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「ふぃ~、疲れた・・・」
廊下の真ん中で、箒にもたれかかってヒカルは呟いた。
朝食を取り終えて、いつも通りに掃除を始めていたのだ。
あともう少しで、お昼の時間である。
ヒカルは、この廊下掃除を終えたら次の階からお昼は掃除開始だなぁ、と考えつつも再び床を掃除し始めた。
ルベリエから特別任務を与えると言われたヒカルだが、あれから三時間は経ったのに、コムイから何も言われない。
先ほども、ヒカルはコムイと会ったのだが普通に、「掃除頑張ってるねぇ、後で僕の部屋もやってもらおうかなぁ」などと、言っていたぐらいで、他には何も言っていなかった。
もちろんヒカルは、コムイの部屋を掃除する気は全くない。
あの汚い部屋を掃除しようと思うと一日がかりになることは、教団内にいる誰もが知っていることだ。
掃除の手を止めていたヒカルは、ふと思った。
(ルベリエ長官・・・なんでエクソシストじゃないあたしを)
そもそも、ヒカルは体内にイノセンスを持ってはいるが、適合するかどうかもわからない。
手の付けようのない、教団側から見れば厄介者だと思われていても仕方ないようなものだ。
それでも彼はエクソシストでもないヒカルを、エクソシストであるアレンや神田と共に、特別任務に出そうと言うのだ。
それは、AKUMAにとっても伯爵にとっても、イノセンスを潰す機会が増えるということに繋がる。
教団側は、イノセンスを一つでも多く回収し、エクソシストを増やし、ハートのイノセンスを守りつつもAKUMAと伯爵を倒さなければならない。
なのに、彼はイノセンスを持ったヒカルをわざわざ危険に晒そうとする。
その意図が、ヒカルにはさっぱりわからなかった。
疑問は尽きることはないけれど、ともかく彼女は廊下の掃除をひと段落させて、食堂へ向かった。
しかし、廊下を歩いている途中でアレンと神田に出会った。
「あれ?二人が並んで歩いてるの珍しいね?」
「歩いてません。走ってます」
「細かいツッコミを入れられても困るけれど」
「お前、コムイから連絡あったか?」
「え?なにもないけど、何かあったの?」
「・・・・・・・いいから来い」
ヒカルは半ば強制的にアレンと神田と共にコムイのいる室長室へと向かうことになった。
(あぁ、あたしの昼食が・・・・)
さらに残念なことに、ヒカルが彼等二人の足の速さで走れるわけもなく、結局彼女が室長室に辿り着くのには、かなりの時間がかかったのだが。
ヒカルが辿り着くと、コムイはふぅと一息吐いた。
「ようやく来たね。ヒカルちゃん」
「す、すいません・・・・走るの遅くて」
「迷惑だ」
「仕方ないですよ。ヒカルですから」
「確かに」
「ちょっと!聞こえてるんですけど!!」
まぁまぁ、とコムイがヒカルを宥め、そのついでに三人には資料が渡された。
「え、コムイさん・・・これって」
「そ、三人で任務に言ってもらうよ」
「で、でも!コムイさん、あたしは「エクソシストじゃない」」
「・・・・・・そうです(行きたくないです)」
先にコムイに言われてしまい、思わずヒカルが下を向いてしまうと、彼は席を立ちヒカルの前に立ち手に持っていたものをヒカルに渡した。
何かとヒカルが顔を上げてそれを受け取ると、それはアレンや神田たちが着ているエクソシスト専用のローブだった。
「これは、君専用だよ」
コムイは、新品で袋に包まれているそれを取り出して、広げて見せた。
アレンと神田が着ている服と、全く同じように見える。だが、コムイはにこりと笑った。そして、そっとローブの胸元を指差した。
そこには、教団のマークであるローズクロスがなかった。
「これ・・・・・」
「そう、君はエクソシストじゃないからね。でも、なるかもしれない」
エクソシストになったら、ローズクロスをここにつけてあげるよ、とコムイは言った
。
「君には、これから三つの任務をやってもらうよ。その三つの任務が終わるまでに、君の中にあるイノセンスと適合すること。それが出来なければ、君の中のイノセンスは摘出させてもらう。いいね?」
三つの任務は、それぞれヒカルが一つの任務を完了してから次の任務へ移っていく。任務内容は、任務開始まで知らされることはない。
これは、ルベリエが出していた提案とはだいぶ異なるけれど、それはコムイなりの配慮だった。
だが、それをヒカルが知ることはない。
「嫌です。あたし、狙われてるんですよ!?ここから出たら絶対殺されますっ!」
「でも、イノセンスとシンクロ出来たら戦えるようになる。そうなれば、君は殺されない」
「エクソシストだって死にます!」
「じゃあ、このままここでじっと戦いが終わるまで引きこもるかい?」
「そうしたいから言ってるんですけど」
コムイは、真っ直ぐにヒカルを見つめている。
ヒカルは、その視線から逃げるように下を向く。
(死にたくないって、言ってるのに・・・・あたし、我侭みたいじゃん。あたしは、悪くないのに)
ヒカルが外を怖がるのは、伯爵やロードにゲームとして連れてこられたから。
間違いなく優先順位はエクソシストよりも、その辺にあるイノセンスよりもヒカルになることはわかりきっていた。
だからこそヒカルは、ほかにも標的とされているここなら、伯爵と戦っているこの教団なら、自分をきっと保護してくれると思ったからこそ、ここに来たのだ。
それなのに、今の状況はどうだ。
ヒカルにとって、どんどん予測していない方へと話が進んでしまっている。
「長官から言われていることはつ。一つ目は、君がエクソシストになれないようならイノセンスは彼女から回収せよ。二つ目は、期間を設けてその期間中に適合すること」
三つ目、それはヒカルがエクソシストになれないのなら、彼女からイノセンスを回収した後、彼女は教団の保護対象から外されるということ。
これを聞いて、ヒカルは顔を青くした。
「それって、あたしがエクソシストになれないなら用なしってこと!?なにそれ!酷すぎる!!」
「僕らは遊びで戦っているわけじゃない。イノセンスを伯爵より早く回収して、彼等の終焉を未然に防ぐことが僕らのするべきことだ」
人類を守っているわけであり、一個人を守っていたのではきりがない。
一人一人を守ることは、できないんだ。
そうコムイに言われ、ヒカルは愕然とした。
これで、ヒカルは完全にエクソシストにならなくてはいけなくなった。
自分の世界に帰るためには、ロードと伯爵により勝手に参加させられたこのゲームの最後を見届けなくてはならないのだ。
こんなところで、イノセンスという自分を守ってくれるかもしれない盾も、教団という大きな盾も失ってしまっては、ヒカルは確実に彼等に殺されてゲームオーバーになってしまう。
