まのに何かを見せようとしてくれた西陽は、もう向かいの席の男の頬を照らすことをやめてしまい、行（ゆ）く秋が急ぎ足で連れてくる夕闇から逃げようとするかのごとく、そそくさと地下に潜りはじめていた。

先程から、店内の客層が移ろったようだ。鎮静剤を打たれた人々は、お日様と共に帰路につくのかもしれない。
相変わらず頬杖をついている男はもたもた受け応えるまのに飽きもせず、いつになったら帰りたいと主張するのかひっそり笑みを隠して待っている。
そんな二人の隣に若者が新たに腰掛けた。



「だからさ、だからさ、なんでよ？今から加速したいんだろ？それでなんでギアを上げるのさ。スピード上げるんだろ？力欲しいわけじゃん。つまりイコール、シフトダウンじゃん。なのになんで上げるのさ。」

「え〜…わからんわ〜…まじわからん。スピード上げるってのはシフトアップじゃなくて？そんなこと、教官から教わってないけどなあ。ていうか、車好きなお前と違って、ミッション？ギア？の理解しながら運転とか出来んわ〜。俺はとりあ早く免許さえもらえればいいわ〜。」


自動車教習所の教科書を広げ、若い青年がもう片方の青年に説いている。


「…お前なんでマニュアルにしたの？このご時世、100台に1台しかマニュアル車って走ってないのに。オートマでよかったじゃん。昔ながらの、男ならマニュアル〜、ってやつ？」

「まあそんなもんかなあ〜。死んだ親父に男はマニュアルで取ってこいって言われてたからさあ。なんとなく、脳内縛られてる的な？」


教えていた青年が開いていた教科書をパタンと閉じ、まあ何でもいいけどあんま記憶力いいと色々損するぜ、と呟いたあとはアルバイトの話や気になる女の子の話に移っていった。

青年達の若くてハリのある声は、陽が沈み始めた空のもとでも一日はまだまだこれからだとでも言いたげで、帰路に意識の向くまのを戸惑わせる。
そういえば、夕闇はいつからかまのを帰路につかせようと急かすようになった。

ようやくあげられた青白い顔は、自身の顔にではなく奥に掛けられた時計をみるためにあげられたことを男は知っている。
言いたいことや思っていることが顔に出ているわけでもないが、まのの不安が手に取るように分かる意地の悪い男は、もうとうに酸味の強くなっている珈琲をゆっくりと口に運ぶ。

「え！お前それ脈ありじゃん！？…で、え、今日の夜メシ行くわけ？まじかー！…ってかそういうのって罪悪感とかないわけ？や〜笑うわまじ。うまく行くといいね。あんま早まんなよ。」

夕暮れを気にもしていない青年達の楽しそうな会話と向かいの男の様子に逃げそびれのまのは当惑を覚えるが、実際とった行動はティーカップを口に運ぶことだった。
そんな様子を見た五条悟は鼻で笑った。そろそろ帰ろうか、と毎度促してくれた恋人がいないとお開きにすることもできないまののことを。
渋くなった紅茶もまののことをきっと哄笑しているだろう。