■公園にて
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明け方から東京都は雨の
あまりに強い雨ならば今朝はよそうと思っていたまのだったが、起床後窓を少し開けて様子をうかがってみると、重たい雲が立ち込めてはいるが、ひとまずは止んでいたために、身支度を済ませると毎朝のごとく家を出た。
しっとりと濡れた遊具を抱える公園、まだ誰もいない商店街、まのより早起きな駅と踏切。
まのは早朝の駅が好きだった。遠めから眺める、電車の中へ静かに吸い込まれていく小さな人々。彼等はどこへ向かうのだろうか。
用事はあっても予定はいつだって無いまのは人々の行方に想像を膨らませようとするが、今朝は雨のせいもあってか気持ちは早々と自宅に向いてしまう。
まのの歩速では折角朝早くに家を出ても、自宅へ折り返そうとする頃には既に人通りが増えはじめている。
目立たないように、邪魔にならないように、下を向き道の端を普段は歩いて帰るが今朝はこの天気である。手に持つ傘が対向の人とぶつかってしまわないか恐れながら歩くまのとは裏腹に、人々はまののことなど颯爽と避け、変わらずの急ぎ足で駅へ向かう。
別に、毎朝毎朝歩けだなんて当時の担当医は言わなかった。朝日を浴びるために短時間でもいいから外の空気を吸いなさい、と伏し目のまのに助言してくれただけ。
ただ慣れてしまったのだ。毎朝起きてお散歩に行くことに、慣れてしまったのだ。型通りのことに若さを消費する、まのの物哀しい習慣。
それでもまのは朝の散歩が決して嫌いではなかった。嫌いならば続かないはずだから。
玉突き式で自己主張をしてくる野花は、まのに季節の移ろいを感じさせてくれた。
存在を忘れられてしまう頻度の高いスマートフォンも、時たま道端の植物を撮影する時はまのに構ってもらえたというのに。
それなのに。
白髪の男、五条悟とテーブルを挟んだあの日から、まのの見る世界は蒼ざめてしまった。
淋しさのために蒼ざめて見えるのか、意味を持たないために蒼ざめて見えるのか、まのにはわからない。
落とした栞、続く歩道橋。
何を読んでいたの?水たまりあるよ。
なんべん繰り返しても、何も思い出せることはなかった。
その度に、細部に拘りすぎてはいけないと意識し、またその度に、それでも忘れてはいけなかったはず、と折り返してしまう。
自分の記憶や意志が、もうなんの役にも立たないのを自覚してもなお、その堂々巡りの問答をまのはやめられなかった。自宅へ足を運ばせる今でさえ、相も変わらず同じことを自問自答し続けている。まのの視界は狭い。
しつこく考え続ける諦めの悪い近頃のまのは、落とした栞の行方を探すべく、ここ数年で読んだ本を片っ端から引っ張り出してきてページを一気にはぐってみたり、朝の散歩で歩道橋をわたる必要のあるルートを闇雲に通ってみたり、将又夕陽の差し込む時間に紅茶を淹れてみたりした。が、結果はどれも同じだった。
消化不良でいつまでも胃に残り続ける脂物のように、まのの心の中に沈んだ思い出せない何か。
もう一度、長身の男に会って話したいと思う気持ちと、もう二度と、このまま忘れ去る時間が経つまで会いたくないという気持ちがいつでも天秤にぶら下がっていた。
聡明で美しいグレイハウンドの頭部を模した傘の柄は、持ち主のまのよりずっと早く、その先の公園に立つ大柄な男に気付いていた。
まのの視界は狭い。