ヒカルは、ぐっと力を入れた。
(ルベリエ長官も、コムイさんも・・・・・教団は、状況によってはあたしの味方じゃなくなるってことね)
「わかりました、やります」
(あたしの世界に帰るためには、やるしかない)
ヒカルのしっかりとした意思を感じたコムイは、一度頷いた。
「うん……じゃあ、任務の説明をするね」
コムイは、デスクに広がる様々な資料の上に大きな地図を広げた。
今回の任務先は、フランス。
そこで起きた奇怪な事件は、一つのネックレスが原因だという。
そのネックレスは、小さい子どもが作ったらしいのだが、それは精巧に作られていた。
それを、子どもは母親にプレゼントしようとしたのだが、その子はその日に交通事故で亡くなってしまった。
その母も、その事件があってから行方不明となり、そのネックレスだけが何故か市場を出回っているのだが、それをつけた者は、一日と経たない内に消えてしまうのだという。
まさに奇怪な状況に、ヒカルは身体を震わせた。
「それって、呪いのネックレスじゃないの・・・・・」
「おー、上手いこというね、ヒカルちゃん!」
「いや、嬉しくないですけど・・・」
「いやいや、なかなかのお手前で」
「だから、嬉しくないですってば!」
「とにかく、行きましょう」
ヒカルとコムイの会話を、強制的にアレンは終了させた。
「AKUMAか、イノセンスの奇怪か、どちらかだな」
神田は、室長室のドアを開けて、もう行く気満々のようで、コムイはふっと笑った。
「あ、そうそうアレン君と神田君は残ってね。その間に、ヒカルちゃんはそのローブに着替えておいで?」
首を傾げる三人を、コムイはさぁさぁと急かしてヒカルを室長室から追い出した。
「なんなんだろう・・・・」
ヒカルは廊下を歩きながら、ぎゅっとローブを抱きしめた。
(絶対に、教団を味方にしてやる!)
残された神田とアレンに、コムイは苦笑した。
「そんな睨まないでよ。ボクだってこれでも精一杯彼女を応援してるし、何とかしてあげたいと考えてるんだ」
「「…………」」
「君たちは、ボクより彼女に過保護だね」
そう小さく零したコムイの言葉に、二人は反論しなかった。
「????で?」
神田は、コムイの言葉に反応せず今ここに残された理由を問うた。
「うん。君達二人には、なんとしてもヒカルちゃんを守ってもらう。それが今回の君達の任務だと思ってくれて構わない」
室長室に残されたアレンと神田は、コムイの話を聞き、思わず目を見開いた。
「イノセンスの回収や、AKUMA退治ではなく、ですか?」
「ヒカルちゃんは、以前伯爵やAKUMAに狙われていると言った。それが、どういう訳なのかはわからないけれど、彼女だってイノセンスを持っている。イノセンスの回収は二の次にして、彼女を守って欲しい」
「ハートの可能性がある、ってことか」
コムイはにこっと笑う。
「AKUMAはおそらくヒカルちゃんを狙ってくるだろう。それを君達二人は全力で阻止する」
「だったら、ヒカルを任務に行かせる必要はあるんですか?ヒカルが行かなければ、この任務は一人でも十分出来るものですよ」
「ヒカルちゃんのイノセンスが、彼女に適合するかどうかの瀬戸際なんだ。このことは、長官が決めたことだ。頼んだよ」
((試されてるってことか・・・))
二人はコムイの苦しそうな顔を見て、何も言えなくなった。
彼だって、本当はヒカルを外に出して危険に晒してしまうようなことはしたくない。
わかっていても、そうせざるを得ない理由があるのだ。
「お待たせしましたー!」
タイミングよく現れたヒカルを、三人はじっと見た。
そして、三人は一斉にため息を吐いた。
「なんですか、そのため息は。すっごい腹立つんですけど」
ヒカルの嫌そうな顔に、コムイとアレンは話を変えるようにローブがヒカルに似合っているとしきりに言い、神田はさっさと室長室から出て行ってしまった。
「じゃ、行きましょうかヒカル」
「よろしく!」
彼等は、一歩を踏み出した。
一歩、踏み出したつもりだった。
これから、どんな困難が待っているのかとか意気込みももうバッチリだったよ。
けどさ、これは無理。ムリムリムリ。
「行きますよ、ヒカル」
「いやああああああああああああああ!!」
列車に飛び乗ることはなかった。だが、列車から飛び降りた。
神田とアレンと三人でフランスまで列車で行くことになっていた。
そして、そこでファインダーの人と合流する手筈になっていた。
だけど、三人とも見事に寝過ごしてしまったのだ。
乗るのは時間通りだったから、漫画のような飛び込み乗車をしないで済んで、
「あぁ、良かった~」
とか思って油断するんじゃなかった。
飛び降りるのもすっごい怖い。半端じゃないこの恐怖は、もう二度と味わってたまるかと本気で思った。
最初にロードと伯爵に会ったときの、あの落ち方も怖いと思ったけれど、これはその上を行く。
ジェットコースターや、急流すべりがまるで幼稚園児の乗り物のように感じられる。
これが、ほんとの恐怖体験!
スピード感は、本当に列車に乗っているためそのスピードがそのまま味わえるという物凄い臨場感。
そして、驚きなのが、列車から降りる地上までは短い距離のはずが、横に飛んでいくのだ。
飛び出した瞬間に列車の進む方向とは逆にありえないほどの風が吹き荒れており、髪が暴れるし、アレンに抱えてもらっているというのに、宙に浮いたまま横にすーっと臓器が喉下に集中するような、そんな気持ち悪い感覚があたしを支配してしまったのだ。
(あぁ、いっそ気を失いたい)
無事に土を自分の足で踏みしめられたことが、奇跡だと思ったし、なんて自分は幸せなんだと思わず涙が出そうになったヒカルだが、アレンと神田がスタスタと進んでいってしまったため、涙は止まってしまった。
二人に追いつくために小走りで駅を抜けると、そこは確かにあたしの知らない町が広がっていた。
「うわあ!なんか、これぞまさにフランス!って感じ」
「何言ってんだ、お前」
「呪われたネックレスは、一体今どこにあるんでしょう?」
「それは、私がご案内いたします」
あたし達の前に突然現れたのは、ファインダーの人だった。
彼は、あたし達の到着をずっと待っていたらしい。
まずは、宿泊先に行き荷物を置いてから、ネックレスの場所へと案内してもらうことになった。
歩くことおよそ十分、あたし達はこの辺で一番有名なホテルにやってきた。
「すっごーい!」
「こちらなんですけど・・・その、大変申し上げにくいのですが」
ファインダーの人は、こちらをちらちらと見る。あれ?あたしのこと、知らない人かな?
