ち着いてきた頃に一歩また距離を詰めた。
ビクッと身構える彼女に、動物のようだと心の中で笑う小狐丸。
左手で、彼女の右肩に手を置き耳元へ顔を寄せる。

「今日、一緒に帰りましょう。そして、明日は遊びに行きましょう」

小声で低く囁かれた声に、彼女は飛び退いて小狐丸と距離を取る。
これで、今日一日とはいかないまでも、暫くは自分のことを考え続けるであろう天月の様子に、満足気な笑みを浮かべた彼は保健室から静かに退室して行った。



「…………なん、だったの……夢?」

頬を引っ張ったが、痛さに手を離した彼女は、自分の頬がかなり熱いことに気付いた。
彼には、いつも振り回されている。

「………………どう、しよう」

混乱した頭では、考えたいことすら分からない。
処理しきれない頭で、彼女は取り敢えずとフラフラ冷蔵庫を開けてアイスノンを顔に置いた。
その時初めて、彼女は窓から入ってきた稲光にビクリと反応した。

「…………外、雨だったんだ」

混乱した頭のまま、胸を擦る。
痛いままの胸が、ドクドクと脈打っているのを感じて、ぎゅっと制服が皴になる程掴んだ。

(諦め、たい……のかな…………私)

目を閉じると、天月の瞼には鶴子の楽しそうな笑顔が浮かぶだけだった。



保健室での出来事以来、天月は小狐丸に会わない日がなかった。
毎日ではないが、ランチを一緒に食べたり、一緒に帰ったり。
大袈裟なことはなくとも、休憩時間に教室に訪れては、些細な会話を積み重ねた。
また、休日には何度か一緒に遊んでいた。
今まで友達と遊んだ、という経験がない彼女に、小狐丸はゲームセンターやカラオケボックス。他にもショッピングをしたりと、色んな事を彼女に教えた。
彼女がショッピング中に見ていた安物のネックレスは、今彼女の制服に止められたボタンの内側についている。



他愛ない話をして、ふらりと去っていく小狐丸の様子に、クラスメイト達は二人が付き合っているのだと囃し立てた。
周囲だけが勘違いしていくのは、それらの詮索を全て小狐丸がサラリと躱しているからだ。
天月は、大勢から注目されるのが好きではない。
多数から話しかけられたり、寄って来られると未だに彼女は緊張状態となる。
それを知って、小狐丸は彼女に答えさせなかった。
彼女の肩に手を置き、決まって笑顔で返答するのだ。
その姿が、益々周囲の噂を増長させているなど、天月は当然知らなかった。

「では、そろそろチャイムが鳴るので」
「うん」

だが、一週間も経てば天月も、彼には普通に話すことが出来るようになっていた。
醜態を全て見られたという認識が強い彼女にとって、彼は奇特な存在として映っていた。

(私のあんなところを見て、それでも変わらず話してくれるなんて……)

だからこそ、彼に嫌われるという心配をしなくて済むようになったとも言える。
天月は、小狐丸には反論まで言えるようになった。
それは彼女にとって大きな出来事であり、初めてのことでもあったのだが、当然それは本人しか知らないこと。

(変な人……いやいや、好きになるよう努力しなきゃいけないんだっけ)

そう思いながら、教室から出ていく小狐丸の姿を見て、彼女はクスクスと一人笑う。
彼は、二人きりになった時に、毎回保健室で話したことを繰り返した。

「好きになる努力、してますか?」

「三日月は諦めた?」と聞かず、おどけたように聞かれる言葉は、決して彼女を強制しない。負担のかからない言葉だった。
「好きになった?」とも言われないことが、彼女には嬉しかった。
小狐丸のことは、最初の第一印象に比べ随分と彼女の中で変わっていた。
胡散臭いという印象はそのままだが、もっと彼の優しさが分かるようになっていた。


