ピエロ
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ヒカルは鳥の声で目を覚ました。
(漫画みたいな目覚め方だ・・・・・・って、漫画かこれ)
「てか、食事に起こしてくれなかったのか・・・」
忙しいリーバーたちは、ヒカルの存在を忘れたわけではなかったが、ヒカルの所へ行っている暇もなく、今も徹夜で仕事をし続けていたのだった。
昨日、制服のまま眠りについていたヒカルは、途中で目が覚めたため、眠い体を起こして制服を脱いでハンガーにかけ、クローゼットから適当に出してきた服を着て寝たのだ。
それがバスローブだったため、そのまま寝ていたせいで完全に胸がはだけている。
腰で結んだ紐も緩々であまり意味を成していない。
仕方なく、ヒカルはシャワールームへ向かった。
その途中、クローゼットの中を引っ掻き回して着れそうな服を持って。
昨日、彼女は何を着ていいのかさっぱりわからず、バスローブのまま眠りについたわけなのだが、今日は違った。
シャワーを浴びてシャキッとした頭で、服を着ていく。
シンプルで、柄もなく形も普通のワンピースをさらりと着たヒカルは、赤いパンプスを履いた。
紺色で半そでのシンプルなワンピースによく合うクツだった。
ヒカルは、部屋から出て、ひっそりこっそりと食堂へ向かう。
現在の時刻は十時二十三分。
もうエクソシストたちも、ファインダーもそれぞれが仕事に出かけて留守にしているか、朝ごはんを食べ終えて休憩をしている頃だ。
そんな頃合を見計らったわけではないが、たまたまの偶然に、ヒカルは自分のことを心から褒め称えた。
(あんまり目立ちたくないもんね!)
食堂に着くと、人はかなり少なく2、3人いるかいないか程度だった。
厨房の方へ行くと、コムイから昨日紹介されたジェリーがいた。
「あら、遅かったわねヒカル。朝昼兼用でご飯にする?」
「はい、和食のおまかせコースでお願いしまーす!」
「任せてちょうだい!腕を奮うわよ!!」
厨房の奥へ行き、せかせかとヒカルの料理を作るジェリー。
何分か経って料理がトレーに乗って出てきた。
「はい、どうぞ♪ジェリー特製の本日の和食よん」
「わーい!ありがとうございます!」
トレーに乗っていたのは、炊き込みご飯と豚汁、鰯の蒲焼、ほうれん草のお浸し、筍とイカの和え物だった。
炊き込みご飯にはおこげがついており、豚汁の中の具材は大根や人参など野菜もたっぷりだ。
ほうれん草のお浸しには既に醤油がかかっており、カツオ節が踊るように動いている。
筍とイカの和え物は、イカが花が咲いたような形に切られているなど、細かなところにまで気を配っているジェリーの料理は、最早プロであるといえるだろう。
本格的な和食の品々にヒカルは目を輝かせて、数ある席の中の端に腰掛けた。
(うっわー、美味しそうほんとに)
「いただきます」
大事そうに合掌してお箸を持ち、お椀を持ってまずは豚汁をいただいたヒカルは、ふにゃぁととろけるような笑みを浮かべた。
「おいしー」
思わず声に出てしまうほどの美味しさだったようで、ヒカルは次々と食していく。
そんなヒカルの前に、ふと誰かが座り温かい緑茶を置いてくれた。
そこでヒカルはようやく食べる手を休め、前に座った人物の顔を見た。
「・・・・・アレン」
「おはようございます、ヒカル」
「おはようございます。あ、お茶ありがと。任務終わったんだ、お疲れ様」
「ありがとうございます。あの、ここに座っていていいですか?」
「うん」
「・・・・・・・・あの」
「?」
「それ食べたら、コムイさんが呼んでいたので、室長室に行ってもらえますか」
「・・・・・・・わかった」
とうとう、ヒカルは自身にイノセンスがあるのかどうかがわかるのだと、少し箸を握る力が強くなる。
これでもし、本当にロードや千年伯爵が言った通りイノセンスがあるなら、彼女は本当に彼等のいう≪結末≫とやらを見るまで帰ることが出来ないと、腹を括る必要が出てくる。
しかし、逆ならばどうなるか。
イノセンスが自身にないことがここで証明された場合、彼女はノア達によって意味のない存在ということになるのではないだろうか。
彼女は、そう考えていた。
(それで帰れる、ということにはならないだろうけど。少なくとも、彼等にとって重要ではない存在になれるのは、私にとっては願ってもないことだと思うし)
いつまでもその結果が出ないのかと思っていた矢先のことで、彼女は緊張と少しの期待に胸を膨らませる。
なら、全は急げだとヒカルは急いでご飯を食べようとしたが、アレンは突然あ!と叫んだ。
「どうしたの?」
「あの・・・その料理、美味しそうですね」
「・・・・・・・・・・・」
「えへへ」
少し顔を赤らめて笑うアレン。ヒカルは、そんな彼を無言で見つめた。
そしてヒカルは気付く。
羨ましいだろうと笑ったが、彼の表情は料理に釘付けで彼女を見ていないということに。
(これは、あれか。ちょっと食べたいなぁと……そういうことか)
「……おこげはあげないよ」
「はい!(おこげってなんだろう)」
仕方なく、アレンにも少し炊き込みご飯を分けたヒカルは、その後も少しずつアレンにご飯を奪われた。
「炊き込みご飯、おこげが食べてみたいです」
「今度自分で頼んでください」
この後、アレンが「炊き込みご飯のおこげ大盛りで!」とジェリーに向かって叫んだことは、言うまでもない。
室長室に着くと、そこにはコムイさんともう一人の女の子がいた。
「やあ、ヒカルちゃん。おはよう、にはちょっと遅すぎるかな」
「すいません、思ったより寝てしまって」
「いやいや、君は僕らの大切な人だ。構わないよ」
ちらりと、ヒカルが女の子の方を見ると、彼女はにっこりと笑った。
(この子・・・やっぱり!!)
