antonym
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「やーい、やーい。ヒカルのぶぁ〜っか!!」
男児が投げつけた積み木は、女児の後頭部に強打した。
倒れ込んだ女児に向かって、笑いながら男児と周囲の子ども達は笑っていた。
女児は、のろのろと起き上がり後頭部を擦る。
べっとりとついた血を見て、辺りを見回した少女はそこで気付いた。
わたしは、きらわれてる。
年を重ね、学年が幾つあがろうとも、彼女に対するいじめは無くならなかった。
幼稚園から中学までは、私立にでも行かない限り大抵見知った顔が数人いる。
何年経っても、何年経っても彼女は嫌われ続けた。
ただ、彼女は一度も彼等に対してその理由を聞かなかった。
「キモイんだよ」
「えぇー、一緒のグループとか嫌だよぉ」
「誰かペア変わってよ! こんなのと一緒とか無理!」
「あれ? いたんだ。欠席だと思ってたー」
「邪魔」
「消えろよな。こんな嫌われてんのにわかんねぇのかよ」
言われる度、彼女は心を深く深く閉ざしていった。
そうすれば、感情を出して彼等の癪に障ることもない。
諦めと共に、少女は彼等の視界になるべく入らないことをとにかく心掛けた。
教師や親には、彼女は一言も言わなかった。
言うことが恥ずかしいわけではない。
解決してほしかったわけでもない。
これ以上、誰かから嫌われたくない一心だった。
彼女は中学卒業の時、私立を受験した。片道二時間以上かかる、遠い高校だった。
だが、そこで新しい友達を作ろうなんて気は、彼女にはなかった。
いや、消されてしまったのかもしれない。
数々の陰湿ないじめは、何より彼女の自信を喪失させた。
何をしても認められず、貶される。笑われる日々。
それは、彼女が息をすることさえ罪であるように扱われていた。
勿論、彼女とてそれがこの場所だけであることは理解していた。
けれど、彼女にとってはそこが生きていく生活の場所であったし、どんな人であってもきっと自分を見ればこうなる。
そう考えるようになるのに、時間はかからなかった。
(……高校、近くでも良かったのかも)
わざわざ、遠くまで来てその人たちにまで新しく嫌われる必要があったのだろうか。
それこそ、より陰湿ないじめが自分を待っているのかもしれない。
彼女は、そう考え校門前でため息をついた。
自分の考えが浅はかだったと、頭を掻いた。
幼稚園の時の記憶が離れないのか、彼女は自分の考えに反省するとき、決まって頭を掻いた。
(積み木に触ろうとしなければ、こんな人生じゃなかったんだろうか……そんな訳、ないのにね)
どちらにしろ、いずれはこうなっていた。
何をしても周りを苛立たせると彼女は、自分を理解していた。
門前に並ぶ新緑の陰に、吸い込まれるように彼女は足を踏み出した。
足元のコンクリートは、先週散ったはずの桜の花びら一つ落ちていないのを見ながら、下を向いて歩く。
下足までの綺麗な道は、何故か彼女を無性に悲しくさせた。
クラス名簿を見て教室に入った彼女は、日当たり良好の窓際真ん中席。
だが、そこには既に女の子が座っていた。
幾人の女子に囲まれ談笑している姿に、緊張が走る。
そこが自分の席であった場合、声をかけることは憚られた。
何度も、何度も向けられた訝し気に見る眼が、彼女の頭にこびり付いている。
だが、黒板の席順を何度見直し、後ろから前からと数えようとも彼女の席は窓際真ん中席だ。
変えようのない事実に、声をかけられない彼女はトイレにでも行って時間を潰そうと、教室を出ようとした。
すると、一人の男子が彼女の肩を掴んで引き止めた。
掴まれた手に赤いマニキュアが塗られており、彼女は一瞬女子かと勘違いした。
だが、どこか色気のようなものを醸し出す男だと、一歩彼から後退ると、彼は掴んだ手の力を少し強めた。
「ねぇ、アンタここのクラスじゃないの?」