「あ、あたしは天月ヒカルです。初めまして、遅くなっちゃいましたけど」
「そ、それは存じております。ですが、その・・・貴方はローズクロスをお持ちでないので」
「あぁ、胸についてるローズクロスね。これ、あたしはエクソシストじゃないから貰えないんだ~」
あははー、と笑って言えば、あたし以外の三人が非常に残念そうな目であたしを見てきた。
「なに、その目は」
「ヒカル、非常に残念なお話ですね。頑張ってください」
「・・・後でここに来い」
二人は、スタスタとホテルの中へと入っていった。意味が分からなくて、あたしも入ろうと足を進めると、ファインダーの人に止められた。
「申し上げにくいことですが、言わせていただきます」
「?」
「天月様は、こちらのホテルにお泊りいただくことが出来ません」
「そうなんだ!・・・・・・・って、まじですか?」
「申し訳ありません。何しろ、ローズクロスがないものですから・・・そこの隣の宿泊施設を借りていますので、そちらの一室にてお願いいたします」
そう言って、彼が指した先は本当に庶民的な家のような宿泊施設。
勿論、贅沢を言うつもりはなかったが、なんでよりにもよってあの二人が豪華な部屋に泊まれて、女のあたしがこっちなのか。
疑問は尽きないけれど、これもあたしがエクソシストになればサッパリ解決されることだ。
あたしは、さらにエクソシストにならなければならないという意思が強くなった。
部屋に荷物を置いて、先ほどの待ち合わせ場所に着くと、三人はもう着いていて早速呪いのネックレスが飾られているという美術館へと向かった。
そこは、今は既に廃墟と化しているそうだが、ネックレスの呪いが怖くて誰も近付くことが出来ないのだという。
「あたしも行きたくないもんな~」
「大丈夫です、いざというときはヒカルを盾にして逃げます」
「なんで!あたし、一般人!!」
あたしが怒鳴ってアレンを怒ると、神田先生からあたしが怒られた。
「黙れ」
「先生は、いっつも冷たいよねぇ」
「神田は、そういえば先生でしたよね向こうで。なんだか懐かしいです」
「あたしにとっては、ほんとに最近の出来事なんだけど」
「そうやって呼ぶな。前に言わなかったか?」
「あぁ、神田さん。目つきがすごいことになってます~こわいこわい」
「なんなら、今ここでお前を殺してやってもいいんだぜ?そしたら、AKUMAから狙われる心配もないしな」
そういって、先生が剣を腰から引き抜いたものだから、あたしは思わずアレンの背中に隠れた。
「神田、弱い者いじめしちゃ駄目ですよ」
「そうだそうだ!もっといってやれアレン!!」
「丁度良い。てめぇも斬ってやるよ、モヤシ」
「アレンです。斬られるのはご免ですね。まぁ、僕はそんなに短気じゃないので、神田のそんな言葉にも怒ったりしませんけど」
「あぁ?今何か言ったか」
「もう一度言った方がいいですか?神田の耳の遠さには驚きますね」
「あ、あの・・・・・二人とも?」
「「黙れ」」
「あ、着きました。ここですよ」
二人の険悪なムードと、あたしの言葉も全てをスルーして、ファインダーさんは辿り着いた美術館を指差した。
思わずそちらを見ると、絶句した。
(とってもすっごくお化け屋敷!!)
「いーやーだー!!!お化け屋敷なんて行きたくないー!」
「仕方ないじゃないですか、ほら早くしてください」
この世の終わりのような有り得ないヒカルの顔に、神田やアレンはともかく、ファインダーの人までもが一歩下がった。
「なによ、悪かったわね。不細工な顔で!」
ヒカルは諦めたのか、先陣を切って美術館へと入っていった。
ギギギッ
重たくて古い扉の開く音が響く。
中は、廃墟になったといっても美術館の品々がまだ数点残っていた。
「どうやら、他に回らなかった作品たちの捨て場所にもなっているらしいな」
神田が、足でその辺にある額に入った絵を軽く蹴った。
がたっという音に、一番前を歩いていたヒカルはびくぅっ!と身体を震わせて神田に怒鳴った。
「ちょっと!びっくりするから!緊張してるんだから、そういうことしないで!!」
「黙ってると思ったら、ビビッてんのか」
「そうよ・・・・・そうよ、そうよ、そうですよ!ビビって悪いかこのヤロー!!!」
「黙れ、うるさい」
しゅん、と縮こまって本当に怖くなってきたのか、彼女の進む一歩が短く短くなっていき、やがて足が止まってしまった。
(うそ・・・・・ほんとに、怖い・・・怖すぎて、声・・・・・出ないっ)
そんなヒカルに気付いた三人は、ため息と苦笑いとが混じり、アレンが声をかけた。
「大丈夫ですよ、ヒカル。こういう時に現れるのはAKUMAです。幽霊なんてものは現れませんから、安心してください」
「・・・・・・それはそれで嫌」
声が出たことに安心したのか、アレンが肩をそっと叩いてくれたことに安心したのか、ヒカルは皆の横に並んで歩き出す。
ファインダーの人が、ヒカルにニッコリと笑いかけた。
「大丈夫ですよ、本当に。私が一昨日に訪れたときも、何も現れることなく三階の奥の間に呪いのネックレスが飾られているだけでしたので」
「じゃあ、なんでその時にネックレスを取っちゃわなかったの?」
ヒカルの言葉には、ファインダーの人ではなく、神田が答えた。
「イノセンスの力か、AKUMAの力か。どちらかの力で近づけなかったんだろ」
「その通りでございます」
「そっか・・・だから、あたしたちの出番なんだ」
ヒカルはまだエクソシストじゃありませんけどね、そういってアレンが笑った。
ヒカルもそれに怒るようにアレンに突っかかったけれど、三階の階段を上っている途中に、手を貸してくれたアレンにヒカルはこっそりと、
「ありがと」
といって、神田の後ろを歩いていった。
ヒカルの後姿を暫く見つめていたアレンだが、ファインダーの声で我に返り、彼もまた歩き出す。
「そういえばさ、」
「まだ何か喋るのか、お前」
「だめなの?」
神田がヒカルの話を遮ろうとしたが、どうしてもヒカルは喋りたいらしい。
それを悟った神田は、黙ってしまったので、ヒカルは話を続けた。
「呪いのネックレスを作ったのは、男の子だったんだよね?」
「はい、そうです。少年は、母親にプレゼントする予定だったそうです」
ファインダーは、資料を取り出して言う。
「そのお母さんも、今は行方不明・・・か」
「その母親は、元々この町で有名な女優だったそうですよ」
「女優って・・・何か舞台とかやってたってこと?」
「そのようです。その時にも、よく少年が作ったネックレスをつけていたそうです」
「いいね、そういうの」
「その女優は、元々引退していたようです。引退してからは、よく町の真ん中で子どもたちを笑わせるような芸をしていたと・・・・・」
「その男の子も一緒に?」
ヒカルが尋ねると、ファインダーの人はゆっくりと首を横に振った。
ネックレスを作っていた男の子は、いつも女優のカッコイイお母さんにプレゼントをしていた。
尊敬の念をこめて―――――
しかし、ある日をきっかけに女優の仕事をやめてしまった彼女は、子どもたちに無料で芸を見せたりとカッコイイお母さんではなくなってしまった。
そんな時に、少年は思った。
このネックレスを渡せば、お母さんは元の女優のカッコイイお母さんに戻ってくれる!
