■公園にて
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『 、』
水気をたっぷり吸い込んだ砂が、ジャリ、とまのの靴の下で悲鳴をあげた。
喪に服しているのかと思われる程に全身を黒で覆った男が公園の中からまのを呼んだが、挨拶はおろか、うんともすんとも言えないまのは道端に突っ立っている。
「 おはよう、また無視かい?」
大柄な男は小さな公園の中でからからと笑いながらまのに話しかけてくる。まのが無視なんて出来っこないと知っていながら。
諦めたとも見えるような仕草でまのが公園に体を向けると、相変わらずへらへらしながら男が手招きをしたため、躊躇いがちにまのは足を踏み入れた。
強い雄に大人しく服従する雌にも見えるし、自ら蜘蛛の巣に囚われにいく捨て身の蝶にも見える、そんな様子で。
奇遇だね、こんな朝早くにまた会うなんて。
五条は目の前までやってきたまのを前にして言葉を落とす。
実際、本当にただの奇遇だった。
約束の仕事に行く途中、良からぬ気配をこの公園から感じたために一人で送迎の車から降りて片していただけ。まさかまた会うだなんて思っていなかった。
『…おはようございます 』
終わりかけの線香花火よりも消えそうな声で挨拶をかえしたまの。返答の自然なタイミングはとうに逃しており、口を開いたことを今更後悔してしまう。
対する男は、柵のようにも見える一番低い子供用鉄棒に腰掛けて直立するまのを眺めており、彼の長い脚は幾分か窮屈そうに折り曲げられていた。
その面持ちはいつもと同じくへらりと戯けているようで、どうも割り切れないような苦さを含んでいるが、俯いているまのは当然気付けない。
ここのところずっと、この男に会ってもう一度話したい気持ちと、もう会いたくない気持ちとが、均衡を保っていたはずなのに、いざ対面してみると逃げ出したくなるまのはやはり弱虫で小心者だった。
「普段からこんなに朝が早いの?」
ていうか、何してるの?と、たった一人で公園に居た自分を棚に上げて男は不躾に聞く。
責め立てる調子は含まれていないものの、あは、と口を開けて投げられる軽い言葉はひんやりと冷たさを帯びていた、ような気がする。
なんとなく、悪事がバレてしまったような気持ちになるまの。本当はあまり好ましくないことを無許可で自分は行っていたような、そんな気持ちになる。
無許可?一体誰の許可を得ようというのか。
ぽつぽつと芽生える感情に一々立ち止まるまの。またも自然な返答のタイミングを逃してしまったことに少し経ってから気付き、は、と男を盗み見ると、喫茶店で机を挟んだ時と同じく、身を少し屈め脚の上で頬杖をつき、薄らと笑いながらまのを見上げていた。
呆気に取られるほど青い瞳が、じ、と上目で自身を捕らえていて、逃げることはできないのだな、とまのは無意識に動物的なところで理解した。
『…お散歩、を… 』
「へえ、感心。健康的だねえ 」
『 … 』
いっそ何も答えないほうが自然に感じられる、男との言葉のキャッチボール。
美しい線を丁寧に重ね合わせたようなまのの綺麗な二重瞼は、困惑によって閉じ伏せられそうになっている。ハの字に下がった柔らかな眉も、あまりに心許ない。
噤まれた唇は当分開いてくれそうにもなかった。
それじゃダメだね、と五条は口の端を少し上げて心の中で嘲笑う。
容易に屈するような脆さを隠そうともしないこの
"悟が意地悪するから怖がるんだよ"
白髪の男がちょっと弄るだけで、亡き友の背後に楚々と隠れようとしていたまのを思い出す。
やれやれ困るよね、とやわらかな眼差しでまのを包み友は声をかけていた。
意地悪だなんて、到底大袈裟な言い方だった。
親友に恋人ができたと言うので初めて紹介してもらった日のこと、白髪の男は挨拶の言葉をかけてみたが、なかなか返答がなかったために「お〜い、聞こえてんの?」と茶化してみただけ。
その時のまのも、今とまったく同じ顔をしていた。
柔く抱き止め、代わりにと護ってくれる者が居ない今とでは、随分と状況は異なるが。
男からの質問が止み、自身への興味を失ってもらえたのかと静かに目線を五条へ移してみると、少しずり落ちたサングラスから変わらずまのを見上げ続ける気怠げな瞳とぶつかった。
優しさとは反対に位置しているような淋しい色の瞳は、新雪の如く白い睫毛にぎっしりと囲まれている。
あんまり完成された美しさなものだったために、まのは狼狽える間もなく男と目を合わせ続けるが、不思議と目の前の彼を気の毒に感じた。
美しすぎるが故にそう感じるのか、どうしてなのかはまの本人でもわからないが、何故だか彼が気の毒に見えた。
こんな馬鹿げた話はない。
どうして、ライオンを目の前にしたシマウマが相手のことを憐れもう。
そんなシマウマは危機感の欠如した欠陥品か、ライオンに愛情を持って育てられたかの二択しかなかろう。
果たしてまのはどちらだろうか。
変わらず口の端を少し上げながらまのと目を合わせ続ける"気の毒に思われている"男の頬に大粒の雨が落ちてきた。