「…………え」
「ずっとウロウロしたり、席順見てたじゃん? 名前は? どこ?」
彼女の腕を引っ張り黒板まで連れてきた男子は、もう一度問うた。名前は? と。
「………………天月」
「席あるじゃん。あ、アイツが間違ってんじゃね?」
声を掛けようとした男子を、彼女は止めた。
「いいの。私どっか行ってるし」
何とか穏便に、何事もなく済ませたい彼女の真意は、男子には伝わらなかった。
「は? 自分の席に荷物置いてから行けばいいじゃん? 何言ってんの? おい、アンタそこの席じゃないよ」
そう言って、彼は女子の集団に声を掛けてしまった。
彼女はその時、まるで死刑場に立たされた囚人の気分になった。
一斉に視線が男子に集まると同時に、自分へも多くの目が向けられているのがわかったからだ。
ギロチンが、一刻も早く自分に落ちてきて裁きを下してほしい気持ちだった。
気を失いたい、ここからいなくなりたい。
もうこの場に居たくない。
そう思った矢先、座っていた女子と目が合った。
「あ、ごめん! 間違えてたんだね、私!」
そう言って、女子は素早く荷物を一つ前の席に移動させる。
どうやら、彼女が一つずれていたようだったが、天月にとってはそんなことどうでも良かった。
周りから見られている視線が、痛すぎて針の筵にいる気分だ。
女子たちの元にいる余計なことをしてくれた男子も、前にずれてくれた可愛い彼女も、天月を見ている。
見られている。
それは訝し気な視線でないにしても、彼女にとってはそう思えなかった。
誰かに見られることと、自分が悪いということが、彼女の中ではイコール関係だからだ。
カバンを持つ手が、震える。
一生懸命、力を入れて彼女はカバンを握った。
「もう席空けたよー」
「鶴子ってば、相変わらずドジだよねぇ」
「ってか、言ってくれればすぐ退いたのに」
「アンタは同じクラスなの?」
「あぁ、俺? 加州。あっちの席なんだよ」
「私ら三中から来たの。加州は?」
「校区同じじゃね? 俺は新中。あっちの安定とね」
彼女が死刑場に立っている間にも、彼等はどんどん会話を進めていく。
今なら、もう皆彼女に関心などないかもしれない。
そう思い、少し安堵した彼女は未だ鉛のように重くなった足を引き摺って席についた。
なるべく音を立てないように、静かに。
死刑場でなく、牢屋からこっそり脱走する脱獄犯の如く静かに、だ。
しかし、座った瞬間楽しそうに笑っていた前の席の女子が勢いよく振り返ってきた。
ビクッと分かりやすく驚いた様子に、嬉しそうに笑う女子は天月の机に両肘を置いてぐいっと距離を詰めた。
「私、鶴子。よろしくね」
人受けの良い笑みに、彼女も思わずつられて笑った。
だが、笑うなんて機会が滅多になくなってしまっていた為、口角が少し引きつった。
それが自分で分かり、彼女はカッと顔が赤くなる。
慌てて下を向き、顔を隠した。
(普段しないこと、したから……どうしよう、変に思われた。嫌われた。恥ずかしい)
だが、彼等は誰もそれに対して天月をからかったりしなかった。
「天月、ヒカルちゃん、ね」
黒板に書かれた通り机に出していた生徒手帳を取られ、名を呼ばれる。
何年振りに呼ばれたかわからない名前に、まるで他人事のように彼女は生徒手帳を見る鶴子を見つめていた。
「ヒカルって、どこから来てるの? チャリ通? 電車?」
「え、あ…………電車」
「そうなんだ、私チャリなの」
「鶴子は、毎朝新聞配達した足でチャリで来るのよ」
「ほんと無駄に馬鹿体力」
「おかげで、部活全力でやってもその後カラオケする元気あるんだから!」
自慢気な鶴子に、周囲は笑っている。
彼女は別格だ。そう天月は思い、彼女を見た。
「いや、そんな元気いらないし」
「バイト授業部活カラオケ、でしょ? 私だったらそんなハードスケジュール嫌よ。バイトとカラオケで精一杯」
「皆元気足りないんじゃない? 分けてあげようか?」