「あぁ、ヒカルちゃん紹介するよ。この子はボクの愛しのリナリー!!!」
「もう、兄さんったら。初めましてヒカル、私はリナリー・リー。コムイ兄さんとは兄妹なの」
「あ、天月ヒカルです。これから暫く厄介になります、よろしく」
「よろしく!同姓で年の近い人って、あまりいないからすごく嬉しいわ。仲良くしましょうね」
お互いに、にっこりと微笑み合う。
ヒカルの社交辞令な笑みに比べて、満面笑みで握手を求めたリナリーは本当に嬉しそうに笑っていた。
「あ、そういえばヒカルちゃん、ご飯は食べたのかい?あれ?今、何時だっけ?」
コムイさんは、時計がないのかあたふたしだした。
「食べましたよ、さっき。今は、えっと・・・・昼の十二時前ぐらい」
「随分アバウトなのね」
「この時計、四つしか数字がないやつなの」
そういって、ヒカルは自分の持つ腕時計をリナリーにちらりと見せる。すると、リナリーはきらりと目を輝かせた。
「ヒカル、その時計とっても可愛いわね」
「えへへ、友達にプレゼントで貰ったの。やっぱこういうのって形が重要だよね~」
「わかるわ、それ。私も部屋に一つだけ腕時計を持ってるの。兄さんに貰ったものだから、大事にしててあまり使えないんだけど」
「えー!?大事にしてくれてるの!?リナリー!!!!」
「へー、そうなんだ!じゃあ、今度見せてー!」
「もちろんよっ!一緒に雑貨屋さんにも行きましょ!すごく可愛いお店を知ってるの」
「行く行くー!!」
きゃいきゃいと騒ぐヒカルとリナリー。やはり女同士だからか、会話は一切途切れることなく二人はずっと雑貨の話や洋服の話で盛り上がっている。
「ボクのことは・・・無視、なの?」
コムイの寂しそうな視線をよそに、それから暫く二人は色々な話で盛り上がっていた。
「―――――あ、そういえば兄さん、ヒカルに用があったのよね。あたし、部屋に戻るわ。ヒカル、また今度ゆっくり話しましょ」
「うん、またね」
リナリーは、そっと扉を閉めて去っていった。
「さてと、コムイさん。お話ってなんです、か・・・・・・・」
ヒカルがコムイの方に振り向くと、コムイはあからさまに不貞腐れた態度だった。
「無視されたぐらいでいじけないで下さいよ」
「ひどいよ、ボクだって二人と一緒にキャイキャイ騒ぎたいのに・・・」
「・・・・・(そうなんだ)じゃあ、次は三人で話しましょう。それでいいですか?」
「・・・・うんっ!」
面倒くさそうなコムイのウジウジ具合に、ヒカルは項垂れるようにそう言う。
すると、急に目をキラキラさせて、まるで子犬のように上目遣いでヒカルを見るコムイ。
(でっかい犬みたい)
「ゴホンッ!今日君を呼んだのは、ほかでもない。昨日も言ってたことだけど、アレン君から聞いた話によると君はイノセンスを体内に持っているんだよね?」
急に真面目になった雰囲気についていけず、ヒカルはただ返事をした。
「そうか・・・・・・調べた結果だけど、聞きたい?」
ヒカルは、聞きたいと答えた。
「・・・・・・君の想像通り、だと思うよ」
「じゃあ、やっぱり・・・イノセンスはなかったんですね!?」
「いや、やっぱり想像とは違ったみたいだ」
即座にヒカルの言葉を否定され、ヒカルは少し項垂れた。
ヒカルとて、覚悟していなかったわけではない。だが、イノセンスを摘出する手術ぐらいならやられても仕方がないと思っている。
そこは、まだ我慢できる。
「あたしは、エクソシストってわけじゃ、ないですよね?」
「そうなんだ、そうなんだけど、ね」
そこでコムイは言葉を一度切った。続きを、もったいぶってなかなか喋ろうとしないことに、ヒカルは少しイライラしてきていた。
「コムイさん、はっきり言ってください」
「じゃあ、はっきり言おう。君はもうすぐエクソシストになる」
「は?もうすぐ?」
コムイの言わんとすることの意味がわからず、ヒカルは首を傾げた。
「もうすぐ、だよ。イノセンスは君を選んでいる。摘出することは不可能だ。だけど、適合してるわけじゃない。こんな現象は初めてだよ」
僕も、驚いている。そう言葉を続けたコムイだが、次に言われた言葉はさらに全てを謎にした。
「伯爵とは、面識があったのかい?」
「いえ、アレン達がゲームをしていたところに、いつの間にかいて・・・そして、次はここに・・・・・・」
「アレン君と神田君の話では、君はアレン君たちがいたゲームの世界の住人でもない、んだよね?」
「はい。どうして伯爵や、ノアの人があたしを知っているのかも、あたしにはさっぱり」
「ゲームの世界に来た時の記憶はある?」
「ないです」
「じゃあ、ゲームの世界に来るまでに伯爵たちと接触したこともない、か・・・」
コムイは、考え込んでしまった。
ヒカルは、本当のことを言いたくて仕方がなかった。
言って、全てを誰かに任せてしまいたかった。
自分は、ロードと伯爵にたまたま捕まってしまって、強制的にゲームの参加者とされたこと。
知らないうちに、体の中にイノセンスがあること。
漫画の、D.gra-manの世界へ来てしまったこと。
全てが、ヒカルにとってまるで他人事のようだった。
ヒカルは、下を向いてしまう。すると、コムイは暫く沈黙した後、ニッコリと笑ってヒカルの肩に手を置いた。
「忘れないで欲しい。僕らは、決して君に危害を加えたいわけじゃないし、加えるつもりもない。ただ、君を」
「守りたいだけなんだ」
コムイはそう言って、室長室を出た。
パタンと扉が閉まるのを横目で確認したヒカルは、ぺたりと床に座り込んだ。
世界がいくつもあることを知っていた伯爵。さらに、その世界を行き来できる存在。
そして、ヒカルすら知らないイノセンスのことも知っていた。
身に覚えのないことが、自分の知らないところで何かが起きている言い知れぬ不安に、ヒカルはただ怯えた。
ここに居てはいけないのかもしれないと、ヒカルは思った。
それでなくても、教団側は伯爵側との戦いで不利な状況だというのに、ヒカルがいると、彼等はゲームのためにヒカルを殺そうと動いてくるだろう。
ここに居ると、教団の人たちに迷惑がかかる。
出て行くべきだと、ヒカルは気付いた。
だが、それでもヒカルの足はすぐに動いてはくれなかった。
外に出れば危険だと、わかっているからこそ出られない。
自分の身が大切で、死にたくないという思いがヒカルの足をまるで鉛のように重たくする。
「なんで・・・・」
どうして自分が今ここに立っているのか、それすらにも疑問を感じていたヒカルは、室長室内に散らばる一つの紙を手に取った。
そこには、戦争が勃発しそこで亡くなってしまったファインダーの名前や、発見されたアクマの数やレベル、エクソシストのアクマ破壊により戦争が鎮圧されたことなどが、事細かに記されていた。
(こんな、世界に・・・・・・・・)
