■喫茶店にて
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大通りに出てタクシーを拾うまでの少しの道をまのと歩んだ男。
誰のことも振り返ることなく逃げていく夕陽は、澄んだ秋の空ではいっそ清々しいほどに美しかった。
対して、意識していないと置いていってしまいそうなまでに歩くのが遅いまのをサングラス越しにそっと眺めていると、亡き友人がどれだけ色々なことを気にかけて二人で過ごしていたかが推し測れるようで、それはまた後ろめたさの類の感情を五条に抱かせた。
こういった感情が基盤に染み付いているために、この男がみすみす見逃さなければならない可能性があることは、この先一体どれくらいあるのだろうか。
「あ、水たまりあるよ。」
まのの歩く先、水彩絵の具の夕空をてらてら反射させている小さな水たまりを男が指摘する。
「…?どうしたの?」
避けるでも飛びこえるでもなく立ち止まったまのにサングラスの男も立ち止まる。表情を読み解こうと少し屈んでまのの顔を覗き込むと、感情や意識はどこか遠くに飛んでしまっているようで、先程まで美しく揺らいでいた澄んだ黒い瞳も、今は果てしない闇のようなべた塗りの黒だった。
まのはまた見ていた。大切にしている、いや、大切にしていたはずの何か思い出せないことを、乱反射する水たまりの水面に、映っては消え映っては消えしているところから見ようとしていた。
続く歩道橋の先に排水溝があるようだが、掠れているうえに断片的で定かではなかった。この強い光が見せようとしてくれなかったら、まのは思い出せないことがあるということ自体、きっと忘れていただろう。
ただ、とてもやさしい気持ちにまのは今包まれている。
真っ暗な深海で愛を囁かれたような、この不確かなやさしさはどうしてこうも懐かしい気持ちにさせてくるのだろうか。
まのの果てしない闇を抱え込んだ真っ黒な瞳にジジ、と次第に滲んでくる涙を真っ青な瞳は見逃さなかった。
「んー、君、定期的にトんじゃう感じ?」
屈むのに疲れた為にしゃがみこんでまのを見上げる男の様子から、ずいぶん長い時間声をかけるのを待っていたことがわかる。
意識に針を刺されたまのがハッと大きく目を見開くと、大きくゆらめく視界に、非常に立派な銀色の美しい髪が広がった。
お、気づいた?大丈夫なのかな とへらへらした顔で呟くと、男はぱっと踵を返しながら立ち上がり足をすすめようとする。
寝起きのようなまのは継ぎ当て状態の頭で懸命に考える。
どうして彼といるとこのような変な幻覚が脳裏に浮かぶのか。はたまた、どうしてこんなにもひどく懐かしいのだろうか。
何年か前からまのを悩ませ、何度か病院にまで足を運ばせた、この胸の空虚感と関係があるのだろうか。
どうしてもある気がする。あって欲しい気がする。
『、あなたは誰かに、… 』
似ていると言われますか?
似ていますか?
似せていますか?
紡ぐべき言葉が見当たらないままに呟いてしまった言葉はぷつんと切れたまま宙を舞い、男の足元にぽとんと落ちた。拾い上げてはくれない。
「うーん、?」
男はまのを振り返りながらまた立ち止まり、こうも何度もおかしくなられたら流石に困るねとでも言いたげに頭をかく。
自身の発言に最後まで責任の持てなかったまのは、ばつの悪さゆえに体の前で両手を柔く握りこうべを垂らしてしまう。
『 、』
きっと君は、発した言葉を上手に締めくくることができなくても、相手が掬い上げてくれるという侘しい信頼で口を開くのだろう。
オマエはこの子がこうやってうまく会話を紡げなくても、ずっと待ってあげてたんだろうな、ゆっくりでいいよ、だなんて言って。
いささかの底意地の悪さが垣間みえる内心は、全て持っているようで本当は何も持ちえないひとりぼっちの男の遣る瀬なさから、きっと来ているのだろう。
先程までいた喫茶店で流れていた、バート・バカラックのザ・ルック・オブ・ラブが小賢しいほどに男の耳から離れなかった。