「お金なら分けてくれてもいーよ?」
「だーめ」
既に着崩された制服だが、キッチリとアイロンがかかっている。
どこにも力んだ様子はなく、周囲を楽しい意味で笑わせる力のある人だと、天月は目を細めた。
(私が、一生かかってもなれない。素敵な人だな)
気付けばクラス中を巻き込み、教卓に立った鶴子は黒板消しをマイクに見立てて熱唱している。
鶴子の友人が、有名歌手の音源を流しているようだった。
そんな様子をぼうーっと眺めながら、彼女は鶴子から視線が外せないことに気付いた。
クラスは、ほとんどが知らない他人ばかりのはずだった。
なのに、今では他のクラスからも生徒が扉に集まり、皆で歌に合わせて手拍子をしている。
何人かはサビになると、鶴子と共に歌いコーラスまで披露している。
この環境を、空気を、鶴子が作っているのだ。
それは、天月が持っていない力であり、羨ましいものであった。
人を惹きつける魅力。それは、嫌われ者である自分さえ引き寄せてしまうのだと彼女は感じていた。
余りにもその様子がキラキラと輝いて見えて、彼女は泣きたくなった。
(私が生きてきたのって、何の意味があったんだろう…………こんな素敵な人がいる中で、私が生きる意味ってあるのかな)
這いずって生きてきた自分の泥まみれの見た目も、性格も、全てが嫌いだ。
誰にも好かれない自分を、紛れもなく本人が一番自分を憎く、嫌っていた。
入学式、ホームルームが終わり昼食の時間。
私立なだけあって、入学式早々にテストがある。
英国数の三科目だが、中学時代の知識をどれだけ覚えているか確認するためのものだ。
自分の席でお弁当を広げようとした天月の手が、不意に鶴子に掴まれた。
「弁当? 学食行こうよ」
「え、いや、あの…………」
「せっかく上級生いないんだし、学食使い放題なんて今日しかないよ!」
既に鶴子の友人たちは廊下に出て、鶴子を待っているのが見えた天月は首を大きく横に振った。
「私、お弁当だし……」
自分は一人でいい。一人がいい。
鶴子たちと一緒に行動して、他人から浮いていると指をさされることも、鶴子たちから嫌われるのも嫌だった。
「学食で食べれば問題なし! もったいないよ!」
鶴子に力強く引っ張られた天月は、そのまま学食へと連れられて行った。
上級生がいない、というのは本当だったらしく学食はガラガラだった。
入学式は、式に参加する生徒会や部活生しか出てこないらしかった。
鶴子たちから少し後ろを一人で歩いていた天月は、学食を見渡している中で一人の男子と目が合った。
瞬間、彼女はぐらりと何かが揺れた気がした。
思わず掴んだ胸元の制服が、ぐしゃりと歪むが特に自分に変わった様子がないことを確認する。
彼と目が合っただけで、天月にとってはとんでもない衝撃だったのだろう。
まだ目があったままの男子は、次元が違う。そう感じさせた。
容姿が良いとか、そんなレベルではなかった。
内から滲み出るものが周りの生徒とは、格が違うのだ。
彼の周りだけ空気の流れが違う。
彼の優美さがそう見せるのか、それとも動作の一つ一つが洗練されているからなのか。
はたまた、彼の姿勢の良さがそう見せるのか。
瞬き一つさえ、綺麗だと天月は見惚れた。
漸く視線を外せたのは、鶴子の明るい声だった。
「宗近っ!」
そう言って鶴子が、天月と目が合った男子の元へ駆けて行く。
二人の姿は、それはもうお似合いで、壮美で洗練された絵画のように美しく見えた。
鶴子の友人の一人が、彼女へ耳打ちする。
「あのイケメン、鶴子が中学から片思いしてんの」
内緒ね、そう告げられた言葉と共に天月はぎこちない動きで頷く。
衝撃ではない、そう天月は自身を納得させる。
お似合いの二人だと思ったのだから、それは当然のことだろうと。
もう一度二人を視界に入れたとき、天月はぎゅうっと心臓が締め付けられた。
(………………いいな。苦しいな)