漫画で読んでいて、ヒカルは世界を知っているはずだった。
だが、それは現実とはまた異なる。
これが、本当に今いるヒカルの世界の現実である。
受け入れるしかない現状は、ヒカルにとって大き過ぎた。急に連れて来られた場所は、あまりにも悲しすぎる世界。
ヒカルがイノセンスを持っているにしろ、持っていないにしろ、教団に来てしまったからには、彼女でもすべきことはわかっていた。
だが、思っていても、理解していても、心は固まってしまっていた。
「わかってる・・・・・・・・大丈夫、あたしは頑張れる」
ようやく立ち上がったヒカルは、静かに室長室を出て行った。
ヒカルは、もう下を向いていない。
己の身を守るため、ゲームに勝つために、今はまだ教団にお世話になることを決意したヒカルは、どこか清清しくも見えた。
「おはようございまーす!」
「おー、おはようヒカルちゃん!」
「おはようございますっ!天月さん!」
「おはよう、ヒカルちゃん」
あれから何日か経った日の朝、八時過ぎだというのに、ヒカルはもう既に食堂で朝食を済ませて廊下を歩いていた。
そして、出会う人々と挨拶を交わし、たまに立ち止まっては立ち話をし、また歩き出す。
彼女は、ずっと早起きを心がけていた。
「おはよう、ヒカル」
「おはよ、リナリー」
「今日も大変そうね」
リナリーは朝から鈴のように笑い、食堂へと向かって行った。
ヒカルは、その姿を見送ってから持っていたもので床を擦りだした。
なぜそんなことをしているのか。
ヒカルはあれからすぐ後に、再びコムイの姿を探していた。
『コムイさん!お願いがあるんですけど』
『ん?なんだい』
『何か、ここのお手伝いをさせてください!』
最初はコムイもヒカルの言葉に驚いていたが、イノセンスの協力も出来ず、ただ衣食住を与えてもらうだけは出来ないというヒカルの言葉に感動したコムイは、書類整理を頼もうとした。
しかし、書類整理や科学班の手伝いというのは、どれも専門の知識があってこそ出来る仕事であり、ヒカルには残念ながら手伝えることはないとリーバーから言われたヒカルは、申し出たのだ。
掃除をする、と。
それからヒカルは、毎日のように八時過ぎから夜中の十二時までの十六時間を使い、黒の教団の隅々を毎日掃除している。
勿論、ご飯の時間は取っているが、朝早く起きるのが苦手な彼女にとっては夜中まで働く方が、性に合っているのかもしれない。
そんなこんなで、働き始めてもう一週間。
最初は無理だと言っていたリナリー達や、すぐに根を上げるだろうと思っていたファインダー達は、ここに来てようやくヒカルの根性を認めてくれたのか、皆がヒカルを見かけると声をかけるようになっていた。
ヒカルも、初めは一日では終えることが出来ないほどの教団の広さに悪戦苦闘していたが、しなくてもいい部屋がいくつかあり、個人の部屋は個人で掃除するものだと知った。
廊下や食堂、大浴場、鍛錬場、談話室などの全員が使用する、云わば公共の場のみを掃除することにしてからは、少し要領を掴み始めたのだ。
今では、掃き掃除と床磨きの二つをこなせるほどになってきていた。
午前中の間に、談話室や鍛錬場を終わらせ、残ったお昼までの時間で廊下を少し掃除。
昼からは大浴場、廊下の続きを行い、晩御飯の後に皆がいなくなってから食堂の掃除、廊下の残りを掃除する。
計画を立てれば、一日で教団内を掃除することができるようになっていた。
だが、これはヒカルの自己満足かもしれない。
それでも、何かをしなくてはならないという想いが、今のヒカルを動かしていた。
一週間前に悩んでいた色々なことも、考えてもわからないことだらけだ。
それでも彼女は、今踏みしめているこの場所が居心地良く感じられるようになっている。
悩みがあっても、聞いてくれる人がいる。それだけで、彼女は救われた。
「あれ?神田先生」
鍛錬場を掃除していたところへ、重たい扉を開けてやってきたのは神田だ。
「先生って呼ぶな」
「癖が取れなくて・・・」
「・・・・・・掃除中か」
「うん、ごめんね。今始めたところだから一時間はかかると思う」
そう言って、すぐに神田に背を向けて再び床掃除を始めた。
文句をつけられないうちに、ヒカルはさっさと終わらそうと考えた。
(早くしないと、また無駄に時間を使ってしまう)
以前から何度か神田と掃除中に顔を合わせてしまったことがあるヒカルは、その時いつも神田に怒られていた。
先ほどの先生と呼ぶなだの、ゴミが残っているだの、磨き方が甘いだの、柱の下までちゃんと拭けだの、言い始めるとキリがないほどに。
それはもう、姑のごとくヒカルに対してぐちぐちガミガミうるさく言うのだった。
それをただ聞いているだけのヒカルではないが、反論しだすといつも喧嘩になり、二時間は軽くロスしてしまうことを知ったヒカルは怒られる前に終わらす作戦に出たのだ。
今日は、一生懸命抑えたヒカルの努力の甲斐もあって、そんなことにはならなかったが。
急いでやろうと必死でゴシゴシ床を擦っていると、近くのバケツに神田がしゃがみこんだ。
ヒカルが動きを止めて神田を見ると、彼は雑巾を絞り、柱を拭き出した。
「え・・・・・い、いいよ神田先生、じゃなくて神田!これは、あたしの仕事だし」
「・・・・・」
「手伝われると、調子狂うんだけど」
「鍛錬だ。誰がてめぇの手伝いなんてするかよ」
「・・・・・・あっそ」
(………親切心、かなぁ……先生ってば優しい)
再び床を擦り始めたが、ヒカルは緩くなってしまう顔をどうしても止められず、神田に見られないように神田に背を向けて床掃除を続けた。
「おい」
神田に話しかけられ、振り向くと雑巾を投げつけられた。
ぎゃっ、という声が出たことを無視して神田は再びそれを取りバケツで洗い、絞ってまた柱を拭き始めた。
「ちょ、何すんのよっ!汚いものぶつけないでよバカ!!」
「ニヤけてんじゃねぇ。きもい」
「うっさい!」
パシャパシャパシャ、パシャパシャ
バケツを流して雑巾を洗う音が廊下に響く。
鍛錬場の掃除は、本来ヒカルだけなら一時間以上かかるはずだが、神田の手助けにより喧嘩をしても三十分で終わらせることが出来たヒカルは、一旦雑巾を洗い、昼ご飯を食べるために、掃除道具を戻して食堂へと向かった。
着いたときには、既にそこには人が沢山いてほぼ満席だったが、ヒカルが辺りをキョロキョロ見回していると、手を振っている人を見つけそこに向かって歩いていった。
ヒカルの向かった先には、アレンとリナリー、そしてあと二人がそれぞれ食事をしていた。
その人を見つけた瞬間、ヒカルは大声を上げた。
「あああああああああああああああああ!!!」
食堂内での大きな声は、中にいる全ての人の注目の的となる。
「な、なんさ!?一体・・・」
「あ、ヒカルだ。ここ空いてますよー」