走って母の元へ向かう少年に、そのとき悲劇が起こってしまったのだ。
母親もまた、女優を引退したのには理由があった。
少年を育てていくために……そして、もっと息子と一緒の時間を作りたいと思ったからこそ、まだやりたかった女優の仕事をやめてでも、息子と楽しく過ごしたいと願った。
だから町の真ん中で、色んな子どもと一緒に遊ぼうと思った。息子も一緒に。
一緒にもっと笑って、もっと楽しく過ごして、幸せになってほしかった。
めいっぱいの宝物を作って欲しかったのに。
少年の悲劇は、母親をも悲劇へと導いてしまった。
ヒカルは、何かを考えるように歩いていた。
すると、突然神田が立ち止まった。
そのせいで、ヒカルは神田の背中に顔から激突した。
「っ、なに?」
「・・・・・AKUMAか」
ヒカルが、神田の横から顔を出せば、三階の奥の部屋。
呪いのネックレスの置いてある部屋に置かれた一つの椅子に、綺麗な女性が座っていた。
髪はブロンドで、巻き髪をサイドで緩く結んだその髪はサラサラで、一枚の長いワンピースも彼女が着ればまるで高級品のような紫のワンピース。
だが、彼女は綺麗だったけれど、顔の表情はまるで死人のように固まっていた。
アレンが前に出て、言った。
「彼女は、AKUMAです。彼女の中にいる子どもは、おそらく先ほど話していた・・・・・」
「・・・・・・・・・」
彼女の中に居るのは、彼女によって魂を囚われてしまったのは、彼女の息子だった。
ネックレスを守るように、彼女は立ちはだかる。
「そこを退いてください」
アレンが言っても、彼女は動く気配がない。
アレンと神田がイノセンスを発動したとき、ヒカルは彼等を止めた。
「おい、退け。てめぇは引っ込んでろ」
「ヒカル、危ないです!」
「ちょっと、黙っててくれる?」
人差し指を手に当てて、ヒカルはしぃーっと言って笑った。
そして、一歩、また一歩と少しだけ彼女に近付く。
相変わらず、彼女の表情は全く変わらない。
神田とアレンは、ヒカルが何をするのかわからず、動くことが出来ない。
「あの―――――」
ヒカルが何かを話そうとした瞬間に、アクマはヒカルに襲い掛かってきた。
「ヒカルっ!!?」
アレンが叫び、神田が咄嗟に前に出ていたヒカルを引っ張る。
そして、アレンがイノセンスを発動し、アクマの攻撃を防いだ。
「バカは下がってろ」
「ば、バカってなによ!あたしはちょっとアクマと話そうと思って――」
「アクマに話が出来るかよ」
「ヒカル、アクマは伯爵に操られているんです。イノセンスだけが、アクマを救済できる」
神田に引っ張られたため、驚いたヒカルは床に尻餅をついていた。
そんな彼女は、二人を見る。
二人は、ヒカルを見る。
「な、なによ・・・・・・」
ヒカルがそういうと、二人はふいと視線をアクマに戻した。
「あたし、そのネックレス貰うよ!」
二人がアクマに視線を戻した瞬間に、ヒカルは叫ぶようにアクマを見て言う。
「皆が欲して、そのネックレスのために流してきた争いの血。そんなの、駄目だよ!」
アクマは、ヒカルに攻撃を仕掛けようと暴れてくる。
神田とアレンは、その動きを防ぐために攻撃する。
激しい音が鳴り響く中でも、彼女は物怖じすることなく凛とした姿勢でアクマを見据えていた。
「皆がそのネックレスの価値を知って、取ろうとしてきてた。この美術館にもいっぱい人が来た。だから貴方は彼等を殺した。アクマだから」
「ヒカル・・・・・・・」
「そのネックレスがイノセンスでも、そうじゃなくても、それはココにあっちゃいけない。ネックレスは、あたし達が回収します」
アクマの動きは止まった。まるで、何か考えているかのように、動くことはない。
「アレン、神田・・・アクマを、彼女を破壊して」
ヒカルが前にいる二人にそういうと、二人はヒカルに振り返った。
「命令すんな」
「破壊します」
アクマは二人が破壊した。
あっという間に消えていったアクマを、ヒカル達は黙って見届ける。
最後に聞こえたのは、アクマに内蔵された魂。
イノセンスの力で破壊して魂を解放したから、だから少年が話せた。
『ありがとう、ごめんなさい』
無邪気に、可愛く元気そうだった少年はそう言った。
そして、どこからともなく現れた母親が、迎えに来たのだ。
彼女は、先ほどよりも遥かに美しくて、聡明で儚くて―――――
二人で繋いだ手を、アレンに見せた二人は笑顔でもう一度言ったのだ。
『ありがとう、救ってくれて』
二人は、そのままゆっくりと光の中へと吸い込まれるように消えた。
アレンは、こんなにアクマを愛しいと思ったことはない。
これほどまでに、アクマは美しいものだったか。
アレンは、呆然とその場に立ち尽くした。その二人の姿を見ることが出来るのは、アレンだけ。
彼は一人、この場で涙を流した。
「これ、イノセンスじゃないね・・・」
ヒカルは、呪いのネックレスを手に取っていた。
ゆらゆらと動かすと、ネックレスがキラキラと煌びやかな光を見せる。
「小さい子が作ったようには、とても思えないなぁ。すごい・・・・・・・綺麗」
「・・・帰るぞ。不発だったんだ、もうここに用はない」
神田の言葉に、二人もその場から動こうとしたが、それは出来なかった。
「え~?もう帰っちゃうのぉ?つまんなぁ~い!!」
少女の声が、部屋に小さく響いた。
廊下の真ん中で、箒にもたれかかってヒカルは呟いた。
朝食を取り終えて、いつも通りに掃除を始めていたのだ。
あともう少しで、お昼の時間である。
ヒカルは、この廊下掃除を終えたら次の階からお昼は掃除開始だなぁ、と考えつつも再び床を掃除し始めた。
ルベリエから特別任務を与えると言われたヒカルだが、あれから三時間は経ったのに、コムイから何も言われない。
先ほども、ヒカルはコムイと会ったのだが普通に、「掃除頑張ってるねぇ、後で僕の部屋もやってもらおうかなぁ」などと、言っていたぐらいで、他には何も言っていなかった。
もちろんヒカルは、コムイの部屋を掃除する気は全くない。
あの汚い部屋を掃除しようと思うと一日がかりになることは、教団内にいる誰もが知っていることだ。
掃除の手を止めていたヒカルは、ふと思った。