自分が何に苦しいと思ったのか、彼女はまだ知らない。
男児が投げつけた積み木は、女児の後頭部に強打した。
倒れ込んだ女児に向かって、笑いながら男児と周囲の子ども達は笑っていた。
女児は、のろのろと起き上がり後頭部を擦る。
べっとりとついた血を見て、辺りを見回した少女はそこで気付いた。
わたしは、きらわれてる。
年を重ね、学年が幾つあがろうとも、彼女に対するいじめは無くならなかった。
幼稚園から中学までは、私立にでも行かない限り大抵見知った顔が数人いる。
何年経っても、何年経っても彼女は嫌われ続けた。
ただ、彼女は一度も彼等に対してその理由を聞かなかった。
「キモイんだよ」
「えぇー、一緒のグループとか嫌だよぉ」
「誰かペア変わってよ! こんなのと一緒とか無理!」
「あれ? いたんだ。欠席だと思ってたー」
「邪魔」
「消えろよな。こんな嫌われてんのにわかんねぇのかよ」
言われる度、彼女は心を深く深く閉ざしていった。
そうすれば、感情を出して彼等の癪に障ることもない。
諦めと共に、少女は彼等の視界になるべく入らないことをとにかく心掛けた。
教師や親には、彼女は一言も言わなかった。
言うことが恥ずかしいわけではない。
解決してほしかったわけでもない。
これ以上、誰かから嫌われたくない一心だった。
彼女は中学卒業の時、私立を受験した。片道二時間以上かかる、遠い高校だった。
だが、そこで新しい友達を作ろうなんて気は、彼女にはなかった。
いや、消されてしまったのかもしれない。
数々の陰湿ないじめは、何より彼女の自信を喪失させた。
何をしても認められず、貶される。笑われる日々。
それは、彼女が息をすることさえ罪であるように扱われていた。
勿論、彼女とてそれがこの場所だけであることは理解していた。
けれど、彼女にとってはそこが生きていく生活の場所であったし、どんな人であってもきっと自分を見ればこうなる。
そう考えるようになるのに、時間はかからなかった。
(……高校、近くでも良かったのかも)
わざわざ、遠くまで来てその人たちにまで新しく嫌われる必要があったのだろうか。
それこそ、より陰湿ないじめが自分を待っているのかもしれない。
彼女は、そう考え校門前でため息をついた。
自分の考えが浅はかだったと、頭を掻いた。
幼稚園の時の記憶が離れないのか、彼女は自分の考えに反省するとき、決まって頭を掻いた。
(積み木に触ろうとしなければ、こんな人生じゃなかったんだろうか……そんな訳、ないのにね)
どちらにしろ、いずれはこうなっていた。
何をしても周りを苛立たせると彼女は、自分を理解していた。
門前に並ぶ新緑の陰に、吸い込まれるように彼女は足を踏み出した。
足元のコンクリートは、先週散ったはずの桜の花びら一つ落ちていないのを見ながら、下を向いて歩く。
下足までの綺麗な道は、何故か彼女を無性に悲しくさせた。
クラス名簿を見て教室に入った彼女は、日当たり良好の窓際真ん中席。
だが、そこには既に女の子が座っていた。
幾人の女子に囲まれ談笑している姿に、緊張が走る。
そこが自分の席であった場合、声をかけることは憚られた。
何度も、何度も向けられた訝し気に見る眼が、彼女の頭にこびり付いている。
だが、黒板の席順を何度見直し、後ろから前からと数えようとも彼女の席は窓際真ん中席だ。
変えようのない事実に、声をかけられない彼女はトイレにでも行って時間を潰そうと、教室を出ようとした。
すると、一人の男子が彼女の肩を掴んで引き止めた。
掴まれた手に赤いマニキュアが塗られており、彼女は一瞬女子かと勘違いした。
だが、どこか色気のようなものを醸し出す男だと、一歩彼から後退ると、彼は掴んだ手の力を少し強めた。
「ねぇ、アンタここのクラスじゃないの?」
「…………え」
「ずっとウロウロしたり、席順見てたじゃん? 名前は? どこ?」
彼女の腕を引っ張り黒板まで連れてきた男子は、もう一度問うた。名前は? と。