ヒカルがアレンの所へ近付いていくと、ガタッ!とラビが立ち上がって、ヒカルを指差した。
「ヒカル・・・・・・・ヒカルか!?」
「そうだよラビイイイイイ!久しぶりだねっ!!二週間ぐらい軽く会ってなかった気がするよー!!!」
「一ヶ月は会ってねぇよオレ達!ひっさしぶりだなぁ、ほんと。全然変わってねぇさ」
「二週間で人はそこまで変わらないよ」
「一ヶ月だっつーの!」
ヒカルとラビは、顔を合わせるなり感動の再開のように二人はずっと笑いあっている。
リナリーはそんな様子を微笑ましそうな目で見つめ、アレンは少し距離を離したところで大量のご飯を食べている。
「あ、ジジィ!紹介するさ!例の一件の奴、天月ヒカルさ」
「は、初めまして、えっと・・・・ブックマンさん?」
「ブックマンでよい、ヒカル嬢。そなたは、体内にイノセンスを持っているが、エクソシストではないと聞いた。実に奇怪なことだ」
「はぁ、どうも」
「して、そのイノセンスは、まだヒカル嬢には適合しておらんのか」
ブックマンの質問攻めにも、それなりに会話を続けていたヒカルだが、リナリーが不意に何か思い出したかのように笑った。
「ねぇ、今日はどんなメニューなの?ヒカル」
リナリーに訊ねられ、ヒカルも思い出したようにゴホンと咳払いした後、得意満面そうに答えた。
「えっとねー、桜飯に松茸の土瓶蒸し、あとは焼鮭、デザートはいちご大福!」
「桜飯ってなんさ?」
「醤油味のついたご飯をそういう風に言うらしいよ。さっきジェリーから聞いた」
「というより、なにをするつもりだ?リナ嬢たちは」
「いつも、ヒカルの食べる和食って見るの初めてのものが多いから、何を食べてるのか聞くのが日課みたいになっちゃったの」
ねぇ~!と二人で笑いあう。アレンも、その時は真剣にヒカルのご飯を見ていた。どうやら気になるらしい。
「それにしても、いつ見ても美味しそうね」
「そういえば松茸の土瓶蒸しとは、だし汁が非常に美味だと聞いたことがある」
「さっすがブックマン!よく知ってるね。あたしもさっきジェリーから聞いたんだけど、だし汁を飲んで味とか香りを楽しんでから、中に入ってる具材を食べるんだよね」
「そうだと聞くが、食べるのも見るのも初めてなもんでな」
「じゃ、皆も味見する?」
する!という返事を聞き、ヒカルは笑いながら皆と共に食事を取る。
土瓶蒸しのだし汁を、おちょこのように小さいものに注ぎ皆で一杯ずつ飲み、美味しいなぁと言い合う。
昼食は、アレンたちがいるときはいつもこうしてヒカルの食べる日本食に、皆興味津々なのだ。
神田も日本人だが、ヒカルは神田と違って色々な食べ物を食べる。
たまに洋食や中華など、色々なものを食べるヒカルだが、ヒカルの食べる日本食はあまり教団内で見られるものではないため、ラビ達だけではなくファインダーや科学班の人たちもちらちらと見たり、一緒に食べることは少なくない。
アレンたちにとっては、それはとても珍しいもので、好奇心をくすぐられるのだろう。
「あ、いちご大福なら僕も知ってます!とっても美味しいですよね!!」
「アレンは、いっつもよくそんなに食べながらあたしのを美味しそうな目で見れるよね」
「よく食べますけど、まだ足りませんから」
「「「そうなんだ・・・・」」」
「やはり、寄生型だからだろう」
茶を啜りながら言うブックマンの言葉に、ヒカルは食べていた箸をピタリと止めた。
だが、それは一瞬のことで、すぐにヒカルはまた食べながら彼等と話をしては笑っていた。
アレンは、ヒカルをじっと見ていた。
昼食を終えると、また掃除の再開だ。
彼等からも、美味しいご飯からも元気を貰ったヒカルは、再び掃除をしだす。
ふんふ~ん♪とまるで声に出して歌いだしそうな勢いで掃除を進めていくヒカル。
「鼻歌、楽しそうですね」
「うやっほおぃ!!って、アレンか。さっきぶり」
背後から声を急にかけられ、飛び上がらん程の勢いで驚いたヒカルだが、アレンだと気付くと冷静さを取り戻して片手を上げた。
アレンも同じようにし手を上げ、壁にもたれてヒカルを見た。
「毎日、大変そうですね。手伝いましょうか」
「いっつも、そうやって言ってくれてありがとう。でも、これはあたしの仕事だから」
「一人より、二人の方が早く終わりますよ」
「・・・・・アレンは、エクソシストでしょ?あたしは、一般人だからこれぐらいしか出来ないの」
いつものヒカルなら、しつこく優しく言ってくれるアレンに、勝手に怒って勝手に掃除を始めたアレンを叩いて追い払うようにしていたヒカルが、今日はどこか様子がおかしかった。
だが、しっし、と茶化して言うヒカルは、既にいつも通りのヒカルに戻っていた。
(落ち込んでいるように見えたけど……違ったのかな)
彼女の様子を見ていたアレンは、じゃあと言ってすぐにその場を引いた。
ヒカルは、一つため息をつくと再び掃除に戻る。
もう、鼻歌を歌うことはなかった。
夜の十一時四十三分。ヒカルは、あともう少しで今日の掃除全てが終わろうとしていた。
しかし、そこで食堂掃除には欠かせないテーブルを除菌するためのスプレーが切れてしまった。
掃除用具箱へ新しいそれを取りに行き、ヒカルは戻ってくると少し椅子に腰掛けた。
(あと、ちょっと・・・・・)
段々と閉じていく瞼を、掃除が残っていることが分かっていながらも、少しだけだと彼女は眠りに入ってしまった。
それから少し時が経った頃、カツンとクツを鳴らして食堂に入ってきた彼は、ジェリーもいなくて、誰もいない食堂にいる一人の元へと真っ直ぐ向かった。
彼女は、スースーと寝息を立てて眠っていた。
「ヒカル、起きてください。風邪引いちゃいますよ」
アレンはヒカルを揺すったが、彼女は全くと言っていいほど起きる気配がない。
あまり幸せそうな寝顔とまでは行かないが、それでも眠るヒカルを怒鳴ったり叩いたりしてまで起こす気にはなれなかった彼は、そっとヒカルを抱きかかえた。
そして、食堂からゆっくりとした足取りで去っていった。
ヒカルを起こさないように、なるべく揺らさないようにと慎重に歩くアレン。
ヒカルは、夢の中でかすかなその揺れを、まるで揺り篭のように思っていた。
「ヒカル、悩みがあるなら、僕がいつでも聞きますよ。だから―――――」
いつも笑っていて―――――
アレンの言葉が聞こえてのか、ヒカルの寝顔はいつしか少し笑顔に変わっているかのように見えた。
そして、その笑顔にアレンは頬を緩めるがふと気付く。
(僕は、何をしてるんだ……ヒカルは、エクソシストでもない只の一般市民で……人だ。僕の、守るべき大勢の人たちの一人)
だというのに、彼の心臓はざわつく。
治まりそうにない胸を、ぐっと抑えつけながらアレンはその場を離れていく。
(気付いたら、口にしていた……僕は、何を考えてるんだろう…………なぜ?)