(ルベリエ長官・・・なんでエクソシストじゃないあたしを)
そもそも、ヒカルは体内にイノセンスを持ってはいるが、適合するかどうかもわからない。
手の付けようのない、教団側から見れば厄介者だと思われていても仕方ないようなものだ。
それでも彼はエクソシストでもないヒカルを、エクソシストであるアレンや神田と共に、特別任務に出そうと言うのだ。
それは、AKUMAにとっても伯爵にとっても、イノセンスを潰す機会が増えるということに繋がる。
教団側は、イノセンスを一つでも多く回収し、エクソシストを増やし、ハートのイノセンスを守りつつもAKUMAと伯爵を倒さなければならない。
なのに、彼はイノセンスを持ったヒカルをわざわざ危険に晒そうとする。
その意図が、ヒカルにはさっぱりわからなかった。
疑問は尽きることはないけれど、ともかく彼女は廊下の掃除をひと段落させて、食堂へ向かった。
しかし、廊下を歩いている途中でアレンと神田に出会った。
「あれ?二人が並んで歩いてるの珍しいね?」
「歩いてません。走ってます」
「細かいツッコミを入れられても困るけれど」
「お前、コムイから連絡あったか?」
「え?なにもないけど、何かあったの?」
「・・・・・・・いいから来い」
ヒカルは半ば強制的にアレンと神田と共にコムイのいる室長室へと向かうことになった。
(あぁ、あたしの昼食が・・・・)
さらに残念なことに、ヒカルが彼等二人の足の速さで走れるわけもなく、結局彼女が室長室に辿り着くのには、かなりの時間がかかったのだが。
ヒカルが辿り着くと、コムイはふぅと一息吐いた。
「ようやく来たね。ヒカルちゃん」
「す、すいません・・・・走るの遅くて」
「迷惑だ」
「仕方ないですよ。ヒカルですから」
「確かに」
「ちょっと!聞こえてるんですけど!!」
まぁまぁ、とコムイがヒカルを宥め、そのついでに三人には資料が渡された。
「え、コムイさん・・・これって」
「そ、三人で任務に言ってもらうよ」
「で、でも!コムイさん、あたしは「エクソシストじゃない」」
「・・・・・・そうです(行きたくないです)」
先にコムイに言われてしまい、思わずヒカルが下を向いてしまうと、彼は席を立ちヒカルの前に立ち手に持っていたものをヒカルに渡した。
何かとヒカルが顔を上げてそれを受け取ると、それはアレンや神田たちが着ているエクソシスト専用のローブだった。
「これは、君専用だよ」
コムイは、新品で袋に包まれているそれを取り出して、広げて見せた。
アレンと神田が着ている服と、全く同じように見える。だが、コムイはにこりと笑った。そして、そっとローブの胸元を指差した。
そこには、教団のマークであるローズクロスがなかった。
「これ・・・・・」
「そう、君はエクソシストじゃないからね。でも、なるかもしれない」
エクソシストになったら、ローズクロスをここにつけてあげるよ、とコムイは言った
。
「君には、これから三つの任務をやってもらうよ。その三つの任務が終わるまでに、君の中にあるイノセンスと適合すること。それが出来なければ、君の中のイノセンスは摘出させてもらう。いいね?」
三つの任務は、それぞれヒカルが一つの任務を完了してから次の任務へ移っていく。任務内容は、任務開始まで知らされることはない。
これは、ルベリエが出していた提案とはだいぶ異なるけれど、それはコムイなりの配慮だった。
だが、それをヒカルが知ることはない。
「嫌です。あたし、狙われてるんですよ!?ここから出たら絶対殺されますっ!」
「でも、イノセンスとシンクロ出来たら戦えるようになる。そうなれば、君は殺されない」
「エクソシストだって死にます!」
「じゃあ、このままここでじっと戦いが終わるまで引きこもるかい?」
「そうしたいから言ってるんですけど」
コムイは、真っ直ぐにヒカルを見つめている。
ヒカルは、その視線から逃げるように下を向く。
(死にたくないって、言ってるのに・・・・あたし、我侭みたいじゃん。あたしは、悪くないのに)
ヒカルが外を怖がるのは、伯爵やロードにゲームとして連れてこられたから。
間違いなく優先順位はエクソシストよりも、その辺にあるイノセンスよりもヒカルになることはわかりきっていた。
だからこそヒカルは、ほかにも標的とされているここなら、伯爵と戦っているこの教団なら、自分をきっと保護してくれると思ったからこそ、ここに来たのだ。
それなのに、今の状況はどうだ。
ヒカルにとって、どんどん予測していない方へと話が進んでしまっている。
「長官から言われていることはつ。一つ目は、君がエクソシストになれないようならイノセンスは彼女から回収せよ。二つ目は、期間を設けてその期間中に適合すること」
三つ目、それはヒカルがエクソシストになれないのなら、彼女からイノセンスを回収した後、彼女は教団の保護対象から外されるということ。
これを聞いて、ヒカルは顔を青くした。
「それって、あたしがエクソシストになれないなら用なしってこと!?なにそれ!酷すぎる!!」
「僕らは遊びで戦っているわけじゃない。イノセンスを伯爵より早く回収して、彼等の終焉を未然に防ぐことが僕らのするべきことだ」
人類を守っているわけであり、一個人を守っていたのではきりがない。
一人一人を守ることは、できないんだ。
そうコムイに言われ、ヒカルは愕然とした。
これで、ヒカルは完全にエクソシストにならなくてはいけなくなった。
自分の世界に帰るためには、ロードと伯爵により勝手に参加させられたこのゲームの最後を見届けなくてはならないのだ。
こんなところで、イノセンスという自分を守ってくれるかもしれない盾も、教団という大きな盾も失ってしまっては、ヒカルは確実に彼等に殺されてゲームオーバーになってしまう。
ヒカルは、ぐっと力を入れた。
(ルベリエ長官も、コムイさんも・・・・・教団は、状況によってはあたしの味方じゃなくなるってことね)
「わかりました、やります」
(あたしの世界に帰るためには、やるしかない)
ヒカルのしっかりとした意思を感じたコムイは、一度頷いた。
「うん……じゃあ、任務の説明をするね」
コムイは、デスクに広がる様々な資料の上に大きな地図を広げた。