すると、小狐丸の後ろ姿を見て笑う天月をみた鶴子は、「へぇ~」と感心したように小狐丸の背中を見た。

「どうしたの? 鶴子」
「ん? ヒカルが、楽しそうに笑ってるからさ~。やるじゃん、と思って」

なにそれ? とヒカルが小首を傾げると、鶴子は勢い良く立ち上がった。
ガンッ! と椅子に片足を置き、拳を突き上げて叫ぶ。

「小狐丸なんかに、ヒカルはあげないんだから!」

そういう鶴子の言葉に、周囲はどっと笑った。

「姑かよ!」
「なにその気合、おかしいっしょ」
「アンタは三日月でしょー」

周囲の声に、鶴子達は笑い合っている。
その様子に、ヒカルは心臓がまたチクリと痛んだ。

(なんで、嘘ついてる気分になるんだろう……)

別に、彼女は嘘なんかついていない。
それでも、誰かから小狐丸との仲を疑われる度、そしてその仲を周囲が噂する度に、彼女の心臓はシクシクと痛んだ。
小狐丸は、決して嘘は言わなかった。
ただ、二人の仲について何も答えなかっただけ。
それは全て、天月を想ってのことだと、彼女は理解していた。
付き合ってないなら、何故そんなに仲が良いのかと疑われる。


天月は三日月を好きだけど、見込みがないから諦められるように協力している。


そんな事実を言わない為に、彼は答えないでいてくれるのだ。
誰にも言えない思いが、未だに消えていないせいだろうか。
彼女は、まだ乱され続ける心の正体に俯いた。
きっと、今後も噂は広がるのだろう。
もう三日月は、二人の噂を知っているかもしれない。
そう思うと、余計に胸が痛む。

「それは…………やだな……」

小さく、小さく呟かれた彼女の言葉。
それは、下を向いて発せられたものであったが、笑い合っていた鶴子は近くにいた為、その声を拾っていた。
驚き、彼女の方を見た鶴子だったが、俯いたまま顔を上げない姿に、そっとその場は天月から視線を外した。



「え?」

昼休み、珍しく小狐丸が三日月と一緒に食べていた。
それは、小狐丸から彼女が諦めるために一緒にいる時間を増やすと言われてから、初めてのことだった。
必然的に、鶴子達と三日月達が一緒に食べる流れになり、集団は十人を超えている。
そんな中で、小狐丸が提案したのだ。
夏休み前に、遊びたいなと。
当然、皆はその考えに同意し、騒ぎ出した。

「どこ行く?!」
「やっぱ三条ランドじゃね!?」
「あぁ、そういや最近また新アトラクション出来たらしいな!」
「あ、私それ知ってるー! 乗り物に乗って敵を追いかけて倒すシューティングゲームでしょ!?」
「確か、高知城をイメージして作られてるんだよね」
「土佐と言えば、坂本龍馬! だから銃とか?」
「なにそれ、安直すぎー」

和気あいあいと盛り上がる話についていけず、天月は小狐丸を見た。

「どうしたの、急に」

言わず、三日月達と一緒にいる珍しさを指す。
小狐丸は、ニッコリと笑って答えた。

「いつも皆でいるんですから、そろそろ彼等とも仲良くなっても良いのでは?」
「…………それは」
「そのきっかけ作りになれば、と思っただけです。それに、テーマパーク系はまだ一緒に行ってなかったので」

笑みを向けられてしまえば、彼女も答えに詰まる。
彼はいつも、天月のことを考えて色んなことを提案してくれていた。

「……ありがとう、小狐丸」
「いえいえ。向こうでジュース、奢ってくださいね」
「お安い御用よ」

軽口が叩けるほど、彼女と小狐丸の距離は近付いていた。
二人が、小さな声で楽しそうに話す様子を見ていたのは、鶴子だ。
彼女は少し眉を寄せ、ゆっくりと俯くように二人から視線を外した。
すると、そんな鶴子の肩を叩いたのは三日月だった。

「どうした、鶴子」

優しく、落ち着いた声に顔を上げた鶴子は、少し目が潤んでいたが、三日月はそれに気付かない振りをする。
ただ、彼女からの返答を静かに待った。

「…………ううん、ただの自己嫌悪。思うように、うまくいかないよね」
「……あぁ、そうだなぁ」

鶴子の悲し気な顔の中に、無理やり浮かべられた笑顔。
それを見た彼は、柔らかな笑みを返した。
そして、ちらりと鶴子が見ていた二人を視界に入れた彼は、何事もなかったかのように集団の輪へと戻っていった。
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