言いようのない感情に蓋をするように、彼は廊下を走り去っていった。
(漫画みたいな目覚め方だ・・・・・・って、漫画かこれ)
「てか、食事に起こしてくれなかったのか・・・」
忙しいリーバーたちは、ヒカルの存在を忘れたわけではなかったが、ヒカルの所へ行っている暇もなく、今も徹夜で仕事をし続けていたのだった。
昨日、制服のまま眠りについていたヒカルは、途中で目が覚めたため、眠い体を起こして制服を脱いでハンガーにかけ、クローゼットから適当に出してきた服を着て寝たのだ。
それがバスローブだったため、そのまま寝ていたせいで完全に胸がはだけている。
腰で結んだ紐も緩々であまり意味を成していない。
仕方なく、ヒカルはシャワールームへ向かった。
その途中、クローゼットの中を引っ掻き回して着れそうな服を持って。
昨日、彼女は何を着ていいのかさっぱりわからず、バスローブのまま眠りについたわけなのだが、今日は違った。
シャワーを浴びてシャキッとした頭で、服を着ていく。
シンプルで、柄もなく形も普通のワンピースをさらりと着たヒカルは、赤いパンプスを履いた。
紺色で半そでのシンプルなワンピースによく合うクツだった。
ヒカルは、部屋から出て、ひっそりこっそりと食堂へ向かう。
現在の時刻は十時二十三分。
もうエクソシストたちも、ファインダーもそれぞれが仕事に出かけて留守にしているか、朝ごはんを食べ終えて休憩をしている頃だ。
そんな頃合を見計らったわけではないが、たまたまの偶然に、ヒカルは自分のことを心から褒め称えた。
(あんまり目立ちたくないもんね!)
食堂に着くと、人はかなり少なく2、3人いるかいないか程度だった。
厨房の方へ行くと、コムイから昨日紹介されたジェリーがいた。
「あら、遅かったわねヒカル。朝昼兼用でご飯にする?」
「はい、和食のおまかせコースでお願いしまーす!」
「任せてちょうだい!腕を奮うわよ!!」
厨房の奥へ行き、せかせかとヒカルの料理を作るジェリー。
何分か経って料理がトレーに乗って出てきた。
「はい、どうぞ♪ジェリー特製の本日の和食よん」
「わーい!ありがとうございます!」
トレーに乗っていたのは、炊き込みご飯と豚汁、鰯の蒲焼、ほうれん草のお浸し、筍とイカの和え物だった。
炊き込みご飯にはおこげがついており、豚汁の中の具材は大根や人参など野菜もたっぷりだ。
ほうれん草のお浸しには既に醤油がかかっており、カツオ節が踊るように動いている。
筍とイカの和え物は、イカが花が咲いたような形に切られているなど、細かなところにまで気を配っているジェリーの料理は、最早プロであるといえるだろう。
本格的な和食の品々にヒカルは目を輝かせて、数ある席の中の端に腰掛けた。
(うっわー、美味しそうほんとに)
「いただきます」
大事そうに合掌してお箸を持ち、お椀を持ってまずは豚汁をいただいたヒカルは、ふにゃぁととろけるような笑みを浮かべた。
「おいしー」
思わず声に出てしまうほどの美味しさだったようで、ヒカルは次々と食していく。
そんなヒカルの前に、ふと誰かが座り温かい緑茶を置いてくれた。
そこでヒカルはようやく食べる手を休め、前に座った人物の顔を見た。
「・・・・・アレン」
「おはようございます、ヒカル」
「おはようございます。あ、お茶ありがと。任務終わったんだ、お疲れ様」
「ありがとうございます。あの、ここに座っていていいですか?」
「うん」
「・・・・・・・・あの」
「?」
「それ食べたら、コムイさんが呼んでいたので、室長室に行ってもらえますか」
「・・・・・・・わかった」
とうとう、ヒカルは自身にイノセンスがあるのかどうかがわかるのだと、少し箸を握る力が強くなる。
これでもし、本当にロードや千年伯爵が言った通りイノセンスがあるなら、彼女は本当に彼等のいう≪結末≫とやらを見るまで帰ることが出来ないと、腹を括る必要が出てくる。
しかし、逆ならばどうなるか。
イノセンスが自身にないことがここで証明された場合、彼女はノア達によって意味のない存在ということになるのではないだろうか。
彼女は、そう考えていた。
(それで帰れる、ということにはならないだろうけど。少なくとも、彼等にとって重要ではない存在になれるのは、私にとっては願ってもないことだと思うし)
いつまでもその結果が出ないのかと思っていた矢先のことで、彼女は緊張と少しの期待に胸を膨らませる。
なら、全は急げだとヒカルは急いでご飯を食べようとしたが、アレンは突然あ!と叫んだ。
「どうしたの?」
「あの・・・その料理、美味しそうですね」
「・・・・・・・・・・・」
「えへへ」
少し顔を赤らめて笑うアレン。ヒカルは、そんな彼を無言で見つめた。
そしてヒカルは気付く。
羨ましいだろうと笑ったが、彼の表情は料理に釘付けで彼女を見ていないということに。
(これは、あれか。ちょっと食べたいなぁと……そういうことか)
「……おこげはあげないよ」
「はい!(おこげってなんだろう)」
仕方なく、アレンにも少し炊き込みご飯を分けたヒカルは、その後も少しずつアレンにご飯を奪われた。
「炊き込みご飯、おこげが食べてみたいです」
「今度自分で頼んでください」
この後、アレンが「炊き込みご飯のおこげ大盛りで!」とジェリーに向かって叫んだことは、言うまでもない。
室長室に着くと、そこにはコムイさんともう一人の女の子がいた。
「やあ、ヒカルちゃん。おはよう、にはちょっと遅すぎるかな」
「すいません、思ったより寝てしまって」
「いやいや、君は僕らの大切な人だ。構わないよ」
ちらりと、ヒカルが女の子の方を見ると、彼女はにっこりと笑った。
(この子・・・やっぱり!!)