今回の任務先は、フランス。
そこで起きた奇怪な事件は、一つのネックレスが原因だという。
そのネックレスは、小さい子どもが作ったらしいのだが、それは精巧に作られていた。
それを、子どもは母親にプレゼントしようとしたのだが、その子はその日に交通事故で亡くなってしまった。
その母も、その事件があってから行方不明となり、そのネックレスだけが何故か市場を出回っているのだが、それをつけた者は、一日と経たない内に消えてしまうのだという。
まさに奇怪な状況に、ヒカルは身体を震わせた。
「それって、呪いのネックレスじゃないの・・・・・」
「おー、上手いこというね、ヒカルちゃん!」
「いや、嬉しくないですけど・・・」
「いやいや、なかなかのお手前で」
「だから、嬉しくないですってば!」
「とにかく、行きましょう」
ヒカルとコムイの会話を、強制的にアレンは終了させた。
「AKUMAか、イノセンスの奇怪か、どちらかだな」
神田は、室長室のドアを開けて、もう行く気満々のようで、コムイはふっと笑った。
「あ、そうそうアレン君と神田君は残ってね。その間に、ヒカルちゃんはそのローブに着替えておいで?」
首を傾げる三人を、コムイはさぁさぁと急かしてヒカルを室長室から追い出した。
「なんなんだろう・・・・」
ヒカルは廊下を歩きながら、ぎゅっとローブを抱きしめた。
(絶対に、教団を味方にしてやる!)
残された神田とアレンに、コムイは苦笑した。
「そんな睨まないでよ。ボクだってこれでも精一杯彼女を応援してるし、何とかしてあげたいと考えてるんだ」
「「…………」」
「君たちは、ボクより彼女に過保護だね」
そう小さく零したコムイの言葉に、二人は反論しなかった。
「????で?」
神田は、コムイの言葉に反応せず今ここに残された理由を問うた。
「うん。君達二人には、なんとしてもヒカルちゃんを守ってもらう。それが今回の君達の任務だと思ってくれて構わない」
室長室に残されたアレンと神田は、コムイの話を聞き、思わず目を見開いた。
「イノセンスの回収や、AKUMA退治ではなく、ですか?」
「ヒカルちゃんは、以前伯爵やAKUMAに狙われていると言った。それが、どういう訳なのかはわからないけれど、彼女だってイノセンスを持っている。イノセンスの回収は二の次にして、彼女を守って欲しい」
「ハートの可能性がある、ってことか」
コムイはにこっと笑う。
「AKUMAはおそらくヒカルちゃんを狙ってくるだろう。それを君達二人は全力で阻止する」
「だったら、ヒカルを任務に行かせる必要はあるんですか?ヒカルが行かなければ、この任務は一人でも十分出来るものですよ」
「ヒカルちゃんのイノセンスが、彼女に適合するかどうかの瀬戸際なんだ。このことは、長官が決めたことだ。頼んだよ」
((試されてるってことか・・・))
二人はコムイの苦しそうな顔を見て、何も言えなくなった。
彼だって、本当はヒカルを外に出して危険に晒してしまうようなことはしたくない。
わかっていても、そうせざるを得ない理由があるのだ。
「お待たせしましたー!」
タイミングよく現れたヒカルを、三人はじっと見た。
そして、三人は一斉にため息を吐いた。
「なんですか、そのため息は。すっごい腹立つんですけど」
ヒカルの嫌そうな顔に、コムイとアレンは話を変えるようにローブがヒカルに似合っているとしきりに言い、神田はさっさと室長室から出て行ってしまった。
「じゃ、行きましょうかヒカル」
「よろしく!」
彼等は、一歩を踏み出した。
一歩、踏み出したつもりだった。
これから、どんな困難が待っているのかとか意気込みももうバッチリだったよ。
けどさ、これは無理。ムリムリムリ。
「行きますよ、ヒカル」
「いやああああああああああああああ!!」
列車に飛び乗ることはなかった。だが、列車から飛び降りた。
神田とアレンと三人でフランスまで列車で行くことになっていた。
そして、そこでファインダーの人と合流する手筈になっていた。
だけど、三人とも見事に寝過ごしてしまったのだ。
乗るのは時間通りだったから、漫画のような飛び込み乗車をしないで済んで、
「あぁ、良かった~」
とか思って油断するんじゃなかった。
飛び降りるのもすっごい怖い。半端じゃないこの恐怖は、もう二度と味わってたまるかと本気で思った。
最初にロードと伯爵に会ったときの、あの落ち方も怖いと思ったけれど、これはその上を行く。
ジェットコースターや、急流すべりがまるで幼稚園児の乗り物のように感じられる。
これが、ほんとの恐怖体験!
スピード感は、本当に列車に乗っているためそのスピードがそのまま味わえるという物凄い臨場感。
そして、驚きなのが、列車から降りる地上までは短い距離のはずが、横に飛んでいくのだ。
飛び出した瞬間に列車の進む方向とは逆にありえないほどの風が吹き荒れており、髪が暴れるし、アレンに抱えてもらっているというのに、宙に浮いたまま横にすーっと臓器が喉下に集中するような、そんな気持ち悪い感覚があたしを支配してしまったのだ。
(あぁ、いっそ気を失いたい)
無事に土を自分の足で踏みしめられたことが、奇跡だと思ったし、なんて自分は幸せなんだと思わず涙が出そうになったヒカルだが、アレンと神田がスタスタと進んでいってしまったため、涙は止まってしまった。
二人に追いつくために小走りで駅を抜けると、そこは確かにあたしの知らない町が広がっていた。
「うわあ!なんか、これぞまさにフランス!って感じ」
「何言ってんだ、お前」
「呪われたネックレスは、一体今どこにあるんでしょう?」
「それは、私がご案内いたします」
あたし達の前に突然現れたのは、ファインダーの人だった。
彼は、あたし達の到着をずっと待っていたらしい。
まずは、宿泊先に行き荷物を置いてから、ネックレスの場所へと案内してもらうことになった。
歩くことおよそ十分、あたし達はこの辺で一番有名なホテルにやってきた。
「すっごーい!」
「こちらなんですけど・・・その、大変申し上げにくいのですが」
ファインダーの人は、こちらをちらちらと見る。あれ?あたしのこと、知らない人かな?
