■公園にて
おなまえ設定
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とつ、とつ。
重たく青空にへばりついている雲から遂に吐き出された大粒の雨は、男の頬のみならず、あたり一面に少しずつ落ちてきた。
男の腰掛ける鉄棒にも雨粒は平等に弾け、その度に小さいながらも冷淡な音がまのの耳に届く。
「んー 降ってきちゃったね 」
頬杖を解きポケットの中に両手をいれた男の姿から、この人は手ぶらなのだとようやく気付いたまの。
困ったな〜、と呟く男の声色に本当に困っているような温度は感じられない。
まのは恐る恐る低く立ち込める空に瞳を向けると、不穏な雲が蔓延っていた。
まのの左手に握られた傘は一本のみ。親切心と潜在した貞操の念とが天秤にかけられて揺れていたが、遂に男が気の毒に思われてしまい、まのは傘の留め具をほどき、男の方に傾けた。つもりである。
黒い傘は開くと内面いっぱいにダリアが咲き誇っており、骨組みが見えないように工夫された上等な品であった。
『あの、… 』
どうぞ、入ってください。
喉に引っ付いて出てこない続きの言葉を目の前の男は掬い取ってはくれない。
「へえ〜 ダリアか。その犬の持ち手といい、いいもん持ってんね 」
仕方あるまい。
まの本人は男側に傘を傾けたつもりであっても、傘の内側をやや見上げながら呟く男の身体の大方は少しずつ濡れ始めており、まのの胸中と実際の距離とは随分な乖離があることを物語っていた。これでは自惚れの強い人間だとしても、入れてもらえるとは気付けない。
普段から自己主張の弱いまのは精一杯思い切った行動に出たつもりであったために、気付いてもらえない状況に息が詰まりそうになる。気まずさ故に俯きたくても下から見上げられているために効果はあまり期待できない。
男の頬にまた、雨粒が落ちてきた。
『…いえ、あの…濡れますから、』
じり、とほんの僅かだが男に近寄った勇敢なまの。
流石の男も気遣いに気付き、「お、入れてくれるの?優しいね 」珍しそうに眉を上げ目線を傘からまのに移し小さく微笑んだ、その時。モザイク状に連なった雲の隙間から気味の悪い場違いな陽射しが男の横顔を照らし、頬に置き去りにされている雨粒を鋭く光らせ、それはまのの真っ黒な瞳を射抜いた。
まのは眩しそうに瞳を細めたと同時、柄を持つ左手は力を失い、傘がぐらりと五条の方に倒れそうになったところを彼の大きな手が咄嗟にまのの手ごと支えた。男の右手はまのの細い手首から傘の柄までを丸ごと掴んで支えており、二人の間に男女の隔たりがあることを如実に示している。
男に支えられているまのの左手にはまるで力が入っておらず、彼さえ手を離してしまえば地面に落っこちてしまいそうなほどであった。
あぶねえ、と呟き、男がまのの顔を見上げようとしたその瞬間、五条の左頬から首筋にかけてをまのの右手がひた、と添わされた。その手は非常に冷たい。
『…辛いね、』
地獄でうっとりと慰めているようにも、天国で非常に苦しい裁きを誰かと共に受けているようにも聞こえるまのの声が白髪の男を包む。
光の届かない古井戸の底ほどに暗いまのの瞳が、また、自身を透かして何かを見ていることに彼は気付いている。大方、見当もついている。
五条を透かして何かを眺める、淋しそうに細められたまののやさしい眼差し。
小さくやわいまのの手をどけることなく術式さえ解いてそのままにしておく男の身が、納得のいかぬ興奮に急きたてられ始めていることを妙にギラつくその瞳が饒舌に語っていた。
徐々に諦めてしまうかのように男の首筋に沿って落ち始めるまのの右手を男の長い指が絡めとってやさしく引っ張ると、簡単に手繰り寄せられてしまう、まるで抵抗のないまの。男が傘を少し沈めると、お互いの呼吸の音さえ聞こえてしまうくらいにまで、いよいよ二人の距離が近くなる。
「 君さぁ そんなんじゃ
つまりチョロいってことなんだけど。
と、こんな朝っぱらには不適切な粘度を絡ませて薄笑いをうかべた男は続けるが、幸か不幸か、まのには届かない。
古井戸の底に沈みっぱなしのまのの瞳を覗き込み続ける、悪戯寸前の顔つきをした五条の脳裏に、ふと、雑然とした顔で力なく笑う亡き友と淋しく寄り添うまのの姿が浮かんだ。存在しない記憶である。
追憶の中の彼等は、いつでも親友がまののことを
自分の記憶の中の彼等は、いつだって亡き友が常識的な範疇を超えた過剰な愛をまのに惜しみなく注いでいたと思っていた、が、もしかするとそれは二人のほんの一部を垣間見ていただけだったのかもしれない。彼等二人は一体どんな時間を過ごしていたのだろうか。
まのの記憶に手をかけた友人のことは、男自身が手にかけてしまったため、その時間のことを知る者はもう誰一人居ない。
またも自分自身の内で興醒めを起こした男は、ぱっとまのから顔を離すと、むくりと立ち上がった。
「おーい 大丈夫そ?」
『 …?』
「おはよう 今朝二度目の挨拶だよ 』