「あぁ、ヒカルちゃん紹介するよ。この子はボクの愛しのリナリー!!!」
「もう、兄さんったら。初めましてヒカル、私はリナリー・リー。コムイ兄さんとは兄妹なの」
「あ、天月ヒカルです。これから暫く厄介になります、よろしく」
「よろしく!同姓で年の近い人って、あまりいないからすごく嬉しいわ。仲良くしましょうね」
お互いに、にっこりと微笑み合う。
ヒカルの社交辞令な笑みに比べて、満面笑みで握手を求めたリナリーは本当に嬉しそうに笑っていた。
「あ、そういえばヒカルちゃん、ご飯は食べたのかい?あれ?今、何時だっけ?」
コムイさんは、時計がないのかあたふたしだした。
「食べましたよ、さっき。今は、えっと・・・・昼の十二時前ぐらい」
「随分アバウトなのね」
「この時計、四つしか数字がないやつなの」
そういって、ヒカルは自分の持つ腕時計をリナリーにちらりと見せる。すると、リナリーはきらりと目を輝かせた。
「ヒカル、その時計とっても可愛いわね」
「えへへ、友達にプレゼントで貰ったの。やっぱこういうのって形が重要だよね~」
「わかるわ、それ。私も部屋に一つだけ腕時計を持ってるの。兄さんに貰ったものだから、大事にしててあまり使えないんだけど」
「えー!?大事にしてくれてるの!?リナリー!!!!」
「へー、そうなんだ!じゃあ、今度見せてー!」
「もちろんよっ!一緒に雑貨屋さんにも行きましょ!すごく可愛いお店を知ってるの」
「行く行くー!!」
きゃいきゃいと騒ぐヒカルとリナリー。やはり女同士だからか、会話は一切途切れることなく二人はずっと雑貨の話や洋服の話で盛り上がっている。
「ボクのことは・・・無視、なの?」
コムイの寂しそうな視線をよそに、それから暫く二人は色々な話で盛り上がっていた。
「―――――あ、そういえば兄さん、ヒカルに用があったのよね。あたし、部屋に戻るわ。ヒカル、また今度ゆっくり話しましょ」
「うん、またね」
リナリーは、そっと扉を閉めて去っていった。
「さてと、コムイさん。お話ってなんです、か・・・・・・・」
ヒカルがコムイの方に振り向くと、コムイはあからさまに不貞腐れた態度だった。
「無視されたぐらいでいじけないで下さいよ」
「ひどいよ、ボクだって二人と一緒にキャイキャイ騒ぎたいのに・・・」
「・・・・・(そうなんだ)じゃあ、次は三人で話しましょう。それでいいですか?」
「・・・・うんっ!」
面倒くさそうなコムイのウジウジ具合に、ヒカルは項垂れるようにそう言う。
すると、急に目をキラキラさせて、まるで子犬のように上目遣いでヒカルを見るコムイ。
(でっかい犬みたい)
「ゴホンッ!今日君を呼んだのは、ほかでもない。昨日も言ってたことだけど、アレン君から聞いた話によると君はイノセンスを体内に持っているんだよね?」
急に真面目になった雰囲気についていけず、ヒカルはただ返事をした。
「そうか・・・・・・調べた結果だけど、聞きたい?」
ヒカルは、聞きたいと答えた。
「・・・・・・君の想像通り、だと思うよ」
「じゃあ、やっぱり・・・イノセンスはなかったんですね!?」
「いや、やっぱり想像とは違ったみたいだ」
即座にヒカルの言葉を否定され、ヒカルは少し項垂れた。
ヒカルとて、覚悟していなかったわけではない。だが、イノセンスを摘出する手術ぐらいならやられても仕方がないと思っている。
そこは、まだ我慢できる。
「あたしは、エクソシストってわけじゃ、ないですよね?」
「そうなんだ、そうなんだけど、ね」
そこでコムイは言葉を一度切った。続きを、もったいぶってなかなか喋ろうとしないことに、ヒカルは少しイライラしてきていた。
「コムイさん、はっきり言ってください」
「じゃあ、はっきり言おう。君はもうすぐエクソシストになる」
「は?もうすぐ?」
コムイの言わんとすることの意味がわからず、ヒカルは首を傾げた。
「もうすぐ、だよ。イノセンスは君を選んでいる。摘出することは不可能だ。だけど、適合してるわけじゃない。こんな現象は初めてだよ」
僕も、驚いている。そう言葉を続けたコムイだが、次に言われた言葉はさらに全てを謎にした。
「伯爵とは、面識があったのかい?」
「いえ、アレン達がゲームをしていたところに、いつの間にかいて・・・そして、次はここに・・・・・・」
「アレン君と神田君の話では、君はアレン君たちがいたゲームの世界の住人でもない、んだよね?」
「はい。どうして伯爵や、ノアの人があたしを知っているのかも、あたしにはさっぱり」
「ゲームの世界に来た時の記憶はある?」
「ないです」
「じゃあ、ゲームの世界に来るまでに伯爵たちと接触したこともない、か・・・」
コムイは、考え込んでしまった。
ヒカルは、本当のことを言いたくて仕方がなかった。
言って、全てを誰かに任せてしまいたかった。
自分は、ロードと伯爵にたまたま捕まってしまって、強制的にゲームの参加者とされたこと。
知らないうちに、体の中にイノセンスがあること。
漫画の、D.gra-manの世界へ来てしまったこと。
全てが、ヒカルにとってまるで他人事のようだった。
ヒカルは、下を向いてしまう。すると、コムイは暫く沈黙した後、ニッコリと笑ってヒカルの肩に手を置いた。
「忘れないで欲しい。僕らは、決して君に危害を加えたいわけじゃないし、加えるつもりもない。ただ、君を」
「守りたいだけなんだ」
コムイはそう言って、室長室を出た。
パタンと扉が閉まるのを横目で確認したヒカルは、ぺたりと床に座り込んだ。
世界がいくつもあることを知っていた伯爵。さらに、その世界を行き来できる存在。
そして、ヒカルすら知らないイノセンスのことも知っていた。
身に覚えのないことが、自分の知らないところで何かが起きている言い知れぬ不安に、ヒカルはただ怯えた。
ここに居てはいけないのかもしれないと、ヒカルは思った。
それでなくても、教団側は伯爵側との戦いで不利な状況だというのに、ヒカルがいると、彼等はゲームのためにヒカルを殺そうと動いてくるだろう。
ここに居ると、教団の人たちに迷惑がかかる。
出て行くべきだと、ヒカルは気付いた。
だが、それでもヒカルの足はすぐに動いてはくれなかった。
外に出れば危険だと、わかっているからこそ出られない。
自分の身が大切で、死にたくないという思いがヒカルの足をまるで鉛のように重たくする。
「なんで・・・・」
どうして自分が今ここに立っているのか、それすらにも疑問を感じていたヒカルは、室長室内に散らばる一つの紙を手に取った。
そこには、戦争が勃発しそこで亡くなってしまったファインダーの名前や、発見されたアクマの数やレベル、エクソシストのアクマ破壊により戦争が鎮圧されたことなどが、事細かに記されていた。
(こんな、世界に・・・・・・・・)
漫画で読んでいて、ヒカルは世界を知っているはずだった。