「あ、あたしは天月ヒカルです。初めまして、遅くなっちゃいましたけど」
「そ、それは存じております。ですが、その・・・貴方はローズクロスをお持ちでないので」
「あぁ、胸についてるローズクロスね。これ、あたしはエクソシストじゃないから貰えないんだ~」
あははー、と笑って言えば、あたし以外の三人が非常に残念そうな目であたしを見てきた。
「なに、その目は」
「ヒカル、非常に残念なお話ですね。頑張ってください」
「・・・後でここに来い」
二人は、スタスタとホテルの中へと入っていった。意味が分からなくて、あたしも入ろうと足を進めると、ファインダーの人に止められた。
「申し上げにくいことですが、言わせていただきます」
「?」
「天月様は、こちらのホテルにお泊りいただくことが出来ません」
「そうなんだ!・・・・・・・って、まじですか?」
「申し訳ありません。何しろ、ローズクロスがないものですから・・・そこの隣の宿泊施設を借りていますので、そちらの一室にてお願いいたします」
そう言って、彼が指した先は本当に庶民的な家のような宿泊施設。
勿論、贅沢を言うつもりはなかったが、なんでよりにもよってあの二人が豪華な部屋に泊まれて、女のあたしがこっちなのか。
疑問は尽きないけれど、これもあたしがエクソシストになればサッパリ解決されることだ。
あたしは、さらにエクソシストにならなければならないという意思が強くなった。
部屋に荷物を置いて、先ほどの待ち合わせ場所に着くと、三人はもう着いていて早速呪いのネックレスが飾られているという美術館へと向かった。
そこは、今は既に廃墟と化しているそうだが、ネックレスの呪いが怖くて誰も近付くことが出来ないのだという。
「あたしも行きたくないもんな~」
「大丈夫です、いざというときはヒカルを盾にして逃げます」
「なんで!あたし、一般人!!」
あたしが怒鳴ってアレンを怒ると、神田先生からあたしが怒られた。
「黙れ」
「先生は、いっつも冷たいよねぇ」
「神田は、そういえば先生でしたよね向こうで。なんだか懐かしいです」
「あたしにとっては、ほんとに最近の出来事なんだけど」
「そうやって呼ぶな。前に言わなかったか?」
「あぁ、神田さん。目つきがすごいことになってます~こわいこわい」
「なんなら、今ここでお前を殺してやってもいいんだぜ?そしたら、AKUMAから狙われる心配もないしな」
そういって、先生が剣を腰から引き抜いたものだから、あたしは思わずアレンの背中に隠れた。
「神田、弱い者いじめしちゃ駄目ですよ」
「そうだそうだ!もっといってやれアレン!!」
「丁度良い。てめぇも斬ってやるよ、モヤシ」
「アレンです。斬られるのはご免ですね。まぁ、僕はそんなに短気じゃないので、神田のそんな言葉にも怒ったりしませんけど」
「あぁ?今何か言ったか」
「もう一度言った方がいいですか?神田の耳の遠さには驚きますね」
「あ、あの・・・・・二人とも?」
「「黙れ」」
「あ、着きました。ここですよ」
二人の険悪なムードと、あたしの言葉も全てをスルーして、ファインダーさんは辿り着いた美術館を指差した。
思わずそちらを見ると、絶句した。
(とってもすっごくお化け屋敷!!)
「いーやーだー!!!お化け屋敷なんて行きたくないー!」
「仕方ないじゃないですか、ほら早くしてください」
この世の終わりのような有り得ないヒカルの顔に、神田やアレンはともかく、ファインダーの人までもが一歩下がった。
「なによ、悪かったわね。不細工な顔で!」
ヒカルは諦めたのか、先陣を切って美術館へと入っていった。
ギギギッ
重たくて古い扉の開く音が響く。
中は、廃墟になったといっても美術館の品々がまだ数点残っていた。
「どうやら、他に回らなかった作品たちの捨て場所にもなっているらしいな」
神田が、足でその辺にある額に入った絵を軽く蹴った。
がたっという音に、一番前を歩いていたヒカルはびくぅっ!と身体を震わせて神田に怒鳴った。
「ちょっと!びっくりするから!緊張してるんだから、そういうことしないで!!」
「黙ってると思ったら、ビビッてんのか」
「そうよ・・・・・そうよ、そうよ、そうですよ!ビビって悪いかこのヤロー!!!」
「黙れ、うるさい」
しゅん、と縮こまって本当に怖くなってきたのか、彼女の進む一歩が短く短くなっていき、やがて足が止まってしまった。
(うそ・・・・・ほんとに、怖い・・・怖すぎて、声・・・・・出ないっ)
そんなヒカルに気付いた三人は、ため息と苦笑いとが混じり、アレンが声をかけた。
「大丈夫ですよ、ヒカル。こういう時に現れるのはAKUMAです。幽霊なんてものは現れませんから、安心してください」
「・・・・・・それはそれで嫌」
声が出たことに安心したのか、アレンが肩をそっと叩いてくれたことに安心したのか、ヒカルは皆の横に並んで歩き出す。
ファインダーの人が、ヒカルにニッコリと笑いかけた。
「大丈夫ですよ、本当に。私が一昨日に訪れたときも、何も現れることなく三階の奥の間に呪いのネックレスが飾られているだけでしたので」
「じゃあ、なんでその時にネックレスを取っちゃわなかったの?」
ヒカルの言葉には、ファインダーの人ではなく、神田が答えた。
「イノセンスの力か、AKUMAの力か。どちらかの力で近づけなかったんだろ」
「その通りでございます」
「そっか・・・だから、あたしたちの出番なんだ」
ヒカルはまだエクソシストじゃありませんけどね、そういってアレンが笑った。
ヒカルもそれに怒るようにアレンに突っかかったけれど、三階の階段を上っている途中に、手を貸してくれたアレンにヒカルはこっそりと、
「ありがと」
といって、神田の後ろを歩いていった。
ヒカルの後姿を暫く見つめていたアレンだが、ファインダーの声で我に返り、彼もまた歩き出す。
「そういえばさ、」
「まだ何か喋るのか、お前」
「だめなの?」
神田がヒカルの話を遮ろうとしたが、どうしてもヒカルは喋りたいらしい。
それを悟った神田は、黙ってしまったので、ヒカルは話を続けた。
「呪いのネックレスを作ったのは、男の子だったんだよね?」
「はい、そうです。少年は、母親にプレゼントする予定だったそうです」
ファインダーは、資料を取り出して言う。
「そのお母さんも、今は行方不明・・・か」
「その母親は、元々この町で有名な女優だったそうですよ」
「女優って・・・何か舞台とかやってたってこと?」
「そのようです。その時にも、よく少年が作ったネックレスをつけていたそうです」
「いいね、そういうの」
「その女優は、元々引退していたようです。引退してからは、よく町の真ん中で子どもたちを笑わせるような芸をしていたと・・・・・」
「その男の子も一緒に?」
ヒカルが尋ねると、ファインダーの人はゆっくりと首を横に振った。
ネックレスを作っていた男の子は、いつも女優のカッコイイお母さんにプレゼントをしていた。
尊敬の念をこめて―――――
しかし、ある日をきっかけに女優の仕事をやめてしまった彼女は、子どもたちに無料で芸を見せたりとカッコイイお母さんではなくなってしまった。
そんな時に、少年は思った。
このネックレスを渡せば、お母さんは元の女優のカッコイイお母さんに戻ってくれる!