「………………天月」
「席あるじゃん。あ、アイツが間違ってんじゃね?」
声を掛けようとした男子を、彼女は止めた。
「いいの。私どっか行ってるし」
何とか穏便に、何事もなく済ませたい彼女の真意は、男子には伝わらなかった。
「は? 自分の席に荷物置いてから行けばいいじゃん? 何言ってんの? おい、アンタそこの席じゃないよ」
そう言って、彼は女子の集団に声を掛けてしまった。
彼女はその時、まるで死刑場に立たされた囚人の気分になった。
一斉に視線が男子に集まると同時に、自分へも多くの目が向けられているのがわかったからだ。
ギロチンが、一刻も早く自分に落ちてきて裁きを下してほしい気持ちだった。
気を失いたい、ここからいなくなりたい。
もうこの場に居たくない。
そう思った矢先、座っていた女子と目が合った。
「あ、ごめん! 間違えてたんだね、私!」
そう言って、女子は素早く荷物を一つ前の席に移動させる。
どうやら、彼女が一つずれていたようだったが、天月にとってはそんなことどうでも良かった。
周りから見られている視線が、痛すぎて針の筵にいる気分だ。
女子たちの元にいる余計なことをしてくれた男子も、前にずれてくれた可愛い彼女も、天月を見ている。
見られている。
それは訝し気な視線でないにしても、彼女にとってはそう思えなかった。
誰かに見られることと、自分が悪いということが、彼女の中ではイコール関係だからだ。
カバンを持つ手が、震える。
一生懸命、力を入れて彼女はカバンを握った。
「もう席空けたよー」
「鶴子ってば、相変わらずドジだよねぇ」
「ってか、言ってくれればすぐ退いたのに」
「アンタは同じクラスなの?」
「あぁ、俺? 加州。あっちの席なんだよ」
「私ら三中から来たの。加州は?」
「校区同じじゃね? 俺は新中。あっちの安定とね」
彼女が死刑場に立っている間にも、彼等はどんどん会話を進めていく。
今なら、もう皆彼女に関心などないかもしれない。
そう思い、少し安堵した彼女は未だ鉛のように重くなった足を引き摺って席についた。
なるべく音を立てないように、静かに。
死刑場でなく、牢屋からこっそり脱走する脱獄犯の如く静かに、だ。
しかし、座った瞬間楽しそうに笑っていた前の席の女子が勢いよく振り返ってきた。
ビクッと分かりやすく驚いた様子に、嬉しそうに笑う女子は天月の机に両肘を置いてぐいっと距離を詰めた。
「私、鶴子。よろしくね」
人受けの良い笑みに、彼女も思わずつられて笑った。
だが、笑うなんて機会が滅多になくなってしまっていた為、口角が少し引きつった。
それが自分で分かり、彼女はカッと顔が赤くなる。
慌てて下を向き、顔を隠した。
(普段しないこと、したから……どうしよう、変に思われた。嫌われた。恥ずかしい)
だが、彼等は誰もそれに対して天月をからかったりしなかった。
「天月、ヒカルちゃん、ね」
黒板に書かれた通り机に出していた生徒手帳を取られ、名を呼ばれる。
何年振りに呼ばれたかわからない名前に、まるで他人事のように彼女は生徒手帳を見る鶴子を見つめていた。
「ヒカルって、どこから来てるの? チャリ通? 電車?」
「え、あ…………電車」
「そうなんだ、私チャリなの」
「鶴子は、毎朝新聞配達した足でチャリで来るのよ」
「ほんと無駄に馬鹿体力」
「おかげで、部活全力でやってもその後カラオケする元気あるんだから!」
自慢気な鶴子に、周囲は笑っている。
彼女は別格だ。そう天月は思い、彼女を見た。
「いや、そんな元気いらないし」
「バイト授業部活カラオケ、でしょ? 私だったらそんなハードスケジュール嫌よ。バイトとカラオケで精一杯」
「皆元気足りないんじゃない? 分けてあげようか?」
「お金なら分けてくれてもいーよ?」
「だーめ」
既に着崩された制服だが、キッチリとアイロンがかかっている。