だが、それは現実とはまた異なる。
これが、本当に今いるヒカルの世界の現実である。
受け入れるしかない現状は、ヒカルにとって大き過ぎた。急に連れて来られた場所は、あまりにも悲しすぎる世界。
ヒカルがイノセンスを持っているにしろ、持っていないにしろ、教団に来てしまったからには、彼女でもすべきことはわかっていた。
だが、思っていても、理解していても、心は固まってしまっていた。
「わかってる・・・・・・・・大丈夫、あたしは頑張れる」
ようやく立ち上がったヒカルは、静かに室長室を出て行った。
ヒカルは、もう下を向いていない。
己の身を守るため、ゲームに勝つために、今はまだ教団にお世話になることを決意したヒカルは、どこか清清しくも見えた。
「おはようございまーす!」
「おー、おはようヒカルちゃん!」
「おはようございますっ!天月さん!」
「おはよう、ヒカルちゃん」
あれから何日か経った日の朝、八時過ぎだというのに、ヒカルはもう既に食堂で朝食を済ませて廊下を歩いていた。
そして、出会う人々と挨拶を交わし、たまに立ち止まっては立ち話をし、また歩き出す。
彼女は、ずっと早起きを心がけていた。
「おはよう、ヒカル」
「おはよ、リナリー」
「今日も大変そうね」
リナリーは朝から鈴のように笑い、食堂へと向かって行った。
ヒカルは、その姿を見送ってから持っていたもので床を擦りだした。
なぜそんなことをしているのか。
ヒカルはあれからすぐ後に、再びコムイの姿を探していた。
『コムイさん!お願いがあるんですけど』
『ん?なんだい』
『何か、ここのお手伝いをさせてください!』
最初はコムイもヒカルの言葉に驚いていたが、イノセンスの協力も出来ず、ただ衣食住を与えてもらうだけは出来ないというヒカルの言葉に感動したコムイは、書類整理を頼もうとした。
しかし、書類整理や科学班の手伝いというのは、どれも専門の知識があってこそ出来る仕事であり、ヒカルには残念ながら手伝えることはないとリーバーから言われたヒカルは、申し出たのだ。
掃除をする、と。
それからヒカルは、毎日のように八時過ぎから夜中の十二時までの十六時間を使い、黒の教団の隅々を毎日掃除している。
勿論、ご飯の時間は取っているが、朝早く起きるのが苦手な彼女にとっては夜中まで働く方が、性に合っているのかもしれない。
そんなこんなで、働き始めてもう一週間。
最初は無理だと言っていたリナリー達や、すぐに根を上げるだろうと思っていたファインダー達は、ここに来てようやくヒカルの根性を認めてくれたのか、皆がヒカルを見かけると声をかけるようになっていた。
ヒカルも、初めは一日では終えることが出来ないほどの教団の広さに悪戦苦闘していたが、しなくてもいい部屋がいくつかあり、個人の部屋は個人で掃除するものだと知った。
廊下や食堂、大浴場、鍛錬場、談話室などの全員が使用する、云わば公共の場のみを掃除することにしてからは、少し要領を掴み始めたのだ。
今では、掃き掃除と床磨きの二つをこなせるほどになってきていた。
午前中の間に、談話室や鍛錬場を終わらせ、残ったお昼までの時間で廊下を少し掃除。
昼からは大浴場、廊下の続きを行い、晩御飯の後に皆がいなくなってから食堂の掃除、廊下の残りを掃除する。
計画を立てれば、一日で教団内を掃除することができるようになっていた。
だが、これはヒカルの自己満足かもしれない。
それでも、何かをしなくてはならないという想いが、今のヒカルを動かしていた。
一週間前に悩んでいた色々なことも、考えてもわからないことだらけだ。
それでも彼女は、今踏みしめているこの場所が居心地良く感じられるようになっている。
悩みがあっても、聞いてくれる人がいる。それだけで、彼女は救われた。
「あれ?神田先生」
鍛錬場を掃除していたところへ、重たい扉を開けてやってきたのは神田だ。
「先生って呼ぶな」
「癖が取れなくて・・・」
「・・・・・・掃除中か」
「うん、ごめんね。今始めたところだから一時間はかかると思う」
そう言って、すぐに神田に背を向けて再び床掃除を始めた。
文句をつけられないうちに、ヒカルはさっさと終わらそうと考えた。
(早くしないと、また無駄に時間を使ってしまう)
以前から何度か神田と掃除中に顔を合わせてしまったことがあるヒカルは、その時いつも神田に怒られていた。
先ほどの先生と呼ぶなだの、ゴミが残っているだの、磨き方が甘いだの、柱の下までちゃんと拭けだの、言い始めるとキリがないほどに。
それはもう、姑のごとくヒカルに対してぐちぐちガミガミうるさく言うのだった。
それをただ聞いているだけのヒカルではないが、反論しだすといつも喧嘩になり、二時間は軽くロスしてしまうことを知ったヒカルは怒られる前に終わらす作戦に出たのだ。
今日は、一生懸命抑えたヒカルの努力の甲斐もあって、そんなことにはならなかったが。
急いでやろうと必死でゴシゴシ床を擦っていると、近くのバケツに神田がしゃがみこんだ。
ヒカルが動きを止めて神田を見ると、彼は雑巾を絞り、柱を拭き出した。
「え・・・・・い、いいよ神田先生、じゃなくて神田!これは、あたしの仕事だし」
「・・・・・」
「手伝われると、調子狂うんだけど」
「鍛錬だ。誰がてめぇの手伝いなんてするかよ」
「・・・・・・あっそ」
(………親切心、かなぁ……先生ってば優しい)
再び床を擦り始めたが、ヒカルは緩くなってしまう顔をどうしても止められず、神田に見られないように神田に背を向けて床掃除を続けた。
「おい」
神田に話しかけられ、振り向くと雑巾を投げつけられた。
ぎゃっ、という声が出たことを無視して神田は再びそれを取りバケツで洗い、絞ってまた柱を拭き始めた。
「ちょ、何すんのよっ!汚いものぶつけないでよバカ!!」
「ニヤけてんじゃねぇ。きもい」
「うっさい!」
パシャパシャパシャ、パシャパシャ
バケツを流して雑巾を洗う音が廊下に響く。
鍛錬場の掃除は、本来ヒカルだけなら一時間以上かかるはずだが、神田の手助けにより喧嘩をしても三十分で終わらせることが出来たヒカルは、一旦雑巾を洗い、昼ご飯を食べるために、掃除道具を戻して食堂へと向かった。
着いたときには、既にそこには人が沢山いてほぼ満席だったが、ヒカルが辺りをキョロキョロ見回していると、手を振っている人を見つけそこに向かって歩いていった。
ヒカルの向かった先には、アレンとリナリー、そしてあと二人がそれぞれ食事をしていた。
その人を見つけた瞬間、ヒカルは大声を上げた。
「あああああああああああああああああ!!!」
食堂内での大きな声は、中にいる全ての人の注目の的となる。
「な、なんさ!?一体・・・」
「あ、ヒカルだ。ここ空いてますよー」
ヒカルがアレンの所へ近付いていくと、ガタッ!とラビが立ち上がって、ヒカルを指差した。