走って母の元へ向かう少年に、そのとき悲劇が起こってしまったのだ。
母親もまた、女優を引退したのには理由があった。
少年を育てていくために……そして、もっと息子と一緒の時間を作りたいと思ったからこそ、まだやりたかった女優の仕事をやめてでも、息子と楽しく過ごしたいと願った。
だから町の真ん中で、色んな子どもと一緒に遊ぼうと思った。息子も一緒に。
一緒にもっと笑って、もっと楽しく過ごして、幸せになってほしかった。
めいっぱいの宝物を作って欲しかったのに。
少年の悲劇は、母親をも悲劇へと導いてしまった。
ヒカルは、何かを考えるように歩いていた。
すると、突然神田が立ち止まった。
そのせいで、ヒカルは神田の背中に顔から激突した。
「っ、なに?」
「・・・・・AKUMAか」
ヒカルが、神田の横から顔を出せば、三階の奥の部屋。
呪いのネックレスの置いてある部屋に置かれた一つの椅子に、綺麗な女性が座っていた。
髪はブロンドで、巻き髪をサイドで緩く結んだその髪はサラサラで、一枚の長いワンピースも彼女が着ればまるで高級品のような紫のワンピース。
だが、彼女は綺麗だったけれど、顔の表情はまるで死人のように固まっていた。
アレンが前に出て、言った。
「彼女は、AKUMAです。彼女の中にいる子どもは、おそらく先ほど話していた・・・・・」
「・・・・・・・・・」
彼女の中に居るのは、彼女によって魂を囚われてしまったのは、彼女の息子だった。
ネックレスを守るように、彼女は立ちはだかる。
「そこを退いてください」
アレンが言っても、彼女は動く気配がない。
アレンと神田がイノセンスを発動したとき、ヒカルは彼等を止めた。
「おい、退け。てめぇは引っ込んでろ」
「ヒカル、危ないです!」
「ちょっと、黙っててくれる?」
人差し指を手に当てて、ヒカルはしぃーっと言って笑った。
そして、一歩、また一歩と少しだけ彼女に近付く。
相変わらず、彼女の表情は全く変わらない。
神田とアレンは、ヒカルが何をするのかわからず、動くことが出来ない。
「あの―――――」
ヒカルが何かを話そうとした瞬間に、アクマはヒカルに襲い掛かってきた。
「ヒカルっ!!?」
アレンが叫び、神田が咄嗟に前に出ていたヒカルを引っ張る。
そして、アレンがイノセンスを発動し、アクマの攻撃を防いだ。
「バカは下がってろ」
「ば、バカってなによ!あたしはちょっとアクマと話そうと思って――」
「アクマに話が出来るかよ」
「ヒカル、アクマは伯爵に操られているんです。イノセンスだけが、アクマを救済できる」
神田に引っ張られたため、驚いたヒカルは床に尻餅をついていた。
そんな彼女は、二人を見る。
二人は、ヒカルを見る。
「な、なによ・・・・・・」
ヒカルがそういうと、二人はふいと視線をアクマに戻した。
「あたし、そのネックレス貰うよ!」
二人がアクマに視線を戻した瞬間に、ヒカルは叫ぶようにアクマを見て言う。
「皆が欲して、そのネックレスのために流してきた争いの血。そんなの、駄目だよ!」
アクマは、ヒカルに攻撃を仕掛けようと暴れてくる。
神田とアレンは、その動きを防ぐために攻撃する。
激しい音が鳴り響く中でも、彼女は物怖じすることなく凛とした姿勢でアクマを見据えていた。
「皆がそのネックレスの価値を知って、取ろうとしてきてた。この美術館にもいっぱい人が来た。だから貴方は彼等を殺した。アクマだから」
「ヒカル・・・・・・・」
「そのネックレスがイノセンスでも、そうじゃなくても、それはココにあっちゃいけない。ネックレスは、あたし達が回収します」
アクマの動きは止まった。まるで、何か考えているかのように、動くことはない。
「アレン、神田・・・アクマを、彼女を破壊して」
ヒカルが前にいる二人にそういうと、二人はヒカルに振り返った。
「命令すんな」
「破壊します」
アクマは二人が破壊した。
あっという間に消えていったアクマを、ヒカル達は黙って見届ける。
最後に聞こえたのは、アクマに内蔵された魂。
イノセンスの力で破壊して魂を解放したから、だから少年が話せた。
『ありがとう、ごめんなさい』
無邪気に、可愛く元気そうだった少年はそう言った。
そして、どこからともなく現れた母親が、迎えに来たのだ。
彼女は、先ほどよりも遥かに美しくて、聡明で儚くて―――――
二人で繋いだ手を、アレンに見せた二人は笑顔でもう一度言ったのだ。
『ありがとう、救ってくれて』
二人は、そのままゆっくりと光の中へと吸い込まれるように消えた。
アレンは、こんなにアクマを愛しいと思ったことはない。
これほどまでに、アクマは美しいものだったか。
アレンは、呆然とその場に立ち尽くした。その二人の姿を見ることが出来るのは、アレンだけ。
彼は一人、この場で涙を流した。
「これ、イノセンスじゃないね・・・」
ヒカルは、呪いのネックレスを手に取っていた。
ゆらゆらと動かすと、ネックレスがキラキラと煌びやかな光を見せる。
「小さい子が作ったようには、とても思えないなぁ。すごい・・・・・・・綺麗」
「・・・帰るぞ。不発だったんだ、もうここに用はない」
神田の言葉に、二人もその場から動こうとしたが、それは出来なかった。
「え~?もう帰っちゃうのぉ?つまんなぁ~い!!」
少女の声が、部屋に小さく響いた。