どこにも力んだ様子はなく、周囲を楽しい意味で笑わせる力のある人だと、天月は目を細めた。
(私が、一生かかってもなれない。素敵な人だな)
気付けばクラス中を巻き込み、教卓に立った鶴子は黒板消しをマイクに見立てて熱唱している。
鶴子の友人が、有名歌手の音源を流しているようだった。
そんな様子をぼうーっと眺めながら、彼女は鶴子から視線が外せないことに気付いた。
クラスは、ほとんどが知らない他人ばかりのはずだった。
なのに、今では他のクラスからも生徒が扉に集まり、皆で歌に合わせて手拍子をしている。
何人かはサビになると、鶴子と共に歌いコーラスまで披露している。
この環境を、空気を、鶴子が作っているのだ。
それは、天月が持っていない力であり、羨ましいものであった。
人を惹きつける魅力。それは、嫌われ者である自分さえ引き寄せてしまうのだと彼女は感じていた。
余りにもその様子がキラキラと輝いて見えて、彼女は泣きたくなった。
(私が生きてきたのって、何の意味があったんだろう…………こんな素敵な人がいる中で、私が生きる意味ってあるのかな)
這いずって生きてきた自分の泥まみれの見た目も、性格も、全てが嫌いだ。
誰にも好かれない自分を、紛れもなく本人が一番自分を憎く、嫌っていた。
入学式、ホームルームが終わり昼食の時間。
私立なだけあって、入学式早々にテストがある。
英国数の三科目だが、中学時代の知識をどれだけ覚えているか確認するためのものだ。
自分の席でお弁当を広げようとした天月の手が、不意に鶴子に掴まれた。
「弁当? 学食行こうよ」
「え、いや、あの…………」
「せっかく上級生いないんだし、学食使い放題なんて今日しかないよ!」
既に鶴子の友人たちは廊下に出て、鶴子を待っているのが見えた天月は首を大きく横に振った。
「私、お弁当だし……」
自分は一人でいい。一人がいい。
鶴子たちと一緒に行動して、他人から浮いていると指をさされることも、鶴子たちから嫌われるのも嫌だった。
「学食で食べれば問題なし! もったいないよ!」
鶴子に力強く引っ張られた天月は、そのまま学食へと連れられて行った。
上級生がいない、というのは本当だったらしく学食はガラガラだった。
入学式は、式に参加する生徒会や部活生しか出てこないらしかった。
鶴子たちから少し後ろを一人で歩いていた天月は、学食を見渡している中で一人の男子と目が合った。
瞬間、彼女はぐらりと何かが揺れた気がした。
思わず掴んだ胸元の制服が、ぐしゃりと歪むが特に自分に変わった様子がないことを確認する。
彼と目が合っただけで、天月にとってはとんでもない衝撃だったのだろう。
まだ目があったままの男子は、次元が違う。そう感じさせた。
容姿が良いとか、そんなレベルではなかった。
内から滲み出るものが周りの生徒とは、格が違うのだ。
彼の周りだけ空気の流れが違う。
彼の優美さがそう見せるのか、それとも動作の一つ一つが洗練されているからなのか。
はたまた、彼の姿勢の良さがそう見せるのか。
瞬き一つさえ、綺麗だと天月は見惚れた。
漸く視線を外せたのは、鶴子の明るい声だった。
「宗近っ!」
そう言って鶴子が、天月と目が合った男子の元へ駆けて行く。
二人の姿は、それはもうお似合いで、壮美で洗練された絵画のように美しく見えた。
鶴子の友人の一人が、彼女へ耳打ちする。
「あのイケメン、鶴子が中学から片思いしてんの」
内緒ね、そう告げられた言葉と共に天月はぎこちない動きで頷く。
衝撃ではない、そう天月は自身を納得させる。
お似合いの二人だと思ったのだから、それは当然のことだろうと。
もう一度二人を視界に入れたとき、天月はぎゅうっと心臓が締め付けられた。
(………………いいな。苦しいな)
自分が何に苦しいと思ったのか、彼女はまだ知らない。
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