「ヒカル・・・・・・・ヒカルか!?」
「そうだよラビイイイイイ!久しぶりだねっ!!二週間ぐらい軽く会ってなかった気がするよー!!!」
「一ヶ月は会ってねぇよオレ達!ひっさしぶりだなぁ、ほんと。全然変わってねぇさ」
「二週間で人はそこまで変わらないよ」
「一ヶ月だっつーの!」
ヒカルとラビは、顔を合わせるなり感動の再開のように二人はずっと笑いあっている。
リナリーはそんな様子を微笑ましそうな目で見つめ、アレンは少し距離を離したところで大量のご飯を食べている。
「あ、ジジィ!紹介するさ!例の一件の奴、天月ヒカルさ」
「は、初めまして、えっと・・・・ブックマンさん?」
「ブックマンでよい、ヒカル嬢。そなたは、体内にイノセンスを持っているが、エクソシストではないと聞いた。実に奇怪なことだ」
「はぁ、どうも」
「して、そのイノセンスは、まだヒカル嬢には適合しておらんのか」
ブックマンの質問攻めにも、それなりに会話を続けていたヒカルだが、リナリーが不意に何か思い出したかのように笑った。
「ねぇ、今日はどんなメニューなの?ヒカル」
リナリーに訊ねられ、ヒカルも思い出したようにゴホンと咳払いした後、得意満面そうに答えた。
「えっとねー、桜飯に松茸の土瓶蒸し、あとは焼鮭、デザートはいちご大福!」
「桜飯ってなんさ?」
「醤油味のついたご飯をそういう風に言うらしいよ。さっきジェリーから聞いた」
「というより、なにをするつもりだ?リナ嬢たちは」
「いつも、ヒカルの食べる和食って見るの初めてのものが多いから、何を食べてるのか聞くのが日課みたいになっちゃったの」
ねぇ~!と二人で笑いあう。アレンも、その時は真剣にヒカルのご飯を見ていた。どうやら気になるらしい。
「それにしても、いつ見ても美味しそうね」
「そういえば松茸の土瓶蒸しとは、だし汁が非常に美味だと聞いたことがある」
「さっすがブックマン!よく知ってるね。あたしもさっきジェリーから聞いたんだけど、だし汁を飲んで味とか香りを楽しんでから、中に入ってる具材を食べるんだよね」
「そうだと聞くが、食べるのも見るのも初めてなもんでな」
「じゃ、皆も味見する?」
する!という返事を聞き、ヒカルは笑いながら皆と共に食事を取る。
土瓶蒸しのだし汁を、おちょこのように小さいものに注ぎ皆で一杯ずつ飲み、美味しいなぁと言い合う。
昼食は、アレンたちがいるときはいつもこうしてヒカルの食べる日本食に、皆興味津々なのだ。
神田も日本人だが、ヒカルは神田と違って色々な食べ物を食べる。
たまに洋食や中華など、色々なものを食べるヒカルだが、ヒカルの食べる日本食はあまり教団内で見られるものではないため、ラビ達だけではなくファインダーや科学班の人たちもちらちらと見たり、一緒に食べることは少なくない。
アレンたちにとっては、それはとても珍しいもので、好奇心をくすぐられるのだろう。
「あ、いちご大福なら僕も知ってます!とっても美味しいですよね!!」
「アレンは、いっつもよくそんなに食べながらあたしのを美味しそうな目で見れるよね」
「よく食べますけど、まだ足りませんから」
「「「そうなんだ・・・・」」」
「やはり、寄生型だからだろう」
茶を啜りながら言うブックマンの言葉に、ヒカルは食べていた箸をピタリと止めた。
だが、それは一瞬のことで、すぐにヒカルはまた食べながら彼等と話をしては笑っていた。
アレンは、ヒカルをじっと見ていた。
昼食を終えると、また掃除の再開だ。
彼等からも、美味しいご飯からも元気を貰ったヒカルは、再び掃除をしだす。
ふんふ~ん♪とまるで声に出して歌いだしそうな勢いで掃除を進めていくヒカル。
「鼻歌、楽しそうですね」
「うやっほおぃ!!って、アレンか。さっきぶり」
背後から声を急にかけられ、飛び上がらん程の勢いで驚いたヒカルだが、アレンだと気付くと冷静さを取り戻して片手を上げた。
アレンも同じようにし手を上げ、壁にもたれてヒカルを見た。
「毎日、大変そうですね。手伝いましょうか」
「いっつも、そうやって言ってくれてありがとう。でも、これはあたしの仕事だから」
「一人より、二人の方が早く終わりますよ」
「・・・・・アレンは、エクソシストでしょ?あたしは、一般人だからこれぐらいしか出来ないの」
いつものヒカルなら、しつこく優しく言ってくれるアレンに、勝手に怒って勝手に掃除を始めたアレンを叩いて追い払うようにしていたヒカルが、今日はどこか様子がおかしかった。
だが、しっし、と茶化して言うヒカルは、既にいつも通りのヒカルに戻っていた。
(落ち込んでいるように見えたけど……違ったのかな)
彼女の様子を見ていたアレンは、じゃあと言ってすぐにその場を引いた。
ヒカルは、一つため息をつくと再び掃除に戻る。
もう、鼻歌を歌うことはなかった。
夜の十一時四十三分。ヒカルは、あともう少しで今日の掃除全てが終わろうとしていた。
しかし、そこで食堂掃除には欠かせないテーブルを除菌するためのスプレーが切れてしまった。
掃除用具箱へ新しいそれを取りに行き、ヒカルは戻ってくると少し椅子に腰掛けた。
(あと、ちょっと・・・・・)
段々と閉じていく瞼を、掃除が残っていることが分かっていながらも、少しだけだと彼女は眠りに入ってしまった。
それから少し時が経った頃、カツンとクツを鳴らして食堂に入ってきた彼は、ジェリーもいなくて、誰もいない食堂にいる一人の元へと真っ直ぐ向かった。
彼女は、スースーと寝息を立てて眠っていた。
「ヒカル、起きてください。風邪引いちゃいますよ」
アレンはヒカルを揺すったが、彼女は全くと言っていいほど起きる気配がない。
あまり幸せそうな寝顔とまでは行かないが、それでも眠るヒカルを怒鳴ったり叩いたりしてまで起こす気にはなれなかった彼は、そっとヒカルを抱きかかえた。
そして、食堂からゆっくりとした足取りで去っていった。
ヒカルを起こさないように、なるべく揺らさないようにと慎重に歩くアレン。
ヒカルは、夢の中でかすかなその揺れを、まるで揺り篭のように思っていた。
「ヒカル、悩みがあるなら、僕がいつでも聞きますよ。だから―――――」
いつも笑っていて―――――
アレンの言葉が聞こえてのか、ヒカルの寝顔はいつしか少し笑顔に変わっているかのように見えた。
そして、その笑顔にアレンは頬を緩めるがふと気付く。
(僕は、何をしてるんだ……ヒカルは、エクソシストでもない只の一般市民で……人だ。僕の、守るべき大勢の人たちの一人)
だというのに、彼の心臓はざわつく。
治まりそうにない胸を、ぐっと抑えつけながらアレンはその場を離れていく。
(気付いたら、口にしていた……僕は、何を考えてるんだろう…………なぜ?)
言いようのない感情に蓋をするように、彼は廊下を走り去っていった。